心の折れる、音がした


   14:失った痛みだけでも残っているだけましでしょう?

 藤堂は通りを歩きながら息をついた。ルルーシュという少年皇帝の終焉とゼロの再来と英雄化は事後処理を山積させた。取り戻した力に見合うだけの手続きはそれなりに量があり、藤堂はなかなか休めなかった。黒の騎士団という非合法団体であったころからの藤堂はそれなりに重要な位置に置かれた。戦闘でも重要な役割を割り振られたりした藤堂は立場上、知りませんでしたではすまぬ話もある。帰宅するだけの間がなく、設えられた仮眠室で仮眠をとり、すぐさま次の手続きをこなすという激務をやってのけるしかなかった。それでも何とか苦心して間を作ると藤堂は懐かしい自宅へ帰ってきた。藤堂の自宅の距離と立場を考えた周りが新しい家をあてがおうとしてくれたが藤堂はそれらすべてに頭を下げて断った。藤堂の家は確かに古く、遠い。これからの忙しさなどを考え含めると彼らの考えに従うほうが利口なのだと判っている。
 古びた構えの門にもたれて立っていた少年が藤堂の姿を見て背中を離す。藤堂よりよほど小さい背丈の彼に藤堂は息を呑んだ。濡れ羽色の黒髪。白皙の皮膚にこぼれおちそうな双眸は紫水晶。紅く色づいた唇がふぅと動いて玲瓏とした声を奏でた。
「久しいな、藤堂」
「――き、みは」
思わず足を止める藤堂の腕を媚びた様子で引く。潜り戸を蹴り開けるように開く傲岸さは変わっていない。
「何だ、もてなしくらいしてほしいものだ。オレと会うのは、久しぶりだろう…?」
「る、る」
白い指先がツンと藤堂の唇をつついた。ルルーシュは意味ありげに笑うと藤堂をせかした。
「ほら、早く開けろったら。ずいぶん待たせる。情報統制はさすがだな。お前の家をつきとめるのにそれなりに時を要したぞ。さすがは、ゼロといったところだ」
藤堂は思考を半ば放棄しつつ潜り戸を開いてルルーシュを通す。飛び石を足早にたどって隠しから出した鍵で施錠を解く。ルルーシュは遠慮せずにあがりこむ。わざと脱ぎ捨てた靴もそろえない。藤堂が身をかがめてそれを直してからルルーシュに従った。換気のために唐紙や障子をあける。立てつけの悪い硝子戸が耳障りな音をたてて揺れる。いつの間にか夜半になっていたらしく薄闇が流れ込んでくる。湿気た空気が流れだしてから藤堂は改めてルルーシュを探した。
 ルルーシュは仏間に入り込んでいた。そこには藤堂が親から継いだ仏壇がある。信心深い性質だと思ったことはないが習慣として掃除や供え物くらいはした。留守がちなので線香は器があるだけだ。蝋燭立も空になっている。ルルーシュは慣れた仕草で膝をつくと手を合わせた。しばらく静かな時が流れる。彼の指先がりぃんと鈴を鳴らして終わる。長い睫毛が震えて瞳が光る。潤んだように煌めく紫苑が嘲るように藤堂を見た。躊躇もせず手を突っ込む。咎めようとした藤堂の声は、ルルーシュが引っ張り出したものに殺された。ぐぅと喉が鳴った。ルルーシュは何度か裏面を見たり矯めつ眇めつしている。紅い唇が酷薄に笑んだ。
「朝比奈、か」
漢字の連なる表面をたどるルルーシュの指先が、省の字で止まる。
「省悟と、言ったか。朝比奈は。ならば卜部や仙波のものもあるだろうな…なるほど、この二つか。ふぅん、律儀なことだ」
たおやかな指先が遠慮なく無礼を働いた。軽んじる軽薄さで三人の位牌を見つめる。
「雪に崚か。美しい字をとるものだ。…実家へ帰すよりお前が守っていたほうが喜びそうな連中だ。お前にはちょうどいいかもな」
ルルーシュは卜部と仙波を戻したが朝比奈だけは手のひらでもてあそぶ。
「…いい加減にしてくれ。不遜だ」
「ふん、ずいぶんな口を利くものだ。処刑されそうだったお前を助けて道を示したのが誰か忘れたとは言わせない」
口をつぐむ藤堂にルルーシュは猫のように滑らかな動作で歩み寄った。白く細い指先は体液にまみれたことなどないだろう無垢さで。その指先が藤堂の頤をとらえる。唇をたどり指先を無意味に這わせた。
 「オレはお前が好きだよ」
ルルーシュの眼差しが藤堂を射抜いた。互いに痛み憐れむようなそれが絡み合う。ルルーシュはふふっと唇を歪ませて笑った。自嘲するようなそれは傷ついて、だからこそ愛くるしかった。
「…お前にとっての彼らがどういうものかはよく判っているつもりだ――特に、朝比奈省悟がどういう立場であるか、とかな」
細い肩が震えた。すんなりと伸びやかな四肢が位牌を鈴のそばへ置いた。かつんと接触したそれが殷々とこだます。掃除の行き届いたそこと黒地に刻まれた漢字をルルーシュは挑むように凝視した。流麗な文字で記された忌み名をたどる。享年の後に続く年齢はあまりに重く、感覚を麻痺させる。朝比奈などまだ若い。
「…お前の」
ルルーシュの長い睫毛が瞬きした。潤んだように煌めくそれが気遣っているようでいて隙を窺っているようだと思った。
「お前の位牌は、誰が守る」
藤堂の口の端が動いた。嘲笑にも似たそれは藤堂に似つかわしくなく、だからこそ目を惹くようだった。
「だれも守らない。…ただ、屍が朽ちるのみだ」
「寂しくはないのか」
「元より体が残るとは思っていない。誰の迷惑にもならぬ逝き方なら、どう消えたって構わない」
うそぶく藤堂の灰蒼は奇妙に静まり水面のように揺らめいた。差し込む月明かりが闇の侵蝕を和らげる。藤堂の凛としたありようは立ち居振る舞いにも表れていて、いまどき古風でもの珍しい。同時に焦がれる。自分では体得などできず手に入らないからこそ欲しいと、思う。
「死んだら会えると、思っているのか?」
「君してはずいぶん感傷的なことをいうものだ。…思っていない。私はきっと…逝く場所が、違う」
伏せられた灰蒼は恥じているようで安堵しているようで、切なげに震えた。
「それこそ感傷だ」
 藤堂は張りのある動きで踵を返した。肩越しに振り返って淡く笑う。
「食事でもするかい。あり合わせしか作れないが。待たせた分の埋め合わせは、する」
ルルーシュはうなずくと藤堂の後を追って仏間を出ると座卓へついた。藤堂が台所で炊事をする音がする。夜半である頃合いを考えてかごく小さい音で作業をこなしている。考えてみればルルーシュは人が炊事をする場面などほとんど出食わさなかった。いつだって腹がすいたと言えば作りたてが仰々しく大量に表れ、それが普通であると思っていた。こうして誰かの手を煩わせているという意識はなかった。好いた者が自身のために骨を折ってくれるありがたみがひしひしと感じられた。
 平和が訪れた際、ここでこうして藤堂との食事を待つのはルルーシュではないはずだった。おそらくは朝比奈だっただろう。実年齢以上に幼く強引な性質の彼は常々藤堂と暮らしたいのだと臆面もなく言っていた。平和が訪れればその夢も叶ったかもしれない。藤堂は困ったように照れたように笑んで、そうなるといいなと、笑って。
「…――…ッ」
ぱたた、と黒檀の座卓に雫が滴った。正座した膝の上にそろえた手が握りしめられ震える。ルルーシュは声を殺して泣いた。愛を求めるからこそ奪われたときの哀しさが切々と感じられる。ましてそれが手に入りかけていて、常に周りにいて、いなくなるなどと思いもしなかっただろうに。ルルーシュは紅く熟れた唇を噛みしめた。ぎち、と千切れるような微音の後にぬるくどろりとした雫の流れを感じる。
 ルルーシュは詰まらせた喉に噎せた。けほけほと咳き込んだ。咳を抑えようとするほどにひどくなる。吐き気すら呼んだそれに、それでも喉の奥を埋める虚ろは重かった。
「大丈夫かい」
盆に軽食を乗せた藤堂が膝をついた。盆ごと脇へ置くとルルーシュの背をさする。
「朝比奈を、殺したのは、オレのせいだ」
おさまった咳や鬱屈を吐き出すようにルルーシュが叫んだ。藤堂は何も言わない。
「永久に亡くすというのがこんなに、こんなに辛いなんて」
白く細い首が痙攣した。逃れようとするかのように桜色の爪が喉をひっかく。ルルーシュの白皙の美貌は月光で仄白く輝いて見えた。ふちから幾筋も雫が伝って肌理の細かい頬を滑っていく。唇を切った紅さと白さの対比が鮮やかだ。
「唇が」
藤堂の指先は優しい。
「うぅ――…!」
ルルーシュの指先が手のひらに食い込んだ。噛みしめる唇の出血が増す。傷を抉りながらその痛みがやわらげているのは下賤な罪悪感だと知っている。肩を震わせて泣きながらルルーシュは藤堂にすがりつくことはなかった。
 「いいんだ」
藤堂の言葉にルルーシュはうつむいたまま目を見開いた。
「君はまだ、痛みが判るのだな…私はもう、判らない」
「と、うど、う」
ルルーシュは顔をあげて藤堂を見た。ごくりと喉が鳴る。
「怒れよ。責めろ。なんであんなって、怒鳴ればいい。殴れば、いい」
ルルーシュはナナリーの喪失を感じた際、手近にいたロロにその矛先を向けた。怒鳴りつけ罵倒し、彼が立ち去らなければ手をあげるのも厭わなかっただろうと思う。それだけの激情がほとばしった。一時であり、偽りであったとしてもルルーシュはそれだけの負荷に耐えかねた。比べて朝比奈の喪失は事実であり永遠に取り戻すことなどできない。
「――悔しく、ないのか! お前は、朝比奈を亡くして哀しく」
藤堂はゆっくり頭を振った。なだめるような言い聞かせるような、こらえるように耐える藤堂は微笑した。

「私が何かを得られるなど、思ってはいけなかったのだ」

ルルーシュは紅い唇を震わせた。紫苑の瞳が見開かれて集束する。
「ど…うして。お前の傷はそこまで深いのか。なにも判らないとそれほどにお前は」
しがみつくルルーシュに藤堂は驚いたように目を瞬かせた後に笑った。息と一緒に何かを吐き出すようなそれは倦んだように瞳を潤ませた。
 傷は負った。痛手も被った。痛かったのかもしれないと藤堂は思う。けれど体に流れる血潮に限界があるようにいつからか流す涙も血も枯れた。泣いても叫んでも還ってこないものはあると知っている。
けれど。
「痛みくらいは、残って…欲しかった」
 絞りだすようなそれにルルーシュは肩を震わせながら顔を伏せた。藤堂の腕に爪を立てる手がぶるぶる震えた。

「私は思いあがって、いたのだ。逆上せていたのだ」

慕ってくれる者がいると。慈しんでくれる者がいると。愛して、くれる者がいる――

おののくルルーシュは顔をあげられなかった。ただ一つ、藤堂を失った痛みだけが突き刺さるような鋭利さでルルーシュを引き裂いた。


《了》

誤字脱字ありませんように!(いきなりそれか)
ていうかこれメモの段階ではもうちょっと幸せな終わり方のはずだったのに、なにがどうしてこんなバッドエンド!(ガタガタブルブル)
…まぁよく考えたら死にネタでハッピーエンドってのもおかしい…かな?(汗)
要約しちゃうと ルル→藤堂が壊れて藤堂→←朝比奈も壊れて
…救いようがねぇじゃねぇかよぉぉ  すいませんごめんなさい(平に土下座)      05/06/2009UP

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