こんなにも必要なのに


   34:強がりさんの掌

 きっかけは驚くほど小さなものだ。こみ上げる怒りと興奮が原因を忘れさせ二人を感情的にした。睨みあう瞳が潤んでいる。クリーム色の髪が揺らして少年が地団太を踏んだ。
「キュリオはいっつも、そう!」
「お前こそうるせぇよ!」
睨みつけてくる蘇芳色の瞳を芥子色の瞳が睨み返した。
「ゲームに負けたからって!」
「お前だって俺に一本取られたじゃねぇか! さっきの剣の稽古で!」
乱暴に跳ね除けられたのか、卓上ゲームの盤が床に転がり駒が散らばっている。
 「キュリオなんか、大ッ嫌いだ!」
フランシスコが叫んだ瞬間、キュリオの腕がしなり拳が振り下ろされた。ガツッと鈍い音をさせてフランシスコは床にしりもちをついた。殴られた頬は熱を帯び、感覚が麻痺したように腫れてくる。触れた感触と切れた唇の血にフランシスコも眉を吊り上げた。
「君は何かって言うと力に物言わせて! 馬鹿じゃないの」
「もう一発殴るか?」
 ふらりとフランシスコが立ち上がる。キュリオはツカツカと扉の方へ向かうと扉を一気に蹴り開けた。途端に二人の諍いを聞きつけて耳をそばだてていたらしい家政婦たちが体を引いた。
「帰れ!」
「言われなくてもこんなトコにはいたくないよ!」
腫れた頬もそのままにフランシスコはべぇっと舌を出した。
 「失せろ」
「言われなくても」
フランシスコはつんとそっぽを向いて部屋を出た。その背中を見送ることもなくキュリオは乱暴に扉を閉めた。家政婦たちはオロオロと二人を交互に見送った。
「ちくしょう!」
悪態をつきながら椅子を蹴倒しテーブルをひっくり返す。彼女たちが用意してくれた紅茶や砂糖壺やらミルクやらソーサー、カップが散乱した。けたたましい音を立ててそれらが砕け散る。コツコツと響いたノックを罵った。
「うるせぇ!」
 扉が開かれ静かな容貌の男性がそこにいた。それを見るなりキュリオの顔から血の気が引いた。
「…お、親父」
男性は黙ってツカツカと部屋に入るとキュリオを打った。手加減されていても大人の男の一撃は力強く、キュリオの体が傾いだ。キュリオはそれでも踏みとどまると頬に触れた。みるみる腫れるそこからは感覚がなくなっていく。唇の端が切れたらしく、触れた指先に血が滲んでいた。父親は静かに言葉を紡いだ。
「お前が片付けなさい」
「……はい」
キュリオは俯いて答えた。
 年配の家政婦が掃除道具や必要なものを用意してくれた。割れたカップを拾う指先に刺すような痛みが走り弾かれたように手を引く。指先を見れば裂傷が走り血が流れていた。
「まぁ、大丈夫ですか?」
「…平気」
口に含んだ指先が少し、鉄の味がした。


 諍いを起こしてからフランシスコと疎遠になって遊んでいない。かつてない規模の喧嘩にキュリオ自身も戸惑った。どうせ喧嘩なんて両方が悪いのだから謝ってしまえばいいと思う反面、自分が何故謝るのかという理不尽さも感じていた。キュリオは水面に映った自身の顔をかき消すように水をすくって顔を洗った。頭を振ると前髪の先から水滴が散った。
 フランシスコと喧嘩してから剣の稽古も隠れ家での語らいも色合いをなくしていた。張り合いがない。口では何を言おうともフランシスコはいい相手だったしよく付き合ってくれていた。少女じみた容貌とは裏腹に卓上ゲームの腕はよく、キュリオは未だに勝てない。フランシスコの組み立てる戦略は美しく、見事だった。
 「キュリオ」
かけられた声にキュリオが振り向く。父親が微苦笑を浮かべていた。
「フランシスコ君のお父上から呼ばれている。お前もおいで」
「…俺も?」
キュリオは戸惑ったような顔を舌が父親はそれだけ言うと踵を返した。キュリオはのろのろと出かける支度を始めた。
 父親と訪れたキュリオを、フランシスコの父親は歓迎してくれた。装丁の豪華な児童書を手渡される。開いた本のページにある挿絵は勇猛な剣士だ。
「買ってはみたんだがフランシスコがこういう本はキュリオ君の方がいいといってね」
フランシスコの父親がキュリオの頭を撫でる。
「お下がりみたいで嫌かな」
「…いいえ」
キュリオの父親がキュリオの背中を押した。
「お礼を言ってきなさい。父さんは話があるから」
「あぁ、フランシスコなら部屋にいるよ」
にっこりと笑う笑顔に押されてキュリオはフランシスコの部屋へ本を抱えて向かった。後ろで父親同士が談笑するざわめきが聞こえた。
 扉を叩く勇気が出ない。理由はある。キュリオは生唾飲み込んで扉をノックした。
「はい、どうぞ。開いてるよ」
フランシスコの声にキュリオは意を決して扉を開けた。現れたキュリオにフランシスコが驚いたように目を瞬いた。
「キュリオ」
「お、俺は別に…ッ! ただ、小父さんが本をくれて、その、お礼を言おうとしたらフランシスコから言われたんだって言われて、それで」
あわあわと言葉を紡ぐキュリオの顔が紅い。
 「ついでに、また遊んでやろうかと思って」
芥子色の利かん気の強い目がそっぽを向いている。湿布が貼られた頬が紅い。フランシスコはクックッと笑った。フランシスコが手元の本を閉じる。
「どうしたの、そのほっぺた」
「…喧嘩した日に、八つ当たりしてたら親父に殴られた」
直接的なキュリオらしいそれにフランシスコが肩を震わせて笑った。
「何がおかしいんだ!」
「ごめん、ごめん」
フランシスコが目元を拭いながらキュリオの方を見る。
 「君と遊べなくてつまらなかったよ。やっぱり」
キュリオは怒ったように口を利かない。
「俺は、別に」
そういいながら目線が泳いでいる。フランシスコを窺うように見つめてくるのは子犬の熱心さにも似ていた。
「ごめんね、キュリオ。やっぱり君と仲良くしたいよ」
フランシスコが椅子から降りてキュリオを部屋の中へ招き入れた。
「また遊んで?」
フランシスコの紅い唇がキュリオの唇を奪った。本を抱える腕を取り、ベッドへキュリオを誘った。
 「一緒に、みたいな」
フランシスコからのキスをキュリオは黙って受けた。触れ合う唇は熱く融けだす熱の在り処がそこに。
「…俺も、お前がいなくてつまんなかった」
途端にフランシスコの顔が華やいだ。唇の触れた頬は火照って熱かった。
「僕も。キュリオがいた方が、いいな」
キュリオはおずおずとフランシスコと唇を重ねた。


《了》

すみません、楽しかったんです。(ぶっちゃけ)     09/16/2007UP

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