儚い?
 だからって諦めたりなんか、しない


   14:月下美人

 校舎から出たところで正門前が騒がしい事に気付いた。歴史も伝統もそれなりにある学校らしく正門は仰々しい。その正門前を遠巻きにしながら女子生徒や男子生徒が群を成している。白や緑青のブレザーが入り乱れている。音楽科と普通科に別れるこの学校は隔てているわけではないのだが生徒同士が互いを遠巻きにしている。その両方から黄色い声や好奇の視線が一点に注がれている。歩み寄るにしたがってその原因が姿を現した。
 止まった車は一見してすぐに判る高級車ブランドだ。そこへ無造作に寄りかかっていた男子生徒が土浦を見て腰を上げた。長い紫苑の髪が風になびく。淡い茶褐色の瞳が宝石のように煌めいた。なんでもないふうに流水のように流れる髪をかき上げ土浦ににっこりと笑いかけた。
「一緒に帰ろうと思って、待ってたんだよ。なかなか来ないからもう帰ったかと思ってた」
「…すいません」
謝る義理はないはずだが周りの雰囲気と本人の笑顔におされて謝る。呆然としている土浦を哂うかのように柚木がその手を取った。その手の甲へ騎士のようにキスをする。周りから上がった黄色い声に土浦はその手を振り解いて逃げ出したくなった。土浦の居心地の悪さを感じ取ったのか柚木がクスリと笑った。人形染みたその顔は人気があるだけあって綺麗だ。
 「行こうか」
運転手が下りて後部座席の扉を開けた。柚木は捕らえた手を逃がさずに土浦を誘う。土浦は流されるようにして後部座席に腰を落ち着け、隣へ柚木が乗り込んできた。
「出してくれ」
運転手は言葉すくなに返事をすると滑らかに車は滑り出した。車が一流なら運転手も一流なのか車は揺れず、酔う心配もなかった。窓の外を流れる景色を目で追うのを柚木が割り込んでくる。その目が意味ありげに陰った。気付けばズルズルと体が後退し、柚木はますます圧し掛かってくる。威圧的なそれは普段の柚木からは想像すら出来ないものだ。
 柚木の指先が土浦のタイに伸びた。音楽科と違ってふくらみを持たせたりなどしていない結び目を柚木の指先が滑らかな動きで解いた。楽器を奏でる指先は繊細でいて強固だ。同じコンクールに出場することが頭をよぎって手を出しあぐねた。
「素直な奴は好きだな」
紅い唇が性質のよくない笑みを浮かべるにいたって土浦は車に乗り込んだことを後悔した。後のことなど構わずにはねつけてしまったほうが良かったかもしれない。
「…やめてください」
「素直すぎるのも面白くない。ちょっとした反抗はいいスパイスになると思わないか」
聞いていてわざと聞き逃すような態度に土浦の顔が不機嫌そうに歪む。運動部に所属し快活な性質の土浦はそれ故に率直だ。機嫌の変化も考えもその表情から窺い知れる。
 柚木に何か言い募ろうとして開いた唇が奪われる。見開かれる土浦の目を柚木の視線が射抜いた。反射的に伸ばした手が捕らわれ、さらに深く口付けられる。潜り込んでくる舌は暴力的に動き土浦の舌を絡め取って吸い上げた。息苦しさに顔がしかめられるのを柚木は余裕で観察している。間近に見える柚木の瞳はその色合いもあいまってトパーズのように見えた。
 離れた唇の奥、紅い舌が銀糸でつながり濡れた音をさせて離れていった。
「残念、ここまでだ」
言われて初めて車が止まったことに気付いた。音もなく停車した車から運転手は降りて黙って扉を開いている。真っ赤になる土浦を面白そうに見た後その手を取って誘う。
「降りろよ」
行儀のいい柚木の粗雑な言葉遣いは殊更にその威力を発揮した。誘われるままに土浦は車を降りる。唇を拭うのを柚木は楽しげに眺めている。
 前評判以上の屋敷のつくりに土浦は呆然とした。柚木は当然のように土浦を誘っていくが土浦の方で臆する。調度品の類を壊したらと思うと肝が冷えた。
「そう言う柄か?」
ふふんと笑う柚木の様子に土浦がムッと唇を尖らせる。
「別に」
誘われるままだった手を振り払い柚木の横へ並ぶ。柚木は軽く笑うと先にたって歩き出した。凝ったつくりの扉を開けると意外と質素な調度類の並ぶ部屋だった。
「楽にしてくれて構わない。…俺の部屋だ」
指し示されたソファへ腰を落ち着けると扉がノックされた。柚木が扉を開くとエプロンドレスの女性が現れて紅茶を淹れていく。柚木の方は慣れたようにそれを無視しているが土浦は妙にかしこまってそれを受けた。女性が一礼して部屋を後にすると柚木がくるりと振り返った。程よく温められた紅茶はすんなりと土浦の胃の腑へ納まった。
 「惚れたか?」
「俺をなんだと思ってんすか」
睨みつける土浦の様子に柚木は心底おかしそうに笑った。不機嫌そうに目線をずらした土浦の視界に珍しいものが飛び込んできた。緑色の茎や葉と膨らみかけた蕾。そこからは花びらの色は窺い知れない。
「あれ」
「ん? あぁ、あれか」
柚木が土浦の目線を追って納得したようにそれを手に取った。小さく株分けされたのかそれは標準より小さかった。土浦の目の前にそれを置く。
「やるよ」
「はッ?! 別にそう言う意味じゃ」
慌てて言い募ろうとする土浦に柚木は営業用の笑顔を見せた。人のよさそうなそれは案外曲者だ。
 「別に代わりに体を差し出せとは言ってないだろ」
「普通男に言いません! ていうか、俺は別に」
「珍しかったから買っただけだ。世話をするのも飽きた頃だしな。プレゼント、って奴」
柚木の手が土浦の肩に置かれる。妙な重みと熱を帯びたそれに土浦は身動きが取れなくなる。思わず後ろへ仰け反るのを柚木が面白がって追う。
「よく覚えておけよ、花言葉は儚い恋。それと」
 閉じた柚木の目蓋が大写しになった。その時になって初めてキスされているのだと気付く。触れ合う唇は熱く火照り境界線すら融けていきそうな気がする。柚木の睫毛が意外と長いことを知る。その目が唐突に開いた。黄玉の瞳が土浦の山桃色の目を映し出す。

「艶やかな美人」

離れた柚木の舌先が土浦の下唇を舐めていく。されるがままの状態に気づいた土浦の顔が瞬時に紅くなった。その様に柚木が堪えきれずに肩を震わせる。
 「あ、あんた…ッ」
「先輩にあんたはないだろ?」
柚木の指先がつんと土浦の唇をつついた。言葉に詰まる土浦を柚木は楽しげに笑った。
「本当に面白いな、お前は」
「――…ッ!」
立ち上がろうとするのを柚木が緩やかに制した。隣に腰を下ろし腕を絡め取ってソファへ押し付ける。
 「急ぐなよ、用事でもあるのか」
「帰ります」
「俺を優先させろよ」
土浦が何か言う前に唇が重なる。そのままズルズルと体が傾いでソファの上に押し倒される。柚木の指先を考えれば無下にはねつけることも出来ない。そこに漬け込むように柚木の指先が暴挙を働き始める。
 「いい加減に」
「今頃言うなよ、ほら」
柚木の指先は抜き差しならない場所にまで及び、土浦は諦めたように目蓋を閉じた。柚木は満足げに腕の拘束を解いた。


《了》

うん、なんていうか結構ムリヤリ感がありますね(直せよ)         08/12/2007UP

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