コマ送りのようなそれは
点滅するライトのように
目を灼いた
39:点滅
コンクールへの参加が決まり、練習室を使用して練習に夢中になり気付けば下校時刻も過ぎていた。月森の奏でる楽器は小ぶりで、練習場所にはこだわる必要はないのだがやはり練習室は没頭できる。周りの目を気にしなくていいところが利点だ。殷々と響く音色は心地よく鼓膜を震わせる。
薄闇の満ちてきた辺りはすぐに闇に沈むだろう。歩きながら読んでいた譜面が読みにくくなった。パタンと帳面を閉じる。家路を急ぐ月森の足がふと止まった。街灯が瞬く範囲内によく見かける顔を見つけた。
「…土浦」
萌える若草色の髪は短く切られている。山桃色の瞳は今は閉じられていて見えない。運動部に所属しているのだと風の便りに聞いた。快活でどこまでも綺麗な。
思わず歩み寄っても土浦は微動だにしない。近づいて初めて彼が眠っているのだと判った。日に焼けた皮膚。健康的で清らか。膝の上には帳面が何冊も散らばっていた。一冊を手に取り眺める。五線譜のそこには書き込みと修正があり、彼の取り組みようを現していた。知らずに月森の口元が笑んでいた。巻き込まれるようになし崩し的に参加が決まった。普通科でもあり顔を合わせれば小競り合いを繰り返す。生理的に嫌いなわけではない。相性の問題なのだろうと月森は半ば諦めている。
睨みつけるか小馬鹿にしたような顔しか見たことがない。遠くから雑談する姿を何度も見かけた。楽しげに笑って小突きあう彼の顔は明るく朗らかで月森にはない何かを持っていた。元気のよい火原とも仲がいいようだ。無邪気なまでの明るさを持つ火原は先輩後輩を問わずに人気がある。その無軌道なほどのそれを柚木や土浦が修正している。
拾い集めた帳面をまとめて膝の上へ置きなおす。月森の指先が土浦の目蓋をなぞる。柔らかな眼球の感触。押せばずぶずぶとめり込んでいきそうなそれは沼にも似ているとふと思った。そのまま鼻筋をなぞり唇へ指先を滑らせる。ふわんとしたそれ。若草色の髪をそっと梳く。短髪の毛先がそよそよと風にそよいだ。街灯が点滅した。激しい白色が途切れて仄白い月光が浮かぶ。ちかちかとしたそれは目蓋の裏に残像を残す。土浦の寝顔が月森の目蓋に灼きついた。
月森の体が傾いだ。そっと倒した体。熱を帯びた唇が重なった。月森が目を閉じる。柔らかい皮膚一枚が二人を隔てた。けれど月森はそれでいいのだと心中で呟いた。この隔たりがなくなったら己が何をするか自信がなかった。小競り合いの絶えない仲でもお互いを気にしている。疎まれていると判っていても気になった。
土浦の唇が薄く開いた。その奥へ月森は舌を潜らせる。土浦の眉根が苦しげに寄る。
「…ッん、ぅ」
土浦のうめき声に月森は弾かれたように体を離した。思わず息を呑んで見守る月森など知らぬげに土浦の指先が頬を掻いてからぱたりと落ちた。唇が濡れたように輝きを帯びている。
「…寝てる、か」
月森がふぅッと肩を下ろした。淡い水色の髪がさらりとなびいた。うなじを隠すそれは長くはないが土浦のように短くもない。淡い瞳は闇をかぶって濃紺へ変わっていた。
真摯な瞳が土浦を射抜く。その眼差しが淡く笑んだ。
「君が好きだ」
月森の唇が言葉を紡ぐ。口元がつり上がり目が眇められて笑いをかたちどる。
「君のピアノも――…そして、君も」
唇が触れ合った。土浦の熱がそこから伝わってくるような気さえした。
月森がそっとかがめていた体を起こした。荷物を抱えなおして公園の水場へ急いだ。頬が知らずに火照っている。きっと紅くなっているだろう事が知れた。水道のコックをひねり水を全開にする。ほとばしる水流の下へ頭を突っ込んで水を浴びた。濡れない位置に荷物を置いて顔を洗う。ハンカチで拭って顔を上げるとあたりはすっかり闇に満ちていた。月森は荷物を抱えると家路へついた。
ぴくぴくと震えた目蓋が開く。街灯がまぶしく目を眇める。繰り返される小競り合いに月森からは嫌われているのだと思っていた。
『好きだ』
『君のピアノも、君も』
月森の声が土浦の頭の中でこだます。
「バッカやろ…!」
キスの途中で目が覚めた。触れてくる唇の柔らかさに目を再び閉じた。月森は知らずに離れていった。触れる頬が熱い。鏡を見なくても判るほどに紅い頬を指先が居心地悪げに掻いた。間近に見えた月森の顔が切れ切れに。膝の上に置かれた帳面を見れば見慣れないものが混じっていた。『L.T』のイニシャル。
「…アイツのかよ」
帳面を開けば五線譜の上に神経質な文字が並んでいる。あまりのも月森らしいそれに土浦は思わず肩を揺らして笑った。土浦はまとめて帳面を抱えるとベンチから立ち上がった。思い切り伸びをすると気怠い重みが消える。
月森の家の所在など知らないから明日学校で渡すしかないだろう。土浦は月森の帳面を丁寧に鞄へしまった。鞄を背負いなおして公園から出る。
「…好き、か」
月森の触れた唇を土浦の指先がなぞる。フルフルと頭を振ると息をついて歩き出す。
「あぁ、好きだな」
土浦の見上げた夜空は星星が瞬いていた。
《了》