もう手放したりしない。なくしたりなんかしない。
78:あなたを失っていい理由なんて、私にはない
ざん、という切断音は空を切り反転させた機体は踊るように相手の獲物をスラッシュハーケンで打ち飛ばす。勢いで仰け反ったところで弾丸を打ちこむ。機体の誘爆の煙を使って残りの相手の視界を塞ぐと、近接戦闘用の武器で一機ずつ着実にロストさせていく。それでも相手の円陣形は強固だ。
「まずいなぁ」
頬を一筋の汗が伝う。ライフルの残弾と武器の磨滅度とを折り合いをつけながら何とか持ちこたえる。エナジーが切れたら死ぬ。まず間違いなく撃破される。その前に何としても。
『ライ、聞こえるか、撤退しろ!』
音声受信のみだがそれはライが所属する非合法団体のリーダーであるゼロだ。
ゼロの正体をライは知っている。本人から直接明かされた。同時に肉欲を伴う好意を抱いているとも。何度か逢瀬を繰り返すうちにライの方でも慣れが出てきた。組み敷かれることが苦痛にならなくなってきた。ルルーシュの痩躯など、ライが本気を出して戦闘すれば訳なく押し退けられると思う。ルルーシュは確かに戦略や謀略に長けているが実働の面では一般かその少し上程度である。戦闘機操縦の腕も同様で、ルルーシュはゼロとして戦場に出るときの搭乗機は量産型だ。
モニタにしきりに視線を走らせながら何とか円陣形を崩そうと試みる。こちらが一機ということで相手に余裕と隙が生まれているはずだ。そこをつくしかない。
「すまない、ゼロ。囲まれている。抜けだせない」
『なんだと?! …く…私としたことが見落としていた戦力があったか…』
「いや、こいつらは識別信号をオフにして潜んでた。僕も目視認でとらえたくらいだ」
『バックアップをまわそう。こちらの任務は完遂している。あとはお前の回収だけだ』
「………ゼロ、予備戦力は」
『みなまで言うな。重要なのはお前という戦力をここでなくすわけにはいかんということだ!』
珍しいゼロの激昂にライが黙った隙をついてゼロは命令を下す。援護を回すまで持ちこたえろ、と。
ゼロの命令通りに量産機が円陣の外円から攻撃をする。乱れる隊列の合間を縫ってライの専用戦闘機が奔る。相手が量産機を攻撃する前に撃破するのを繰り返し、相手に怯みが見えた隙にライは短いコードで撤退を量産機に告げその場を後にした。量産機に追いすがろうとする火の粉を振り払いながら。
アジトに戻って来たライは機体ともども散々な有様だ。整備担当の女性は煙管でぽかりとライの頭をはたいて、あたしの子なんだからもっと大事に扱ってよねェ、と言った。ライは善処する、とだけ答えて機体から離れた。足元がぐらつく。平衡感覚がないのだ。ライの戦闘機は駆動部が量産型などよりずっと強化されており、まさに三百六十度の空間戦闘だ。空中回転や飛んだ後の着地姿勢への移行と言った面があり、地面の上を奔るだけの量産型とは操縦者にかかる負荷がケタ違いだ。敏捷性に優れている分、体にかかる負荷や圧も高い。戦闘作戦が一つ終わると専用機持ちはみな休息を取るくらいだ。
「あーちょっとぉ」
立ち去ろうとしていたライは襟もとの留め具を外しながら振り向いた。ラクシャータが持ち込んだ長椅子に寝そべったままにやにやと笑っている。
「ゼロがねェ、あんたが帰り次第部屋へ呼べ! ってお冠ィ。あんた、なにしたの? ふふ、すんごい怒ってたわよォ、ゼロ」
ふゥッとライの肩が落ちる。なァンかあったのォ? 咥えた煙管を揺らしてラクシャータは笑う。問うてはいるがこの面会の主旨を明らかに理解している。騒がしげな喧騒の中で二人の間だけが静かだ。ライは肩をすくめてからもう一度ラクシャータに背を向ける。振り向きざまに付け足す。
「ゼロも案外人間らしいな」
けたたましいラクシャータの笑い声に背中を押されてライはゼロの私室の前へ立った。
呼び出しのコードを打ちこみ、手続きをこなすと施錠が解かれた。同居しているC.C.はいないようだ。入室の許可を得たライが部屋へ入り背後で扉が閉まる。奥へ進むと仮面を取ってゼロからルルーシュへと変わった彼が待っていた。
「…データは見させてもらった。この残存戦力に気付けなかったオレの落ち度だ。だが、貴様こそ単機で挑むなど無謀が過ぎるわ! 発見した時点でこちらへ連絡を入れればよかったんだッ一機で戦ったりするからこのような目に遭う!」
ばん、とルルーシュは携帯用の端末を殴りつけた。
「貴様が目視認とはいえその時点で報告していれば38パターンの余地があったものを、単独で動くから11パターンにまで激減した。普段の判断力の好さはどこへ置いてきた? スタンドプレイを狙う性質だとは知らなかったな」
叱責が皮肉や嫌みまで盛り込まれている。ライとしては返す言葉はない。ルルーシュのいうことは的を射ているし、正論だ。ライは専用機を持つほどの戦力であるからおいそれとやられてしまっては団体の今後に関わる。必要であれば救援を願い出るべきだった。だが。
「…昂揚した」
「は?」
「興奮した。ペダルを踏み込んでの肉薄も近接戦闘も相手の放つ銃弾でさえこの体を貫いてみろと挑んでやりたかった。……――戦闘の、命を危険にさらしたり、殺したり殺されたり、そういうことにひどい昂揚を、覚えてしまった。僕はもしかしたら、記憶を失くす前は人殺しだったんじゃないかって思う。体もいじられてるって話だし、戦闘用に作られたのだとしたら、僕がいるべきは血だまりの中、なんだよ」
ライの俯けていた目が前を向く。蒼碧の双眸がじっとルルーシュを見据える。
健全な青少年とは言えないが年齢に見合うだけの好奇心と確信を得るために二人は肌をあわせている。ルルーシュの知識は豊富だが経験が乏しいのは互いに逆だなと笑いあった。ライは記憶はないのにこうした行為を知っていた。意識したわけではないが寝たいと言ったルルーシュの意志を尊重するようにライはルルーシュを胎内へ導いた。融けるような交歓に二人は酔った。ルルーシュはその時から蒼いライの瞳が忘れられない。あの目がもう開かなくなるかもしれないとか爆散するかもしれないとか思うだけで気が狂うかと思った。専用機持ちは戦闘機の操縦に長けるものの証であるから前線での危険任務も多い。ルルーシュとて囲えるならライを囲ってしまいたい。銃弾や剣やそういったものから引き剥がしておきたかった。守りたい、妹のナナリーのように。だがライとの対面は戦場だった。戦闘機の腕が立つ、という前提と推薦の下でライとルルーシュは惹きあい、惹かれあった。学園での仮面。それら全て包括して知っているのはC.C.を除けばライだけだ。ルルーシュはC.C.には抱かなかった感情をライに抱いた。肉欲。組み伏せたい。上手いものでも食わせてやりたい。学園の勉強でも見てやりたい。戦略を話し合いたい――何でもしてやりたい。
「だがそれはオレには関係のないことじゃないか、ライ。お前の居場所が血だまりであっても、オレは」
「暗渠や虚に人を巻き込む趣味はない。一人で沼に沈んでくよ。砂でもいいや」
砂漠のくぼみを想像したライがつけたす。
「ライ!」
「命令するかい、ルルーシュ。僕に」
戦いたルルーシュが後ずさった。見開かれた紫苑が集束して呼吸も浅いのを繰り返している。素顔と素性を打ち明けあったとき、二人は互いの共通項を見つけた。
ギアス
絶対遵守の力
効果経路は違うらしいがそれぞれともに特殊なそれを有していると明かした。
「…そんな命令など不要だ。オレはお前を信じている」
ふ、と冷静を取り戻したルルーシュがうそぶいた。眇めた目の中いっぱいに紫苑が広がり潤む。紅い唇が薄く引き伸ばされて笑みをかたちどる。だがすぐにきっと憤怒の表情に戻る。
「だが命令違反としてしばらく処分は受けてもらう。脱走は赦さないからな。絶対に。逃げ切れると思うな。どこまででも追ってやる」
ライの口の端が吊りあがる。ルルーシュは甘い。冷徹になりきれていない。自分以外は駒だなどとうそぶきながら駒の一つに執着する。大局的には好い手とは言えないな、とライは心中で思った。
だが、とも思う。ライ自身は? ルルーシュは好きだ。でも。もし自分が彼に害なすことがあればその時は、そのくらいの覚悟はある。ルルーシュはルルーシュであると同時にゼロなのだ。ゼロは抱えている団体が大きすぎる。ルルーシュとして抱えているものより、浅薄でそれなのに厄介なしがらみが絡みついている。ライにはルルーシュの体に絡む鎖が見えるような気がした。その真っ白な体に鈍色は深く食い込み、その傷をライは舐めてやるしか出来ない。
「いいか、脱退は赦さない。オレが認めない」
ルルーシュはきっぱりと言った。
「オレがお前を失くす?」
ふん、とルルーシュが鼻で笑った。自嘲のような喜びのようなそれでいてどこかせつなく恋情のように。
「こんな強力な駒、手放すものか。絶対に…――絶対、に」
ライの蒼い双眸は冷え切っている。それでもルルーシュの熱弁は止まらない。ライは瞬きさえ忘れたように動かない。亜麻色の前髪を指先でよけながら蒼い双眸はルルーシュを見据えた。
「強力なコマだ。だが言うことを聞かぬ駒など無駄なだけだ。失望させるなよ? お前にはそれだけの価値がある」
「それだけ?」
カツカツといらだたしげに机を叩いていたルルーシュの指先が止まった。ライは肩をすくめてにっこり笑う。
「戦闘力だけならもっと適任がいるだろう、『奇跡の藤堂』とかさ。優秀な腹心もいるって聞いてるよ、僕にこだわる必要は――」
「あるんだよ、大馬鹿者めが!!!」
ルルーシュが叫んだ。怒号の勢いに押されてライが動きを止めた。耳の奥がびりびりした。
「『ゼロ』には不要の駒かもしれないが『ルルーシュ』には必要な友だ! たとえ不要なコマであったとしてもオレはお前を拒絶したく、ない…」
たっと軽く床を蹴る音。ぎゅう、とライは抱擁されていた。まだ発展途上のように細い腕。濡れ羽色の黒髪がさらさら滑ってルルーシュのうなじを隠す。身に着けていたマントが翻って羽のように空気を孕む。ライの膝が折れてその場へ二人でしゃがみこんだ。
「ルルーシュ?」
「嫌なんだ。もう大切な何かを失くすのは嫌なんだ。ゼロを利用してくれていい。お前の記憶が戻るまででもいい。でも、それでもオレは、お前にオレのところへ帰ってきてほしいんだ――!」
あったかい。互いの髪へ鼻先を押し付けるように、犬のように鼻先を押し付け合いながら二人は床に座り込んだまま抱き合った。
記憶と言う寄る辺を失くした僕をかくまってくれるルルーシュ。
その僕の戦闘の才を見出してくれたゼロ。
あぁ、失くしたくはないものが、一つ――――
《了》