私は私を壊して、あなたの中へ生まれた


   71:建設的な破壊衝動ってやつに身を任せてみたくなることもある

 元から能弁な性質ではないことは自覚している。それでも最近はともすれば言葉を発さずに一日が終わることも増えた。まだ当分の間隠遁生活が続くことを思えば出かける先にも気を使う。顔面の負傷も手伝ってしばらくは外出さえ誰かしらが付き添った。その際に名乗りを上げるのは大抵、幼馴染のフランシスコだ。初めの頃は過保護だと面映ゆく思ったがどうも街中へ行きあう女性に愛想を振りまくようになってからは鬱陶しくて仕方ない。自然とフランシスコがいない頃合いを狙って塒を抜け出した。まだ包帯が取れぬうちは厄介も呼んだが、元来体つきが出来上がっている所為か最近は減っている。女性性などない顔立ちに眉の上から走る裂傷が隻眼にする。精悍に分類されることに拍車がかかった。
 石造りの街路を靴音高く彷徨った。目的などなく、またあったとしても悟られるわけにはいかない。現政権の転覆と報復を狙うものとして慢性的な監視と捕縛が繰り返される。前政権のより近しい位置に所属していた分、警戒もされている。表向きは何事もなく振舞う必要に迫られた。キュリオは嘘が下手だと自覚しているから、余計なことを言うよりは沈黙を選ぶ。それが慢性化した。必要なこともそうでないことも一拍置いて話す癖がついた。自然と流暢とはいかずに出遅れるし聞き手に回ることも増えた。息がつまって何度も抜け出す。抜けだしたところで行くあてもなく歩きまわるだけだ。路地裏に対処できるほど実力を過信してもおらず、結局のところ何も出来ずに時間を潰す。雑踏へ立って人の流れを見つめながら思考は飽和して首さえまわらない。キュリオはここ何年かで待てと言われることへの不快と堪えを覚えた。安寧とした生活であった頃は悪童であったが決断をすることも避けるようになった。どうする、と訊ねる発言の多さに自身が一番、戸惑った。
 目を眇めるとふさがったばかりの傷がピリピリと痛んだ。眉の上から走る裂傷は深く、意識を取り戻した刹那からキュリオの管理下を離れて閉じたままだ。おそらく一生開かないだろう。悔やむことも気負うこともしなかったがそれはキュリオの反応が鈍かったからだ。原因に責任を押し付ける気はないが自戒もしない。思い切りの良さと言い換え可能な自棄を手に入れた。それが戦闘術を向上させたのは皮肉だ。外套の襟へ頤を埋める。吐く息が白く凍った。現在の政情は庶民に余剰を蓄えさせない。寒さも暑さも堪えるしかなく、衣替えも稀だ。肌理の粗い布地を洗いざらして繰り返し仕立て直す。ざわざわとした雑踏はこもるように音がこだます。耳の奥へ響く音は小さくないのに聞き取れない。誰が何を言っているかは判らず、それでいて不意に会話文が鮮明に聞こえた。誰が喋っていたかさえ判らない。ぶるっと震えて外套の中で腕をさする。さっさと塒へ帰って暖をとればいいのだがじっとこもることにキュリオは倦んだ。今でもまだ油断をすれば皮膚が裂けて傷から出血した。負担を避けるべきであることに気付きながらどこか試すように無茶をする。負傷で寝込んでいた分体力も落ちていて、まだ本調子とはいかない。
 俯けたままの視界で靴先が不意にとどまる。見慣れた靴だと思いながら目を上げれば外套を羽織ったフランシスコが肩を怒らせた。
「なにしてるんですか。外出する用事なんてないはずですけど」
「お前に関係ない」
付き合いの長いフランシスコには見栄も体面も意味がない。互いに見せたくない顔も見せてきた。同時に具合も心得ていて、互いにどうすればいいかもよく知っている。それでも諦め悪くキュリオはフランシスコに噛み付く。理論も感情も論破されて結局腕力にものを言わせるのがかつての常套的なやり取りだった。ただそれはキュリオが負傷してから極端に減った。フランシスコも緩衝的な物言いを覚え、キュリオも力づくの決着を起こさなくなった。強制的な隠遁生活は二人の甘えを拒絶して成長させた。フランシスコの一人称が僕から私へ変わったのも発露だろう。もともと愛想はよかったが殊更に女性に優しくなりだしたのは最近だ。外泊も繰り返す。その変化を苛立たしく思えばこそ、フランシスコの小言などなお素直に聞けない。つっけんどんなキュリオの物言いにフランシスコの柳眉が跳ねる。悪印象は承知の上であるからキュリオも撤回しない。険呑な空気が二人の間に流れた。双方共に隠遁生活やそこからの派生に堪えで許容量を超えている。我慢の限界だった。
 「馬鹿馬鹿しい! こんなくだらないこと」
「いい加減に放っておけ。守れもしない癖に」
手加減のない平手がキュリオの頬に命中した。人の流れが一瞬どよめいた。厄介を避けようとする意識が働いてフランシスコを避ける流れが新たにできる。
「こっちに、きて」
明敏にどよめきを悟ったフランシスコがキュリオの腕を引いて路地へ紛れる。思い切り打たれた衝撃で視界の眩んだキュリオはなすすべなく従った。それでもフランシスコの感情的な爆発は久しく味わっていなかった。安寧とした生活の頃は互いに癇癪を起こすのも頻繁であったことを思えば懐かしささえある。
「話を、聞こうか」
人通りのない路地を選んでフランシスコが足を止めた。キュリオを逃がさぬように袋小路へ追い詰める。身体能力的な劣勢を策略が補う。破壊力ではなくその速度に重きを置く性質が見て取れる。
 「あなたはまだ寝ていろと言われているはずだし私もそう聞いてる。そのあなたが寝台を抜け出してここにいる理由は?」
キュリオは明確に顔を背けた。薄い皮膚の裂傷がピリピリと引き攣るように痛んだ。幼い時からフランシスコが言うのは正当で、キュリオは黙りこむしか手がなくフランシスコも容赦なく言い負かす。互いの優劣は暗黙の了解で成り立った。
「…壊してやりたい」
「は?」
「何もかも、全部! 政権も生活も何もかもぼろぼろに壊れてしまえば、いい! 我慢なんか、出来ないッ」
溜まりに溜まった鬱屈の発露が止められない。投げつける言葉に配慮はなく、配慮の要らぬフランシスコが相手であると認識しているから抑制も利かない。
「何も要らないッ何も! 俺は無謀な作戦で死んだっていいんだ堪えるなんて耐えられないッあの子にも、無理を強いる――」
キュリオの芥子色は潤みを帯びたままフランシスコを睨んだ。
「あの子に無理を強いるのは俺達の自己満足だ」
フランシスコの双眸が眇められる。蘇芳のそれは兎のように紅く澄んだ。キュリオはフランシスコが何も言わぬことを埋めるように言葉を吐いた。発露を見出した奔流は容易には留まらず、内部では衝動を正当化する。
 「俺はッ俺はもう、嫌だ、皆、みんな死んで! 出来ることなんて何もないのにいつかするって言ってただ生きて! 生きるのがこんなに辛いなんて、想わなかった…!」
だから全部毀れて、俺達も壊れて何もなくなってしまえばいい。
「キュリオ…」
フランシスコの声が穏やかだ。その音程が癇癪を起したキュリオをなだめるときのものであることを知っている。
「俺はもう何も言いたくない。聞きたくない。したくない。死に、たい…ッ」
ぼろぼろと涙があふれた。情けないと思うのに歯止めさえ利かない。しゃくりあげる震えに声が途切れる。目淵や唇が戦慄いた。衝動は体中を駆け抜けて意識さえ侵蝕する。食も細った。生きることへの執着が薄れる。途中で斃れてしまいたい。そうすればどんなにか楽だろう。甘い菓子のように蠱惑的にキュリオを誘う。時の流れを待つしかない状態を耐えるにはまだ幼すぎた。
「…――あの時に。殉じてしまえばよかった。皆と一緒に」
言葉を吐き出すためにあげた唇へフランシスコは吸いついた。唇を奪う緩やかな熱にキュリオの芥子色の隻眼が見開かれていく。傷で閉じた目蓋が痙攣的に震えた。
 「私はそう思わない。底辺を這いずってでもあなたに生きていてほしい」
「俺は俺なんか要らない。毀れてしまえばいい」
「私はあなたが欲しい。毀れたあなたも好きになる自信はあるけど、でも毀れないでいてほしい。前を見ているあなたが好きなんだ」
キュリオの隻眼が過剰な潤みを帯びる。両親を亡くして以後、キュリオを肯定的にとらえてくれる人は少なかった。貴族的な階級も影響して転落の一途をたどるキュリオを擁護するものはいなかった。暴力的に抑えつけてくる手はすべて跳ねのけた。下心を帯びた配慮も全て拒絶した。そうした態度が影響して付き合いは極端に減った。両親を知っていても知らぬふりをするものも多い。キュリオの価値は見る間に地に堕ちた。考えられないような軽視や侮蔑を享受してキュリオは日々を暮らした。その堪えが一気にあふれた。開いた隻眼から溢れる涙がぶたれた頬を濡らす。それはフランシスコも同じはずで、気丈なフランシスコの態度は余計にキュリオの気をくじいた。己の至らなさを指摘されたようだった。両親を亡くした経緯は同じである。
「お願いだから死にたいなんて言わないで。私は、辛い」
抱擁するフランシスコの腕をキュリオは払いのけた。温く同化するぬくもりが離れていく。
 「止めろッ俺は! 俺は」
言葉が続かなかった。ほとばしる感情ばかりが先行してやるせない思いが渦を巻く。言葉にできないもどかしさに歯噛みしながら胸を熱くするこの感情は秘めるべきだと思っている。指先が慄然と震えた。
「ぜんぶ、こわれてしまえばいい」
ほとばしる破壊衝動が留められない。ペン先を潰すほどの筆圧を加えて帳面を裂きながらまだ足りずに机の上を滅茶苦茶にするときと似ていた。奔流を解消する手段さえなくただ、喘ぐ。
 何も要らない、何も。キュリオの喉が血を吐くように引き攣れた。掠れながら潤みを帯びた声が奔る。全てを破壊しつくした地に芽吹くのを見たくないわけではない。それでも、壊れるまでのぎりぎりを耐える、力が、ない。キュリオの両手が顔を覆った。外套の襟や布地で顔が隠れる。爪先がぎちぎちと皮膚を裂く。
「俺はもう何も要らないッ何もかも毀れてしまえばいいッ! このまま死んでしまうかもしれないのに、地位の回復なんか意味ないッ」
仇打ちが成功する保証はなくそれでいて機会は少ない。だからその分堪えが必要で。剣戟を使用する大胆さと絵を描くのを好む繊細さとがせめぎ合う。耐えられないと啼く精神を必死につなぎ合わせて生きてきた。
「俺が死んでも意志を継いでくれるものがいるなら死んだっていい」
「だから馬鹿だっていうんだよッ」
フランシスコの白い手がキュリオの襟を掴む。
「死んでもいいッ? 馬鹿馬鹿しいッ! 死んだら終わりなんだよ、キュリオの意志を継ぐものなんていないんだ、私達の意志は私達でかなえるしかないんだッ!」
キュリオは潤んだ隻眼でフランシスコを見つめる。フランシスコはきっとキュリオより聡明で、だから先が見えるのだろうと思う。キュリオに見えない情景がフランシスコには見えている。

「それでも俺は時々、全てが壊れてしまえばいいと、想う時がある」

毀れた己を踏み台に誰かが生きてくれるなら。

「馬鹿ッばかだよッ」
声が震えた。
「…キュリオがそんなふうに思ったら僕はどうしたらいいか判らない」
真っ赤になった蘇芳の双眸にキュリオは隻眼を眇めた。皮膚がひきつれるように痛い。奔る痛みは刹那に指先まで伝わり、痙攣を呼んだ。引き結ぶ唇を奪われる。触れてくるだけの柔らかい感触に体温が融ける。
 「それでも、いい」
キュリオの破壊衝動でキュリオが終わってしまっても、フランシスコのようなものがいるかもしれない。意識に関わらずともキュリオの遺志をかなえるものがいるかもしれない。そう思えば命など惜しくなかった。
「俺は俺なんて要らない」
「要らない。そんな衝動、いらないよ。死にたいなんて思わないで。そんな破壊衝動は何も生まないよ」
キュリオが破壊衝動で滅びてもフランシスコが再生してくれるなら滅亡しても構わなかった。そう口にした途端に頬を打たれた。同じ位置を殴りつけてくる意地の悪さがフランシスコの稚気だ。感情が先行している。
 打たれた頬が痛む。口の端が切れて紅く血がにじむ。フランシスコが蒼白になってハンカチを当てるのを押し退けた。舌先で舐め拭えばぴりりと沁みた。
「舐めないで。余計ひどくなるんだよ。すぐに薬を」
「要らない。こんなこと、たいしたことじゃない」
蒼白いフランシスコの顔を見ながらキュリオはそう判じた。渇いた唇を舐めるのもキュリオの行動範囲内だ。
「駄目ですよ、塗らないと。蜂蜜か、薬か…とにかく何か塗って乾燥を防いで、あぁ、なめないで」
キュリオがにじむ血の味に何度も唇を舐めるのをフランシスコが諫める。
「打ったくせに」
「あなたがバカげたことを言うからです。あぁもう、舐めないでと言ってるのに」
ごしごしとこするのをフランシスコは緩やかに止める。キュリオは反射的に舌で舐め拭ってしまう。
「舐めれば余計に荒れるんですよ。蜂蜜とか何か塗って」
行きずりの路地裏では潤沢な備えなどない。フランシスコはキュリオを伴って塒へ戻ろうとする。
「ほら、位置を教えて。あなたの塒なんですよ。まったく、だからあなたと離れて暮らすなんてしたくなかったんだ。あなたはすぐに自分を疎かにするんだから」
渋るように塒へ案内しないキュリオに焦れたようにフランシスコは唐突に唇を奪った。柔らかくはずむ紅い唇が吸いついてくる。温く濡れた舌先はなりを潜めてキュリオの歯列をなぞるだけで退いていく。
 「キュリオ、私の堪えも考えてほしい。私はずいぶん我慢しているつもりなんです。あの子のことも家柄のことも、あなたのことも。あなたの破裂した癇癪を収めるのはいつも私で。でもあなたが私の裁量で納めてくれるなら嬉しかった。それでもまだ、堪えが足りないと、私を詰りますか?」
擦って紅く腫れた唇をフランシスコが厭うことなく吸った。腫れて膨張した皮膚でもフランシスコの柔らかな唇の感触がある。瑞々しい皮膚の張りが明確だ。
「お前が再生してくれるなら俺は滅んでも構わない」
蘇芳の双眸が痛むように眇められる。潤みきったそれにキュリオが怯んだ。充血の紅さとは違う紅さが双眸に満ちてキュリオを責めた。
「私はあなたが死ぬことを赦しはしない。絶対に。神が赦しても私は赦しはしない」
玲瓏に響く声はフランシスコの喉を震わせる。キュリオの耳朶を打ち、同時に鼓膜を震わせた。キュリオは薄く微笑んでから目蓋を閉じる。ゆっくりと唇を開いた。

「俺は俺が犯す罪など怖くない。俺が死ぬことさえ、構わない。破壊的であると嗤え。この破壊衝動が何かを生み出してくれると俺は信じている」

キュリオの外套の襟を掴むフランシスコの手が震えた。白い喉を痙攣的に震わせて声を振り絞る。
「私は君が死ぬことなど認めない!」
フランシスコの声が慟哭に震えた。キュリオは発言を撤回もしない。後付けのように言い訳もせず、フランシスコの感情に任せた。それが判っているからフランシスコも容易に手が出せない。
「お願い、だから。そんなこと、言わないで」
蘇芳の双眸が濡れて瞬く。

俺の体が毀れてしまってもお前がいてくれるなら、俺の体なんて惜しくないんだよ?


《了》

微妙に無理やりお題な件!(ウワァ)                2010年11月21日UP

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