それがほしいよ。


   冷たい不安の先にあるもの

 肌を奔る刺激に葛が目を覚ました。開いた視界の霞が取れて鮮明になっていく。それでも夜半と言う時間帯に卓上灯のみでは視界は利かない。黒い天幕の空に融け消えるように広告灯の派手な明かりがさしていく。港が近ければ繁華街も近い。夜が更けるほど旺盛になる住人たちに商売も対応する。窓硝子の外での遠い喧騒が耳の奥でうずいた。部屋の灯りが落ちていても惨状が判る。脱ぎ散らかされた衣服は予告のなさと乱暴さをあらわにする。身じろごうとしてきしりと鳴る寝台に葛が怯んだ。散々揺らしていたのにと思うと同時に羞恥がこみ上げた。極めて抑制された生活を送っている葛にとって不意の交渉は思わぬ余波を残す。意識のどこかに弛みが生じてそこからほころんでしまう。それらは日々の生活の中でちょっとした不注意に埋没するが、当人には明確に判る。
 嘆息して腹に息を溜める。戦闘訓練を受けたものとして多少の呼吸法についてコツを知っている。動揺に揺れる意識を殺して四肢を強張らせて腹の奥へ溜める心算で深い呼吸をゆっくりと繰り返す。肌がしっとりと敷布と乖離して初めて葛は体を起こした。少し視界がくらりとする。体の根幹を揺さぶられた余韻がある。眼をやれば鎧戸を下ろしていない窓際へ葵がたたずんでいる。昼日中に見れば葵の髪や双眸の淡色には驚くが、夜の闇を吸ったそれらは研磨された宝玉のようにどこかしら手を加えた美しさを備えた。黒くないから目立つかも、と不満そうになりを認識している葵だが、暗い部屋で見る分には十分誤魔化せると思う。葛の黒髪のほうが境界線を融かして野放図に蔓延し、始末に負えない気がする。点滅や発光を繰り返す広告灯の灯りが不意に射して葵の双眸を玉のごとく照らし出す。薄くなっている肉桂色の双眸が牙をむくように顔を出し、瞳孔や虹彩まで見えそうなそれに息が止まりそうになる。その瞳がきょろりと動いて葛を見た。

内から照らし出されたような潤みを帯びた双眸が眇められた。

 寝台から出ようとして葛は全裸であることに気付いた。下着さえもどこへ放られたか判らない。不規則に部屋を照らす広告塔で縫うように見ているうちにどうでもよくなる。脚の間や体内をさらした相手に表皮を見せるのをためらうのもおかしい気がした。葵は肩をすくめた葛を見てにィッと笑んだ。口の端を吊り上げて皮膚が裂けるように口が開き、白い歯が覗いた。夜半の薄闇を吸った情景の中で葵の歯の白さは異質だ。
「起きた?」
社交辞令に応えてやるつもりはない。内までさらした相手と言うことは即ち、取り繕う必要のなさと共通した。必要最低限の愛想さえない葛はつんと返事をしない。それでも葵は気を悪くするでもなく窓硝子の外へ目線を投げ戻した。硝子に添えられた手がかしゃりと耳障りに引っ掻いた。
「葛ちゃんは可愛いねーオレ、結構」
「硝子ごと頭を割られたくなければ黙れ」
ぴしゃりと封じるような葛に葵は頬を膨らませた。紅い唇を尖らせる。不服げだが異論はないのか口応えもしない。葵は己の感情や考えを口に出すことを厭わないから、態度の信頼性はある。
 葛の背骨がきしと軋んだ。深い息をつくと四肢の強張りを解いて寝台に投げ出す。情事のあとの気怠さがまだ葛の体に染みついていた。まだ内を犯されているような気さえする。葵の体温は性質悪く葛に干渉し、侵蝕する。葵の性質があけすけで、驚くほど悪意と縁のないことが救いだ。白い敷布や上掛けに四肢や腰を包んで葛は壁へ背中を預ける。夜半の喧騒は昼間のそれとは性質が違う。明確な呼び声や物売りの声はなくただ、空気がざわざわと騒いだ。通りかかったくらいではそれと気づかず、耳の奥底でざわめくようなそれに意識が忙しなくなる形で影響する。纏う空気の流れを肌で感じられる人には明確に判るだろう。壁や鎧戸を隔ててもどこかしらから流れ込むざわめきは気分を浮き立たせるようにうるさく鳴らす。葛は交渉で疲労した体をざわめきに委ねた。葵も特に何も言わない。二人ともが耳を澄ませるように空気の振動を感じていた。
 「こわいな」
漆黒が射すように強い視線をさりげなく葵の背へ向ける。葛はしきりに瞬きを繰り返す。情事のあとの体はことごとく葛の自制と連動しない。何の前触れもきっかけもなく、葛の双眸は泣き出す前のように潤んで艶めいた。葵は背を向けたままでぽつぽつと独り言を繰り返す。葛の返答を期待しているわけでもなく、言葉にすることに意味があるようだ。
「平和も安定も欲しい。普通に暮らせたらいいのに。でも隣に葛がいないのは」
葵の目が眇められた。凛と筋の通った眉が寄せられて苦しげにも見える。葵の唇が引き結ばれてから喘ぐように息をする。戦闘を目的とした訓練を受けていないと、葵の体はすぐに判る。現在の本業に必要な訓練も技術もある。だが葵の体はあくまでも非常時戦闘のそれであって、本来戦闘を目的とした訓練のそれではない。軍属と言う戦闘を目的とした団体に籍を置いたことがある葛にはその差異が明確に感じられた。差異であると同時に壁でもある。それはどこかで心構えにも影響する。戦闘と作戦は似ているが違うと思う。作戦の成功と戦闘の勝利はまったく違うものだ。
 「隣にお前がいない明日は嫌だ。偶然出会えたなら必然として一緒にいたい。義務があるなら権利が欲しい。お前を知って、オレは…お前を、なかったことになんかしたくない出来ない」
ぎし、と寝台を鳴らして葛が伏せた。敷布のざらついた感触が荒く頬を撫でる。葵が俺を欲しいなんて言ってくれる。誰かにお前が欲しいと言ってもらえるなんて、嬉しい。面倒くさい。煩わしい。でも、嫌いになられてしまったらさびしい。葛の黒い睫毛が瞬いた。潤んだ漆黒を一定のリズムで覗かせる。行為で乱れた髪がはらはらと額にかかる。脱色も染髪もしていない、地のままで黒い髪は墨で刷いたように葛の額に線を走らせる。
 気付くと葵の目が葛の方を見ていた。しどけなく寝ころんだままで葛は挑戦的に葵の目線を追った。上掛けを絡めたままの腰部や葛の顔、うなじやそこにはらはらと散る後れ毛にまで葵は眼を走らせている。葵のうなじは短めに刈り上げているからすっきりとしている。けば立つ派手な広告灯の明かりで何色にも染まって光った。
「怒んないんだ。いつもは嫌がるくせに」
クックッと笑って揺れる肩が葵は細い。葛の指先が敷布を這った。蝋のように白い葛の肌は薄墨のように灰色を帯びる。揶揄を含んでいた葵の声から笑いが消えて、生真面目に見つめてくる。脚を擦り合わせれば葵の眦が色を帯びる。眇める目が色欲に染まっていく。
「……俺も」
葵がきょとんとする。葛が自発的に言葉を発するのは珍しいし、そういう自己認識もある。それでも葛の唇を言葉は割って出た。
「俺もお前がいなくなるのは、困る」
葵の、顔が。

にっこりと。
悪戯が成功した子供のように幼く
愛し人に別れを告げるように切なく
生き別れのように苦しく
再会のように嬉しげな、
笑みが。

「ありがとう、葛、でも、だからこそごめん」
葵の詫びと礼の意図が読みきれない。葵は軽薄なようでいて深淵を抱えている。蟻地獄のようにそれは、応えのない砂の虚ろやくぼみであり、嵌まった時にはすでに抜け出すすべはない。葛は己がすり鉢状の底辺にいることを自覚した。逃れられない。ならばこそ、わがままになる。爪が葛の踝をとらえて引き抜かせない。
 「お前が一緒にいたいって、言ってくれるのがすごく嬉しい。でも、葛はオレとなんかいたら駄目なんだよ」
はねつける葵の指先は痙攣的に震えて、ともすれば葛の裸体へ伸びそうになっている。葛は挑むように絡みつく布地の拘束をくつろげた。葵の手がびくりと震えた。引き結ぶように緊張した面持ちの葵が葛を見返した。葵の緊張などなかなか見る機会はない。作戦中や戦闘中であれはそんなことを忘れて没頭しているから、案外見覚えもない。緊張した空気を帯びれば葵の顔容の幼さがあらわになる。睫毛がぴんと伸びた眦の眼は大きいし、唇も厚みがある。引き結べば小さくなるし観賞に耐えると思う。葵の親御さんはきっと美貌であったろうと葛は栓なく思った。男の子は母親に似るという迷信を思い出す。葛自身は母親より厳しくしつけた祖母の印象が先だった。だが葵は違うようで、話や言葉尻の端々に、母親の影響が窺える。真っ当ではない恋愛を許容する、ということも母親の存在が影響しているらしい。真っ当でない恋愛など探そうと思えばそこらじゅうに溢れているから、どういった関係に母親が噛んでいたかは知らないし、知る必要もないと思っている。ただ葵は、籍を入れるだけが愛情だとは思わないと繰り返す。
 「一緒にいたいけど一緒にいたらいけないんだよ。それがきっと、オレ達だから」
葛は黙って寝台へ伏せる。肩口や頬が荒い敷布になぶられた。仰臥すれば、上下のさかさまになった葵が切ないような顔をして葛を見ている。切ないような悲しいような嬉しいような。喜ばしいけれど素直に喜べない屈折。泣きだしそうだ、と思う。涙は哀しい時だけではなく嬉しい時にも流されるものである。感情の高ぶりだけが葵を彩り、葛に判るのはそれだけだ。その正負は判らない。好しにつけ悪しきにつけ、葵が気を高ぶらせていることだけ確信する。冷静ではないと言うことしか判らない。葵の高揚は不意に葛の熱を犯して引きずっていく。
「かずら、ありがとう。すごく嬉しい。お前と一緒に、オレもいたい。でも葛はさ、オレとなんか一緒にいたら駄目だよ」
「それは俺が極めることだ」
はねつけるような強いそれに葵が怯んだように音を途切れさせた。葛は遮ったことを後悔したが、葵の声が絶えてしまっては後にも引けない。そのままなんでもない顔をして続けるしか取り繕えない。
「俺は俺がどうあるかくらい自分で決める」
だからこの関係も。行為も。立場も。全て、全て俺は納得ずくで、だからそんな責めないで。
お前も俺も、誰もきっと、悪くなんてないから。
 「オレはお前のそういうところが好きだよ」
葵の笑顔は顔全体に広がる。纏う空気さえ華やいだ。葵の顔容は感情の在り様が明確だ。葵自身がそう心がけてもいるのだろう。葵は感情や好悪を表すことに躊躇しない。その潔さが葛は好きだ。軍属の経験は感情を殺すことを叩きこんだが表すことには頓着しなかった。結果として葛は、意識と表情が連動しづらくなっている。辛いとか哀しいとか愉しいとか思っても、その情動が相手に伝わるのは稀だ。葵はその例外の方であるらしく、殊更過敏に感じ取っている。それ自体が驚きだ。
「葛はさ、葛は…綺麗なんだよ。本当に綺麗。だからさ、オレなんかが何かしたらいけないんじゃないかなって思う。葛をどうにかしていいのはオレじゃなくって、もっともっと位とか立場とかがいい人なんだと思うんだ」
葛の口元が引き攣った。溢れだす言葉も言いたいことも不満も飽和して溢れて喉で磨滅した。怒涛のように奔る流れは、その強さゆえに互いを殺し合う。
葵が言う前に葛の喉が奔った。
「俺は立場の良し悪しで付き合いを決めるほど落ちぶれてはいないッ」
葵はびっくりしたように目を瞬かせた。睫毛がしきりに上下する。肉桂色の双眸は点滅する広告灯でさまざまに染まった。
 葵の感情の動きが葛には判らない。判らなくていいとも思っている。なにもかもが知れては守るべき寄る辺がなくなってしまう。最後に保つべき自己の秘密があるから人は、内側へ人を呼び寄せるのだ。
「ごめん、オレは逃げてるだけだって解ってるけど…でも、ずるくってもそれしか、できることないよ」
何か言おうとした葛の先手を打ってぶづッとあたりの電源が一斉に落ちた。不必要にけばだたしい広告灯や、夜半の営業で電力は著しく消費される。供給を上回る事態は往々にして起きた。粛清さえ兼ねるように供給は唐突に中止される。辺り一帯が闇に堕ちた。葵の顔さえもう判らない。射しこむ月明かりはよほど仄白く照らした。葵の体つきの陰影が見える。華奢で上流階級の身分のような形をしている。
「かずら」
切羽詰まったように葵の声はあらゆる束縛から解き放たれた。葛も腰へ絡めた上掛けが融けることさえ気にせず足を下ろした。互いの腕が確かめるように背を軋ませ、肩を撫でて肩甲骨をたどる。抱きしめあいながら奥へ眠る熱の拍動は心地よい。それがすべてだった。
「かずら、かずらッ」
浮かされたように繰り返される葵の声が心地よい。葵の声は耳朶だけではなく葛の胸のもっと深い所さえ振動させる。偽りの名であっても、それが今の葛の全てで、だからこそ嬉しかった。
 「あおい」
抱擁した。そのまま倒れ込んで床が軋んだ。ぎしりぎしりと二人分の裸身が蠢く。仄白い月明かりに刺されながら二人は融けあった。床が抜けると思うほどの鳴動に葛は仰け反って喘いだ。

君が好いと思う。
おれたちにはいましかなくて、だから

いま、きみがよいとおもうんだ。
未来が見えなくて考えられなくて、考えたら呑みこまれてしまって。
君の慰めが欲しかったんだ。


《了》

微妙に楽しかった件! 葵と葛はいいね!
お互いにうだうだしているといいよvv 
BGMは青エクのOPだったりするとかwww 聞きながら読んだら何かかわ…らないか!
誤字脱字ありませんようにwww     2011年5月28日UP

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