たとえばそれが痛みであったとしても
67:どうすれば穏やかな気持ちでそれを待てるというの?
守るための戦いがこれほど不自由であるということをキュリオは初めて知ったような気がした。元来声より先に手が出る性質だ。ぎらつく刃に怯んだ少女を押し退けて体を滑り込ませた。明かりを浴びて閃く白刃が迫る、それが最後だった。頬に引っ掻いたような違和感、直後に燃えるような熱が頭部に蔓延した。あまりの痛みに傷を負った箇所さえ特定できない。ぱたぱたと石畳の上に鮮血が飛散し、その場に居合わせたものが総じて怯んだ。状況を知らぬ番兵の無粋な呼び声に、相手が気を取られた刹那にキュリオは少女を抱きあげてその場から逃げた。援護を得られたと弛んだ隙をついた。追跡を逃れるために幾重にも地下へもぐったり角を曲がったりするのを繰り返す。少女はまだ幼く、引っ張っていくには小さすぎる。抱きあげる腕が疲れてキュリオは途中で背中へ抱え直した。ぶるぶる震える少女を叱りつけるようにきつく言う。優しい扱いというものがどうも苦手だ。幼馴染のフランシスコであったならもっと上手く、少女も納得した形でおぶさるのかもしれないとも思う。背負った少女の熱は奇妙に熱くしがみつく指先さえも震えていた。
頬を伝う温い滴に気付いてキュリオは肩を寄せるようにして拭う。肩口がたちまち鉄錆の臭いをまとい深紅に染まる。息を呑んだ少女の手が跳ねてキュリオの首に触れる。
「大人しくしていろッ」
他人の敷地さえかすめながら何通りもある道順をたどる。背中の少女が泣き出す。洟をすする音がしてキュリオはそれに気付いた。だが気付いたからと言ってキュリオは走る速度を緩めないし振り向きもしない。慰めの下手な己が追跡の不利を被ってまで足を止めるわけにはいかない。帰り着いた少女の家に同居人達が仰天して大騒ぎになった。背負っていた少女を下ろすと少女がけたたましく泣いた。
「きゅ、りおッ、キュリオがッ」
わぁわぁと泣きじゃくる少女を日ごろから世話している年長の少女が連れていく。泣きじゃくってキュリオの裾を掴みながらごめんなさいと謝る。騒ぎで飛び出してきたフランシスコがひィッと息を飲んだ後に嘔吐いた。口元を引き攣らせながらハンカチを渡す。渡されたとてキュリオは使い道に思い至らず茫洋と眺めた。
「ふい、て。キュリオ、顔中血だらけだ…」
頬を拭った指先が紅い体液に塗れた。滲むなどという出血ではない。ただ頬を滑る液体の感触しかない。燃えるような熱さに痛みが響く。頬を攣らせるように動かすと裂けるように痛んだ。渡されたハンカチを顔の半分にあてるとみるみる体液を吸って貼りつくように重くなる。その時になって初めてキュリオは足元が揺らいだ。視界が回転するように重心を失い、立っていられない。しゃがみこんで嘔吐く。初めて船に乗った時のように不安定な重心に、視界は絶え間なく回転と歪みを繰り返し、とらえどころを失った体は酩酊したように吐き気と揺らぎを繰り返す。医者を呼んだ、医者が来たと立て続けの報告が響く。医者の顔を見る前にキュリオは気を失った。
震えるままに開いた目蓋に違和感がある。きちんと見えているのに目蓋が開き切っていない感覚がする。燃えるような痛みと脈打つそれにキュリオは顔面に負傷したのだと遅ればせながら気付いた。日陰で暮らすにしては上等な寝台へ横たえられている。外では頻りに雨が降っている。天井を見ながらそこがどこであるかキュリオは判じかねた。そもそも意識が不鮮明で時間の経過さえも判らない。感覚が狂っている。何日も寝込んだように体はだるかったが案外時間は経っていないかもしれない。少女が立てる甲高い声も今日は聞こえない。剣の稽古も髪を短くしろと言われることも少女には不服なようで、常に文句をつける。女性であれば当然かとも反面で思う。キュリオの知る限り女性は髪を伸ばしたがったし、長い髪の色艶は羨望の的だ。ましてやその理由を幼いということだけで教えられないことは余計に反感を買うだろう。理由も判らないのにああしろこうしろと言われて頷くほど少女は愚鈍ではない。首を巡らせると清潔な枕に頭がうずまる。皮膚に触れる感触がなく、指を這わせると矩形の布や包帯が巻かれていた。顔の半分を覆うそれに案外重傷だなと人ごとのように嗤った。
そっと体を起こすと、一瞬眩むような目眩を起こしたが何事もない。枕元の小卓には貴重な薬や水呑みなどが備えてある。雨に煙る窓硝子は明るさの加減で鏡面のようにキュリオを映した。白い包帯がまざまざと目につく。発光しているかのように真新しく、にじんだような血痕もない。しばらく睨むように見つめていたがキュリオはそっと継ぎ目を手繰って一つ一つゆっくりと包帯や当て布を取り除けた。目蓋の開かぬ理由が判った。眉の上から走る傷は目淵を裂いて完全に目を閉じさせている。触れてみてもまだ感覚はなく、腫れたような手応えがあるだけだ。薬でも効いているのかもしれない。後を引く痛みであろうということだけ判った。縫い合わせたような痕跡があるが、目が開かないのは傷が深いからだとすぐに見当がつくほど明確だ。極端な視野の狭窄やぶれはない。利き目でないことは運が良かった。それでも走る痛みは鬱屈した感情を打ち消し、それがひどくありがたかった。少女を守るという枷でさえ自分勝手なものであり、見返りを求めるなど図々しい。応えがなくとも満足しなければならない立場におかれるほど人柄がこなれてもおらず鬱屈は溜まっていた。不意の負傷はそういった感情を打ち消してくれた。
爪先が触れる感触こそあるが麻痺したように痛みはない。傷を覆う皮膚もまだ薄く、桜色の肉が見えた。きしりと爪を立てれば痺れる痛みが走り紅くなっていく。激痛は甘美に体を駆け抜ける。久しく負っていない感覚だ。耐えしのぶには酷な環境でこれまでを暮らし、そしてきっとこれからも暮らすのだ。終わりの見えないそれにひどく倦んだ。少女が十六歳になればすべてを明かす。しかしそれはつまり我慢と忍耐を強いることでもある。時間が必要なのは判る。それでも守ってくれる親を亡くし深紅に塗れた手が穢れる。だったら要らない。見えない眼球など要らない。邪魔な、だけだ。ぎちぎちと爪先が皮膚を裂いて溢れる鮮血に塗れた。脈打つように重い痛みが脳へ響く。守られた頭蓋の奥底にまで達する痛みは脈のように一定の調律を奏でた。頬を滑り落ちた紅い滴が毛布に紅い花を散らす。なくなればいいと思う。なすべきことやしたいことを堪える感覚がキュリオには希薄だ。準備期間が要るのは納得しても頷けない。成功させるためだ、失敗したら後はないんだ、だから慎重に事を進めるんだ。繰り返される文言は暗唱できるほどだ。
そのたびにキュリオは血を吐くような想いで問い返したくなる。じゃあいつなんだ。剣を取って戦うのは、政権を取り戻すのは――いつも通りの生活を、取り戻すのは。
「……――いたい」
涙さえこぼれない。もともと泣かない性質であったが親を亡くしてなおキュリオは涙など枯れたかのように泣かなくなった。泣いても叫んでも、諫めたり抱きしめたりしてくれる腕やぬくもりはもうない。取り戻せない位置にそれらはある。独りで泣くことに疲れ、倦んで、キュリオは泣かなくなった。無意味だ。痛みさえも。ぎちりと肉に爪が埋まる。解いた包帯や当て布の上にさえ血が垂れた。
――抉りだして、しまいたい
「なに、してるんですかッ!」
ガシャンと立て続けに陶器の砕けるような音と衝撃音がこだました。肩を跳ね上げて顔を向ければ蒼白なフランシスコが棒立ちになっていた。足元へ盆や陶器の皿が割れて中身をぶちまけている。眦を吊り上げたフランシスコは明らかに憤怒していてキュリオがたじろいだ。つかつかと足音も荒く歩み寄ってキュリオが言い訳する間さえなく頬を打ち据えた。怪我をした方でないことだけが唯一フランシスコの冷静さの名残だ。脈打つ痛みが左右双方から感じられてキュリオは頭部全体が熱を帯びているかのような錯覚をする。汗がにじんでもおかしくない火照りと熱を帯びながら皮膚は奇妙に鎮まり返ったままだ。むしろ血の気が引いたように指先は冷たい。フランシスコはハンカチで溢れた鮮血を拭うとキュリオの手を下ろさせる。そのまま当て布を当てて包帯を巻いていく。キュリオの意志は訊かず考えにも含めていない対応だった。拒否すれば力ずくでも従わせるという気概がにじんでいた。
黙って手当てを受けながらキュリオは少女のことを問うた。意識を失ってから少女に会っていない。
「オーディンはコンラッドのところへ。あなたが血まみれで戻ってきたことは噂になってますが広まってもいないし、理由も知れていません。ご近所から大丈夫って訊かれるくらいだし。あの子も混乱して、いたから離しているんです」
日頃の世話を焼くコーディリアの名を上げてからフランシスコは、あの子は両親が殺されるところを見たらしい、だからそれが甦ったのかもしれないと告げた。溢れる鮮血や噎せるような血の臭いやその圧倒的な深紅に。ましてあの子の両親は助からなかったことを考えれば恐怖さえも付加されただろうことは想像に難くない。
「…オーディンはコーディリアに見てもらっています。コンラッドもいる。だけど、あなたは僕が見ると、決めたんだ」
女の子のようと揶揄されるフランシスコが端正な顔を歪めて泣いた。細い眉も大きな双眸もだらしなく垂れたり過剰な潤みを帯びたりしている。薔薇色の頬をとめどない滴が滑り、濡らしていく。唇だけが奇妙に照って紅い。
「なんで…――なん、で。あんな傷を負って帰って来るんですかッ…! にくが、みえた。裂けた傷口がひどくて、目はもう駄目だって、言われて! 大金を積んでも治せる人はいないだろうって、言われて! あなたの視界を奪う重荷を、あなたはあの子に背負わせ、たんだよ…!」
キュリオの眉が明確にひそめられた。不服げにとがる唇をフランシスコは睨みつけるように見つめてくる。
「俺の傷は俺の所為だ。誰の所為でもない。オーディンの所為なんかじゃ、ない」
咄嗟の判断であってもキュリオはあの時の判断を間違っていたとは思っていない。可能性ではあっても未来を秘めた女性にみすみす傷を負わせるほど呑気ではないつもりだ。キュリオは男性であるから残る傷であっても笑い話になる率も高い。女性が残る傷を負うなど負荷が強すぎる。
「あなたはいつも、そう! ジュリエット、ジュリエットって。いつも! 悪いとは言わないけど、いいとも思わないッ!」
「お前に関係ないッ!」
フランシスコは今度こそ手加減の一切ない平手をキュリオに見舞った。キュリオの放った一言に触発されたのは明白で、フランシスコも言い訳しない。同じ場所を二度も打ち据えられて感覚が失せた。そもそも怪我人を本気で打ち据える神経に呆気にとられた。裏を返せばそれほど許容しがたいということか。
「キュリオが死んじゃうんじゃないかって、心配したんだ! 全然起きないし、熱は引かないし、傷はふさがらないし! 傷がもとで死んだ人もいるんだよ、だからすごくすごく、怖かったんだよ!」
フランシスコが声を上げて泣き出した。泣き顔を隠す素振りさえない。ぼろぼろあふれる涙が頬を滑り、肩を揺らしてしゃくりあげては泣いた。練色の長い髪がきらきらと明かりを反射して輝く。蘇芳の双眸が真っ赤に充血した。
「…――だって、俺達はずっと。ずっとずっと、待たなくちゃいけないんだ。そう、言ってたじゃないか。今は時じゃない、待てって。その時がいつかも判らないのに待ったり構えたりすることなんて、俺には出来ない」
閉じたままの目淵からキュリオは落涙した。傷を負った眼球は過敏ですぐさま涙をこぼす。キュリオの意志とは関係しない。過敏な眼球がなにがしかを感じ取って過剰な潤みを帯びるのだ。深紅で薄まった涙が垂れる。血涙をこぼすキュリオにフランシスコが泣きやんだ。あてられた包帯に薄まった鮮血がにじんでいく。
「待って、なんかいられない。主君も両親も死んで、俺達はどうしたらいいかなんて、判らない…」
安定した将来は消え去りただ見えぬ明日を模索する日々が続いた。なしたいことや討ちたい仇がある。けれどそれを成し得た後はどうするかさえ暗闇の中なのだ。鮮烈な痛みはそういった泥濘から刹那であっても、キュリオを解き放った。それはひどく心地よく。キュリオは求めるように包帯や当て布の上からきつく爪を立てた。すぐに深紅がにじみ出してくる。縫い合わせた傷が力が加わればすぐに開こうとする。蒼白になったフランシスコが慌てて止めた。
「やめてキュリオ、傷が! 傷が、開く!」
「見えない眼なんて要らない」
フランシスコは引きつけでも起こしたように体を震わせた。
「あの子を守るのに見えない眼なんて要らない。不要なものは排除するだけだ」
「やめて!」
爪を立てる手首を掴んでフランシスコが叫んだ。キュリオの爪先には紅く血がにじんでいる。縫い合わせた傷を開いただけの出血がある。フランシスコは真っ赤な目のままで懇願した。
「お願い、止めて」
キュリオの芥子色の瞳が潤んだように瞬いてから虚ろに呟いた。
「感じられない器官なんてないのと同じだ。見えないし感覚もないなんて…――いざって時に、足手まといじゃないか」
「嫌だよ嫌だ。足手まといであってもいいから、お願いだから止めて。キュリオが片目を失くすなんて、嫌だよ、痛いよ。すごくすごく、痛くって」
フランシスコが泣いた。キュリオはその時になって寝巻に着替えさせられていることに気付いた。清潔に白い衣服はキュリオのおかれた状況を示す。圧政によって物資が圧倒的に不足する環境を考えれば厚遇だ。それを思えばなお死ねるわけもない。それでも。
「ほかに、どう待てばいいって、言うんだ…――」
いつかきっと革命のときは来る、起こす、だから堪えろ。そう言われてキュリオは何度も年を越した。癇癪を破裂させそうになるたびに諫められ慰められてきた。安定した生活をしていたキュリオには下層に身をやつすことでさえ慣れぬうちは負担だった。生活基準を引き下げることは思わぬ負荷を強いることが多い。それはフランシスコも同等であると思うのに彼は文句も言わない。余計に引け目があって意固地になる。かなえられぬと判っているからこそ我儘を言った。
ジュリエットがオーディンとして持ち前の正義感を発揮して起こす諍いさえ発散の機会にすり替えた。先導者として正義感は必要だが伴う余力がないうちは面倒でしかない。その一切をキュリオは引きうけた。ジュリエットが首を突っ込んだ諍いはすべてキュリオが力ずくで決着させ、時に負傷した。ジュリエットが気に病むたびに何でもないと不愛想に告げる。己の発散の場でもある以上、彼女に責任を負わせる心算はない。
「俺は、堪えきれない」
目の前にちらつく癖に掴めない。焦らされることに耐えられる性質でもない。不可ならばそう言ってもらわなければ決着がつかない。それでも周りはただ、少女が、ジュリエットが十六歳になるのを待てという。それは即ち、周囲が彼女が年齢に達するまで待つということだ。それまでは、何も出来ず何もせずに待って、いて。
耐えられない
「あの子が十六になるまで、なんて。今にも破裂しそう、なのに」
俯ける頬をフランシスコが挟んで顔を上げさせた。打たれて腫れた頬さえも頓着せず手を添えて顔を起こさせる。
「だったら稽古もし直せばいい。そのための時間だと思えばいい。視界の半分が殺がれて、それに慣れる猶予だと思って。どんな理由をつけてもあなたを死なせたりしない。絶対に、生かして見せる」
キュリオは鬱積したそれを彼女が起こす諍いで発散した。即物的な殴打や負傷は形のない負担を和らげた。
「…――俺は、待ってなんか、いられない」
焦がれて焦がれてそれでもなお、堪えろと。主君への仇がある、だが同時に親を亡くした恨みもある。私怨で構わないし、そうだと思っている。それさえ果たせずにキュリオはただ、諾々と時を経て。
「待ってなんか、いられない…ッ! あの子はまだ幼くて俺達に出来ることなんてなくて! それなのに、待てって。待って何が、変わる。圧政さえ変わらない、俺達はただ潰されてしまう――」
鳶色の髪をぐしゃりと巻き込んでキュリオは顔を伏せた。今になって顔の傷が痛む。裂けた皮膚にびりびり痛みが走る。溢れる涙さえちりちりと沁みて痛んだ。前が見えない。それがこんなにも、辛い。
隻眼と称されることなんて何でもない。ただその痛みさえなかったように抑えこまれてしまうことが怖い。なかったことにされて、しまう。フランシスコも何も言わない。キュリオの意見には揶揄で返しあげ足を取るフランシスコは何も言わなかった。包帯を巻いたキュリオを抱きしめて目を伏せる。伏せられているだろう睫毛さえ練色であることをキュリオは茫洋と思いだした。
「生きることが辛くても、僕はキュリオに生きて欲しいと思う」
眼球を抉りだそうとする手は払われて拘束された。唇が重なる。寝台に倒れ込むのを追ってフランシスコは唇を奪った。キュリオがたじろぐのも知らぬふりを通す。
「生きていれば、きっと。だから、死なないで」
フランシスコは揶揄も無駄口も多い。それでも簡潔なそれは決意を示すかのように清廉だ。練色の髪は長く垂れてフランシスコの顔を幕のように隠した。震える睫毛さえ見える気がしてキュリオは云い淀む。
「あなたまでいなくなったら私は、耐えられない」
うぅ、とフランシスコの嗚咽が響く。泣くのを堪えながら涙する。不本意であると、それでなおフランシスコは泣いた。
「待たなくていい。待たなくていいから、お願い、だから――私の隣にいて」
あ、ぁああ、あとフランシスコが泣いた。溢れる涙がキュリオの襟を濡らす。傷が疼いた。引き攣れるような皮膚の動きに連動して裂ける。表情によって引き攣れる筋肉で裂傷は裂けて出血した。新たな痛みが走り、それがキュリオをとどめた。体の在り処を失くしても痛みがそれを気付かせる。フランシスコの好意は甘く、痛い。呑みこんでやり過ごせない何かが存在した。
「泣いて叫んでのたうってみっともなくあがいて、それでもいい、構わない、だからお願い。私の隣に、いてください」
キュリオはひどくなってきた痛みにぼうっとなる頭のままでフランシスコが泣くのは久しぶりだということだけ感じた。気の回る性質のフランシスコの堪えはキュリオとは段違いで、抑制も利く。辛いことがあっても堪えてしまう性質だ。軽薄な性質を装って訂正もせずに、世間に対してどう見えるかをよく知っている。よほど抑制が利いている。
「あなたがいないなんて、私はそれだけで、穏やかに時を迎えられない」
たとえそれが運命の時であっても?
あなたが隣にいないなら、意味なんてない。
「おねがい」
私はどうすれば、いいの?
「フランシスコ」
キュリオの低音が響く。キュリオの声はフランシスコより早く声変わりを迎えた。鍛錬の結果が目に見える体型をキュリオはしている。それでもその体に、フランシスコは欲を感じる。抑えつけて泣かせたいと思う。幼馴染として互いに手加減は知っている。
「どうしたらいいかなんて知らない。でも、あなたが隣にいない恐怖だけは知っている。だから、お願い。死なないで」
キュリオの体は寝台に沈む。抑えつけるフランシスコの拘束は明確な抑圧を含まなかった。それだけにキュリオは返答を迷う。幼馴染で具合も知れているはずなのにどうしたらいいか判らなくなる。
「あなたが狂うくらいには、私だって穏やかに待ってなんていられない」
吐露であったとしてもキュリオに返答のしようもなく黙って受けた。フランシスコの声は甲高くもなく低くもなく聞きやすい。耳に馴染んだ。互いに指針を求める両親が亡いのは承知している。キュリオもフランシスコもあの運命の一夜に派生した戦いで両親が命を落とした。遺された子供として仇打ちに助力している。
「キュリオ」
甘い口付けをキュリオは享受した。
生きる理由をください。
そうすれば俺はきっと今より穏やかに、生きていける気がする
触れた唇が融けるように同化して、キュリオは喘いだ。
《了》