あなたといっしょに
42:寂しがりやの線香花火
家の納戸のすぐそばに放置されていた。普段なら気にも留めないだろうそれを手に取ったのは知り合ったばかりの彼の所為かもしれない。家庭的な匂いを感じさせない彼だから、こそ。
「これ貰っていいか」
「いいんじゃない」
すぐ下の弟は気がなさそうに返事をした。土浦は携帯をいじりながら部屋へ向かった。半ば無理矢理のアドレス交換だったが役に立つ日が来るなどとは夢にも思っていなかった。
突然のメールにもかかわらず返事はすぐに来た。夜闇が満ちてこそいるが女性じゃあるまいし親も息子の出て行く先など気にもしない。納戸から引っ張り出したそれを持つと土浦は家を出た。こんなに人肌恋しいのは知り合った彼の所為なのだろうと判っていたがそれも悪くないと思う自分にも気付いていた。
待ち合わせた公園で柚木はすでに待っていた。辺りには車もない。
「車、どうしたんですか」
「必要なら呼ぶだけだ。それよりこんな夜分に人を呼びつけるだけの理由はあるんだろうな」
長い紫苑色の髪は夜闇のフィルターがかかって黒色にすら見える。紫水晶のように煌めく瞳だけが際立った。横柄な態度は平素の柚木にはみられないものだ。どこをどうしたのか平素の柚木は猫をかぶっている。丁寧な言葉と態度はファンクラブが出来るほどの腕前だ。
土浦の気分が急にしぼんだ。
「すいません、やっぱり」
「今から帰れとか言うなよ。呼びつけた代償は払ってもらうぜ」
柚木の白く強靭な指先が土浦の下顎を捕らえた。土浦の手に持っていたものを柚木は奪った。
「ちょッ、と…!」
「ヘェ、花火、ね」
柚木の目が意味ありげに土浦を見た。一度開封されたそれは余った花火で一杯だ。人気のあるタイプはもうないし、手持ち無沙汰なものばかりが集まっている。
「すいませんでした、やっぱりかえ――」
「こういう花火はしたことがないんだ。やり方を教えろよ」
言うが早いか柚木の指先が土浦のポケットをあさった。その指先が持ち出したライターを探し当てるのに時間はかからなかった。
「本当にすいませんでしたこんな時間に、だから、かえ――」
柚木が手馴れたふうにライターをつける。ニ・三度それを繰り返して納得したように頷く。土浦は慌ててそれを取り返した。
柚木が髪を背中へ跳ね上げて余り物の集まった花火をあさる。
「せっかくだ、やろうぜ」
「でも」
「ぐちぐち言うな。それともこの俺じゃ不満だとでも?」
土浦がぐぅと言葉に詰まる。
「そ、そういうわけじゃ」
「だったら言葉は無用だ。ほら、ライターを貸せよ。この先っぽに火をつければいいんだろう」
土浦がライターをつければ柚木が持った花火の先端をかざす。火のついた先端は見る間に丸みを帯びて色とりどりの火花を散らして燃える。
二人の顔を仄白く火花が照らした。唇を真一文字に結んだ土浦をよそに柚木は楽しげだ。
「へぇ、こんな風になるのか。なかなか面白い」
土浦は拗ねたように座り込むと線香花火に火をつけた。持つ指先が震えるような気がして土浦はむやみにそれに集中した。震えまいとするほどに指先から感覚がなくなっていく。体から驚くほど遠くに思えるその火種がフルフルと震えた。
「それ、なんていう花火だ」
散々好き勝手していた柚木が興味を示した。土浦と同じ線香花火を持ち出して火をつける。
「線香花火ですよ」
「ずいぶん抹香臭い名前がついているな」
「そうですかね」
土浦の持つ火種がジジッと燃えて火花の様相を変える。静かに燃えていた火花がジッジッと音を立てて燃えて火花を散らす。橙のそれが目蓋の裏に灼きつくような気がした。
「俺にもやらせろよ」
土浦は黙ってライターを拾うと柚木の持つ線香花火に火をつけた。
「火種、落とさないようにするんですよ」
「へぇ」
柚木の花火へ火をつけた拍子に揺れて火種が落ちた。円く燃える火種が次第に勢いをなくして消えていく。
焔色が一瞬の鮮烈さで土浦の顔を照らした。日に焼けた肌はくすんでさえ見えるが山桃色の瞳は理知的に輝いてる。唐突に付け足されたコンクールへの参加。それがいつから気になり始めたのか柚木にはもう判らない。柚木の指先が伸びた。線香花火がぽとりと落ちて消える瞬間、柚木は土浦と唇を重ねた。火照ったようなそれは融けて境界線を曖昧にした。
「素直だな」
唇を離した柚木の笑いを含んだ言葉に土浦が唇を尖らせた。意志の強そうな眉がぴくんと跳ねる。凛々しい眉は形もよい。紅く色づいた唇が真一文字に結ばれている。見苦しくないその口元が彼のしつけの厳しさを表しているかのようだ。
「だけど嫌いじゃないぜ」
柚木の舌先が土浦の唇をぺろりと舐めた。途端に土浦が柚木から全力で離れる。それを見た柚木が吹き出した。その仕草に土浦がむくれた。
「笑うことないじゃないですか」
「悪い、あんまりにもお前が」
柚木がフッと笑った。
「可愛くってさ」
土浦の顔が真っ赤になった。柚木がそれを見てさらに笑う。体をよじって笑うそれに土浦は思わず自身を省みたほどだ。
柚木がからかうようにように土浦の手に指を這わせる。
「またキスしてやろうか」
土浦が体を引くのを見て柚木が再度笑った。
「もういいッ」
「そうみたいだな」
柚木は体をよじって笑いながら線香花火を手に取った。
「ほら、火をつけろよ。付き合ってやるから」
土浦が微笑して花火に火をつける。二人の唇がふわんと重なった。
《了》