君らしいよ
04:君のその救いがたさがこんなにも愛おしいよ
じりっと後ずさるがすぐに壁に塞がれる。目の前の男はそれすら承知でグイと顔を近づけてくる。これでキュリオの方が小柄だったら目も当てられないが、あいにくというか幸いというか背丈も体格もキュリオの方が勝っている。だが相手の方もそれを気にする様子は微塵もない。結果としてキュリオがずるずると後ずさって押されてしまう。
「やめ、ろ」
切れ切れの声も愉しいと言わんばかりの相手を必死に睨みつける。武骨ですごみのある見かけだと思っているが相手は毛頭感じないらしく当然のように唇を重ねた。
「止めろ、と言って、る!」
さらに吸いついてくるのをキュリオは腕力で引き剥がした。多少の戦闘経験と鍛錬のおかげで腕力には自信がある。キュリオより華奢な相手はあっさり離れたが不満そうだ。夜闇のような暗い外套が翻る。
「ティボルト…!」
相手の名を呼べば多少機嫌が治まったとでも言いたげな顔だ。艶のある濡れ羽色の髪と碧色の瞳。白いうなじがすっかり隠れるほどの長さで肩の上で毛先が揺れた。
「何が嫌なんだ、お前。オレが嫌なのか? あの長髪やチビならいいとでも」
ティボルトの指す長髪やチビの意は判ったがキュリオは思わずそこで抗議した。
「なんで男ばっかりなんだ、そこで」
多少の苛立ち紛れのキュリオにティボルトはフンと鼻で笑うと肩をすくめた。上等な質らしく外套はティボルトの動きに合わせて畝や艶の波を作る。手足や皮膚のように柔軟に動くそれは明らかに布地であるキュリオの外套とは違った。ティボルトはどこで稼ぐのか、時折有料の宿屋へキュリオを連れ込んだ。キュリオにそのしわ寄せが来たことは一度としてなく、負担があるとすればそれは抱かれる際の負荷だけだ。金銭的に負荷が来たことはなく、それがキュリオの拒否を少なからず鈍らせていた。
「お前は正直で可愛いな。何を考えてるかすぐに判るぜ」
「――そう簡単に判ってたまるかッ!」
ツンツンと頬をつつく手を乱暴に振り払う。ティボルトの白い指先はすぐに夜闇と黒い外套に紛れて消えた。苛立たしげなキュリオをよそにティボルトは平然としている。あまりにも平然とされるとこちらが悪いような錯覚を覚える。キュリオはおずおずと相手を窺ったがティボルトに変化はなかった。
「なんだよ、おとなしいな。気持ち悪いぜ。お前はもっと跳ねっ返りだろう」
おとなしくなったキュリオの頤を掴んでティボルトがうそぶいた。キュリオは衝動的にその手を払うと、細身のティボルトを押しのけて帰路についた。ティボルトはその後をしつこくついて回る。
「なぁお前、本当は誰がいいんだ。オーディンとは言わないよな、そんな不敬な性質じゃない。だとすると、あとは長髪か時々一緒にいるチビか」
キュリオは路地裏へとつながるあたりで不意に歩みを止めた。ティボルトもつられて止まる。そこへキュリオはあっさりと言ってのけた。
「別に誰でもいい。無理やりするのが嫌いなだけだ」
刹那、ティボルトはポカーンとした間抜けた顔をした。普段から身だしなみに気を使う彼らしくない反応にキュリオの方が戸惑った。ティボルトは路地裏に出入りするくせに身なりやありようには気を使っている。そのティボルトの呆気にとられた顔にキュリオの方がたじろいだ。
「だ、誰でも、いいのか?」
念を押すティボルトにキュリオは躊躇しながらも頷いた。そもそもキュリオは嘘の上手い性質ではないし、ごまかしや煙に巻くと言った技術も持ち合わせていない。幼馴染のフランシスコいわく、馬鹿正直ですね、なのだ。偽りや誤魔化しをするには正直すぎる性質だった。キュリオ自身もそれを承知していてそのように振る舞う。ティボルトはしばらく呆気にとられた間抜けた顔をしていたが、すぐに吹きだして背中を丸めて笑った。
「なんだッ」
血相を変えるキュリオをティボルトは愉しげに笑いながら見つめた。
「そう驚く事でもないぜ。そうか、ふぅん、誰でもいいねェ…く、っくっく…」
ティボルトは整った顔立ちなだけに笑い顔には妖しいまでの魅力がある。官能的な白い皮膚に黒髪が映える。白と黒のコントラストが人目を惹く性質だ。それでいて瞳は宝玉のような碧色。人造物じみた美しさがそこにあった。
その人造物は天然を愛した。硬い鳶色の髪に芥子色の瞳。その上、瞳は隻眼で片目しか開いていない。片目は眉の上から走る傷によって塞がれていた。深いその傷はキュリオの片眼が開く事を永遠に封じた。
「ティボルト?」
怪訝そうなキュリオにティボルトは美しく妖艶に微笑した。性別すら超越したようなそれにキュリオが頬を染める。女性とも男性とも言えないそれはただ美しく魅了する。
「いや、お前はやっぱりお前だと思っただけさ。誰でも、イイねェ…お前らしいと言えばお前らしいか」
「どういう意味だ」
むすっと膨れたように言うキュリオにティボルトはただ笑んだ。その様は超越した何かのようにすべてを受け付けず受け入れず、ただ孤高に美しい。それは他者を突き放したような位置にある。キュリオはそれを感じながらどう表現したらいいのか判らずに口をつぐんだ。
「お前、この世で移ろいやすいものはなんだと思う」
「移ろい、やすい? …さぁ、判らない」
「簡単に投げ出すなよ」
ティボルトは戯れのようにキュリオの襟を緩めて鎖骨へ口付けた。くっきりと浮かび上がったそこがキュリオの震えに連動して振動した。キュリオは筋肉のありようがよく判る体躯をしている。無駄な脂肪はなく引き締まった体つきで、どこに筋肉がついているかすぐに判る。指先でその在りようがたどれるほどだ。対してティボルトもしなやかな体躯だ。バネのようなその力はいかんなく発揮され、暑苦しいような熱量とも無縁の細身をしている。腰の二刀を外套のうちに収めきれるほどその腰つきは細いが、強靭だ。
「それはな、愛情だよ。どんなに愛おしくてもな、いつかは愛情なんて移ろうものさ。だから抱くんだよ。身体的な快楽でつなぎ止めようとするんだよ。人とは罪深いな」
キュリオはただ黙って聞いた。反論したくてもキュリオ自身、そう豊富な恋愛経験があるわけでもない。
「だけどな、移ろうが故の永遠性というものもある。移り変わる危険性を秘めているが故の永遠というわけさ。死があるからこその再生があるようにな」
「死があるあからこその、永遠?」
キュリオを隻眼とした傷跡をティボルトは丹念に舐めた。神経が直接触れるそこは過敏でキュリオは触れられるのを嫌う。それでも我慢するキュリオにティボルトは聖母のように微笑した。
「そうさ、何かを失うからこそ得られるものがある。それが当たり前ってやつさ」
「ならば、不死に再生はないと」
「鋭いな。お前のそういうところは嫌いじゃないぜ。死なないものに再生はない。必要性も、ない」
ティボルトが夜空を仰いだ。瞬く星星はどこか街の明かりの瞬きに似ていた。その白い首筋へ口付けると潤んだ目尻へキュリオは口付けた。
「なんだよ、別に求めてないぜ」
「泣きそうな気がした。だからだ」
キュリオが当然のように言うとティボルトは喉を鳴らすように振動させて笑んだ。かぷりと甘く歯を立てれば猫がじゃれついたかのようにあしらう。そこに厭うような様子はなくどこまでも友好的だ。硬い鳶色の髪を白い指先が優美に梳いた。
「お前は実に勇敢だな。人心の奥深くにまで入り込もうとするか…まったく、嫌になる。だけど、嫌いじゃないぜ」
「泣きそうになっておいてよく言うな。だったら俺にかまうな」
キュリオの言いようにティボルトは心底おかしいと言いたげに呵々大笑した。秘された血統の良さがにじむ品の好さだ。キュリオはそれに見ないふりをしてただ口付けた。
「お前には敵わないな。まったく、驚くべき鋭さだよ、ときには凡夫ほどに鈍いくせに」
「それこそ移ろうってやつだろう」
「は、その通りかもしれないな」
キュリオの返答にティボルトは愉快そうに笑った。普段の皮肉げな色はそこにはなく、ただ愉しみだけがあった。
「ったく、お前は頭がいいのか悪いのか判別しかねるな」
「どういう意味だ」
いささかムッとしたキュリオが問い返せばティボルトは知らぬふりだ。口笛など吹きながらキュリオの鳶色の髪を撫でる。隻眼となった芥子色の瞳はティボルトを見上げるがそれすら意に介さない。
「…かなわないとはこういうことか」
「なんの話だ?」
「人を好きになるという大変さがよく判ったって事だ」
「それは何よりだな。オレの苦労を少しは判れよ」
二人は同時に噴き出して体を震わせて笑った。二人はじゃれあうように建物の影へ身を躍らせた。蠢くような闇へその身を投じながらどこかすがりつく安堵を求める。
「お前のその加減がたまらなく愛おしいぜ」
「それはそれは」
「けして頭がいいわけじゃないんだがな。むしろ馬鹿の類かもな」
「口を閉じないならこちらにも考えがあるぞ」
「それは怖いな」
ティボルトは簡単に軽口を封じるとキュリオにキスをした。キュリオの方もそれを抵抗なく受け入れる。
「愛してるぜ。お前のその馬鹿さ加減も含めてな」
「言ってくれるな」
ティボルトは愛おしげに髪へ唇を寄せる。キュリオも黙ってそれを享受した。
《了》