甘い甘い儀式


   24:繰り返すまじない

 ぽてぽてと子供の足音が天井の高い廊下に響いた。クリーム色の髪をサラサラとなびかせながら部屋の前に到達した少年は遠慮がちに扉をノックした。扉が開いて利かん気の強そうな少年が顔を出した。鳶色の髪を短く切りうなじを露にしている。
「キュリオ、遊びに来たよ」
「フランシスコか」
キュリオが体をずらしてフランシスコを部屋に招きいれた。
 本棚や棚の上には物が雑然と並んでいる。隙間の分だけ本が床の上に散らばり、卓上ゲームなどは今しがたまで遊んでいたかのように駒が並んだまま放置されている。
「片付けないの」
「別に」
フランシスコが小首を傾げながら言うのをキュリオは取り合わない。
「俺がどこに何があるか判ってんだからいいだろ」
キュリオが椅子を引っ張り出してフランシスコにすすめた。パタパタとクッションを叩く様子から推し量るに掃除もろくにしていないのだと判る。
 フランシスコは椅子に腰を下ろしてテーブルを見つめた。フランシスコの部屋のように整頓されていない。本棚に並ぶのも子供向けの冒険活劇や勧善懲悪ものが多い。キュリオがモノを乱暴にどけてテーブルの上にスペースを作った。
「絵でも描こうかと思ってたんだよ」
「ヘェ、僕もいい?」
「いいぜ」
筆記具と紙を渡されて、スペースの作られたテーブルの上へ広げる。
 キュリオはもうすでにペンを走らせている。迷いなく線を引いていくのは大胆でありながら選び抜かれた場所に線を引いているのだと判る。大胆なようで慎重。乱雑なようでいて計算されている。キュリオのにじみ出る才にフランシスコはこっそり感嘆した。剣戟を好む男の子らしい乱暴さの裏で絵をたしなむような繊細さもある。懸命にスケッチしているキュリオの姿をフランシスコもつたないながらに描き出す。
 短い鳶色の髪。芥子色の瞳は鋭い。意志の強そうな凛とした眉に悪戯っぽく笑う口元。そのすべてがフランシスコの胸を高鳴らせた。スケッチに夢中になっているのか唇が少し開いている。唇をぺろりと舐める舌の紅さにどきりとする。不意に芥子色の目がフランシスコを射抜いた。思いのほか鋭いそれにフランシスコが怯んだ。
「俺の顔になんかついてんのか」
「べ、別に」
あたふたとペンを走らせる様子をキュリオは片眉だけ上げて見つめた後、紙面に目線を戻した。キュリオの目線が紙面へ向けられたのを承知でフランシスコはそっと目線を上げた。
 凛として意志の強い雰囲気はフランシスコにはないものだ。ともすれば女に間違われるフランシスコと違い、キュリオは悪戯っ子の様相を呈している。床に直接座っているキュリオのズボンからしなやかな足が伸びている。膝小僧は真っ黒で怪我の手当ての跡がある。ペンを握る手や腕にある青痣は剣戟遊びでついたものだろう。訓練用のそれを木の枝で代用しているのだから力いっぱい殴ればそれなりのことになる。だがそれがキュリオの精悍さをかもし出していた。己と違い男らしいそれに羨望の念を抱く。
 スケッチを理由に凝視を許されたフランシスコは遠慮なくキュリオを舐めるように見た。ペンを走らせる姿は普段の彼からは想像も出来ない姿だ。スケッチをしながらフランシスコは笑いをこらえた。粗野ですらある彼が絵を描くのを好むのを知っているのはフランシスコくらいだ。その優越感に口元が緩む。
 「気持ち悪い奴だなお前」
気付けばキュリオが気味悪そうにフランシスコを見ていた。フランシスコは慌ててペンを走らせる。けして絵が得手ではないだけに紙面に踊る図柄は滑稽ですらある。ため息をつく様子にキュリオが苦笑した。
「芸術の才能、ないかも」
「関係ねぇだろ、そんなの」
キュリオは潔く線を引いて図柄を描いていく。
 フランシスコは身を乗り出してキュリオのスケッチを覗いた。キュリオが慌ててそれを隠す。フランシスコは描きかけのスケッチを抱えたままじりじりと歩み寄った。キュリオが警戒しながら後退る。
「見せて」
「やだよ」
諦めてそこに腰を下ろす。そんな様子をキュリオがサラサラとスケッチした。フランシスコもキュリオに習ってペンを走らせる。二人のペンの音が霧雨のように響く。紙面が薄暗くなって時の流れに気付く。
 同時に顔を上げて外を見つめる二人の空気を控えめなノックが揺るがせた。
「失礼します。フランシスコ様、そろそろお帰りになられるようにとお迎えが」
「あぁ、はい。ありがとうございます」
お仕着せの彼女はフランシスコの答えを聞くと一礼して引き下がった。
 一緒に目線を向けたキュリオと目があった。フランシスコの手が伸びてキュリオの頬を捕らえる。固定された下顎にキュリオが気付く前に唇が重なった。フワリとしたそれにキュリオの目が見開かれる。触れるだけで離れていくその行為にフランシスコの方が気恥ずかしさに頬を染めた。キュリオがにやりと笑う。
「何の真似だよ」
「おまじない! もっと絵が上手くなりますようにって!」
あからさまにとってつけたような言葉にキュリオは腹を抱えて笑い出した。フランシスコはその白い頬を真っ赤に染めてそっぽを向いた。
 それでもおずおずと視線を戻すと、二人の視線がかち合った。どちらからともなくクスクスと笑いが漏れる。
「じゃあ、帰るね。もう遅いし」
「悪かったな。そうだ、これ」
キュリオが紙の束から今しがたまでペンを走らせていたページを破り取った。二つに折ってフランシスコの方へ差し出す。
「ほら」
「え、あ、ありがとう…」
びっくりしながら受け取るとキュリオはプイと顔を背けた。
「じゃあ僕もあげるよ」
フランシスコは紙の束ごとキュリオに絵を差し出した。それを受け取ってキュリオがにやりと笑った。悪戯っぽいそれにフランシスコも笑い返す。
「気をつけて帰れよ、送るか?」
「大丈夫だよ、じゃあね、また明日」
にっこりと微笑んでフランシスコはキュリオの部屋を後にした。
 迎えの人共に家路を急ぐ。自室に入るなりキュリオから貰った紙を広げる。その口元に浮かぶ笑みが深まった。
「さすが」
必死にペンを走らせるフランシスコの様子が的確に表現されていた。特徴をよく捉えたそれは彼の観察眼の鋭さを示し、ためらいなく引かれた線は大胆さを示していた。フランシスコの蘇芳色の瞳が楽しげにそのスケッチを見つめた。
 抽斗を開けるとその絵を慎重にしまう。なんだか秘密を隠したようなひそやかな楽しさに口元が緩んだ。触れ合った唇の感触も覚えている。
「ばっかみたい…」
あのときの言い訳には今考えても冷や汗が出る。けれどそれを笑って受け入れてくれたキュリオに愛しさがこみ上げた。

 その言い訳から始まったまじないはキュリオが絵を描かなくなるまで続いた。絵を交換するたびに唇を重ねる。時にはキュリオからねだるときすらあった。唇を重ねた後にはクスクスと笑い声が零れた。気恥ずかしいような、それでいて高揚する気分に浮かされたように笑いあった。

 二人だけの間で通じる
 それだけで十分だった

 ちいさな、まじない


《了》

意外と難しかった…(子供時代になんかするから)           08/26/2007UP

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