こんなにもあんなにも
あなたが好き
だから時々
35:知らない人みたいだ
ごくんと生唾を飲み込む音がした。辺りは夜に沈み人影も明かりもない。もう何度も行き来した通路の一角でフランシスコは足を止めていた。空を見上げれば星がきらびやかに瞬いている。キュリオと二人、幼い頃は家を抜け出して夜空を見たりしたものだと思い出す。そんなことをしては大目玉を食らい、キュリオはその頬を腫らしていたりもした。
心臓がどくどくと脈打つ。幼い頃は隣にいるだけでよかった。キュリオが他の誰かと仲良くしていても大丈夫だったのに、それが目に付くようになったのはいつからだろう。利かん気の強い少年は義侠心や正義感の強い青年になり今に至っている。まっすぐに生きてきたキュリオに憧れる。そして自分にそんなことはきっと出来ないのだろうことも判っている。
見上げると目的の部屋からは明かりがもれていた。意を決して足を踏み出したフランシスコの目の前で扉が唐突に開いた。
「うっわぁぁッ」
「な、なんだッ」
飛び上がって驚くフランシスコの様子に扉を開けた張本人がびっくりしている。目を瞬く隻眼が逆光に見えた。フランシスコは胸を押さえて呼吸を整えた。
「び、びっくりするじゃないですか! 急に開けないでくださいよ!」
「それはこっちの台詞だ…」
涙目のフランシスコに迫られてキュリオががくんと脱力した。
「なんであんなところにいたんだ」
フランシスコが言葉に詰まった。キュリオはそれを意味ありげに見た後に体を反転させた。
「上がれ」
「…はい」
フランシスコは招かれるままに足を踏み入れた。
もう眠るだけだったのか部屋は綺麗に片付いている。フランシスコに椅子を勧めてその向かいへキュリオは腰を下ろす。
「茶でも淹れるか」
「…いりません」
終始俯きがちなフランシスコの様子にキュリオは首を傾げた。わりと黙り込んだりするのはキュリオの方が多いくらいだ。フランシスコは話題に事欠かないほど博識で、同時によく喋る。フランシスコの話をキュリオが聞く、というのが二人の常態だ。
蘇芳色の瞳が煌めいた。クリーム色の淡い色の髪は橙の明かりに染まり艶を放つ。白い肌が赤味を帯びて見えた。
「あなたのことが、好きなんです…」
キュリオがその隻眼を瞬かせた。芥子色の瞳がびっくりしたようにフランシスコを眺めた。
「俺が、か」
「…はい」
フランシスコが膝の上で拳を握り締めた。今までの人生の中でこんなにも不安に苛まれたことがあったかすら不明だ。意中の女性に愛を囁くときも、女性に向かってキスを贈るときもこんなに思い悩んだりはしなかった。子供のときから当たり前のように隣にいて。当たり前のように手をつないで。見てきたのは綺麗な部分だけじゃないと自負している。
ジジッと明かりが燃える、音がした。キュリオは難しい顔をしたまま返事をしない。フランシスコの手が知らずに震えた。断られた後のことを考えると頭が痛い。キュリオとはこれからも付き合いを続けていかなければならない。キャピュレット家の再興。主の仇であるモンタギューを討つこと。かくまっている少女のこと。そのほとんどに二人は手をつけてきた。
フランシスコの目が潤んだ。それを見たキュリオがビクリと肩を跳ね上げた。唇を真一文字に結んで困ったように視線を辺りへ彷徨わせている。橙の明かりがキュリオの目をふさいだ傷を照らし出した。眉の上から走る傷が目蓋を完全にふさぎその先端は頬骨の辺りに届くほどだ。その頬が紅い。キュリオは困ったように笑うと口を開いた。
「…俺もだ」
「キュリオ、それって」
目を見張るフランシスコが体を乗り出す。キュリオはそれを受け流しながら真っ赤な顔でフランシスコを睨んだ。
「お前が…好きだ、俺だって」
フランシスコがテーブルを回ってキュリオの方へ歩み寄る。その顔がいつもどおりの自信に満ちた表情に変わっていてキュリオは何故だか安堵した。
フランシスコの指先がキュリオの襟を緩める。浮き上がる鎖骨に指先を這わせくぼみを押した。眉を寄せると楽しそうに笑う。その指先が喉に滑り喉仏をなぞっていく。体重をかけて押し倒すフランシスコにキュリオは逆らわなかった。椅子が傾いで二人して倒れこむように床へ伏した。キュリオの上にフランシスコが圧し掛かる。
「ねぇキュリオ、お願い、抱かせて…」
フランシスコが熱っぽく耳元に囁いた。キュリオが背筋を震わせるとフランシスコが楽しそうに笑う。
「…別人みたいだな、お前」
悔し紛れの言葉にフランシスコが笑った。キュリオの耳朶を甘く噛んで穴を舌先で穿つ。
「そうかも、しれませんね」
フランシスコが哂った。それはどこか自嘲するような色の強い笑みで。キュリオはそれを肩越しに見つめた後に顔を伏せた。その間にもフランシスコの指先は服の中へと滑り込んでくる。
フランシスコの指先がキュリオの髪を梳いた。鳶色の髪が明かりを浴びて深い茶色に変わる。短く切られた髪。覗くうなじに唇を這わせてフランシスコは囁いた。
「私なんかでいいんですか? あなたを壊したり傷つけたり、するかもしれませんよ」
キュリオがフランシスコの下で体を反転させた。向かい合う体。腹まで覗くほどに開かれた襟。躍動するそこにフランシスコは手を這わせた。
「お前には傷つけられたり傷つけたりしている。今さらだ」
キュリオの手がバシッとフランシスコの顔を押さえた。白い頬をキュリオの手が包む。
「お互い様だろう」
くしゃりとフランシスコの顔が歪んだ。泣き出す前の子供のようなそれにキュリオは口付けた。唇が重なると相手の緊張が解けていくのが判る。温度の融けあうその行為をキュリオとフランシスコは繰り返した。
「好きです」
「俺もだ」
キュリオはにやりと笑うと体の力を抜いた。
《了》