絶望にすがる我を
絶望は突き放さん
11:冷酷な世界は絶望することすら許してはくれない
それは微妙な差なのだと思う。藤堂はいつからか死に方を考えるようになった。以前から自身をかえりみずに突っ込む傾向があったのだが最近はそれがとみに顕著だと思う。作戦実行中に相手の思わぬ反撃にあって藤堂は撤退の殿を務めた。藤堂を殿にするのに応じず食い下がる卜部を説き伏せた。先立つ案内人が十人並みでは逃走も成功しない、だからお前が前を行けと滔々と諭した。卜部は何か言いたげに口元を歪めた。決定事項である旨と意思を変えるつもりがない旨を伝えてから全軍に卜部の後へついて行けと明言した。早手回しで作り上げた既成事実に卜部は従うしか手がなく、事実彼はそうした。卜部はもともと言葉少なだが言うべきことは言う。卜部は一言、殉死は赦さないと言った。
後方から着弾する攻撃をモニタ越しに見る。まだ生きているセンサーが被弾の警告音を鳴らす。できうる範囲で藤堂は弾道を予測する。入射角や弾速などは使用しているものが似ているだけに予測もしやすい。操縦桿を繰って回避しながら後方を狙撃する。エネルギーもそろそろ底をつく。確実性を重視しながらも重要な要所を押さえるのを忘れない。被弾しても致命的にならぬものはこの際思惑外に置く。肉食獣に追われる草食獣の心持ちはこのようなものなのかと思いながら藤堂は機体を繰った。どんどんと重く腹に響く振動。目の前で藤堂の処理し損ねた着弾によりロスト表示が立て続けに表示される。喪われていく。藤堂は時折剣をふるって追手を刺し、逃走の幇助をする。目の前に機体反応を捕らえると同時に視界を銃口が埋めた。ギシリと食いしばる歯が軋む。一気に接続部を断ち切ってわざと均衡を崩すと弾道を避けた。操縦席を弾丸がかすめ、その熱量すら感じ取れそうだと思った。一閃した機械の腕が相手を真っ二つに切断し、誘爆を引き起こす。その爆焔を隠れ蓑にして不用意に近寄ってくる追手を相手に殺陣を演じる。実践を潜り抜ける藤堂の殺陣は美しくそれを見たものは次の刹那には爆発の中にいた。
「くぅッ」
うめきながら藤堂は逃走と戦闘を繰り返して後ずさる。相手も成功率の高い波状攻撃を仕掛けてくる。囲まれているのだと知った刹那の戦慄は藤堂には甘かった。その口元がふゥと妖艶に笑った。
ざわざわと落ち着かない忙しなさに出迎えた朝比奈は眉をひそめた。機体の補修を言いつけながら卜部が落ち着きなく整備スタッフの手元を覗きこんだりしている。素通りしようとした朝比奈は目的の不在と不自然さに唐突に気づいた。藤堂が、いない。朝比奈は卜部を引きずって目立たぬ場所へ引っ張り込んだ。
「お前、戦闘準備しといたほうがいい」
卜部の言葉は何より雄弁だ。それでも朝比奈は無意味だと知りながら問うた。
「藤堂、さんは」
知っている。その答えがなんであるかを朝比奈はすでに知っている。卜部は目を逸らした。
「藤堂さんは?! あんた、一緒に出て行ったじゃんか、藤堂さんはどうしたんだよ!」
理由は見ればわかる。減っている仲間。減っている機体と残っている機体の損傷具合。火を見るより明らかなそれを、それでも朝比奈は否定してほしくて問うた。
卜部は言葉もなく目線を床へ落とした。朝比奈の指先が震える。息を吸う喉が渇いた。枯渇したそこはひりひりと灼けるように痛む。震える指先のままに卜部を放り出して自身の機体の方へ向かった。
「藤堂さんの行った作戦プランを教えろ。オレが援護に向かう」
困ったように目線を交わしあうスタッフを朝比奈が怒鳴りつけた。今回の作戦は少人数での機密性の高いもので緘口令が敷かれていた。朝比奈は確かに高位にいるが作戦上でいえば部外者だ。一撃して力尽くで聞きだそうとした朝比奈に端末が投げつけられた。反射的に受け取るそれを投げつけたのは卜部だった。
「俺の機体は時間がかかる。手ェ空いてんならお前が行け」
駆けだそうとした朝比奈の背後の搬入口にずずんと重い響きが走った。反射的に駆けていく卜部を追って朝比奈も駆けだした。藤堂の機体がズンと崩れたところだった。操縦席からの出入り口が開き藤堂がひらりと飛び降りた。その額が切れて出血している。こめかみのあたりに走る裂傷から鮮血が滴っていた。頬やあごにまで達するそれを藤堂は何でもないように拭って煩わしげに払った。その長い指先でもてあそんでいた端末を卜部に投げ渡す。
「目的のデータだ。解析を。被害も甚大であり猶予はない」
卜部は口元を引き結んでから一瞬の間をおいて踵を返した。
朝比奈の唇がわなないた。藤堂は足を引きずっていた。服は血糊に染まって紅く鮮やかだ。鮮烈なその美しさは刹那的で、死の甘さにも似た。朝比奈は藤堂にしがみついた。
「藤堂さん、大丈夫なんですか、あんた、怪我! すぐ、すぐ医療スタッフの」
「朝比奈? 私は大丈夫、だが」
藤堂の唇に色がない。体内の血液量の減少だろう。朝比奈はすぐに医療スタッフと準備の整えを叱りつけた。スタッフは慌てたようにばらばらと散っていく。ヒステリックなそれに藤堂は困ったような顔をする。
「朝比奈、私は大丈夫だと」
「どこが大丈夫なんですかッ、浅い傷じゃないでしょう! あぁ、オレ、どうしたら、早く」
真っ青になる朝比奈の様子を藤堂は珍しげに見るだけだ。藤堂の灰蒼の瞳は変わらずに潤んでいる。だがそれが曲者なのだと付き合いの長い朝比奈は知っている。藤堂は予兆を人に見せない。倒れる前の調子が悪いとか目眩がするとかそう言う前兆を気力で押さえこんでしまう人なのだ。その所為で結果が唐突に表れ周りがその重篤さに泡を食う。
「朝比奈、私は」
「大丈夫じゃないでしょう、あんた怪我してるんだよ?! 唇の血の気だってないし、出血量だって、あぁどうしたら、座っててくださいよ、どこか横になれる、ところ」
「朝比奈!」
一喝する藤堂の声に朝比奈がびくりと体をすくめた。けれどもどこか恐れているような恐慌をきたした瞳は変わらなかった。朝比奈の指先がぎゅうと藤堂の服を掴む。カチカチと震えるその細い指先は彼の年若さと優しさを示してもいた。藤堂は微笑した。蠱惑的で目を引くそれに朝比奈は一瞬、見惚れた。
「私は死ぬことなどもう怖くはないのだよ」
朝比奈の顔から血の気が引いた。
「待ってください、それ、どういう」
藤堂の意識はそこでぶつりと乱暴に途切れた。
「中佐ァ、倒れたって?」
入口に顔を見せた卜部の顔からは疲れが見て取れた。データの解析や後処理を何とかこなしている。朝比奈は意識を失った藤堂の枕辺にずっといた。引き剥がそうとすれば全力で暴れて怪我を負わせることもあった。そのうえ朝比奈自身に被る負荷を考えないので抵抗のあまり脱臼したりする。放っておいた方がいいと卜部達が言い添えて朝比奈と藤堂を半ば放置した。藤堂の怪我の治療は黙って受けさせるので朝比奈が役に立たぬという以外に支障はない。
「起きない。起きなかったらどうしよう。涙も出ないよ。なんでオレ行かせちゃったんだろう。藤堂さんもさァ、救援とか頼めばいいのにさ」
ははは、と乾いた笑いを浮かべる大きな瞳は笑ってなどいなかった。暗緑色は昏く煌めきその色が黒色であるかのように陰りを帯びた。
「中佐がそう言う性質なのは、判ってんだろ」
朝比奈の大きな目がすがめられる。紅い唇がぎりりと噛みしめられる。膝の上で握りしめられた指先が食い込む痛みすら見えた。
「判ってるよ。だから直してくれって言ってんのにこの人聞かないじゃない。オレ、オレはもう」
ぐったりと朝比奈は膝の上に顔を伏せた。
「どうしたらいいか、判んないよ」
震える細い肩を卜部はどうすることもできなかった。ひくひくとしゃくりあげるその背を撫でてやるべきなのはきっと藤堂の大きな手のひらなのだ。卜部は黙って扉を閉めた。扉に背を寄せて息をつく。朝比奈の泣き声と卜部の嘆息が部屋に満ちた。藤堂は寝息すら静かでその息の根が止まっているのではないかと怯える。藤堂の息が止まってしまうことを考えただけて卜部は戦慄する。それはこれからの団体の行く末や実働戦力以上に、藤堂鏡志朗という存在が無へ帰すことへの恐怖だった。藤堂の印象は強く卜部のありようにも強い影響を及ぼした。その存在が消えるという想像すら出来ぬ事態への怯えが、あった。特に朝比奈はその傾向が顕著だ。目の前で倒れたと言っていたから衝撃もひとしおのはずだ。
「とぉ、どぉ、さぁん」
ひぐひぐと朝比奈が泣いた。死ぬ前からこれでは藤堂が殉死でもした暁には朝比奈まであとを追いそうである。戯れにそんなことを想うことで卜部は逃避していた。
藤堂の指先がひくりと、震えた。朝比奈がはっと目を見張る。白い指先が藤堂の手を握った。涙に濡れた顔のまま朝比奈は藤堂から目をそらさない。
「とうどう、さん。とうどう、さん!」
朝比奈が必死に呼びかけた。その切迫性に卜部も浮かされたように動いた。枕辺へ駆け寄る。朝比奈はただ藤堂の名を呼んだ。
「起き、て。藤堂さん…鏡志朗、さん」
温い闇に吐き気がした。熱くもなく冷たくもない人肌のそれは藤堂には安寧とはなりえなかった。無理やりに抱かれることに慣れた体は愛情のありかを曖昧にした。愛情などなくともシステムさえ機能すればいいという合理性は藤堂の精神を食い破った。行為に伴う愛情を信じる藤堂に枢木ゲンブは嘲るように言った。物体が機能すれば子を成すことも容易いと。それは藤堂に愛情を疑う悩みを打ち明けてくれたスザクのすべてを打ち砕く応えだった。スザクに伝えられるわけがない。親に愛情がなく自身の出生にも愛情がないと知ればあの繊細な幼子はどれほどに傷つくだろう。黙ってそれを呑みこんだ藤堂を癒したのは四聖剣だった。
彼らとの間に行為はあまりなかったがつながりはあった。朝比奈が戯れるように触れてくるのを卜部や千葉が叩き、仙波が笑い飛ばす。そういう心穏やかな日々は居心地が良かった。けれど人肌に温むものへの嫌悪は消せなかった。ゲンブに無理やり体を拓かれていた事実をその温度は付きつけた。氷が一定温度で融けるように馴染んでしまう自身の体は忌むべきものでしかなかった。終わらせたいと刃物を握る夜も一度ではなかった。そう言う隙を狙って過去にゲンブに抱かれた傷が疼いた。じくじくと痛むそれは藤堂の体を浸蝕する。
朝比奈と卜部は藤堂に好意を抱いていると言った。二人とも別々にそう藤堂に伝えた。朝比奈はまっすぐに藤堂を見据えて結婚の契りを交わすように。卜部は冗談のように逃げ道を用意してうそぶくように。そのどちらにも藤堂は応えかねた。卜部は応えを要求しなかったが朝比奈は否かどうかを問うた。まっすぐに相手を見据えて年若いながらに覚悟を決めたそれはひどく羨ましかった。
「好きです。穢れているなんて、思わない。オレはあなたが好きなんです」
それはひどく真っすぐで、それ故に藤堂の心を突いた。引き裂くように朝比奈の言の葉が刃となる。相手に傷を負わせぬとするならば卜部のように湾曲する必要もあるだろう。だが朝比奈はまっすぐに藤堂を見た。
「お前は…お前たちは、どうして」
藤堂は顔を覆った。涙があふれるのか歯が軋むのか区別がつかない。朝比奈や卜部の想いに応えられない己が歯がゆい。転じて歯がゆさを感じさせる卜部や朝比奈を憎もうとした。出来なかった。
藤堂の目の前が不意に開けた気がした。死ぬのかもしれないと唐突に思った。仏教を信ずるものは三途の川が今際の際に見えるという。耶蘇教を信ずるものは基督が降臨するという。藤堂は自身の前に現れいずるものが見えなかった。見たくなかった。白い光はただ目を灼いた。眩しい。くらくらとしたそれは甘く優しく残酷で。
「あぁ――」
藤堂はしびれるような快感に息を吐く。閉じた目蓋の震える感触があった。
「中佐」
「藤堂さ…鏡志朗、さん!」
ぴくぴくと目蓋が震えて潤んだ灰蒼が覗いた。ほっと息をつく卜部と心配そうな朝比奈が映る。
「あ、ぁ…私、は――」
藤堂の震える声に朝比奈が手を握る。卜部は安堵の息をついた。
「倒れたンすよ。ひどい怪我だったンすから。無理はもうしないでくださいよ」
「藤堂さん、よかった、生きて…ッ! ずっとずっと、オレは」
鼓動する心臓。めぐる血流は安定した閉鎖空間に流れた。藤堂は指先を動かした。意識との連動率も高い。怪我が癒えれば戦闘も可能だろう。
朝比奈は藤堂の手を握りしめて泣いた。藤堂は生還した。
「生きていて、良かった…あなたが生きていて、本当に」
握りしめる朝比奈の爪先が食い込んで痛い。その痛みすら生を実感させた。そして、それは。
「私は、死に損なったのだな」
朝比奈と卜部が凍りついた。朝比奈の指先が震える。生を獲得してなお、この男は。
「とうどう、さん」
朝比奈の唇はおののいていた。卜部は言葉がかけられずにいた。藤堂はただ無為に天井を眺めて、あぁ生きているのだ、死に損なったのだなと繰り返した。
死という絶望すら与えられぬ生はただひどく、ひどく
朝比奈の絶叫が響き渡った。朝比奈はただ、死ぬなと叫んだ。
《了》