移ろいは止められず
 私は変化していく、

 君の前だからこそ


   38:塗り替えられた色彩が、冬の訪れを前に剥がれ落ちてゆくように

 群衆の中にあっても目標があれば視界は狭まる。尾行の仕方など知らないが得ている知識を総動員してルルーシュは歩を進めた。目標としている卜部が長身なのは幸いだ。日本人であるというわりに痩躯で長身。見通しのきく位置に立てば見失う恐れはほとんどない。始めのうちこそ息をひそめるようにしてじりじりと歩いていたが卜部の様子に変化はなく、気づいた素振りさえない。次第にルルーシュの緊張も弛みだし、周囲に溶け込むように通行人として胸を張って歩けるほどになった。周りや卜部の様子に気づく余裕が出てくる。緊張状態を保つのは案外気疲れするし、長く続かない。案の定ルルーシュの興味は卜部の仕草へ向いた。
 反政府勢力であっても必要なものはあるし調達という手段を選ぶのは当たり前だ。人間は霞を食べて生きているわけではないから食料に始まり身のまわりの細々としたものが要る。不定期に各々は繁忙期を迎えるから、必要な物資の調達は手のあいた者が行っていた。そこに階級の上下は関係ない。不文律として暇なものが調達へ出向くような流れが出来ていた。もっとも藤堂や扇といった幹部連中が出向くような落ち目には至っていない。彼らにそんな暇はないし事が済めば次の事が待っている。それでも藤堂などは変なところで律儀だから気をもむ。その緩衝材が藤堂の直属である卜部や朝比奈といった面々だ。藤堂の手が空かないことを知っている彼らが代理という形を踏んで役目を代わる。それでも卜部は嫌な顔一つしない。世話になっているという感情も在るからだろう。藤堂たちは黒の騎士団へ吸収された形になっている。
 卜部が不意に足を止める。ルルーシュは慌てて速さを緩めると帽子のつばを引き下げ目深にかぶり直す。露店で卜部と売り子が会話を交わす。調達した物資は配達などさせるわけにいかないから基本的に持ち帰る。大きな荷物が要る時はそれなりの人出で繰りだしている。さかんに売りつけようとする売り子に愛想笑いをして卜部は歩きだす。卜部は高い背丈に見合うだけの長い手脚をもっている。歩く動作に緩みはなくあざとい仕草もない。自然な動作として足を運びながらも要する間が微妙に違う。卜部の飄々とした性質がよく出ている。襟足も綺麗でうつむけばそれなりにうなじが覗く。まっすぐ伸びた背は軍属という堅い階級を経験した所為なのか藤堂の影響なのかははかりかねた。小耳にはさんだ限りでは藤堂が教鞭をとった武道の道場に顔を出していたというからそこから来ているのかもしれない。卜部が角を曲がる。目印を見失ってルルーシュは思わず走りだしかける。不意に伸びた手がルルーシュを路地裏へ引っ張り込んだ。
「やっぱりあんたか」
手首を掴んでいた手がほどかれる。溜息でもつきそうなあきれ顔をした卜部が立っていた。
 抱えていた荷物は脇へ置かれている。まだ真っ当であるこの小道ならば置き引きに遭うこともなさそうだ。そんなところまで計算していたらしい卜部の態度にルルーシュはつんとそっぽを向いた。ルルーシュは卜部と交渉を持つ際にゼロの仮面を取った。卜部は驚きさえしたが否定したりはしなかった。己より優位にあるものが年少であっても怯まない。嘲りも否定もなく、卜部はただ驚いたなと呟いた。
「…いつから気付いてた」
「さァな。この帽子よく見るなたァ思ってたけどあんたとはな。ツラまでは見えなかったしな。新手のタカリか掏りかと思ってたぜ。…中佐ならこんな手間ァねェンだけどな」
俺ァよく舐められんだよ、と卜部が息を吐く。藤堂ならば纏うその雰囲気が相手の気力を殺ぐ。その点で見れば卜部の見た目は十人並みだし痩躯であり腕力の脅威を感じづらい。
「で? 俺をつけたなァ何でだよ」
卜部の肘がくぅと曲がって腰に手を当てる。幼子を叱るようなその態度に不満と歓喜をルルーシュは同時に感じた。卜部とルルーシュの年齢差はかなりあり、卜部から見ればルルーシュなどまだ子供扱いだ。だが今はそんな微笑ましさに身を任せるわけにはいかない。
「なんだよ可愛くないな。寝床ではあんなに可愛いのに」
卜部の眉がぴく、と揺れた。茶水晶の双眸が眇められる。口元が引き締まるのは言いたいことを堪えている時の癖だ。卜部は揶揄から諍いを始める気はないらしくルルーシュのちゃんとした返答を待っている。
 「昨晩だってほら。声が嗄れそうだって気にするくらい啼いていただろう? 大丈夫そうで安心したよ」
ルルーシュがうそぶく。二人は閨の関係においてルルーシュが攻め手を選択している。卜部に受け身をさせるのは難しいと思っていたが案外すんなりといき、双方とも立場の変更を言いだしたりはしなかった。ルルーシュは卜部を犯し、卜部は脚を開く。ルルーシュの脳裏に卜部の媚態が甦る。漂然として何の苦もないという態度を崩して焦らして泣かせるのはかなり愉しい。思った以上に深入りしていると判っていながらルルーシュはあえて抑制したりしない。ルルーシュは言葉を吐きだしながら密やかに着実に変化をきたしている卜部を愉しげに見た。己の尾行が散々な醜態であったことはこの際棚上げする。自信満々な態度や勢いというものは大切で正誤の判断さえ時に誤らせるほどだ。ハッタリでも何でも自信満々に言いきるものを真正面から否定できるものはあまりいない。
「ルル」
短い呼び名はルルーシュの身近にいるものが使う呼称だ。卜部には伝えていない。対処の遅れたルルーシュの唇を卜部はあっさり奪う。卜部は口づける際でさえ目蓋を閉じない。琥珀のような透明感を帯びる茶水晶が揺らめいた。呆気にとられているルルーシュの歯列を舌先はあっさり割り、動けない舌に絡んでから離れていく。分離した唇の奥から銀糸がつながった。卜部の口元が堪えきれないと言ったふうに震えた。
「当たりか」
「――ハッタリか! 貴様ッ」
顔を背けながらも口元を覆う仕草はあくまでもしつけが行き届いている。堪えきれなかった笑いに卜部はヒィヒィと笑った。体を折るようにして笑う。
 「ルルーシュ、だから、省略して呼ぶなら前半だろうなたァ思ってたけど、ここまで正直に反応されるとは思ってなかったな」
「馬鹿者め! あてずっぽうなどと何という…! なん…」
「あんたの尾行の方がよっぽどお粗末だぜ」
返す言葉もない。ルルーシュは紅い唇をとがらせながら唸った。
「何故判った」
「目印があるときってなァ気が抜けるから案外バレるんだよ。それに」
卜部が体を折ってルルーシュと目線を合わせる。口の端がにやりと吊り上がった。
「あんたの視線を感じた」
ルルーシュは心地よい完敗にふんと鼻を鳴らした。不服を表しながらも心地よさを感じる。卜部の仕草や態度は己の未熟ささえ心地よくさせてしまう。そういう時点で負けていると思うのだがその不快ささえ薄れそうだ。閨においてルルーシュが攻め手であってもそれらは必ずしも関係での優劣とは連動しない。隙を見せれば卜部は容赦なく攻めるし優劣をひっくり返しさえする。それでいて肉体関係の受け攻めは変わらないのだから不思議だ。年若いルルーシュは卜部の手管に何度も翻弄される。ルルーシュが机の上で得られる知識を武器にするなら卜部はその経験で応戦する。適度な緊張感を帯びたこの関係は快感だ。
 卜部の手が動く。頬に触れる流れのそれをルルーシュは見逃した。穏やかだった手は身をひるがえすように機敏に動き、ルルーシュの額を指先で思いっ切り弾いた。びしっとおでこを弾かれてルルーシュが茫然とする。苦痛を感じない程度の微痛と幼稚な仕草にぽかんとする。ルルーシュが呆気にとられるのを見て卜部は噴き出すと大笑いした。独特の響きを持つ卜部の声が笑いに揺れる。
「なんだよ、豆鉄砲食らったみてェなツラして」
震える肩とにじんでいる笑い涙に揶揄されたのだとルルーシュは遅ればせながら知った。弾かれた額の余韻が染みてくる。ルルーシュは薔薇色の頬を膨らませてふくれっ面をした。子供っぽいのだと思う反面でルルーシュは卜部にそういった面を見せるだけの赦しを求めている。
 「あんたって、案外」
卜部の声が止まる。茶水晶が眇められる。口元が刹那に引き締まるがすぐに皮肉るようにつり上がる。卜部のこうした飄々とした仕草は斜に構える態度にもつながる。卜部を見ていればそれは判る。藤堂の方が余程まっすぐ信じているものがある。
「なんだよ。案外の後はなんだ」
団体における立場の惰性でルルーシュは年長の卜部に敬語を使わない。卜部の方でもそれを不快に思うとか直せとは言わなかった。その代わり卜部も敬語を省く。二人の粗雑な言葉遣いは長い親しみではなくそういった妥協の結果だ。
「別に? 案外…なァ」
卜部の喉がクックッと鳴る。猫のようなその仕草は独特だ。
「俺ァ素直な方が好きだぜ」
あんたみたいな、と付け足す言葉にわざとさらしさはない。卜部の言葉や態度には殊更に優位を表すようなことはない。嵩にかかることもないし負けている不愉快さえ感じさせない。それだけに厄介なのだと感じたのは卜部と寝た後だった。引き返すことなど出来ないほどルルーシュはその深みに嵌まった。
 「ふん、好きだと? そうだなオレも好きだよ。お前みたいなやつ。泣かせたくなる」
ルルーシュの白く細い指先が卜部の頤をとらえる。痩せている卜部の体はどこへ触れても骨格の存在感がある。注意深くたどれば歪みが見えてくるほどに明確だ。だがルルーシュはそういった体が嫌いではない。卜部の意識や感情の歪みさえ愛しいと思う。歪のない真っ当な感情などあり得ないし、そういった人物は逆に注意が必要でもある。ルルーシュは己の経験からそう定義する。ドロドロとした剥き出しの感情は貴族社会であったブリタニアではありふれていた。
「お前みたいに何でもない顔をして平然と暮らしている奴なんて泣かせて叫ばせたくなるじゃないか。懇願させたい。膝を屈させて額づかせてあなたのためにと誓わせてやりたいよ」
従属は込み入った手順を相手に強制したり踏ませたりするところに醍醐味がある。卜部がふんと哂った。卜部は日本の軍属として土にまみれた経験がある。それなりに不遇の時期もあっただろうし無理強いの経験もあるだろう。ルルーシュは懸命に卜部を見下ろす。それが虚勢だとどこかで知っている。
「…好きだぜ? ルル」
卜部の言葉はルルーシュの虚勢を呆気なく打破した。ルルーシュの表情にさえ動揺が走り、対応が遅れる。ルルという呼称の影響力に卜部の方が心中で驚いた。皮が剥けていくようにルルーシュの様子や空気が変わっていく。
「なッ、なんッ…ばか!」
ルルーシュは薔薇色の頬を真っ赤にして卜部を睨む。卜部の方も後には引けないから微笑でそれを受け流す。心中でその余波に舌を巻いた。
「馬鹿ってなァひでェな。なァ、ルル?」
ルルーシュの唇が紅い。濡れ光るようなそれは生まれ持った気高さを示す。紅い目元が目を惹いた。ルルーシュの皮膚は官能的な白さで血のめぐりはすぐさま知れる。
「この、ばか! 馬鹿、巧雪!」
ルルーシュの唇が紡いだ音はそれなりの衝撃を卜部に与えた。卜部の下の名前などゼロ足り得るルルーシュが知らぬわけはないし、卜部がこうしてルルーシュの愛称を呼ぶのだからその逆があってしかるべきなのだと知りながら、やはり狼狽した。そもそも卜部は仰々しいこの下の名を呼ばれた経験があまりない。省略するには短いがそのまま呼ぶには少し長い。ようするに不自然で手間のいるこの下の名前は呼称には不向きなのだ。そもそも日本人が呼称として使うのは所属である名字が圧倒的に多い。そんな文化とそういった条件の合わせとして卜部は下の名をこうまで感情を込めた声で呼ばれた経験がなかった。
「馬鹿巧雪」
動けない卜部を知らぬようにルルーシュはその名を連呼した。
「ばか、ばか! 巧雪ッ、お前はオレのことなど」
ルルーシュがそこで初めて卜部の異変に気付いた。卜部の引き結ばれた口元に変わりない。だが目元や耳朶が発熱したように紅い。それは照れを懸命にこらえているのだとルルーシュは遅ればせながら知った。不慣れは時に装飾を剥ぎ落して素をさらす。気付いてしまえばあとのことは何でもない。ルルーシュの朱唇が弓なりになる。形の良いそれは奇妙な迫力がある。卜部の方でもルルーシュが気づいたことに気付いた。だが取りかえす間を与えるほどルルーシュは人が好くない。
 「巧雪? なんだどうした? オレのうろたえは珍しいか? 巧雪」
卜部は黙って体を起こすと肩から力を抜く。口元を覆う手が落ち着き先を求めて彷徨う。
「…何でもねェ」
「そうは見えないんだが? 巧雪。オレはお前に何かしたかな。…こう、せつ?」
鈴の音のように軽やかな言い草のルルーシュに卜部は反論しない。
「こうせつ?」
卜部は黙って脇へ置いていた荷物を持ち上げる。ぞんざいな態度が照れ隠しであることが判るくらいにはルルーシュも卜部と交渉を持っている。卜部は型に収まらない柔軟さと同時に規定を了解している。どこか無骨であるように感じるそうした不具合でさえ愛おしく思う。ルルーシュは後ろ手に手を組んで軽やかに卜部に寄り添った。その足取りは軽く卜部の前後を移ろう。
「巧雪、どうした? ほらキスしてやろうか」
「うるせェ」
ありふれた身なりのルルーシュも卜部も人ごみに紛れてしまえば人目を惹くこともない。ルルーシュはつばのある帽子をかぶりなおしてちょろちょろと卜部にまとわりつく。元より卜部は十人並みの器量であり二人の個性は消え失せる。ありふれた絡み合いに埋没した。
 「巧雪、巧雪。お前が好きだよ。巧雪、愛してる」
ルルーシュは殊更に卜部の下の名を呼ぶ。耳慣れないその響きに卜部は顔を赤らめる。そういった不慣れさがルルーシュの情を呼んだ。年長でもあり受け入れる構えの卜部のそういった狼狽や乱れは優越感を感じさせる。
「巧雪」
卜部が不意にルルーシュに向かい合う。その唇が音を紡いだ。
「ルル」
ルルーシュは焦らすように卜部の背後へ回ると抱きついた。細い指先が卜部の脇腹を掴み、卜部の体が跳ねる。脇腹は刺激に対して無防備で、かつ鍛えにくい場所でもある。震えを帯びる卜部の耳朶へルルーシュは睦言のように甘く囁いた。
「巧雪、愛してる」
「うるせェ馬鹿野郎」
卜部が喉を震わせて笑う。こうした二人でしか通じない応酬や態度を交わすうちに情も芽生える。互いに端々にあらわれる表情や仕草で状況が推し量れるようにもなったし隠語も覚えた。二人の間でだけ通じるやり取りを公衆の場でやり取りする秘密性と気心とが優越をもたらす。
「巧雪、か」
ルルーシュの口元が緩んだ。卜部は疎んじるそぶりを見せながらも訂正したりはしない。互いに見せ合うのは綺麗な場所ばかりではないことをそれが暗示した。ルルーシュはステップを踏むように足を運んで軽やかに身をひるがえす。くるんと振り向くのを卜部は何でもない顔で見る。ルルーシュの髪は黒絹の艶を帯びている。紫苑の双眸が卜部を映す。卜部は丈もあって見栄えをする身なりをしている癖にその仕草が大衆へと埋没を誘う。だがそこがまた愛おしい。判るものが判ればいいのだという潔さがルルーシュにとって新鮮だった。ルルーシュの美貌はどちらかといえば大衆的だ。
「好きだよ」
「あァそうかよ、俺もあんたァ嫌いじゃねェぜ」
卜部が挑むように口の端をつり上げる。ルルーシュは卜部が抱える荷物を少し奪いがてらにキスをした。軽くなった荷物に卜部が肩を揺らし、二人で歩調を合わせた。


《了》

そうとう違うあらすじで書いている!(ちょっと待て) 事前にメモを取る意味がないぞ。(ウワァ)
ルル様も卜部さんも腹に一物ありそうなので書いていて楽しいです(笑)
わりと偏見と独断が満載です、すいませんごめんなさい(滝汗)
楽しかったです。後は誤字脱字がなければいいな…! なーんて…!    12/27/2009UP

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