もっと上手く立ち回れたなら
62:交わらない視線。重ならない温度。繋がらない孤独。だけど貴方を、
あてがわれた部屋が殺風景に見えるのは、わずかでも花をさすような生活をしていた所為かも知れないと思う。庭があれば若葉が芽吹き花が咲く。その恩恵にあずかろうと鋏を入れる。徹底的な教えを受けたわけではないから手法は自己流だ。枝や棘を刺す危険を帯びる幼子を預かった経験は少なく、その分花材の取捨は自由だ。そう言えば実家は放り出したままだと思い至る。隣近所で幽霊屋敷として知れ渡っていなければいいがとも思う。人の住まない家は傷みも早い。時刻表示に目を走らせてから寝床へもぐりこもうとする。刹那に通信機器が着信を伝える。ある程度の間をおいて断続的に知らせる振動は藤堂の中である指令へと直結した。
口幅ったい関係であるそれは同時に後々の厄介を帯びる。書面に残さぬほど周到であるかと思えば藤堂の意見など耳も貸さない。一方的に与えられるだけのそれは藤堂の気を酷くくじいた。藤堂の交友関係は広くなく、まして地下活動を主とする位置づけとしては連絡先を早々教えたりはしない。藤堂の連絡先を知っていてなおかつ強制できるのは盛大に恩を売りつけたゼロだけだ。ゼロへ接触を図ったのは部下である朝比奈たちの面々だが原因は藤堂の捕縛である。自らの落ち度は思わぬ反響音を残しながら藤堂の裡へ何度も重く滴を穿つ。
乱しかけた寝床を直して藤堂は通信機器を置いて部屋を出る。複雑な道順と手続きを経て指定の場所へ立つ。ゼロは藤堂との逢瀬の場所を時々で変える。それでも一定の循環であるその場所を藤堂は覚えてしまった。次にどこで会おうと言われるか想像がつく。ゼロは強制的な逢瀬を知らせる際に同時に場所を教える。二人の間で事前に決められた変換規則にのっとって藤堂は逢瀬の日付と場所を短い発信で読み取る。少々の手間や行き違いのリスクを負うとしても、この団体が地下組織である以上、慎重さが余ることはない。藤堂もゼロも大胆と杜撰の差を知っているつもりだ。藤堂の目線が扉の取っ手へ向かう。場所を変えても変わらないのは扉の開閉にいちいち解錠作業が必要な施錠タイプの部屋であることくらいだ。もっとも素顔をさらさないゼロとしての事情を考えれば当然で、むしろ藤堂との付き合いは抹消するべき部類の事柄だ。
来訪を告げると扉が薄く開いた後に一度閉まってから施錠を解く音がした。窺い見る時でさえ姿が見えぬ位置を取る用心深さは老獪だ。藤堂が体を滑り込ませると背後で施錠される。
「待っていた」
美麗な少年が紅く澄んだ唇で笑む。黒絹の艶と滑らかさを持つ髪に白皙の美貌は奇妙に作り物じみて見える。
「…ルルー、シュ」
藤堂がルルーシュを呼び捨てるのはゼロである彼からの要望によるところが大きい。彼とほぼ同年代の少年を相手に武道を教えていた経験のある藤堂は当然の流れとして君付けで呼ぶ。ルルーシュがそれを明確に嫌った。虫唾が走るとまで悪しざまに罵られて藤堂は何度も条件反射を抑えこむ。
ルルーシュが藤堂と会う際に、ゼロの身に纏う洋風貴族な衣装は着ない。常に私服でいるのはルルーシュとゼロを結び付けないための保険であり同時に責任を藤堂へなすりつける。もし二人の逢瀬が露見したらルルーシュは一般人を装うだけだ。ゼロの正体を知るものが絶対的に少ない現状では藤堂の立場は言い訳しか生まない。
「相変わらずだ。汚そうと踏みにじってもお前はけして折れないし穢れもしないな」
藤堂の灰蒼は冷たい穏やかさでルルーシュを見据える。潤んだような紫苑の双眸や澄みきった朱唇はルルーシュの印象を固定し、彼自身それを考えに含めて振るまった。
「…これきりにしてほしいと、言ったはずだ」
無表情に関係の解消を申し出るのをルルーシュは黙殺した。藤堂の言葉など届いていないかのように怯みもしない。桜色の爪先を遊ばせてふぅと埃を吹き飛ばす。すぼめた唇の紅さが際立ち皮膚の白さが明確に見える。
「藤堂、お前は本当に綺麗だな。馬鹿馬鹿しいくらい無垢だ。だがお前がこの関係を嫌うのは行為に対する嫌悪じゃないことくらいオレは知っているんだ。ひどく判りやすくて、馬鹿だな、秘すこともしないのだから妨害されたからって文句を言うのは筋違いだ」
藤堂の眉がきゅっと寄る。ルルーシュはそれを見て蠱惑的な瞳を半眼にする。
「お前の相手が誰かなんて真実どうでもいいが、痛みにのたうつお前を見ているのも悪くないな」
胸の内で言葉がいくつも渦を巻く。ルルーシュに言いたいことも罵りたいこともあるはずなのにそのどれ一つとして形を結ばない。藤堂は首までつかる泥沼を経験している。その不自由な倦怠ややり過ごし方も知っていて、だからなおそれを避ける手段を選びづらい。経験のある方へ行動の指針が傾くのは傾向として仕方ない。直感は経験に比例する。
「罪悪感があるんだろう。不誠実だと己を責めて、だからお前は馬鹿だというんだ。正直に言ってやればいいじゃないか。捕縛から逃れた恩を返している、仕方ないことなんだと」
灰蒼の双眸が刹那に刃のぎらつきを得る。ぎゅうと握りしめた手が軋む。ルルーシュの言う通りに行動した結果が藤堂には想像がつく。四聖剣の面々は藤堂に、意に染まぬ行為を強いているという罪過を負う。特に藤堂を慕う朝比奈の戸惑いや動揺や喘ぎが見えるかのようだ。藤堂と朝比奈は上司部下を超えた関係であり、指摘されたとおりに肉欲も交えた。行為に対する云々というよりルルーシュという存在が問題なのだ。
「言えないんだろう。ふふ、だから馬鹿だというんだ。そういうところも好きだな。愛してると言ってほしいか?」
だが朝比奈との関係は特に知らしめる性質のものではないし他者からの口出しも必要としない。それでも複数の交渉相手を持つということは藤堂の中では容認し得ないことだ。ルルーシュに会うたびに体が切り刻まれ朝比奈と笑いあうたびに引き裂かれる。軋む精神を危ういバランスでやり過ごす己を藤堂はどこか遠くから眺めている。朝比奈とルルーシュともに関係の解消が実現しないのは藤堂にも一因がある。
「好きでもない奴に抱かれる具合はどうだ。つまらないかそれとも案外愉しいか。抗うほどに体は感じるだろう。駄目だ不味いと思う禁忌に惹かれるのは仕方ないことだな」
したり顔で頷くルルーシュは藤堂など見ていない。しばらく一人で頷いていたが唐突につまらなさそうに藤堂を見た。
「反応がないのもつまらん。もっと馬鹿野郎とか罵ったらどうだ。それだけの気概もないか」
咄嗟の場合の声を堪える性質の藤堂にいちいち反応を求める方が酷である。黙り込む藤堂に飽いたようにルルーシュが襟を掴んで引き寄せる。細い腕の拘束から藤堂は逃れられない。
「言葉遊びはこれくらいでいいだろう。体で話そうじゃないか。欲しいだろ?」
乱暴に襟を開くルルーシュはどこか稚気を漂わせる。粗暴になりきれない人の好さと幼さが見える。熱く濡れた舌が藤堂の喉を這い胸へ下りていく。それだけで藤堂の体がルルーシュに向けて拓いていく。藤堂の経験として誰にでも向けて体が拓く。性的な働きかけに対して過剰に反応する。それは藤堂の意志とは全く連動しない。平素の藤堂の在り様としては欲の在り処など窺わせない。
膝が震えるのを見てとったルルーシュが膕を狙って膝を打ち崩す。目に見える弱点を狙うのはルルーシュの戦闘経験不足を示す。それでも藤堂はそれに乗せられる形で床へくずおれた。脚が震えて立っていられない。ルルーシュに向けて拓く解放感は日頃の堪えさえ壊してしまう。双眸は過剰な潤みで煌めいて忙しない呼気に胸部は軋む。ルルーシュが脚を狙ってくれたことが幸いした。藤堂は床へ伏せる理由を得た。
「お前の眼は綺麗だな。法則性を全く無視した奔放さが性質を示すみたいだ。日本人でありながら日本人らしくない」
ルルーシュの舌がべろりと藤堂の眼球を舐める。びりっと痛む感触に口元を引き結んで目を瞑る。
ルルーシュの指先が肌蹴た襟から内へ入り込む。見慣れている朝比奈より余程細くて白い指先は女性のようだ。ルルーシュの体つきはまだ華奢で、働きかけ一つで性別さえ転換するように錯覚する。藤堂の体が暴走する。元来男性体は性的な働きかけに対して脆弱だ。
「は――…ッ、ぅあ…」
脚の間へ入り込んでくるルルーシュの手は一瞬だけ冷たく、すぐに藤堂の体温に馴染んだ。身じろぐように仰臥する藤堂の上へルルーシュは覆いかぶさってくる。藤堂の体はすぐさま藤堂の支配を振り切った。与えられる刺激に正直であることが、藤堂の体の損壊を防ぐ手段だった。痛みも快感も堪えて得られるものなどなかった。ルルーシュの手の内で藤堂は何度も喘いだ。喉を反らして四肢を張り詰め、痙攣的に震える。ルルーシュの指先はいつしか藤堂の体内にまで及んだがそれを止めるすべを藤堂は持たない。抉り撫でさするのを享受した。
「あ、ぁ、ああ…――ぁッ」
上がる嬌声と体温と、けれどどこまでも気持ちは連動しない。冷えた感情に気付いたようにルルーシュは痛ましげに目を眇める。
「だからお前は馬鹿だと、言うんだ」
藤堂は経験として望まない交渉を持ったことがある。息をひそめるようにして終わりを待ち、何食わぬ顔をするだけだ。藤堂の体と意識は明確に剥離する。体の独立性と暴走を教えられたようなつもりだった。藤堂はそれからそうして行為を体の暴走として片づけることにした。働きかけに対しての反応だと思えば事は簡単だ。そこに意志も感情もない。
「…だったら、抱かなければ、良い」
気にくわぬなら放り出せ。告げる藤堂にルルーシュは乾いた笑い声を立てた。掠れて引き攣るそれはどこか泣いてしゃくりあげるときの痙攣にも似た。ぬめる藤堂の器官をルルーシュは容易く掌握した。
「あ、あァッ」
冷たい手の内に包まれて体を跳ね上げるとルルーシュの朱唇が耳朶でささやく。
「堕ちて、しまえ」
ぞわぞわと藤堂の背筋を駆け抜ける。うなじの後れ毛が逆立つような感覚がある。皮膚が一瞬にして引き締まる感覚だ。堪えもなく開いていた体が刹那に閉じる。ルルーシュはそれを見てとったかのようにふゥンと鼻を鳴らした。仰臥する藤堂にルルーシュを押しのけるすべはない。腕力的な問題がなくとも力任せで事が解決するのは子供の時だけだ。ルルーシュは特に力ずくの解決を毛嫌いする。
そのルルーシュの嫌うことはしたくないと思う程度には藤堂はルルーシュを好いている。そのことが余計に惑いを呼んだ。嫌いならば嫌われることは苦にならない。ルルーシュが向ける好意に対応する程度には藤堂もルルーシュを好いた。それがひどく、体を裂いた。藤堂にとって朝比奈は断ち切れない。選べと言われれば難渋するだろう。都合のいい状態にいるということも判ってる。
「藤堂、判って、いるだろう? 朝比奈の感情よりオレの方がずっとずっと強いぞ。逃がさない絶対に。俺を押しのけて幸せになることなんて赦さない。お前の立ち回る先々に顔を出してやる」
藤堂の潤んだ灰蒼が眇められる。引き結んだ口元が震えた。しゃくりあげる可愛げさえ己にはない。藤堂はいつでも何時でも黙って泣いた。泣いたからと言って抱きしめてくれる腕があるとは限らず、その虚しさは知っているつもりだ。藤堂にとって泣くことは何の意味もなかった。辱め甚振る相手を楽しませるだけだった。涙は見せても息は乱さない。零れる涙は些事であると相手に訴える。その内側がずたずたであったとしても、それを相手に伝える理由を藤堂は見いだせなかった。
「……なんでだ」
ルルーシュの声が震えた。
「何故お前は、呼気も乱さずに涙できるんだ」
藤堂は息を整えるのに精いっぱいで返事ができない。沈黙をどう取ったのかルルーシュは強く言葉を重ねた。
「オレはッオレは痛みを我慢なんてできない絶対に! 傷を負わされて黙っているなんて、そんな馬鹿なことッ馬鹿らしいッ…無駄、だ! 損失を堪えるなんてバカのすることだッ」
震える声が藤堂の耳朶を打つ。泣きじゃくりながら明確に音を紡ぐルルーシュの声は玲瓏と響く。
「それでもそうして痛みを堪えるお前が、オレは…好きなんだ…!」
ルルーシュの指先は一方的に藤堂の体温を上げる。状況を抜き差しならぬようにする。抵抗さえなく、ルルーシュは傲岸に嘯いて笑うのだ。お前は馬鹿だな、そう言ってルルーシュは哂う。藤堂を哂いながらルルーシュはどこかしらに傷を負う。藤堂を引き裂きながら切り刻まれる。
「お前の体はこんなにも従順で、なのに! なのにお前の意志はちっとも、ちっともオレのことなんて考えてないんだッ」
痛い切ない苦しい。オレのことも見て。
藤堂の体は明確に感情と乖離した。体の反応は藤堂の意志とは連動しない。藤堂がどう思っていても生理的に反応するだけだ。ルルーシュはそれに気付いていた。
「オレのことを何とも思っていなくても嫌っていても、それでも。オレの動作に反応してくれるお前が好きでたまらない」
ルルーシュは藤堂の胸の上で咽び泣いた。藤堂はどうすることもできない。意識の自制を振り払った体は同時に好悪の抑制さえ及ばなくなった。吐き気を催すほどの嫌悪も泣きだしたくなるような情も、体には反映されない。ルルーシュの大きな双眸や朱唇は稚気を窺わせるだけだった。ルルーシュが不意に笑んだ。
「報われない想いなんてありえないって思ってた。でも、お前に想われていなくてもオレが想っていたい。お前の中に一欠片でもオレがあったなら嬉しい。体なんて、付属品だ」
付属品だと言いながらルルーシュの指先は明確に藤堂の在り様を左右した。喘ぎながら藤堂はルルーシュを窺い見る。苦しげに歪められたなりに整う顔はやはり出来がいい。藤堂は茫洋と思った。綺麗な顔はどんな表情であっても観賞に耐えうる。潤みきって濡れた紫苑がきょろりと藤堂を見据える。
「綺麗な顔を、して」
藤堂の口元が微妙に歪んだ。
《了》