君を待つ


   34:逃げることは諦めじゃない、諦めないから逃げるのだろう

 エリオットは所定の手続きを踏むと街路へ出た。貴族の子息が通うこの学校は家庭の事情による特例措置が認められやすい。歴史のある家庭ともなればそれなりに行事があり、学業だけを優先させるわけにはいかないことがしばしばある。エリオットは街路の端によると受け取った手紙を読み返した。差出人は義兄でヴィンセントと署名があるだけだ。この義兄は、エリオットにとってもう一人の義兄でもあるギルバートにしか興味がない。現にエリオットが受け取ったこの手紙にすら、ギルバートが手紙の一つも書いたらどうだと言うから書いた、などと記してある。頭は悪くないと思うのだが視野狭窄が激しい。エリオットはヴィンセントの視界に入ったと実感したことはない。
 エリオットは手近な荷物をまとめた鞄を抱えてとにかく家へ帰ろうかと腰をあげる。ヴィンセントの手紙をしまう拍子にもう一通の手紙が落ちた。エリオットの鋭い双眸が眇められる。こちらの手紙には差出人の住所も名前もある。所属名と住居のバランスがあっていないだけだ。名門貴族のナイトレイの名が絵空事に思えるような場所にギルバートは住んでいる。独立したなどと言われているが家を出ただけだ。ナイトレイの名は捨てていないし、縁を切ったり切られたりしたわけでもない。エリオットは舌打ちして手紙を拾うと隠しへ突っ込んだ。
 手紙の内容は覚えている。従者が席を外したおりや手隙の間に何度か読み返した。気が弱いギルバートの性質を示すように強弱のついた綴りが踊る。手紙を書いていながらそれを後悔しているかのようにおびえている。きちんと食事はしているかとか勉強で判らないことがあればヴィンスも俺も出来ることはするとか、短く己の近況を伝えた後にエリオットの学校の近くに立ち寄る予定があるから都合が合えば会いたい、と流麗な文字が震える。最後に迷惑だったらすまない、と文章は結ばれていた。
「馬鹿野郎」
エリオットが怒ったように足を運ぶ。ふつふつとわいてくる苛立ちはギルバートに会うたびに感じる。ギルバートは控えめだがその分相手の性質を引きずり出すのだと思う。ヴィンセントのようにその矛先が外を向いているわけではないのに、ギルバートに会うたびに己の未熟さや至らなさが浮き彫りになって逃げ出したくなる。出来ることなら逃げてしまいたいと思う。けれどエリオットは便箋一枚で足りる短い手紙に日付と時間、会う気がある旨を記して投函した。ギルバートからの返事は早く、了承してくれたことを感謝することと日付や時間の確認が控えめにつづられてきた。
 「…いねぇじゃねぇかよ」
エリオットがむぅっと唇を引き結ぶと荷物を置いて広場の噴水のふちに腰を下ろした。広場の中央部にある噴水ならばどこから来ても見つけてくれるだろうと言うつもりと見つけてもらえなかったら帰ってやるという腹いせとが含まれている。
「…ちくしょう」
していることは子供のダダと同じである。エリオットは頭を抱えた。ほらこうして、自分の未熟さが見えてくる。学校にいる間は判らなかった差異が明確に形をとって意識をさいなむ。学校の中ではエリオットはわりあい高位に属するだろう。それなりに発言権も在るしリーオという名の従者を抱えてもいる。何事か起れば報告に来る生徒すらいる。その自分が義兄たちに振り回されているのだ。明確な敵意を見せてくるヴィンセントの方がまだ始末がいい。嫌われている人間を嫌うことは簡単だし遠慮をする理由も必要性もない。だがギルバートは違うのだ。ギルバートはエリオットを嫌ってなどいないと言うし、エリオットが避けているだけでギルバートはこうしてまめに手紙をくれたり体調を心配してくれたりするのだ。危害を加えていない人間に危害を加えるのは存外骨が折れるのだ。
 「くんな。帰るからくんな。…ギルバート」
「エリオット!」
びくんっとエリオットの肩が跳ねた。緩く癖がついて巻いた黒髪が日差しに艶めく。双眸は琥珀の艶を宿す金色でその対比は鮮やかに人目を惹く。黒い服を好んで着るが蒼白いような皮膚と相まって白黒の絵画でも見ているようだ。その顔が遠慮がちに微笑する。長い手脚で優美に歩くギルバートが頬をかいた。
「…悪かった、待たせた、か?」
「別に待ってねぇから謝んな」
ギルバートは困ったように笑うとエリオットの手を引いた。
「喉が乾かないか。美味いコーヒーを入れる店があると聞いたから、行こう」
ギルバートの手が自然な動きでエリオットの鞄を持ち、その手を引く。思わず引かれたままになりそうになるのをエリオットが必要以上の力ではねつけた。驚いたように目を見開くギルバートにエリオットはそっぽを向いた。
「ガキじゃねーんだから手なんか引くな。ウゼェ。鞄くらい持てる、返せ」
思い切りはねつけておいて即座にそれを後悔した。もっとましな言いようがあるだろうし年少のものにそんな態度を取られて気分がいいわけがない。唾を呑んでから視線を戻したエリオットにギルバートは微笑した。
「悪かった。俺の…俺の知っている人はいつもこうして妹の手を引いていたから兄弟って言うのはそういうものなんだと思ってた…押しつけて、悪かった」
「謝んなっつってんだろ! ウゼエ。…どこだよ」
小首をかしげるギルバートにエリオットは鞄を奪い返した勢いのまま問うた。
「コーヒー入れる店行くって言っただろ! どこ行くんだって言ってんだよ!」
ギルバートがくすくす笑ってこっちだ、とエリオットの進行方向と逆を指した。エリオットが足音高くギルバートを引きずった。


 コーヒーを目の前に置かれる。女給にチップを手渡す仕草が慣れている。ギルバートはこういう店によく来るのだろうかと勘繰る。そもそもエリオットの様な年少のものとこんな時間にいていいのか、と心配する。いくら学生服を着ているわけではないとはいえエリオットはどう見てもギルバートより年少だし経済的にもまだ親の保護下にあることが判るだろう。ギルバートがどこに勤めたのかは聞いてはいるがそこの特殊性を考えても、学生である年齢にしか見えないエリオットと昼間っから連れ立つのはどうかと思うのだ。ギルバートは熱いコーヒーをふぅふぅ冷ましている。どちらが子供か判らない。
「おいテメェ」
ギルバートが目をあげた。潤んだように煌めく金色は嵌めこんだ宝石のようだ。
「オレに会う理由はなんだ。な、なんか、あったのか」
従者の助言が役立った。会話が切れてしまったら相手の近況を訊けばいいよ、君も知りたいでしょ? 訳知り顔に言った従者の声がこだます。
 ギルバートがへらっと笑った。外套の隠しから煙草を取り出す。
「吸ってもいいか? 禁煙しようと思っていたんだけどやっぱり駄目だな。気付いたら咥えてた」
エリオットは喫煙が可能に分類されている席であることを目線で確認してから、好きにしろと言い放った。ギルバートは苦笑しながらライターで器用に火をつけた。すぅと吸った息を数瞬の間をおいて紫煙ととも吐き出す。ギルバートは返答を考えているようだった。ギルバートはけして機微に疎いわけではないし感受性もそれなりにあるのだろうに、そういった諸々がすべて裏目に出る性質だ。酒にも弱いのだとヴィンセントがほざいていた。
「お前に会う資格なんて、俺にはないんだろうな」
エリオットの喉がぐぅと詰まる。熱くて重苦しい何かが喉を詰める。何か言ってやりたかった。
「ヴィンスとはよく連絡を取り合うけどお前とはなかなか連絡も取れないし…はは、嫌だろ、学校に兄弟から手紙来るなんて」
ギルバートは肩を震わせて笑うと煙草の灰を灰皿に落とした。
「エリオットは…お前は、手のかかる性質じゃないし。俺が何かしてやる必要なんてないし…ナイトレイから、俺は逃げた、んだろうな」
遠くを見るギルバートの金色が遠い。エリオットは浅葱色の双眸を眇めた。亜麻色の髪を短く切って額もあらわな少年らしい身形だ。それが徐々に怒りをまとう。

「でも、逃げるのはきっと戻ってこれるからなんだ」

エリオットの目が見開かれた。ギルバートは手元に落とした目線のまま言った。煙草を咥える唇の紅さが目に付いた。何度か吸った後にふぅと息を吐く。
「きっとここでならもう一度立ち上がろうと思える、ここなら。ヴィンスやお前が…エリオットがいてくれるからきっと。そういう諦めの悪さで俺は逃げているんだと思う。人が…誰かがいてくれるっていうのはそう言う、嬉しさって言うか…ありがたみみたいなもの、があるんだ」
ギルバートの目が悲しみに揺れる。
「いつか戻ってくる。だから今だけ逃げるなんて…言い訳だな、ごめん」
泣きだしそうな顔でギルバートが笑う。エリオットは今すぐ胸を開いて何もかもぶちまけてやりたかった。

泣くな
オレを、オレを腫れものに触るみたいに触るな

「あやまんな! オレは、オレは…ッ」
エリオットの拳が円卓を思い切り叩いた。倒れそうになるカップをギルバートが素早く抑えた。円卓の上でエリオットの手がふるふると震えた。ギッと睨めつける浅葱色が濡れていることをギルバートは言及しなかった。
「お前がッ、戻ってきてくれ、るなら……ッな、なんでもない! 好きにしろッ! 馬鹿者が!」
エリオットが乱暴に目元を拭うと席を立った。ずかずかとやみくもに歩を進める。目の奥がじんじんと熱かった。やるせないような切ないような気持ちには覚えがある。まだ年少だった頃合い、いつも偏食するヴィンセントばかり構うギルバートを不憫に思ってヴィンセントの避けた惣菜を平らげた。当然食べすぎで腹を壊した。ギルバートに気付かれては意味がないと気を張ったのもよくなかった。自分の努力が空回りする。当然のようにギルバートを独占するヴィンセントが苛立たしかった。
 「エリオット!」
睨みつけるように振り向けばエリオットの鞄とコーヒーを抱えたギルバートが外套の裾をなびかせて追いついたところだった。
「ほら、コーヒー。美味いのに、お前手をつけていなかったから」
白い頬を熟れた林檎のように上気させてギルバートがふぅふぅ言っている。
「…馬鹿か、てめーは」

「言い忘れてた。待っていてくれるって、お前が。お前が待っていてくれるから、だよ」

へにゃと笑うギルバートにエリオットが赤面した。無防備で庇護欲をそそり、それでいてどこか目を惹く。
「うっせー!」
エリオットが鞄を奪うとコーヒーを一気に呷った。空になったカップを近くの屑籠へ放る。
「…か、鞄、ありがとう」
ギルバートは目を瞬いていたが耳まで真っ赤になって照れ臭そうに笑った。
「…こちらこそ」

オレが待っている
お前が帰ってくるのを
帰ってこれる家にして待っている

大好きな、お前が

「…バー…ッカ」
エリオットの口元が笑った。ギルバートの手を取る。握りしめた手はほんのりと温かく。

子供の頃、腹を壊して寝込んだエリオットの枕辺に、ギルバートはヴィンセントを退けてまで付き添ってくれたのだった。エリオットは目を覚ました時、間近に見えた黒髪も金色も忘れたことはない。へにゃっと笑う、あの顔も。


《了》

何度ギルフォードと打ったことか!(それギアス…)
エリ×ギルって言うよりエリ→ギルみたいですね…エリギルエリ?(訊くな)
いやもうエリオットかわゆいんだって、ギルもかわゆいけどvv
なんだもうこの一発すればすっきりするだろう的な発散方法☆←ばか…
すっきりしたよー!
どっかでギルバートのことギルフォードって打ってるんじゃねぇかなぁとおもう…
誤字脱字ありませんように(いつもある)       09/04/2009UP

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