ふとした折に
 薄れてゆく存在と増してゆく罪


   35:忘れてゆく僕らと忘れられてゆく僕らは、僕に無い全てを手にしていた

 権力の交代は細々とした事務手続きから武力面など七面倒なものまで大小にかかわらず変化がある。同じことをするのにも踏む手続きや通す機関が変わりいちいち手順を確かめる。同時に違う手順を不慣れにこなした案件が積もり積もって戸惑いさえにじむ。こなす者たちもこれまでと違う手順や慣習に明らかな戸惑いを見せた。藤堂は上層へ通すべきものと下から判断を仰がれているものとを何とかさばきながら忙しい日々を暮らしていた。それでも旧知の者たちが何とか暇を作って藤堂を帰宅させた。こうと決めたら藤堂の視野は己の体調さえ感知しなくなる。予兆を無視した揚句に藤堂がいきなり倒れることを黒の騎士団連中は経験している。現在の状況から見ても倒れる前に休めとなかば怒られながら藤堂は帰路についた。
 家の前まで送るという運転手に丁重に詫びと礼を述べて藤堂は公共の交通を使う。藤堂が幹部に属していてもそれはすなわち藤堂の知名度や認知度にはつながらない。ましてや軍力を担う位置など縁遠い市井の者が承知しているわけもない。藤堂は混乱を起こすことも巻き込まれることもなく帰りついた。構えだけは立派だと思う。居住に重きを置かない藤堂と言う主を抱えるこの家屋は傷みも早い。出来る限りで手入れはしているがそれでも人の住まない家は傷みやすいものだ。古ぼけた表札のかすれを放置してるところに至らなさを示されているようで藤堂は肩を落とした。潜り戸を抜けて玄関の施錠を解く。微妙な手加減の要るそれに集中する。三和土の隅にある二人分の履物が目につく。靴箱の中身くらい覗かなくても覚えている。隅に立てかけられている傘も二人分ある。藤堂は目を眇めてそれらを見やってから上がるとまっすぐ仏間へ向かう。通る廊下に面している唐紙や障子を開く。淀んでいた空気が流れ溜まった熱を奪って消える。
 奥座敷と兼用のそこには床の間の隣に親から継いだ仏壇がある。そこにはいくつかの位牌が並んでいる。夭折した藤堂の両親や四聖剣の名をいただいて戦ってくれた彼らのものだ。戦闘機で戦った彼らの遺骨はない。機体の爆発に人体が耐えるわけもなく帰ってくるのはロスト表示と他の仲間の証言だけだ。居住していた部屋に遺されていた私物を藤堂はそのたびに代理として処分した。そのうちのいくつかを藤堂は手元に置いた。親しみという感情以外に戒めの思惑もあった。彼らが命を亡くした戦場があるのだという縛りを藤堂は求めた。
 藤堂は正座したまましばらく鈴の鈍い輝きを凝視した。どうしても手が回らないつけのようにうっすらかぶっている埃と位牌は奇妙に同化した。動かせば明確に残る痕跡は藤堂の手出しを牽制しているかのようだ。濡れたように艶を帯びる。漆でも塗っているのか磨くほどに息づく艶は生きているかのようだ。薄暮さえ過ぎて月光の影が見えるようになって初めて藤堂は時間の経過を感知した。藤堂の目は庭を茫洋と見た。立ち上がろうと思うのだが脚は動かない。正座に慣れている自負と経験からしびれて立てないわけではないのだが体が動かなかった。藤堂は視線を戻した。先刻まであれほど鮮明に見えていた位牌はすでに暗闇と馴染んで身を隠す。
「…未熟だ」
こうした不意の出来事はぴんと張り詰めた藤堂の気持ちをくじいた。平素ならば何でもないと受け流すことがいちいち引っかかって、なおかつそれは藤堂の気を滅入らせる。なんでもない、自分で不用意に相手に対して行っているだろうことさえ藤堂の情緒を切りつける。
 傷んだ精神にうつむけた顔を藤堂ははじかれたように庭へ向けた。見慣れた服装の青年が立っている。適度に流行を取り入れたその服装に特筆事項はなく大衆に埋没する。色の抜けた赤褐色の短髪が彼が首を傾げるたびに揺れた。緩く巻いた癖っ毛と丸い碧色の双眸。見た目以上の能力を有している彼の才を藤堂は認めた。
「…スザク、くん」
「変わってないんですね」
藤堂の体は呪縛から逃れたように動きを取り戻し、なんなく立ちあがった。玄関へ回るスザクを迎え入れるために藤堂は足早になった。


 「御馳走さまでした」
スザクは箸を置くと挨拶を述べた。藤堂も同様の流れで食事を終える。藤堂が慌ただしく拵えた食事はあり合わせだったがスザクは文句も言わない。男二人分の食事であれば量もそれなりであったのが綺麗に片付いた。藤堂が空の器を流しへ下げる。その足でお茶を淹れて運べばスザクは礼を言って湯呑をとった。二人で静かに湯呑を傾ける。スザクは何でもない話題を持ち出しては別の話題を振る。藤堂もそれを受けるだけだ。もともと藤堂は弁が立つような性質ではない。だがスザクの方でも藤堂の返答が重要なのではなく話しているという行為自体が目的のようでもある。藤堂の灰蒼は幼いスザクを重映した。
 刹那に重なる人影に藤堂はひそかに狼狽した。たじろぐ藤堂の様子を感じたかのようにスザクの言葉が止まる。快活に笑んでいた口元が意味ありげにつり上がる。その笑みは朗らかさというよりどうしようもない哀切をもてあましているかのように戸惑っていた。

「藤堂さん、朝比奈のこと思い出しますか?」

藤堂の爪先から脳天までを走り抜けたのは戦慄だった。言葉さえなくうつむく藤堂は震える指先のまま湯呑を座卓へ置いた。スザクは喉を湿すように一息に湯呑を呷る。ごくごくと動く喉仏の様子さえ過敏に感じ取る。藤堂は顔を上げると微笑した。着替えることさえしなかった藤堂は公式の際に着用する服装のままだ。その藤堂とありふれた若者の衣服であるスザクが対面しているのはどこか不自然だが奇妙に馴染んだ。
 「思い出したいと思っている」
二人とも部屋の暗さを感じていたが照明をつけようとは言いださなかった。互いに見えない表情に安堵さえしていた。見たくないものや知らぬ方がいいことなど当たり前にあることを二人とも知っている。知ることの責任さえ承知している二人ともがそれぞれに抱える事情を有し、それが口を重くさせる。スザクは喉を鳴らして生唾を呑んでから口を開いた。
「思い出したい、って忘れているんですか」
藤堂からの返答はなかった。スザクは暗闇でさえ目が潤むのを感じた。忘れられない大切な人。息を止めるように決心して素早く顔を上げたスザクから藤堂は目を離していた。手入れされているとはいえない庭は灌木が茂り土の渇きや刈られていない芝を月明かりに露呈させる。
 藤堂の横顔は造形物であるかのように美しい。取った鼻梁や凛とした眉、引き締まった口元に灰蒼の双眸。かつて藤堂を慕っていたものとして具体的な点をスザクは列挙できる。だが藤堂本人はそうしたことを知らぬどころか気付きさえしない。時に止めたくなるほど藤堂は自分の体を粗雑に扱った。
「腹が減るだろう」
「え」
藤堂の灰蒼だけがスザクを見た。
「哀しかった。亡くした時はもうこれ以上悲しいことなどないと、涙することさえないと感じた。生きる理由もない。何があっても私はもう何も変化することさえないと思った」
言葉はスザクの胸をつけつけと射抜く。同じだった。言葉で表現できる感情など氷山の一角であることを知っているけれど、それでも藤堂の述べた言葉はスザクの心情に合致した。
「けれど時が経つと空腹を感じる。眠りたいと思う。このまま飢えて死んでもいいと言った私は食事をした。寝床へもぐりこんで夢さえちらつかせながら眠った」
「それは」
スザクの唇が引き結ばれる。
 「オレも同じ、で、す」
抱いたあの華奢で白い体をスザクは忘れない。濡れ羽色の黒髪も紫苑の双眸も忘れない。この手で貫いた体躯の感触を知っている。溢れる血潮の熱さも紅さも息を引き取る彼の蒼白い表情でさえも。けれどスザクはその感触さえ不鮮明であることを感じている。喪失は薄れていく。持続しない。潮が引くように消えて行くそれはどうしようもない感情だけ残して体は適応していく。それはどこか愛情に似ている。その刹那に激しく燃え火花さえ散らすそれは発火のように短く次の日には慣れている。スザクの頬をぽとぽとと雫が伝った。震える唇が笑いに歪む。

「ルルーシュ以外を抱くなんてできないと思ってた」

 藤堂の灰蒼は泣き笑うスザクを映す。年若い未熟さゆえにスザクの方が藤堂より反動は激しかっただろう。藤堂の方が知己を亡くす経験を積んでいる。だがそれでもきっと。
「君たちは仲が良かったからな」
藤堂はスザクと戯れる在りし日のルルーシュを知っている。初めのうちこそ揉め事を起こしていたが、それらの経緯を経た彼らの絆は深いものになった。
「藤堂さん、朝比奈のこと、忘れちゃったんですか」
 藤堂は曖昧に微笑んだ。ぽっかりと空間のあいた庭を眺める。朝比奈はよく庭に出てはちょろちょろとうろついていた。こそこそと何かを植えたりしているのを見ていたが藤堂はあえて咎めたりはしなかった。小鳥の落とし物と以前からの定住とを見分けられない藤堂は一緒くたに許可した。
「…忘れることなど出来ないと、思ったんだがな」
藤堂より丈も目方もなく、細い腕。眼鏡をかけている属性にのっとるかのように力押しには弱く表層を繰って事態を切り抜ける。機転は利くが時にそれが悪知恵になるのを知っている。食べ物の好みも偏っていて藤堂は朝比奈に何度も偏食するなと諫めた。細腕で藤堂を抱いて、ちらちら揺れる前髪を鬱陶しそうに払うくせに短くしたりはしない。そう言った日常生活のちょっとした思い出は気丈に暮らす藤堂の孤独を浮き彫りにして気をくじく。朝比奈が贔屓にしていた店舗を藤堂は思い出せない。この街のどこを朝比奈がどんな順路で歩いていたかさえ知らない。共に家を出ることも何度もあったはずなのに藤堂は朝比奈を連れて家を出ることを思い出せない。藤堂の日常生活の繰り返しは朝比奈の喪失をかき消し薄れさせていった。
 「藤堂さんでさえそれじゃ、オレが忘れちゃうの…しょうがない、かな…」
笑うスザクの顔はすぐさま口元を引きつらせるようにして泣く。それでも藤堂にはなんとか笑顔を向けようと苦心している。決意を何でもないことであるかのように軽く口にしようとしている。
「しょうがない、よね?」
「君のこれからは長い。……しょうがない、ことだ」
スザクが座卓に突っ伏して咽び泣いた。まだ完成に届いていない肩が何度も激しく揺れた。頭をかきむしるようにして指先が髪を引っ張る。スザクの言葉は何度も泣き声に消えた。しまいには泣きじゃくる声さえこみ上げる嗚咽に消える。しゃっくりのように繰り返すそれを止めることは容易ではない。昂ぶった感情も作用してスザクは何度も何度も呻いた。涙と洟にまみれた顔を何度も拭うが拭うそばから溢れている。
 スザクの態度は藤堂の要望そのものだ。藤堂も赦しが欲しい。けれど赦しが欲しいのだと知っているから乞えなかった。虚ろにそむけた視線の先に白い花が咲いている。その花が枇杷であると判った藤堂の脳裏を連鎖的に光景が駆け抜ける。

 庭先で何やらしている朝比奈を藤堂がいつものように見つけた。何をしているのかと問うた藤堂に朝比奈がにっこり笑った。
『枇杷の種、植えてみようかなって』
藤堂の表情が微妙に歪む。藤堂は淡々と枇杷は縁起が悪いから止めるよう諭した。枇杷は根付くまでに手間が必要で、植えた人が亡くなると実をつけると忌まれることもある。軍属という命を危険にさらす職業柄、不吉な連想は避けたかった。それでも朝比奈はふふんと笑って土にまみれた指先を払う。
『だからですって。オレが死んだら代わりに藤堂さんのそばにいるために。こうして庭先から見てるんだからね。忘れちゃってもいいけど、居ることくらい赦してくださいよ』

 藤堂の足が畳を蹴って履き物さえ履かずに庭先へ飛び出した。足裏に感じる芝や土は夜露を含んで湿っていた。渇いたように見えていた土は案外湿っていて足を蹴る動作で散らす土は重く落ちた。踏みつけるたびに草いきれを吐きだすように呼吸する。庭先の灌木のはかられたように空いた隙間に朝比奈は枇杷を植えていた。月明かりで発光しているように仄白い。成長の具合を見る限りでは実をつけるほど育っていない。それでも白い花はそこだけ時の流れから解かれたように花弁を開いていた。時期ではない。狂い咲きであると判じる藤堂の脳裏を朝比奈の影はみるみる侵食していった。
 「――…ッ」
わななく唇を噛んで震えを殺す。それでも大きな掌が両手で口元を覆うように隠すと反射的に俯いてしまう。涙するのを見られたくないという意識が藤堂の根底にあり、そうした動作を自然と取る。そうした折々に朝比奈が藤堂を諫める言葉が甦る。藤堂と立場を逆転させた朝比奈は何度も藤堂に泣き顔くらい見せていいんだと言い張った。
「しょう、ご」
見開かれた双眸はすぐさま眇められて過剰な潤みを雫としてこぼした。うつむけた位置からぽたぽたと滴る雫は湿った土に融けて消える。白い花弁に雫が散って月光をほろほろこぼす。白い花はまわりの季節など知らぬげに揺れた。小首でも傾げるかのように白無垢が夜闇に揺れた。
 藤堂の唇は手のひらの奥で言葉を紡ぐ。灼けるように熱い目の奥はびりびり痺れてどこからと思うほどに目を潤ませる。顔の奥は燃えるように発熱し目や耳といった器官の統御は一気に取れなくなる。どの感覚がどこの器官なのかさえめちゃくちゃだ。混乱した指揮系統は何とか築いた堰でさえ簡単に突破する。意識の外に追いやられていた感覚は充填され、混乱による発露ですべてを解き放つ。
「…――ぅあッ」
がくんと折れた膝を抱えて背を丸める。指先が痙攣するように震えた。とめどない涙が指先や手の甲を伝って膝や地面へ滴る。背後でスザクの泣く声が響いた。


《了》

なんというものをなんという時期に書いているのか!(あわわわ)
もう何番煎じだか判らない感じにベタベタな話で本当すいません(地面に頭ゴリゴリ)
でもスザルル書いたのこれがはじめてかもしれない(ちょっと待てどれだけマイナー)
枇杷のくだりは私が読んだ小説でそんな話があったなー的なうろ覚えが元です…確証なくてすいません(ペコペコ)
もっとちゃんと調べろって話です、すいませんごめんなさい。
誤字脱字あったらすいません(滝汗)           12/31/2009UP

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