思わず羽を休めたくなる
 あなたはそんな人


   13:梟の木

 穏やかに笑みを湛えた顔が眠たそうに瞬きした。土浦は途切れた言葉に志水の方を向いた。放課後ともなると音楽科の生徒たちが各々の楽器を手に屋上や練習室へと向かう。屋上は日当たりのよさとてんでに響く楽器の慢性的な響きが眠気を誘った。好きなように練習をする音はさざなみのように耳朶を打つ。普通科でありながら半ば巻き込まれるようにしてコンクールへ参加する土浦の手には楽譜がある。
 隣に座っている志水は大きな目を半ば閉じている。だが平素から眠そうな志水の様子に土浦は目を瞬いた。志水の体がぐらりと傾いで慌てて土浦は手を伸ばした。がくんと体が反動で揺れる。さっきまで話していたというのに、志水の眠気には驚くばかりだ。生糸のような淡い茶髪。少しカールしたような毛先はその容貌と折り合いを成して、志水を天使のように錯覚させた。巻き毛と白い肌。浅葱色の瞳は潤んだように艶を帯びている。その目が眠たそうに瞬きしている。
 「おい」
「…はい」
志水の指先が緩んで楽譜がばさりと落ちた。それを風がさらっていく前に拾い上げる。
「起きろよ」
「…すいま、せん」
言ったそばからがくんと首が折れた。土浦はため息をつくと志水の肩を揺すった。
「ここで寝るな。教室とか保健室で寝ろ」
志水は少し考え込むように小首を傾げた。ポンと手を打つと土浦の耳元へ囁いた。
「もうちょっと、こっちに来てください」
土浦は言われるままに位置を移動する。背もたれのない簡易ベンチでは座ったまま眠ることなど出来ない。
 土浦の膝に志水が手を這わせたかと思うとぽすんと頭が乗せられた。
「はぁッ?!」
「膝枕、知りませんか」
「知ってる! でも問題はそこじゃないだろ?!」
恐慌を来たした土浦をよそに志水の方はうとうとと微睡んでいる。
 屋上を風が吹き抜けて土浦の若葉色の髪を揺らした。萌える深緑の色は緑青の制服とよく似合った。音楽科である志水は白いブレザーに緑青のベストとズボン。瑠璃色のタイをスカーフのようにふくらみを持たせて巻いている。普通科と比べて音楽科の制服は洒落ている。着崩そうと思えばいくらでも着崩せるのを志水は律儀に着ている。志水の髪が飴色の艶を帯びた。
 「男の膝だぜ。痛くないのかよ」
半ば呆れながら土浦がそう言うと志水はクスリと笑った。
「痛くないです。あったかくって、気持ちいい」
志水の手はしっかりと土浦のズボンを掴んで離そうとしない。諦めて好きなようにさせる土浦の態度は突き放したようでいて温かい。猫のように頬をこすりつけて懐く志水の様子に土浦は微苦笑した。
「変な奴だな」
土浦の指先が志水の頬の上を移ろう。撫でるようななぞるような動きに志水は時折、体を震わせた。
 そのうちにこみ上げてくる眠気に耐えられなくなってくる。ついに閉じた目蓋の上を土浦の指先が触れてくる。柔らかい眼球から感じる土浦の指先の感触。ピアノを奏でる土浦の指先は運動部だというわりにしなやかで整っている。
「…夢が、見れればいいんですけど」
「そこまで寝る気なのか、お前」
眠気と戦いながら呟いた言葉に土浦がまともに返事をした。その生真面目さが妙に可愛らしかった。志水の口元が満足げに笑んだ。
「判りません…おやすみ、なさい」
 すぐに志水の体が規則正しく上下し始める。鼻に手をかざしても目を開ける気配すらない。よほど眠たかったのだろう。土浦はため息と一緒に微笑を吐き出して楽譜に目を落とした。しばらく楽譜に見入り時間が刻々と過ぎていく。しばらくピアノから離れていたツケは意外と大きく、勘が戻るまでにはもう少し時間がかかりそうだ。口笛を吹いてリズムをとりながら空いた手の指先でベンチをこつこつとリズミカルに叩く。解釈の難しいところや技術の要るところは重点的に繰り返す。こうしたことは日々の積み重ねがモノをいう。
 楽譜が読みづらくなって目を上げるとすでに日は落ちて下校を促がす放送が流れていた。志水を起こそうとした土浦といつの間にか向けられていた志水の目線とがかち合った。
「…いつから起きてた」
「判りません。こつこつとベンチを叩く音がしたのは覚えて、ますけど」
「結構前じゃねぇか! だったら早く起きろ!」
真っ赤になって落とそうとするのをかいくぐって志水が体を起こした。眠そうに目をこすった後に欠伸をする。
 自分の道具をかき集めて立ち去ろうとするブレザーの裾を志水が捉えた。
「一緒に、帰りませんか」
土浦は何か言いたげに口元を動かしたがその唇は何も言葉を紡がなかった。ため息と一緒に何かも吐き出して土浦は淡く笑った。
「いいぜ」
志水は嬉しげに笑うと自分の道具をまとめて立ち上がった。その頬が紅く染まっている。
 「土浦先輩の膝枕って、よく眠れますね。またお願いしても、いいですか」
土浦に許可を求めながらその視線はしたたかだ。眠たそうな目はそれでもしっかりと土浦を見つめてくる。土浦は荷物を抱えなおした。
「気が向いたら、な」
志水は笑顔で土浦の後を追った。


《了》

スタンダードに膝まくr(待て)            08/12/2007UP

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