あなたが私を生かしたんだ
06:その指先がなぞるのは冷え切った罪の軌跡
爆音と銃声が響いて辺りをざわめかせる。画面には次々と大破や損傷、消失の表示が現れては消える。照準を合わせ操縦桿とのタイムラグを計算しながら弾道を予測し回避する。それでも不意の一撃が機体に被弾する。状況はこれ以上ないほどに不利だ。元々の物資や戦力差があるのだから予想していたが目の前に現れると悔しさに歯が鳴った。戦闘の主力になる戦闘機を何の不自由もなくバージョンアップできるだけの潤沢な資金を相手は有している。藤堂は無造作に打たれる弾を避けながら確実に相手を仕留めていく。持ち弾の数が限られている以上無駄打ちはできず、どうしても確実性による。画面や矢継ぎ早の報告で藤堂は従ってくれていた腹心の状況を把握した。それぞれに致命的な被弾は回避しながらも痛手は確実にこうむっており、少なからず力負けする恐れがあった。
一瞬、気をそらした刹那に接近する狙撃弾の存在を警告音が知らせた。息を呑んで必死に操縦桿を繰るが藤堂の機体は古くタイムラグがある。運がよければ直接的なダメージを被らないほどであるところまで一気に思考が後退した。懸命に動かすが反応が鈍い。舌打ちして被弾を覚悟した瞬間に機体ごと吹っ飛ばされた。
「く…ッ」
急なそれにも藤堂は持ち前の反射神経と機転で何とか機体を繰った。呼びかけもなく唐突な体当たりをした機体は朝比奈の機体であることを表示した。藤堂が呼びかける前に朝比奈の機体は藤堂を狙った弾に被弾した。致命的な一撃となりえたその衝撃に機体が揺らぐのが見えた。
「朝比奈!」
次々と照準を合わせて相手を仕留めていきながら藤堂は通信をつないだ。映像の端末は破壊されたらしく暗転した画面だけが流れる。音声のみの表示も出ない。音声だけは何とかつながり、ざわざわとした砂嵐をまじえながら声がとぎれとぎれに聞こえた。
『と…ど、さ…だいじょ…』
「省悟! 機体を捨てて離脱を」
表示画面で見る限り朝比奈の機体は戦闘に耐えうる状況になかった。加えて位置が悪く重心がずれれば脇の谷へ落下する恐れがある。
藤堂は必死に相手をさばきながら朝比奈のもとへ行こうとしたが相手も食い下がる。なかなか決着がつかないうちに範囲外からの狙撃が朝比奈の機体に命中した。被弾自体は小さいものの重心を崩させるには十分だったらしく機体はぐらりと谷底へ落下した。
「省悟、省悟!」
焦燥に駆られる藤堂の通信をも受諾せずに通信失敗表示が何度も出た。
「しょう…」
『中佐!』
ヴンと音をさせて通信がつながったのは卜部だ。卜部の焦ったような表情に藤堂は瞬時に判断力を取り戻す。
『まずいです、これ以上は…被害もだいぶ』
「…判った、撤退する。煙幕で相手を撒く。機体状況によっては機体を捨てろ」
了解の旨を告げて卜部が通信を切る。死にたがりは自分一人で十分だった。この戦いを期に戦線を離脱したいというものも出るかもしれない。冷静に考える裏で藤堂は自身が朝比奈の名を呼び続けているのを聞かぬふりをした。朝比奈の落ちた谷はもうもうとした煙幕に煙って消えた。
「すまないが最低限の戦闘可能状況になり次第出撃する」
根城につくなり機体整備の係りに告げた藤堂に卜部が反応した。飄然とした彼には珍しく焦りの色が消えない。
「待ってください中佐。あんた、何する気ですか」
「…朝比奈を回収する。戦死も視野に入れて」
「違うでしょう、問題はそこじゃない! 朝比奈が惜しいのは判りますがあの戦闘区域へ戻るのは危険が大きすぎるって言ってんです! 今、俺たちは藤堂鏡志朗を失うわけにはいかないンすよ! それは中佐だって承知のはず」
肩を掴んだ卜部の手を藤堂は乱暴に振り払った。普段から相手を邪険にしない藤堂の珍しい暴挙に場が静まりかえった。整備担当も一瞬手を止めて呆気にとられている。卜部は藤堂の直属と言っていい位置におり、他者より優遇される位置にいる。その彼への邪険な対応に驚きを隠せない。卜部の嘆息に辺りは動きを取り戻してそそくさとそれぞれの仕事を再開する。見てはならないものを見た気まずさが辺りに漂った。
「中佐、お願いですから落ち着いてくださいよ。俺は朝比奈を見捨てろとは言ってない。あっちだって生きているものをその場で殺したりはしない、もしかしたら捕虜になるかもしれない。そうすれば奪還ていう手段だってある、態勢を立て直して」
「朝比奈は私をかばって撃たれた。手をこまねいているわけにはいかない」
断固として言い切る藤堂も退く気配を見せない。藤堂は自身に厳しい規則を科しており、道に外れることはしないが意外に頑固な面がある。意志の強さと表裏一体のそれは思いのほか始末が悪かった。
「中佐」
「あの、藤堂機、整備完了しました。初期段階の戦闘ならば耐えられると思いますが」
藤堂はすぐさまその身をひるがえした。慌てて後を追う卜部を振り返りもしない。身軽く機体に乗るとハッチを閉じた。ヴンと音を立てて機体に命が宿る。鋭く光る双眸のような部位が藤堂のありようを示しているかのようだ。すぐさま飛び出していく機体の風圧に目を眇めながら卜部が怒鳴る。
「ったく! 俺の機体は? 俺がフォローに回る、中佐の機体反応を追え!」
整備担当は慌てて卜部の機体への対応に人数を割いた。
藤堂は煙幕の名残もない戦闘跡を低速で移動していた。谷底へ落ちたことは確認している。何とか谷底とのつなぎを見つけて滑り下りる。年代のひとつ遅れた機体は何とか柔軟に対応して藤堂は谷底へ下りた。辺りを見回して表示画面を肉眼と機体反応の両方で探索した。戦闘の残骸がたまって細い川が濁りを見せる。戦闘機の頭部や腕の破片は奇妙にグロテスクで戦場跡という事実を突き付ける。微弱な反応をとらえた。操作して検索をかければそれが朝比奈の機体であることが判明した。はやる気持ちを抑えて周りを窺いながら機体に近づく。千切れた部分がバチバチと不穏な放電音をさせている。剥きだしの回路や首が折れたような頭部。落下の際に衝撃を受けたらしく機体の片腕と銃はなくしていた。操縦席に不自然なくぼみがあって藤堂は一瞬最悪の場合を考えた。内部破損や爆発があった場合に遺体が五体満足である保証はない。藤堂は非常用の取っ手を使って外部から操縦席を無理矢理に開いた。途端に噎せるような鉄の匂いがして胃袋が痙攣した。唇を噛んで吐き気をこらえながら薄闇へ日を入れる。まだ幼さの残る顔を血まみれにした朝比奈の姿が照らされた。頭部の損壊はないらしく丸みを保っている。ただあどけない顔立ちにはた目からも判る裂傷がくっきりと走っていた。眉の上から斜めに走るその傷は朝比奈の大きな目を貫いた。紅さの染みた衣服はまだらに染まり、元から紅かったかのように存在する。襟や袖口、脚へ走る無数の傷が痛々しい。
「朝比奈、朝比奈…省悟…省、悟」
脳震盪の場合も考えて藤堂が遠慮がちに肩を揺する。脈や心音は真っ先に確かめた。微弱で緩いが脈は消えていない。早期発見が必要である状態に、藤堂は無理を押してでも来たことに安堵した。意識的な反応はないが眉を動かしたり呻いたりするだけの力は残っているらしい。藤堂は朝比奈の体を抱えて外へ出た。手狭な操縦席だが無理をすれば二人分はなんとかなる。自身の上着を歯で裂いて朝比奈の止血を施した。細かく引き裂いた布地を重ねて傷口へ当てる。噎せるような血の臭いも薄れて出血は疾うに止まっていると思われたが藤堂は念を入れた。ここから根城へ帰るまでの振動や衝撃に備える。機体は古く振動や衝撃を吸収する機能は著しく低い。怪我人を運ぶには良好とはいえないがこれしか手段がないのだから仕方がない。
手当てを終えた瞬間を狙ったように立て続けに狙撃があった。慌ててハッチを閉じて身を守ると同時に相手の位置を捕捉する。残党狩りでもしていたらしく装備は軽装だ。何とか逃げ切れる算段を組んだ一瞬後に、タンと短い狙撃が敵の機体を貫いて誘爆を起こす。大破する機体の反応が消えて見慣れた反応が表示される。
「卜部!」
『中佐、大丈夫ですか? 朝比奈は』
音声のみの手短な通信に応えながら藤堂は逃走の用意をこなした。
「確保した。生存している」
『逃げますよ。俺も結構、ぎりぎりなんで』
一気に速度の出力を全開にして二機は逃走した。
藤堂は救護室の前で何度目かも判らぬ足を止めた。朝比奈を確保してすぐさま帰還すると救護室へ担ぎこんだ。数日間は出血性のショックで意識が戻らず、藤堂を慌てさせたがしばらく前に意識が戻ったと教えられた。救護室の前へ駆けて行ったはいいが入ることができずに引き返す、何度かそれを繰り返すうちに藤堂が躊躇する時間が長くなっていった。藤堂の所属するこの団体は慢性的な資金不足で部屋を仕切る壁も厚くない。部屋で休む朝比奈にも藤堂の来訪は悟れているはずだが部屋の中からの反応はなかった。日に何度も訪う様子を卜部に揶揄されるほどになっていたが藤堂は扉を開くことができずにいる。
朝比奈を確保して帰還した際に救護担当は難しい顔をした。傷が深い、と呟いた。手当を終えて出てきた救護担当は短く藤堂に告げた。傷は残る、片目は最善を尽くしたがだめかもしれないと言った。戦闘機での戦闘が主となる現状において片方の視野の喪失は致命傷になりかねない。三百六十度視野での戦闘だ、隻眼というには障害がありすぎる。藤堂は朝比奈の戦線離脱や団体の脱退すら考えに含ませた。
「あはは、やっぱ藤堂さんだ」
明るく朗らかな聞き慣れた声に藤堂はうつむけていた顔をあげた。片目を仰々しく包帯で覆った朝比奈がけらけら笑って扉を開いていた。朝比奈は藤堂を病室へ引っ張り込む。藤堂もされるままになってそれに従った。
「すいません、横になっていいですか。まだ体力が戻ってなくて。駄目ですよね、これじゃあ。戦闘に参加できないや。楽を覚えるのは早いって藤堂さんの言葉、本当ですね」
朝比奈は少し疲れたように上掛けをよけてから寝台に横たわった。藤堂はいたたまれなくなって用意していた言葉を無為に紡いだ。
「すまない」
謝ってすむかと罵声を浴びることも覚悟した。朝比奈の負傷は藤堂の代わりに被弾したことが原因だ。目をあげられずにうつむいたままの藤堂の耳を衣擦れの音がかすめた。目を瞬かせて顔を上げれば無造作に包帯を解く朝比奈がいた。包帯を解いた朝比奈の顔半分には大きな裂傷が走っていた。眉の上から斜めに走るその傷は朝比奈の目蓋の上を通過していた。想像以上の深手に藤堂が目を眇めて口元を引き結ぶ。安易な同情や謝罪はかえって相手に迷惑だ。それだけの聡明さが藤堂を寡黙にした。
「藤堂さん、見て。目を背けないで」
残酷なほどに明瞭な朝比奈の声に藤堂は恐る恐る目を向けた。目蓋がぴくぴくと震えたかと思うとぱっちりとそれを開いた。一見すると黒にも見える暗緑色の、髪と同じ色をした瞳がそこで潤んだように煌めいていた。
「藤堂さん、見てよ。目は大丈夫だったから。傷は男の勲章でしょ? あなたを、藤堂鏡志朗を守ってついた傷ならオレは隠したりしない。恥じることなんてない、臆することなんてもっとない。オレはこれを誇りに生きてゆく」
潤んだその瞳はまっすぐに藤堂を射抜いた。藤堂の灰蒼の瞳が涙に濡れた。朝比奈の白い指先が鳶色の硬い髪を梳く。立ち尽くす藤堂を引き寄せて頬を寄せる。触れ合うそこは確かに血の通った温かさをもっていた。
「あなたを守った。あなたに護られた。あなたに救われた。俺は本当にうれしいんだ、そういう全部が。藤堂さんにかかわって生きている、それだけですっごく嬉しいよ?」
藤堂の表情がひきつる。引き結んだ口元が震えた。眇められた灰蒼の瞳は潤みきって決壊しそうなのを必死にこらえていた。泣くことは自身の感情の発露と発散でしかないことを藤堂はよく知っていた。朝比奈はすべてを総括するように微笑した。
「嬉しいな。これでオレがあなたのために生きる理由ができたから。あなたが嫌だといってもついてゆく。俺は藤堂鏡志朗についていく。オレのこと、捨てないで? 好いてくれとは言わないから、せめて邪険にしないで、捨てないで? オレがあなたを生きる理由にするのを厭わないで。迷惑になるならオレはすぐにでも消えてみせる、だから厭わないで。お願い」
「私がお前を厭うことなど、ない」
震える声で、しかしきっぱりと言い切るのを朝比奈は聖母の微笑で見つめた。
「お前が私のために生きるというなら私はお前のために生きる…期間は短いかもしれないが、出来ることはする。私ができる精一杯をお前に捧げる…私などが、おこがましいと哂ってくれて構わない」
朝比奈は答える代わりに抱きついた。それが応えだった。触れてくる高い体温は藤堂の自制の檻をいとも簡単に融かした。一気に緩む涙腺に藤堂が泡を食う。涙があふれる感覚が明瞭にありながら感情と断絶した体は涙もこぼさない。それでも藤堂は声もなく泣いた。しがみつく細い肩や体つきを感じながら自身のありようを求めた。朝比奈の肩に顔を伏せて藤堂は肩を震わせた。朝比奈も藤堂の背にその手を回して甘く爪を立てる。
「オレが死ぬ前に死んだら赦さないよ、藤堂さん」
朝比奈の朗らかに明瞭に響く声色が鼓膜を震わせるのを、心地よく感じながら藤堂は目を伏せた。あふれ出た雫が一筋、その頬を滑り落ちた。
「お前が生きていて、よかった」
痛いほどに立てる爪の感触を朝比奈は明瞭に藤堂へと伝えた。藤堂の指先がそっと朝比奈の顔に走った新たな裂傷をなぞった。凍てつく冷たさを思い出させるその深さに身震いしながら藤堂は朝比奈の抱擁を受け入れた。
それは私の罪の、跡
《了》