まだまだこんな、子供に
03:帰り道
扉が開いて長身の男が姿を現す。筋肉のついた体躯をしている。部屋の中にいた優男が振り向いた。同時に優しげな顔をした少年も窓から男の方へ顔を向けた。
「なんですか」
「買出しと、所用を二、三てところだ」
「一緒に行きましょうか、キュリオ」
メモを見ながらキュリオは首を振る。
「いや」
「僕も行きます!」
殊更に大きく響いた少年の声にキュリオは目を瞬いた。フランシスコは油断なく少年を見つめる。少年は意気込んだ様子で言葉を紡いだ。
「ぼ、僕もお手伝いしたいんです」
「じゃあ三人で行きましょうか」
一瞬、キュリオが嫌そうな顔をしたがフランシスコはそれを見なかった振りをしてキュリオの背中を押した。部屋を出る二人の後を少年が足音高く追っていった。
人数が増えたと知るや雑用を押し付けられた。メモに書かれた内容は増え、とてもではないがキュリオ一人の手に負える内容ではなくなってしまった。
「勝てませんねぇ、彼女には」
フランシスコが軽く笑い飛ばす。キュリオはため息をついてそれを追い、その後にペンヴォーリオが続く。
ペンヴォーリオは市街が珍しいのかすぐに足を止めては店頭を覗き込んでいる。キュリオはそれを面倒見のよい兄のように足を止めては引っ張ってくる。フランシスコはそれを意味ありげな目で見ていたが何も言わなかった。彼が部屋にくることを煩わしがっていたくせに何かあれば真っ先に駆けつけるだろう。キュリオはそんな人柄だ。
三人の手には次第に荷物が乗っかり頼まれた手続きを確実にこなしていく。キュリオのそんな背中を見るペンヴォーリオの変化にフランシスコはいち早く気付いたが何も言わなかった。キュリオが手続きをするために店の中へ入っていく。その背をフランシスコとペンヴォーリオは見送った。邪魔にならないよう街道の端によってキュリオを待つ。
「キュリオさんて」
ペンヴォーリオの言葉にフランシスコは儀礼的な笑みで答えた。人のよさそうな笑みだがその実、営業用だ。
「最初はおっかない人だなって思ったけど、なんていうかすごくイイですね」
その口元が意味ありげに笑んだ。
目尻の下がった気の弱そうな顔。それでも浅葱色をした目は宝石のように煌めいた。その口元がつりあがり、存外意志の強いことを窺わせる。一見すればただの気弱な少年だが一皮剥けば強かな少年であることにフランシスコは遅ればせながら気付いた。
「僕より遅く眠るし。それで朝は早い。隙がないんですけどでも、この間」
ペンヴォーリオの紅い唇が勝ち誇ったような笑みを見せた。
「夜中に目が覚めたら寝顔が見れて。結構、可愛いですね」
フランシスコのこめかみが痙攣し柳眉が跳ねた。
目を街路の方に向けながらフランシスコは言葉を紡いだ。
「一度寝ると、何をしても起きませんから」
フランシスコは不機嫌そうに鼻を鳴らした。ペンヴォーリオも街路に目をやりながら息をつく。その口元は笑みを湛えていた。
「この間も僕が寝ぼけてベッドに入っても、迎え入れてくれましたし」
ピククッとフランシスコの眉が跳ねる。ペンヴォーリオを窺い見れば、そ知らぬ風に口笛など吹いている。見かけを裏切って強かな少年にフランシスコは思いのほか手を焼いた。か弱い容貌を承知してギリギリまで無理を通している。キュリオはこういったことにひどく弱い。無茶をすれば平手を食わせるくせに境界線を越えさえしなければなんでも受け入れてしまう。
「キュリオらしいな」
なんでもない風にいいながらフランシスコの機嫌は悪化の一途をたどった。それでもそれを表に出さないだけの分別は持っている。その眉が名残のように痙攣した。それを眺めるペンヴォーリオはどこか満足げだ。それは奇襲が成功した子供のように誇りに満ちている。
さらに何か言い募ろうとするのをかけられた声が止めた。
「何している」
「キュリオ」
用事を済ませたらしいキュリオがいた。フランシスコはにっこり笑った。ペンヴォーリオも最上の笑顔を見せる。
「…お前、機嫌悪くないか」
「別に」
長年の勘からなのか、何か察知したらしいキュリオが窺うようにフランシスコを見る。フランシスコはそれを何でもない顔をしてはねつけた。
「…じゃあ、いい。帰るぞ」
一瞬キュリオが顔を歪めたがフランシスコの言葉に従った。先に立って歩く後ろで二人は互いを牽制し合っていた。変なところで鈍いキュリオはなにやら不穏な空気を感じるだけで精一杯だった。
「キュリオさんの唇って柔らかいですね」
限度がきた。少し俯いたままフランシスコの足が止まる。気付いたキュリオが立ち止まった。ペンヴォーリオは勝ち誇ったようにそれを無視して歩いていく。なんだか不穏な様子にキュリオは意を決して再度訊いた。
「お前、本当に何かあった――」
刹那、伸びたフランシスコの手がキュリオを横道に引っ張り込んだ。声も出せずに引っ張り込まれる。少し経って不安げなペンヴォーリオの声が聞こえた。二人を探す声が街路に響いている。キュリオが出て行こうとするのをフランシスコが止めた。なんだと目で問うキュリオとフランシスコは唇を重ねた。
「たまにはいいでしょう。意外とツワモノですよ、あの子」
「…あんな、坊やがか」
「ちょっと目測を誤ったみたいですね」
心底悔しげな顔をするフランシスコにキュリオは首を傾げるだけだ。フランシスコのらしくない様子にキュリオは真正面から向き合う。
「お前らしくないな。どうした?」
途端にフランシスコが顔を赤らめた。逸らせた頬が紅い。肌が白いだけにそれは際立った。
「フランシスコ?」
「――ッな、なんでもありません!」
つんと目の奥が熱くなった。情けないと判っているだけにその思いはいっそう募った。
「おい」
かけられた声に顔を向ける。唇が重なった。フワリとした感触。融けあう温度。
「…キュリ、オ」
フイと顔がそらされる。同時に唇の熱が離れていった。フランシスコの顔に笑みが広がる。
「ありがとう」
キュリオは何も言わずに表通りに戻る。その後ろからフランシスコはついていく。
「あ、いた、よかったぁ」
安堵したようにペンヴォーリオが笑った。品のよい、坊ちゃん坊ちゃんした笑顔だ。
「すまなかったな」
キュリオが素直に謝る。フランシスコはその後ろで心の中で舌を出した。
まだ、譲れない
こんな、子供には
つんとペンヴォーリオが背伸びをした。チュ、と音を立てて唇が重なる。思わず荷物を落としそうになるフランシスコにペンヴォーリオは笑んだ。
――まだ譲れない!
フランシスコは呆然としているキュリオの後ろで握り拳を握った。
《了》