触れるものすべて
自分のものにしたい
07:pillow talk
手足にまとわりつくように空気が重い気がした。熱量を消費した体は気怠く動きを鈍らせる。目蓋を開くと薄暗い天井が見えた。カーテンの隙間から漏れてくるのは月明かりだろう。仄白いそれは鋭く淡く視界に滑り込んできた。手足を動かすとじかに触れるリネンの感触に、一糸まとわぬ姿で上掛けに包まっていることを思い出した。気怠い体は寝起きのそれだけでないことを知っている。
薄暗い闇にも目が慣れてきて部屋が見渡せた。大きな楽器。机の上に広がる楽譜や書籍。自分以外のもう一つあるはずの温もりを求めて手をさまよわせたが触れるものもない。体を起こすと腰に疼痛が走った。こすり合わせた脚の間が濡れていて一人で赤面する。顔を上げると部屋の扉が開いた。生糸のような淡い薄茶の髪が夜闇に染まって濃灰色になっていた。毛先がいくらか跳ねてカールしたようになっている。目尻の下がった目はいつも眠たそうに半分ほど閉じられている。浅葱色の目が濃紺に煌めいた。
行儀のよさそうな外見を裏切って上半身には何もまとわず、下着とズボンだけを穿いた格好で戻ってきた。乳白色にも見える肌が漏れてくる月明かりで仄白く輝いた。
「起こしてしまいましたか」
「いや…」
己より小柄な体が土浦の座り込んでいるベッドに歩み寄って腰をかけた。華奢な外見と裏腹に彼が奏でるのはチェロだ。意外と力を必要とする所為か志水の力は土浦を強く拘束した。抵抗はなかったわけではないが結局は屈する形になったことを思い出す。見た目以上に志水は己の力を使うすべを心得ていた上に巧妙だった。
透明な飲物が林檎のように紅い唇から滑り落ちていくのは妙に官能的だった。ジッと見つめる土浦に気付いたのか志水が一瞬目を向けた。
「大丈夫ですか」
「…俺にもくれ」
差し出されたペットボトルを受け取り口をつける。乾いた喉に冷たい水が心地よい。刺すような感触が喉に走り冷たい異物は胃の腑へ落ち、体と同化する。何度か呷ったところで見つめてくる志水の視線に気付いた。浅葱色の目はそれでも熱心に土浦を見つめていた。ぼんやりして見えるのは志水の常態だ。集中すれば夜を徹するくせに眠いとなるとどこでも眠る。
その紅い唇が弓なりに反った。薔薇色の頬が満足げに笑んでいた。
「間接キス」
「あぁ?」
クスリと志水が笑んだ。笑顔はまるで天使のようだ。巻き毛と大きな瞳。小柄な体躯。それでもその腕は強靭で土浦をいともたやすく拘束した。外見を裏切るそれに土浦は驚くばかりでろくな抵抗も出来なかった。
裸の胸に志水が手を這わせる。運動部である土浦の体躯は引き締まっていて適度に筋肉がついている。普段は制服の奥に隠れているそれを暴くように志水の指先がひらめいた。
「今時、言うか、そんなこと」
「でも、事実です」
志水は普段学校で見るよりも生き生きして見えた。倦んだように眠たそうな目は狡猾に煌めき白い頬が赤味を増している。
「気になるのか?」
近づいた唇に唇を重ねると志水が驚いたように身震いした。その様子に土浦がクックッと笑った。余裕で土浦をあしらっていたのが嘘のように志水は頬を染めた。土浦の指先が志水の頬から唇へ滑り首筋をたどって鎖骨のくぼみへ収まる。
まだ少年らしさの残る体は境界線だけでなくその性別すらあやふやにした。裸の胸はまだ少し脂肪が残っていて柔らかだった。首も細い。全体的に華奢な体つきだ。
「今更、照れるなよ」
むぅっと志水が不服げに頬を膨らませた。その仕草もまだ幼い。
「さっきまでと、違うんですね」
「さっき?」
土浦の山桃色の目も夜闇の所為で濃灰色に見えた。その目が瞬く。その眼差しは真っ直ぐ相手を射抜く。萌える若葉色の髪も、今は黒味を増して深い緑柱石のようだ。短く切られた髪。うなじが覗き、志水はそこへ指を這わせた。少し俯いた角度で頸骨がたどれる。コツコツと尖ったそこは緩やかに背骨へと続いている。
「あんなに可愛い声で啼いてくれたのに」
途端に土浦は顔を赤らめて志水の手を払い落とした。健康的に焼けた皮膚が蠢き筋肉が躍動する。どこまでも光の中にあるようなそれは志水が欲しても手に入らない。いかがわしさもなく明るさの中にある、体躯。
志水は意地悪く笑った。大きな目を眇めて口角を吊り上げる。薄い闇の所為にして顔を近づける。後退る土浦を追ってベッドに乗り上げると土浦を押し倒した。面倒見の良い兄貴分的な性格が仇になっている。華奢な志水を力ではねつけるのを、その性格がためらわせた。
「ねぇ、いまさら、でしょう?」
逃げようと仰け反った喉に舌を這わせる。熱く濡れた舌先が突き出えた喉仏に触れる。ヒクリと震えて息を吸う様子に志水は笑った。
夜闇の中でも志水の唇は紅く艶を帯びていた。熟れた果実のようなそれが土浦の唇と重なる。まだ体温の高い体は唇もほのかに熱を帯びていた。土浦の唇はそこに飲み込まれ境界線が曖昧になる。互いの体温が行き交い熱が次第に上がっていく。
「…ッは、ぁ…」
離れた舌先を銀糸がつないだ。土浦が咎めるように志水を睨んだ。その瞳は早くも潤みかけている。志水の目が楽しげに土浦の様子を眺めている。濡れた脚の間へ手を滑らせると土浦が体を震わせた。
「また、啼いてください」
志水の声色はいっそ楽しげだ。体を押し返そうとする土浦の腕の動きすら楽しんでいるかのようだ。穿いていたズボンと下着を脱ぎ捨てる。
「まだ、濡れてる」
志水の指先が好き放題に動き回り、土浦は観念したように目蓋を閉じた。
あなたと交わす言葉も熱もすべてに
触れたい
《了》