そうやって、判ってくれるから
74:綺麗すぎて悲しいなんて空っぽの台詞で
強制支配が働いている国土だとは思えないほどこの学園はのどかだ。ブリタニア人が日本人をイレヴンと蔑称で呼び、それが公的にも浸透している。軍属内には「イレヴンを排除して軍はブリタニア人のみで編成する」という思想をもった派閥もあると聞く。日本人が生きていくには少し辛い世界だと思う。友人の枢木スザクもはじめはイレヴンということで嫌がらせや差別に晒されたと聞く。ライは空を見上げた。もしこの体の半分はイレヴンだと知られたら僕はどうなるのだろうか。スザクのつてを伝って採血や検査を繰り返し、データベース検索などの手間もかけてもらった。結論から言えば、半分はブリタニア、半分はイレヴン、つまり日本人だと言う。しかもなかなか高貴な血脈であるらしいことまで判った。だが同時にこれは隠さねばならない秘密にもなり得ている。このエリア11と名を変えた日本を統治する総督が支配者と被支配者をきっちりと腑分けする性質であり、そういう方針で政策なども立てている。検査結果どうだった、と訊かれるたびにライはブリタニアの血だって、と繰り返す。心の中で半分はね、と付け足しながら。
だがそれで何か変化があったり腹を探られたりしたことはなかった。そもそもこの学園の理事長の孫であり生徒会長であるミレイ女史が大雑把なのだ。血筋や血脈や家柄に価値観を与えていない。これはひどく稀有なタイプなのであると街へ繰り出すようになってから知った。ライは屋上の手すりに頬杖をついて学園を見下ろした。測ったようにぴったりな制服に身を包みながらライはどこかでまだ異邦人である。生徒会メンバーの協力もあってライは不自由なく暮らせている。スプリングの利いた寝台に温かい毛布に湯気の立つ露ものの食事。ライは好きに街を歩き時折授業に顔を出す。失くした記憶を追いたくないかと問われれば取り戻したいと思っている、だがそれは一方的なもので、ライは胸の中のどこかにこのままでもいいという思いがある。なんだかすごく温かくてそれは居心地がよくて、スザクが保証するよと言った優しさに包まれてしまってライの尖った願望は少しずつ丸くなり始めている。
「難しい顔をするのは結構だが、支度ができたぞ」
「へ?」
きょろっと後ろを振り向けば遠足のように敷物を敷いて弁当を広げているルルーシュがいた。しかも胡坐をかいてどっしりと居座っている。弁当は豪華でお重の二段重ねだ。
「イレヴンの伝統的な料理が食べたいとナナリーが言っていたから作ったんだが、そのナナリーに微熱がみられたので大事をとって休ませた。一人で食べるには多いんだ、手伝ってくれ」
ちょうど食堂にも行っていないし腹は空いている。なにより見栄えの良い、ブリタニアとは全く違う綺麗なそれに目が言った。
「へえ、すごいな。僕が食べてもいいのか」
「ナナリーにはまた作ってやる。…今回、多少失態を犯した品もあるからな。いい予行演習だと思って…」
ルルーシュの傍へ座り、倣って胡坐をかいた。座り方もイレヴン式だ。そもそもブリタニアは洋風の流れをくむから床に座ったりはしないのだ。
「綺麗だな、すごい。これなんかいいな、つやつやしてる。さかな?」
「照り焼きにしてみた。醤油を焦がさない塩梅に苦心したが」
「この紅いのは…っつ!」
口を中心にぎゅうっと絞られるような酸っぱい感触にライが顔をしかめた。
「馬鹿、梅だ。ほらご飯を一緒に食べれば…」
小皿へルルーシュが白飯を盛り、ライに渡す。あぐあぐとむやみに口の中へ詰め込んでは食む食むと咀嚼する。酸っぱさは緩和されて塩辛さと白米の甘さとが絶妙だ。ご飯は噛むほどに甘くなっていく。
「うまい」
ごっくんと呑んでから言うとルルーシュはふっと笑う。
「まったく、お前は…」
「イレヴンの食事って豪勢だなぁ、いろんな味がある」
「ブリタニアはコース料理が主流だからな。洋風だし。お前、箸は使えているようだな」
「いや、判らない。たぶんこうだったなーって感じで」
ライは二本一緒に握りしめた箸を見せる。ルルーシュがせっせと小皿に取り分けるのをライが消費する。僕にばっかり構ってないで食べたら、と言えばルルーシュは要領よく箸を付けていた。食べているよ、と微笑む。
ルルーシュが微笑むとあたりの空気が変わる。作られていた壁が刹那、取り払われたように親しみや好感情を感じるのだ。ルルーシュは眉目秀麗と言ったところで顔容も綺麗だ。細い眉と黒く密に彩る睫毛はしっかりと上を向き、化粧など必要ない。白皙の美貌に薄紅の頬や唇は少し女性めいて見える。体つきも華奢だし、授業中の居眠りがひどいと聞くから頭脳派なのだろう。チェスが強いとも聞いたな、とライは思いだした。屋上で吹く風は少し強くてルルーシュの黒髪をさらさら揺らした。目が隠れそうなほど、うなじはすっかり隠れる程度の短髪で、間違っても体育系とは縁遠いとすぐ判る。体育系が異様に髪を短くするのってなんでだろ、と不意に思った。
「箸が止まっているぞ。…不味いか?」
憂い顔になるルルーシュにライはぶんぶんと首を振った。慌てて弁明を繰り返す。
「ごめん、ルルーシュがすごく綺麗に見えたから…でも、本当に綺麗な顔しているな」
ルルーシュは一瞬目を瞬かせたがふいと横を向いてしまう。その頬がわずかに紅潮していた。
「綺麗なのはお前も同じだ。俺の目から見ても、お前は綺麗な顔をしていると思うがな。これだけの美貌ならその筋から縁者や記憶をたどったらどうだ」
「僕? 僕は綺麗なんかじゃないよ。でもルルーシュ、綺麗過ぎると悲しいよ」
「は?」
疑問符を口にしたルルーシュが箸を置く。話を聞こうと言う体勢だ。ライも箸と小皿を置いた。
「綺麗な人って言うのは特別視されるから、一人になるか祭り上げられるかのどちらかが多かったように僕は思うんだ。一人になってしまうのはその綺麗さが見えない壁をつくったり周りからの嫉妬だったりそういった感じ。祭り上げられるのはいわゆる何とか信者、みたいな崇拝に近くて…それって本当の付き合いじゃないと思うんだ。盲目的で、こちらが望むことしかしてくれない。怒ってほしい時や叱って欲しい時なんか、そんなことは思いません! って何もしてくれない。だから綺麗過ぎるのは哀しいことなんじゃないかなって思ったんだ。本当の友達みたいなものが出来ない、みたいなね。ごめん、つまらない話を聞かせて」
こういう考え方から記憶をたどれるかな、と茶化すライにルルーシュは真剣な紫苑の双眸を向けた。
「要するに、親近感がわきにくく親友が作りづらいと」
「判ってもらえて嬉しいな」
ライの箸先が煮物の里芋を突き刺して口へ運ぶ。それをじっと見ているルルーシュの視線には気づいていたがライから話はふらなかった。盛られた白米を黙々と食べる。
「ならば俺がそれになってやる」
「へ?」
「お前は綺麗過ぎるからそういう警戒に敏感なんだ。親友? ふん、俺ならばそれ以上のものにでもなってやるぞ、お前が相手の場合に限り、だがな」
思わず両手が下りた隙をついてルルーシュはライの頬をべろりと舐めた。そのまま唇が近づいて吸われる。間に挟んだお重の中身は半分ほどが消費されていた。いったん離れたもののいざりよってくるルルーシュは何か目的があると明確にライに知らせている。
「お互い、綺麗もの同士仲良くしようじゃないか」
ルルーシュの体が覆いかぶさるようにライを威圧する。きょとんとしたライは気圧されるままに手をつき、次第に肘が曲がって、しまいにはその場へ仰臥していた。ルルーシュはそこへ覆いかぶさる。ライの襟の釦を外すルルーシュの白い指は細いくせに強靭ささえうかがわせた。
こんこん、と屋上から階段へ続く鉄の扉がノックされた。二人が同時に目を向けるとスザクが困り顔でそこにいた。
「ルルーシュが見つからないからナナリーのところへ行って事情を聞いたんだよ。『お兄様が腕をふるってくださったお弁当なので、スザクさん、私の代わりにご一緒して食べてください』、って聞いたんだけどいつの間にライを巻き込んでるんだい、ルルーシュ」
スザクはつかつかと歩み寄ってくる。その足運びには少し怒りがにじみ出ていてルルーシュはあからさまにちっと舌打ちして体を起こした。スザクが膝をついてライに手を差し出す。
「大丈夫だった? ほら、起きて」
「あぁ、ありがとう」
起き上ったライの後頭部や背中をスザクがはたいて汚れを落とす。
「なにかされなかった?」
答えようとしたライの横からぐいと引っ張られて意識する前に唇が重なった。
「ルルーシュ!」
怒りと悲鳴のにじんだスザクの叫びを無視してルルーシュは紅い唇をぺろりと舐めた。ライもつられるように舐める。篝火のようにちろりと覗く紅色の舌にルルーシュとスザクの二人が魅入った。
「…――って! 何してるんだい、二人して!」
「スザク、お邪魔だ。弁当は二人で完食するから安心して立ち去れ」
「やだよ! 僕もライとお昼ご飯一緒したいと思ってたし」
「じゃあ三人で食べたらいいんじゃないか。その方がナナリーも喜ぶよきっと。たぶん」
ほわりと笑って言うライにスザクとルルーシュは微妙な目配せを繰り返す。事態の真意をライは考えていないどころか感知さえしていない。二人が同時にため息をつくのを不思議そうに見ている。
「ライ」
苦笑したルルーシュがスザクを指さす。
「ほら。いくらお前が綺麗でもそんなことを気にもしない馬鹿もいる。こういうのも友人候補にしてやったらどうだ」
「なんだい、その言い方。僕は君もライも美人だって判ってるよ?」
くるんとライの方を向いてその両手をがしりと握る。
「君は綺麗だ! ぜひつきあってほし」
ごずっとルルーシュが重箱の蓋の角でスザクの頭部を痛打した。
「こいつに先に接触したのは俺だ! 後から出てきたお前は引っ込んでいろ!」
「惚れたはれたに順番なんか関係ない! ライ、僕は君が好きだ!」
「僕もスザクは好きだけど?」
「ありがとう!」
「馬鹿スザクがぁッ! いいかライ、こいつは肉体かんけ」
どふっとスザクの肘鉄がルルーシュの華奢な腹に決まって、ルルーシュが悶絶した。スザクはちろりと見てから、綺麗だと悲しいってなんだいと問うた。ライはルルーシュに話したことを繰り返す。スザクはいちいち、うんうんと相槌を打って話を聞いた。
「――という話をしていたんだ」
「そうか、気持ちは判るよ。僕の尊敬する藤堂さんも綺麗な人だったから。でもね、ルルーシュの言い分じゃないけど、、確かに綺麗な人は哀しいかもしれない。でも内側からそれを崩すって言う手段もあると思うよ。ライ、君から働きかければきっといつか素敵な人に巡り合える。………おこがましいけど、その分類に僕を入れてもらえたら嬉しいよ」
「ライ、それは…俺も所望する。お前の巡り合った素敵な人に、ルルーシュ・ランペルージも入れてほしい」
衝撃から復活したルルーシュが真剣な顔で言う。
「ルルーシュこそ綺麗な人なのに」
「俺にはこいつがいるからな、後は生徒会メンバーや、ナナリーは外せない」
苦笑しながらルルーシュとスザクが笑いあう。ちょっとした諍いやこづきあいを繰り返してきた関係なのだとライはその時初めて知った気がした。
「ありがとう」
笑うライの眦に生まれた玉がその白い頬を滑り落ちて顎から堕ちた。
僕は綺麗じゃない。でも哀しかったのかもしれなかった。
二人はそれを教えてくれて気付かせてくれて、それで
僕と一緒にいたいと、言ってくれた…
「馬鹿、泣くようなことじゃない」
「そうだよライ。君のことを嫌う奴なんかいない。いたら僕が叩きのめすから」
二人分の抱擁の中でライは温かさを感じながらボロボロ泣いた。記憶を失くして初めて流した嬉し涙だった。
嬉しすぎて泣けるなんて、僕は何て幸せなんだろう。
《了》