好きです。
 でも
 嫌いです。


   21:加速してゆく僕らの絶望はやがて光すらも超えて

 交渉で疲れているはずの体は限界でそれでも考え事で飽和した頭が休息を遠ざける。割り切れない感情も気怠く重たい四肢も今にも力が抜けていきそうなほどに疲れた体も、何もかもが妙に鮮明で眠りが訪れてはくれない。交渉は下手な運動より熱量を消費して疲れもたまる。まして慢性的な人手不足に置かれているこの非合法団体は人使いも荒く、寝台に潜り込むころには意識は半分飛んでいる。その上での交渉なのだから単純に考えて泥のように眠りこけてもおかしくない。
 卜部は倦んだような眼差しを寝台の上で毛布にくるまる藤堂に向けた。全室冷暖房完備、といかないので換気は自然の風に頼るしかない。対策としてカーテンを閉めて窓は隙間を開けている。換気孔は全開にしてあるが焼け石に水だ。運動の名残で体温の上がった体は黙っていてもじとりと汗がにじんだ。
「すまない」
唐突に響いた声は静謐で暑さを感じさせない。卜部はわざと数瞬の間をおいた。ただたんに不眠の腹いせでもある。卜部がこうして飽和した考え事にとらわれて眠れなくなるのは決まって藤堂と交渉を持った夜なのだ。
「…別に」
卜部は探り当てた下着とズボンを引っ掛けた。決まり切った動作であるそれは視界が暗闇で埋まっていてもこなせる。藤堂が言葉に詰まる。もともと藤堂は言い合いや諍いが苦手な性質だ。実害を被るのが己のみであるならばこらえてしまう。
「あんたァ何に対しての謝罪っすか、それ。俺があんた抱くことか」
卜部の言葉に藤堂が黙る。藤堂の沈黙はいい兆候ではない。卜部は口元を引き結んで耐えた。上着を探す指先がこつんと触れた。無機的に冷たく馴染みのあるそれ。藤堂がカーテンを開け放った。仄白いような月光が藤堂の体を刺し貫く。灼けた皮膚が白濁を帯びて発光しているように見える。鳶色の髪が透けるように煌めく。灰蒼の瞳が宝玉じみて美しく、人の手が入っていない天然もののようだ。人造物めいて美しく、それでいて干渉を赦さない。口の端がわずかに動く。幼子の正論を聞くときのような困ったような顔をする。相手の正当性を認めながら従えぬと知っている。
 卜部は黙ってそれを取り出した。手の平でもてあそぶのを藤堂が顔をしかめて注意する。
「卜部、それは容易にいじっていいものではないはずだ」
「はぁ、そうっすね」
が、ちゃんと卜部はそれを藤堂に向けて構えた。藤堂はその双眸を見開いたがそこに恐怖はなかった。ただ、相手が卜部であるという意外性に驚いているだけだった。
「こうすりゃあ、いいっすかね。本来の使い方でしょう」
卜部は殺意も害意もなく拳銃を構えた。ごり、と銃口が藤堂の額につきつけられる。骨に直接触れるように強く、卜部は退かなかった。藤堂は黙った。時計が時を刻む音がする。遠くで海鳴りのように誰のものかも判らぬ囁きがこだまする。夜に特有の匿名性は個性を埋没させる。夜半であるという時間帯は昼間のように素性をあらわにしない。誰もが誰でもない。すれ違う人影に不意に驚かされるのはこういう頃合いだろう。それがなんであるかは判るのに誰であるかは判らない。
「撃たないのか?」
こともなげに藤堂は問うた。穏やかに微笑しながらその眼差しから友好的な何かが薄れていく。その喪失を卜部は寒気立つ思いで見た。全身に鳥肌が立つようなそれはぞくぞくとして心地よい。急速に失われていくそれの名残にすがりつきたくなる。それでもそれがなくなったときを見たくて、卜部は何の行動も起こさなかった。
 藤堂のそれがふぅと緩んだ。糸が切れたように茫然とする卜部に藤堂は優しく微笑んだ。友好性を失った時の藤堂の敵意の恐ろしさが今頃になって身にしみる。全身のありとあらゆるところから汗が噴き出した。呼吸も自然と忙しなくなった。浅く速い呼吸を繰り返して喘ぐ卜部を藤堂は憐れむような眼で見た。
「冗談だ」
卜部は拳銃を下ろせなかった。動くことなどできなかった。
「殺意もないとはさすがと言うべきなのかもしれないな」
藤堂は何でもないように笑った。銃口は冷たくそこに息づいている。卜部の指先が撃鉄を起こす。それでも藤堂は恐怖しない。むしろ望むかのように挑むように微笑んだ。藤堂は刀を握ったこともある実戦経験者だ。人の纏う気配に敏い。その藤堂が殺意がないと言うならそうなのだろうと卜部は他人事のように思った。
「殺意があれば、それなりに応じようと思うのだがな」
そううそぶく藤堂の微笑は美しくそれゆえに恐ろしい。
 「それっこそ冗談でしょう。あんたに対応されたら太刀打ちできねェ」
嘲笑う指先が揺れた。震えが引き金を引く、そう思うだけで指先一つ動かせなくなる。それでいて指先は理由も判らない震えに揺れた。照準が定まらない。おののく卜部を試すように藤堂の指先が伸びた。
「撃てば、いい」
しなやかな指先が揺れる銃口を額に固定した。卜部の喉がヒュウッと呼気を鳴らす。頤から冷や汗が滴る。あらわな喉や胸をにじんだ汗が伝う。それを追うように藤堂の目線が揺れた。
「撃たないのか?」
言葉もない。引き金を引けば終わりにできる、何もかも。けして手にとってはならないそれは、禁断の果実。
「――ッ!」
バッと振り切るように卜部は拳銃から手を離した。握りしめた手の内に汗がにじんでいた。拳銃を持った藤堂は無垢な幼子のように卜部を見た。卜部が目線を逸らす。
「撃てば、いいのに」
藤堂の唇から漏れた音に卜部は目を眇めた。藤堂が銃を置くその音がごとりと重く響いた。
「――あ」
卜部の掠れた喉を激昂がほとばしった。
「あんたァ何考えてんだッ!」
藤堂はわずかに目を眇めただけだ。憐れむようなあの優しくて残酷な眼差し。絶対的に離れているからこその優しさ。憤る卜部を不思議そうに藤堂は見つめる。卜部は憤っているのかどうかすら判らずに感情をもてあました。
「怒っているのか」
「さァね、判りませんよ全然。少なくともあんたのそれには怒ってるんでしょうね」
吐き捨てるような卜部のそれに藤堂は無邪気に困ったような表情を見せた。
 卜部の茶水晶がきょろっと藤堂を睨めつける。藤堂はそれにすら臆すことなく受け止めた。潤んだような灰蒼に映り込む自身を認めて卜部は何とか怒りの矛先を収めた。藤堂に銃口を向けた恐怖と困惑が襲う。もうあと数瞬で藤堂を永遠に喪うところだったのだ。藤堂を守りたくて欲しくて、そのためには何があっても構わないのだと極めていたのに。自身のそれで失うところだったのだと冷や汗がにじんだ。
「お前の向けた銃口だ」
「そうですね、俺が馬鹿だったんですよ。あんたも止めてくださいよ」
理不尽を押し付けている自覚がある。それでも藤堂はそうか、とだけ言った。
「お前になら、撃たれてもよかったのだが」
「殴りますよ」
寝台の上で毛布にくるまったまま無邪気な様子で放たれた言葉に卜部が眉を寄せた。藤堂の唇がほんのり紅い。微笑したようなその口の端が引き締まって美しい。行儀悪く胡坐をかいているのに見苦しさなど微塵もなくただ鮮烈に美しい。降ってくる月明かりは槍のように藤堂の四肢や体を刺し貫く。仄白いそれに照らされたそれらはひどく美しく作り物めいていた。
 「私は私など要らぬ。殺されてしまうなら、それでもいいと」
「次に言ったら殴りますから」
藤堂は振り仰ぐように月光を見た。卜部の言葉がけして届かない場所に藤堂はいる。灰蒼を潤ませて眇めて、藤堂ははるか天空から降り注ぐ月明かりを見た。切りつけるように鮮烈なそれが四肢を、体躯を貫き通す。
「私が生きる意味など、どこにある、のか」
ばきっと音がして藤堂の頬を打撃が襲った。卜部は言ったことを実行した。藤堂はくふんと哂った。
「言ったでしょう、殴るって」
藤堂の頬が腫れていく。成人男性の加減もない一撃はその痕跡を鮮明に残す。藤堂の片頬からほどなくして感覚が消えた。ぼんやりと腫れている感覚と鈍い痛みだけがある。舐め拭った口の端は切れていて血の味がした。
「容赦ないな」
「事前に言ってあるんで。すいませんけど手加減してないっす」
「私は殺されてしまいたいのに」
藤堂の喉を卜部の手がぐぅと押さえた。喉仏が内側に食い込んで痛く苦しい。けほっと咳き込むのを卜部は冷たく見下ろした。
「…それ、俺が言いたいんですけどね」
藤堂は驚いたように卜部を見た。卜部は苦笑するように口の端をつり上げた。
 「あんたが死にたいって言うなら生かすために全力注いでやる。あんたが俺を殺したくないって言うなら死んだっていい」
卜部の瞳が危険に煌めいた。ありふれた、それでいて稀有な煌めき。藤堂は息が詰まるのを実感した。

「あんたの望みを否定してやる」

明確な拒絶。あんなにも融けあった体で、だからこその明確な。藤堂は口元を歪めるように笑んだ。指先が卜部の喉を這いずる。鎖骨あたりでわだかまっていた指先が喉をたどり頤を撫でる。藤堂はすがるように泣き出しそうな眼をした。潤みきったそれを卜部の無機的な双眸が映し出す。藤堂の口の端が吊りあがった。
「お前が好きだ」
互いに噛みつくようなキスをした。


《了》

超ムリヤリお題!(じかくがあるようだ)
すいません、こういう後味悪い話大好きッす(待て待て待て)
これ、どう説明するべき…?!
とりあえずもう誤字脱字がなければそれでいい(最低ライン)    07/26/2009UP

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