優しさと拒絶と渇望と


   76:正解を口にすることが正解だとは限らないのにね?

 規則的な振動音を響かせながら換気扇は回っている。窓を開けても良いのだが、ライ自身の喫煙が合法であるか判らないので用心のために閉めている。こっそりくすねてきた燐寸と煙草はそれぞれ卜部と朝比奈という最近、この非合法団体に加わった猛者たちのものだ。僕みたいなのに盗まれるんじゃ案外気の好い人たちなのかもしれないな、とライは煙をくゆらせ白濁した天井を見上げた。唇で食んだ煙草をすうう、と呼吸とともに煙を吸う。鼻に通して煙を吐くほど蓮っ葉ではないから口からふぅう、と噴き上げる。そう言えばこの吐き出す紫煙で輪が作れるなんて場面を創作でよく見るがあれは本当なのかと茫洋と思った。
 名前と体と明かせない能力以外何も持っていなかった自分には残り滓のように常識だとか公共的なことがこびりついている。煙草の呑み方は知っている。覚えていると言うべきか。だが銘柄の知識や好みはなかった。思い浮かぶ銘柄を言っても店主を悩ませるばかりであったから何か違う記憶と混在してしまったのかもしれない。長椅子に陣取って手脚を無造作に投げ出している。揃いの団服に包まれた手脚は案外ひょろりと長く、第一発見者からはスレンダーという評価を頂戴した。身長は並程度だが目方はあまりない。だが戦闘機に乗るだけの体力と技術は有している。腕力と敏捷性、判断力。戦闘機に乗るために必要な能力は一通り網羅していると言っていいだろう。
「こら、何をしている」
こつん、と頭を叩かれて目を上げればきちんとした身なりの、だが揃いの団服ではない軍服を着た藤堂が立っていた。小脇に書類の入った袋やファイルを抱えている。
 藤堂はライが初めて自助努力によって得たものだ。ライの搭乗記録や戦闘データを見た藤堂自身がじかに話をしたいとライを呼びだした。ライは藤堂を押し倒した。無論、行為に及ぶ前に藤堂に行為における立ち位置と是非を問うている。藤堂の返事は是だった。こんな年少の、しかもか細く消えそうなやつに抱かれることに抵抗はないのかと重ねていい詰め寄るライに藤堂はあっさりと、君は信頼できると思っている、と告げた。それが全ての返事と始まりだ。
 ライは藤堂を綺麗な人だと思っている。綺麗と言えば一番に浮かぶのは同じ学園に通っているルルーシュという少年だが、彼が西洋人形じみて美しい。だがそれはどこか脆く静物の美しさなのだ。蝋人形を隣に並べたら見分けるのが難しそうなほど、ルルーシュは作り物めいている。だが藤堂は反対で逆に躍動しているからこその美しさだ。精悍な顔容は秘められた彼の激しい気性を窺わせる。頑固そうに太い眉や通った鼻梁、睥睨する灰蒼の双眸。藤堂に女性性はまったく感じられない。だがそれでも、戦闘や格闘における藤堂はひどく美しい立ち居振る舞いで臨み、観客を裏切らない。ライが理由も判らず持っていた戦闘機に乗るために必要な条件を藤堂は驚くほどの数値で満たしている。その灰蒼の双眸がライの手元を見た。煙草の箱と燐寸が無造作に脇へ転がっている。
「……なるほど、君か。卜部と朝比奈が失くしたと探していたが」
「四聖剣様から直々に頂戴しました」
「返しておきなさい。そもそも君は喫煙を止めなさい。体に毒だ。まだ成長期だと言うのに」
「成長期は終わってますよ、たぶん。だって酒盛りでは朝比奈さんが直々に「記憶がないなら成人してるかもよ」って呑まされるところだったんですから」
「朝比奈には注意しておく。だが君も悪乗りするのはよしなさい」
そのまま立ち去るかと思った藤堂はライの隣へどっかと腰を下ろした。そのまま煙草の箱を取って一本食むと燐寸で器用に火をつける。火がついた後の燐寸を手首の返しで消火すると、ライが放り出していた携帯灰皿に突っ込む。藤堂は小脇に抱えていた書類をどさりと置いた。長丁場を覚悟したライに藤堂は顔は向けずに目線だけをちろりと向けた。灰蒼の双眸のそんな動きはどこか猫科の猛獣を思わせる。黄色人種である日本人、つまりイレヴンであると聞いているから肌には色がついていて少し浅黒い。髪は固そうな鳶色で短くうなじは綺麗に刈りあげられていて頸骨を数えることもできそうだ。腕力も敏捷性も敵わない相手が隣に陣取ってはライは状況が流れるに任せるしかないと腹をくくって煙草を喫んだ。二人の交渉が成立しているのは二人ともが譲歩というすり合わせを行っているからだ。
 藤堂はどこか豹に似ている。色からたとえるなら黒豹か、だが。
「藤堂中佐は女豹の様ですね」
くくく、と喉を鳴らすような笑いにますます猫科じみたそれを感じる。
「女豹か。ただの豹ではなく、か? 何故女がつくのか訊かせてもらいたいところだな」
「僕にとってはあなたは女だからですよ」
露骨だったか、と思ったが取り消す気はライにはない。藤堂の機嫌もそこねなかったのか、軽く、そうか、とだけ相槌を打たれた。
 「君は記憶がないという話だったが、浮浪児ではなさそうだな。くすねる手くせの悪さは生活水準が高いものにもみられる傾向がある」
それに、と藤堂が続ける。
「鼻から煙を吹くような無粋もしないし手慣れてもいない。優美というか、貴族や皇族のような特権階級の子息が市井に紛れているような印象を受けるよ」
「………そんなふうに見えます、か」
「君でも怯むか?」
目を眇めて笑う藤堂はまさしく肉食獣のそれだ。
「これでも逃走生活という底辺を這った身だ。貧者がどういう傾向を見せるかは知っているつもりだ」
 藤堂は口から煙草を外すとふゥッと紫煙を吐いた。とんとんと煙草を叩いて灰を落とし、短くなったそれを口へ運ぶ。ライの煙草は指にはさまれたまま、じじと音を立てて燃えた。
「旧日本では高位の方々に接触したこともある。その経験から見させてもらうと、君はかなりの確率で上位者の生まれだよ。どういった経緯で記憶を失くしたかまでは判らんがね」
互いに顔も向かい合わせずに会話する。ライの目は自然と藤堂の持っていた書類へ向いた。戦闘機の微調整に関する要望書と実働における現状のまとめだ。急ぎの用事ではないのか藤堂が腰を上げる様子はない。
「藤堂中佐、それ、ほかの誰かに言いました?」
藤堂の灰蒼が逸れる。それだけで緊張がとけてどっと汗が噴き出した。藤堂の視線はどこか攻撃的な刺を含むから平素であっても睨まれている錯覚を起こす。
 「言っていない。そもそもこれは私個人の感想だ。戯言だよ。君の素性についてはゼロやディートハルトや、ラクシャータ…彼等が明らかにしてくれるだろう。戦いしか知らない阿呆の戯言だよ。口に出したところで利はないしな」
もしライが皇族や貴族の生まれであったとしてそれを利用しない手はないだろう。だが、ライは藤堂が言葉を羅列した人たちから聞いているのだ。貴族もしくは皇族、とイレヴン――つまり日本人とが半々。あってはならないハーフであるということ。日常的なライの生活や仕草を見てそこまで洞察出来る藤堂には驚嘆する。
「生活による癖は知らずに出るものだよ。箸運びなどがいい例だ。きちんとした躾を受けている者ほど食事風景は乱れず綺麗だ。箸使いも上手く、椀ものの際に箸をどう扱うかである程度の見当はつく」
藤堂は何でもないように話しながら何度か煙草を喫んだ。話の合間にゆったりと喫む姿はどこか粋で、野暮にはなりえなかった。そもそも藤堂自身の動きが厳しいしつけを受けたように洗練されているのだ。
 ライは大して呑んでもいない煙草を灰皿へ押しこむと藤堂のそれを奪って喫んだ。一口吸ってからすぐに藤堂と唇を重ねる。ふっと藤堂の口腔へ煙を吐けば、藤堂が激しく噎せた。ライは肩を揺らして笑いながら、それを横目に煙草を灰皿へ始末した。
「あなたの理解は危険だ。僕自身だけではなくあなた自身にも」
「………君の探し物のヒントにはなりそうもないかい」
「ヒントどころかそのものだから困るんですよ。僕が目的を失ったら、僕の居場所が無くなってしまう。なくしてた記憶が戻ったら僕はきっとここへ戻ってこれない。だから明瞭で的確で博識な貴方のヒントは僕には恐ろしい」
藤堂の脚の間へ体を割り込ませ、ライが覆いかぶさる。細い体であるのに威圧感だけは出る。藤堂は事態を静観する構えで反論も抵抗もしない。そういう優しさや正しさがライの罪悪感や寂寥やそういった何か切ないようなものになった。

正しいことが正しくないことだってあるんだって、この人は知っていて、だから
僕はどうにも動けない

噛みつくようなキスにも藤堂は動揺しない。唇を甘く食んで詰め襟の留め具を外す。あらわになる喉へ手を這わせながら喉仏を強く圧した。ぐゥッと詰まったような音を立てて藤堂が噎せる。
「あなたが言うことは本当にいつも正しくて涙が出る。でも正論や正しさが正解じゃあない場合だってあるでしょう?」
藤堂の指先が亜麻色のライの髪を梳く。頭を撫でるように穏やかな仕草。
「そう尖らなくていい。少しはゆるくまわりを見なさい。君より長く生きているだろう者としての助言だよ。急いても事を仕損じては意味がないだろう。時間を使いきるつもりで慎重に大胆に、そして確実に」
ふわり、と藤堂が笑った。

「君がしたいようにしなさい」

ライは藤堂にしがみついて泣いた。


《了》

誤字脱字ノーチェック!(しろよ)
うっかりするとライ受けになるwwwww          2011年12月11日UP

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