その、刹那の


   31:何にリアルを見出すかなんて、その人の自由なんだよ?

 ギルフォードは半ば強引に招かれた部屋に生花があるのを見た。勝気で男性的な印象の強いコーネリアだがこういうところは女性なのだと思う。ギルフォード自身、花など嫌わないが殊更に好みもしない。部屋に飾るのは構わないが維持ができない。そういうところはやはりガサツなのだと了解している。
「ギルフォード」
声をかけるコーネリアはいつになく威圧的だ。ギルフォードは唇を引き結んでコーネリアの瞳を盗み見た。主従関係を築く以前からコーネリアの方が絶対的に高位であり、目線を合わせるなどもってのほかだ。
「お前はいつも私によくしてくれている」
ありがとうございますと礼を言って立ち去りたかった。彼女の声色は明らかな優位とそれに基づく相手の了解を踏まえている。ギルフォードが拒否するなど考えてもいないのだろう。
「だから、今も私の我儘を聞いてくれないか?」
コーネリアの要求は明らかだ。ギルフォードはうつむくとサイズの合わなくなった靴先を凝視した。ズボンも上着も丈や袖が余るありさまだ。
「女になったお前も可愛いな」
ギルフォードの指先がぐぅとこぶしを握る。平坦であったはずの胸は小さく隆起していた。
 「早く見せてみろ」
コーネリアの瞳がきらきらと輝いているのは嬉しいが状況的には全く嬉しくない。ギルフォードはうぅとかあぁとか呻いて後ずさった。おずおずと上着の留め具を外す。襟が開いて首から鎖骨へかけてのなだらかな丘があらわになった。小ぶりだが鳩胸でありその貧弱さを感じさせない。コーネリアは焦れたようにギルフォードの上着を脱がせた。つんと外を向いた先端は誰の手も入っていない。
「小さい…だがお前らしいというか…カワイイ」
ふにふにと揉んだりして矯めつ眇めつしているコーネリアに他意はなくそれが余計に厄介だ。
「ひ、ひめ、さま。こんななりではいられません! 薬の入手先はどちらですか、解毒薬を調達してまいります」
「ロイドだ。なに、効果持続時間は長くもないから放っておけば自然に治ると。はぁ、本物だな。やわらかい…」
ギルフォードは本当に目眩がした。日々の務めを終えて眠るだけだと寝台に潜り込もうとしたところでコーネリアの無理矢理の呼び出しだ。女性を訪う頃合いではないと突っぱねるのを無視してコーネリアは絶対に来いと言い、そこへのこのこ出向いたギルフォードを待っていたのは女性化である。身長が縮み目方が減り、胸が膨らみ腹がくびれた。当然衣服のサイズは合わず、体力でもってこの場を切り抜けるのは非常に困難になった。走力が落ちているうえに袖や靴がまとわりついてまともに走れない。
 コーネリアもゆったりした部屋着を着ておりそのメリハリの利いた体つきがあらわではないのが唯一の救いだ。
「下はどうなっている? 脱いでみせろ」
「ひィッ」
ずるんとズボンを下ろされそうになってギルフォードは必死に抵抗した。たとえ体が女性化していようともそのありようは男性なのだ。一朝一夕に意識が切り替わるはずもなく、ギルフォードの華奢な体を羞恥の炎が灼いた。
「やッ、止め、止めてくださいッ! ひィいッ」
ギルフォードの眼鏡がずれた。奥で瞬く瞳が心底困っている。常々冷静で動じないギルフォードの醜態にコーネリアの気持ちが浮き立つのを感じた。細くて白い指がベルトとズボンを掴んで脱がされまいと必死だ。薄氷色の双眸は潤んでゆらゆら揺れた。
「…ギルフォード…」
「コーネリア、起きているかい?」
「お姉様」
がちゃ、と扉が無遠慮に開かれる。コーネリアはその時初めて扉に施錠していなかったのを思い出した。女中たちに口止めもしていない。兄であるシュナイゼルと妹であるユーフェミアが女性化したギルフォードにばっちり焦点を合わせた。ギルフォードの白い皮膚が耳や首筋までみるみる紅くなっていく。叫びだしそうになる唇を噛んで必死に声を殺している。ユーフェミアはぽかんと見ていたがシュナイゼルの方は動揺もしない。ギルフォードの喉を甲高い悲鳴がついて出ると胸を腕で被ってしゃがみこんでしまった。黒褐色の長い髪がサラサラ流れて幕のように垂れた。
「ひめさ、ま。お願いです、後生ですから、も……もう引き取らせてください…!」
「おや帰ってしまうのかい。せっかく可愛らしいのに」
シュナイゼルは当然のように言い放つ。ギルフォードは気絶寸前だ。女性化するなど油断が招いた失態の上にそれを衆目に見られるなど羞恥の極みである。無垢に驚くユーフェミアの視線が痛い。
「かっ可愛らしくなんてないですが!」
「だ、大丈夫です、可愛いです!」
ユーフェミアはその細い腕でガッツポーズをして見せたがなんの助けにもなっていない。コーネリアとシュナイゼルはギルフォードを見てこそいるがその思惑が計り知れない。
 「だいじょうぶです、ギルフォードさん。とってもかわいいですから」
何が大丈夫なのか知りたいくらいである。膝を抱えて丸まってしまうギルフォードの涙腺は崩壊寸前だ。ユーフェミアは慌てて膝をつくと慰めるようにおろおろした。涙に弱いのはこの皇女の欠点でもあるが美点でもある。
「コーネリア、おいたが過ぎるよ。泣いてしまっているじゃないか」
「兄上だってロイドと組んでいろいろしていると聞き及んでいますが」
「やれやれ」
シュナイゼルは肩をすくめるとギルフォードのそばへ屈んだ。大きな手が育ちの良さからくる非力さを裏切る力強さでギルフォードを抱き上げた。脇に手を入れてひょいと抱き上げる。
「?!?!」
声もないギルフォードを両腕ですくう様に抱き上げる。膕を指先が撫でた。
「この子は預かるからね。皇女と騎士とはいえ異性なのだから」
コーネリアは肩をすくめた。シュナイゼルは温厚だがいい出したらきかない。物腰が柔らかいのを自覚してゴリ押しする。ユーフェミアは固まってしまったギルフォードとコーネリアとを交互に見た。
「おやすみ」
「…――っお、下ろしてくださいッ!」
ギルフォードの靴がかぽかぽ揺れた。


 「それにしても相手がコーネリアだと君は簡単に引っかかるのだね」
ギルフォードは黙ったままだ。とす、と寝台の上に下ろされる。
「どういう、意味ですか」
「裏を探ったり察知したりするべきだと言っているのだよ。ロイドがいくら変わり者でも皇女に早々特殊な薬の出来を吹聴したりはしないというものだ」
ギルフォードの薄氷色の目がシュナイゼルを凝視した。シュナイゼルはゆったりと微笑を浮かべる。
「…まさか、あなたが情報を」
「なるほど、世の中はチェスのようにうまく運んでくれることもあるのだと判ったよ」
シュナイゼルは素早い動きでギルフォードの唇を奪うと押し倒した。上着はコーネリアに脱がされたままで、上体には何も纏っていない。小ぶりなふくらみがギルフォードのおののきを示すようにかすかに震えた。
「や、め…止めてくださいッな、んでこんな」
離れていく唇は水気を帯びた果実のように張りがある。シュナイゼルはくつくつと喉を鳴らして桜色の爪をした指先をギルフォードの唇に這わせた。
「さぁどうしてだろうね。私の種でも宿してもらおうかな」
しなったギルフォードの腕がシュナイゼルの頬へ正確に平手打ちを見舞った。
「お戯れが過ぎます」
シュナイゼルは腫れていく頬を何とも思っていない仕草でギルフォードの肩を押さえた。
「必要なのは正確性ではなくその場に必要とされているかだよ。…何を本当にするかは個人世界の範疇だ。だからね」
シュナイゼルがギルフォードの唇を噛んだ。びきっと千切れるような音がして燃える痛みと脈打つ流れが意識を埋めていく。反射的に唇を舐めてびりっと走った痛みに顔を歪める。舌先に滴るほど感じるのは鈍い鉄の味だ。
「平手打ちの礼だよ。まったく、手加減もないのだからね」
ギルフォードの手首をシュナイゼルはつかんだ。

「今、君が女性であることも『ほんとう』なのだよ」

「――嫌です! 私はコーネリア皇女の騎士、で」
「私の情人でもある」
ぎくんとギルフォードの肩が揺れた。潤みきった薄氷から堰を切ったように涙があふれた。震える紅玉の唇を噛みしめて嗚咽をこらえる。声をあげて泣くのはギルフォードの矜持が許さなかった。
 「私は君を泣かせてばかりいるね。けれど泣いている君も笑っている君と同じくらい愛おしいよ。笑い声の代わりの泣き声は禁忌を犯す特別性だ。禁断の果実の味だよ」
「…殿下は、私がお嫌いですか」
ギルフォードの言葉にシュナイゼルは驚いたように勿忘草色の双眸を瞬かせた。練色の髪といい、シュナイゼルを構成する色素は薄く、白皙の美貌だ。体温の通わない彫像の白さが真実であるという錯覚は時折ギルフォードの中で淀んだ。シュナイゼルの命令は冷静で情などない。惑いもしない。物腰も柔らかく穏やかで温厚。シュナイゼルが他者を拒絶したり嫌悪したりしているところなど見たこともない。
「馬鹿なことを言うね。嫌いなら君を抱いたりするものか」
シュナイゼルは頭もいい。相手が何を望んでいるか素早く察知する。勘がいいのかもしれない。それでいて押しつけがましくもなくあくまでも自然だ。
 ギルフォードは眼鏡を取ると脇に置いた。細くて華奢な肩が震えている。その体を落とすためにシュナイゼルは甘い毒を紡ぐ。勝つことと負けないことはイコールではない。シュナイゼルはそれをよく知っている。

「あいして、いるよ?」

ギルフォードはゆっくりと笑んだ。安堵したような力の抜けるような笑みにシュナイゼルは完遂を思った。その刹那、ギルフォードは再度、シュナイゼルに平手打ちを食わせた。

 「これが私の、ほんとうです」

ギルフォードは軽やかに寝台から飛び降りるとシーツを奪って部屋から駆けだしていった。長い黒褐色の髪と白いシーツのなびきがぼんやり名残を起こす。座り込んだまま茫然としていたシュナイゼルは次第に肩を揺らして笑いだした。シュナイゼルの王手をギルフォードは最後の最後でひっくり返した。
「まったく、同じところを二度も。…あぁ、切れてしまったじゃないか」
ピリッと染みる傷を舌で拭う。二度目は完全な不意打ちだったせいか、歯を食いしばる用意もなく口の中を切ったようだ。置き忘れられている眼鏡を取りあげる。鋭角的なフレームは容易に馴染まないギルフォードの性質のようだ。
「きちんと理由を残していくのだから、甘いね」
シュナイゼルは敷布を剥がれた寝台に腰を下ろした。眼鏡をかけてみる。伊達ではなく度が入っていた。くらりと歪む視界に瞬きを繰り返した。

くらくらと甘く歪むせかいが
ほんとうのせかい


《了》

これ、位置取り変えないでディート×藤堂でも出来たな…(?!)
あえてギルフォードか…しかも女体化とか意味あんのか☆(笑)
微妙にお題からずれつつある(直せよ)
それでもアプる。誤字脱字ありませんように。恥かしい。        08/18/2009UP

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