オレがいなくなってもお前がいるなら
お前が、いてくれるならば、オレは
08:幼い日の約束は、ちぎり捨てられなければならなかったの
ぽつんと寂しげにそこにいた。平素でも車椅子は目立つし座っているのが年端も行かぬ少女であれば何かと目を惹く。藤堂は無視することもできずに気配を殺さず近づいた。少女がはっと振り向く。彼女の目線に合わせるように膝をついてようやく彼女が盲目であるのを思い出した。それでも気配は感じるのか齟齬を感じさせないふうで彼女は顔の位置をずらした。
「ナナリー、くん」
「はい…ナナリーは、私です」
どう呼びかけたらいいか判らずに藤堂は結局、平素子供たちを呼ぶ時のように呼んだ。不思議そうに小首をかしげる様子にそれがまるで少年相手である仕草であることに気づく。言いなおすべきか謝るべきかと頭を悩ませる藤堂にナナリーは言葉をつづけた。
「あの、どちらさまでしょうか。すみません、私、目が見えなくて」
藤堂が慌てて言葉を紡いだ。目が見えない以上名乗りは大切な情報源だ。礼儀としてのそれの欠礼を詫びてから藤堂は名乗った。
「藤堂です。藤堂、鏡志朗」
「…あぁ! スザクさんから聞かせていただいています、確か、先生」
「そうです」
可愛らしく手を打ち合わせる仕草に微笑する。目の見えない不自由を感じさせない豊かなそれは辺りを和ませた。毛先が緩く巻いた粗染の髪がさらんと揺れる。閉じた目蓋の皮膚は白くブラウスの白さと奇妙に混じりあう。
「ルルーシュ君は? いつも一緒にいるのに」
ナナリーは困ったように苦笑する。朱唇がたおやかに動く。おとなしい性質であるのを示すかのように彼女はおずおずと方角を示した。藤堂がそちらへ顔を向ければ茂みがあるだけだ。灌木の茂るそこは少年たちが入り込んでは悪戯の悪だくみをする隠れ処へと通じている。藤堂は怪我をするような無茶はしないようにと言うだけなので時折連れ込まれている。取り上げるような大人か否かも彼らには判るらしい。内緒ですと念を押されて時折茂みをくぐる。
「あちら、かい?」
「私を連れていくのは無理そうだって…お兄様は最後まで連れていくって言ってくださったんですけど、他の方の手前もありますし待っているって言ったんです」
スザクとともに隠れ処へ行くことになったのだろうルルーシュは最後までごねたのだろう。寂しいような嬉しいような微笑みのナナリーの言葉からそれが判る。
「君は気のつく子だな」
藤堂の言葉にナナリーはいいえと首を振る。
「心配ばかりかけてしまうんです。でもスザクさんもとてもよくしてくださるし」
「手前味噌のようだがスザクくんはきっといい友達になれるよ」
「はい」
二人で微笑する。目に見えるものがすべてではないそれに穏やかな空気が流れた。
ガサガサと茂みが揺れたかと思うと二人の少年が顔を出す。会話する藤堂とナナリーに気づいた少年がさっと顔色を変える。小枝のようにほっそりした足で素早く駆けよるとナナリーを引き剥がす。急な車椅子の動きにナナリーが小さく悲鳴を上げる。あとから来たスザクが目を瞬かせた。
「ルルーシュ?! 藤堂先生?」
「何の用だッ!」
金属にも似た甲高い声が藤堂を責めた。驚きに言葉のない藤堂をどう思ったか、ルルーシュはナナリーを遠ざけてからふんと哂った。
「誰の差し金だ。僕たちに何の用だよ、女子供から手をつけるのは常套手段だもんな。誰に何と言われた!」
悪し様な罵りに藤堂が眉をひそめる。スザクが慌てて取りなすが利く耳を持たない。急な状況の変化にナナリーが責任を感じたのかルルーシュの裾を引いた。
「お兄様、私を気にしてくださったんです、そんな悪い人じゃ」
「ナナリー、騙されるよ。大人はいつだって狡猾だから。腹の中で何考えてるかなんてわかったもんじゃないや」
「ルルーシュ、藤堂先生はそんな人じゃない!」
「スザクは黙ってろ! お前、スザクの家によく来てるよな。大人の用事があるんだろう、言ってみろ、誰に何と言われてナナリーに接触したんだッ!」
藤堂の腕がぴくりと動いた。藤堂は必要があれば手をあげることを厭わない。スザクは慌てて藤堂にすがりつき、ルルーシュは衝撃に備えて体を固くした。
「先生、ルルーシュはちょっと過敏になってるだけなんです! 普段はこんなじゃないんです」
「暴力なんかに怯えると思うなよッ! 僕がナナリーを守るんだ、誰でもない僕が! お前なんかにつけいらせやしない!」
あげられた藤堂の手の平がポンとルルーシュの頭を撫でた。スザクとルルーシュがぽかんと藤堂を見る。
「君がそれだけ頑張れば大丈夫だろう。私は声をかけただけだ、要らぬなら退くから」
ルルーシュが呆気にとられたように藤堂を見つめる。もし自分がこのように蔑まれたら黙ってなどいない。拳の一撃でもふるい罵声のひとつも浴びせる。だだ藤堂は穏やかに微笑してルルーシュの黒髪を梳くように撫でるばかりだ。
「お兄様?」
恐る恐るのナナリーの呼びかけにもルルーシュは答えない。大きな紫水晶の瞳はまっすぐに藤堂を見つめ、藤堂の灰蒼の瞳もそれに応えた。
「意思をもちそれを貫くのは骨が折れるだろうが止めない方がいい。だけど、もう少し周りとの影響を考えた方がいい。牙や爪は隠していた方がいいこともある」
くしゃくしゃとルルーシュの黒絹の髪を撫でて藤堂は踵を返した。
「せめて私の手が届く場所では、君たちを護ろう。だから、肩の力を抜くといい」
藤堂はゆったりとルルーシュに微笑みかけた。茫然としていたルルーシュの目がみるみる潤んで雫をこぼした。懸命に平静を装うルルーシュに気づいているのか藤堂の背は迷っているようだった。それでもナナリーに目をやると藤堂は何も言わずに立ち去った。
「お兄様、お兄様、なにかありましたか?」
ルルーシュは震えを殺しながら明るい声で言った。
「なんでもないよ。マシな大人もいるってだけだよ」
ナナリーの車椅子をルルーシュが押した。スザクは何も言わずにルルーシュの手元を凝視した。白い手がぶるぶる震えて泣き声をこらえていた。何でもないように振る舞うのはナナリーを気遣っているからで、藤堂もそれに気づいたからあえて何も言わなかったのだと気づく。そう言う音にならない気遣いややり取りを藤堂は何でもなくこなす。ルルーシュの方もそれに気づいているから涙が止まらないのだ。
「先生は、すごいだろう」
「…まぁ、な。マシって感じだよ」
わななく紅い唇は泣き声を殺した。
「…初めてだったよ、オレに『護る』などと言った大人はな」
長椅子の端に腰をおろしたルルーシュは微苦笑を浮かべていた。
「そしてオレのなけなしのプライドや見栄に気づいて、かつ尊重してくれた大人でもある」
「藤堂さんらしいよね」
スザクは反対側に腰をおろして天井を見上げている。ルルーシュの目は懐かしむように眇められた。その藤堂は今牢獄にいる。
「あんなガキを護ると言って、実行してくれたのは藤堂だけだったな。揉め事も怪我のないようにおさめるし。よく出来た奴だよ」
「ルルーシュ、藤堂さんが好きなのか?」
「お前こそ、藤堂がオレによくしているときは頬を膨らませていただろう。後で愚にもつかないことで絡まれた覚えがあるぞ」
顔を見合わせた二人がクックッと笑いあう。同時に潤んだ瞳を交錯させる。
「…約束を、破らせることになるのだろうか。藤堂はオレ達を護ると言ってくれた。だがオレ達は、藤堂を。藤堂との、約束、を」
「…そうだね。藤堂さんには悪いことをするんだろうな」
「それでも赦しは乞わない。藤堂がオレを嫌ってもいい。藤堂がどんなにオレを嫌っても、あの幼い日に藤堂がくれたものはオレを生かしてくれた」
スザクは黙ってルルーシュの独白を聞いた。ルルーシュは泣き笑いのように表情を歪めたがそれはどこまでも神聖に美しかった。
「あの男は本当の約束というものを教えてくれたよ。護られる悦びを教えてくれた。護ることの大変さやそう言ったことなんかもな。藤堂から学ぶまでオレはオママゴトとしてナナリーを護ってた」
「藤堂さんはすごい人だよ。…たぶん一生、追い付けない」
スザクの目が手に持った仮面に落ちた。人々を熱狂させ、恐慌に陥れ、希望となった人物像。
ルルーシュの紫苑の瞳が潤んだ煌めきでスザクを映す。スザクの碧色の瞳もルルーシュを見返した。
「行こうか、ルルーシュ。オレ達の大切な人や物を護るために」
「あぁ、そうだな。大切なものを護ろう」
紅い唇がわななかずに弓なりに反った。細い体を豪奢な衣装が包んでいる。
「さぁ行こう。たとえ約束をちぎり捨ててもオレには護りたい物がある」
《了》