私の中のすべて


   ワールド・ホールド

 新宿の目の前で都庁と六本木が話している。いささか気分は害しても特別に不自然な光景ではない。六本木は都庁や新宿と同じ路線なのだ、話すこともあるだろう。ましてや都庁は起点であれリーダーであれと平等に接するから六本木の影が見えていないんだ。月島だって危ういものだ。性質が悪いのはその黒さが目に見えないところだ。二人の目線が日溜まりのように都庁の喉元や腰へはしるのを新宿は何度となく見ている。何度か注意したら都庁に咎められた上に日頃の行いですねとか言われてひどく腹が立った。それからは注意もしないが見ないふりもしない。やられたらやり返すだけだ。都庁には悪いと思うが巻き込まれてもらう。だいたい鈍感さにも責任があるんだからなとは新宿の言い分だ。
 だが今新宿の気分を苛立たせているのは話している六本木でも控えるようにして眺めている月島でもない。
「新宿さ―…ウワッ何その顔」
顔を出した汐留が大袈裟に嫌そうな顔をして後ずさった。
「お子様はうるさいな。なんだよ」
子供扱いされると漏れなく怒る汐留がじりじりと逃げ出したそうに体を引いている。
「怖いよ。笑ってよ」
新宿は顔の筋肉を動かして口の端を吊り上げ目を眇める。
「すごい、無理ムリ笑ってる」
「用件がないならあっち行けよ」
瞬時に消えた笑顔に未練さえなく新宿が冷たく汐留を追い払う。ぶぅと薔薇色の頬を膨らませるところはまだ稚気が見える。新宿より明るく色の抜けた短髪を揺らして地団太を踏む。
「皆に伝言伝えて回ってるのに!」
「さっさと言えって言ってるのが聞こえてないのか」
「しばらくお客様ないんだって! だから残務処理をしろって…――って聞いてないよね?!」
新宿は疾うに汐留を放り出して都庁の肩を掴んでいた。
 「おい都庁、しばらく子猫ちゃんはこないらしいからちょっと俺に付き合わないか」
「都庁さんは付き合わないよ」
「お前には訊いてないぜ、史ちゃん」
六本木の白い皮膚がみるみる紅潮していく。咎めようとする都庁の腕を引いて停車駅で降りる。腰を浮かせた月島と扉に衝突した六本木を乗せて列車が発車する。都庁が半ば茫然とそれを見送っている。他者の目がないとなると新宿はますます不機嫌を隠さない。
「新宿、あれはひどい」
「酷いのは前だろ」
切り返す新宿の言葉に都庁が押し黙る。嫌う下の名を呼んだことやその内容に反論しない。つまり自覚があるってわけだ、と新宿は口元を歪めさせた。
 「ふぅん、怒らないってことは前に自覚があるんだ。そうだよな、前は六本木の話なんか全然聞いちゃいないんだ。ずっと落ち込んでさ。空元気が丸わかりだぜ、あれなら月島あたりは気づいてるかもな」
都庁はますます辛そうに紅い目を伏せた。震える睫毛の黒さまで見えて新宿の心がうずく。都庁に辛く当たるのは火傷のように後を引いた。その瞬間は麻痺したように痛くなくても確実に損害があり、時が経つほど傷が深くなっていく。しかもその痛みは鮮烈というより奥底から響く疼痛だ。
「新宿、戻ろう。抜けることを申請していないし――」
「逃げるのか? 前は探り当てられるのが怖いんだ。傷をさらすのは嫌だもんな、痛いし醜いし。でも相手に悟らせるような生半可な隠し事は逆に迷惑だ」
都庁の紅い双眸が集束して見開かれた後に潤んだ。落涙を堪えるように震えて眇められる双眸は紅いインクのように揺らめいた。唇を噛んで指を握り込む音がした。不本意だが新宿の方が背が低いのでどうしても見上げる形になる。都庁はこの路線内でも長身の部類だ。
「…――責任は俺が取るよ。勝手にフケた罰も受けるから。だから、そんな」
新宿の指先が都庁の眼鏡を取った。都庁はそんな仕草にさえ反応できずに震えている。
「何でもないって顔、しないでくれよ。見てるこっちが辛いんだ」
都庁の脚が崩れた。倒れ込みそうになるのを新宿が支え、都庁もすぐに立ち上がろうとする。新宿は都庁を制したままベンチへ連れて行く。座らせると少し落ち着いたように背を丸める。眼鏡のない顔を撫でるように覆ってうつむいたまま都庁が新宿に訊いた。
 「すまない、そんなにおかしかった…か? 迷惑を、かける」
新宿の返答はなく都庁の独白のように言葉が続いた。都庁の声音はひどく静かで、それでいて脆かった。
「…言ってはならないと思うんだ、でも。…私にできる限界を、感じた」
先に都庁が相手をしたお客様は確かに少し難しかったろうと思う。現代人らしく単純に見えて入り組んだ。新宿も上手くさばけた自信はない。それでも都庁に出来ることはしたのだろうし、お客様は帰って行ったのだから成功といってよかろうと思う。都庁は訥々と不安と戸惑いを語る。あれでよかったろうか、もっと良いことができたのではないか。過ぎたことを気に病むことは新宿には出来ないし必要もないと思う。自分たちは所詮駅である。通過点なのだ。乗り入れの多い新宿などは特にそう思う。都庁前は起点であるから余計に気負うのだろうかとも思う。
 都庁の眼鏡を失くした裸眼の紅さが際立った。皮膚が白い。蝋のように固い白さであるから都庁は気を張っているのだ。相手を思いやる余裕を誰もが常に有しているわけではない。
「ばかだな」
ぽふ、と新宿の手が都庁の頭に乗った。そのままぐしゃぐしゃと整えられた髪を乱してやる。ぽかんとした顔の都庁と目があった。前のめりに伏せていた都庁であるから目線が珍しく新宿より下だ。新宿はここぞとばかりにふふんと笑う。

「俺達は万能じゃないかもしれない。でも、ゼロじゃないぜ」

都庁がふわりと笑う。普段が笑ったりしない都庁であるからその珍しさに唖然としている新宿に都庁はほわほわと笑った。眇められる紅い眦にぽちりと雫が浮かぶ。
「ありがとう」
「べっ別に」
前はただでさえ堅苦しいんだからそのうえ辛気臭くなられたら困るんだ。つけつけと言い放つ新宿に都庁がクックッと肩を揺らした。
「なんだよ、そんなにおかし」
ふわりと重なる柔らかい。目の前に都庁の貌がある。柘榴のように紅い双眸はひどく蠱惑的に揺らいだ。蝋のような白さから乳白色へと微妙に変化していた。茫然としている新宿の舌に幼く絡んでから唇を食んで離れていく。
 「…――ち、ちがった、か? お前はいつもキスしろキスしろというから」
身動きの取れない新宿をどう思ったのか都庁はわたわたと言い訳する。蒼白かった頬は紅く火照り妙に紅い唇がむっと不満げに引き結ばれる。血の気の戻ったらしい都庁に安堵しながら、それを隠して新宿はにやりと笑んだ。
「キスだけ? 他のことはしてくんないのか?」
都庁が顔色を変えて繰り返す。
「ほっほかのこと?!」
 「たとえばほら、こうして――」
都庁の頬を新宿が舐めた。そのまま首筋へ舌を這わせながら襟を開く。逃げるように傾いでいく都庁の体が背もたれで止まる。逃げ場はなく新宿もそれを知っている。
「誘ってくれたっていいのに。のるぜ?」
「ばっばかッ――」
都庁がじたばたもがいた。その所為でベンチからずり落ちる。落ちた地面に腰を落ち着ける暇もなく都庁が慌ただしく立ち上がろうとする。その際に癖のように鼻筋へ指をやるが眼鏡がない。気付いた都庁の目の前で新宿がその眼鏡をかけた。
 「なんだ、これ度は」
「かっかえしてくれッ」
「や・だ」
新宿は判っていてからかっており、都庁もそれを感じているだろう。目元を紅くして怒りと恥ずかしさを堪えている。そう言えば眼鏡をかける人はそれが体の一部になっているから外すところを見られたくない人もいるとか。
「恥ずかしいのか? 前の素顔は可愛いから大丈夫」
「う、嬉しくないッ…――だいたいそういう問題じゃないッ」
「じゃあどういう問題だよ」
「人のものは返せ」
「却下だな」
「何故?!」
都庁の目がますます紅い。涙がたまっているので水面のように揺れている。想定外の事態に都庁の体は自制を取っ払ったらしい。なりふり構わぬ一生懸命さが見えて新宿はますます笑みを深めた。
 「頼むから返してくれ、それにミラクルトレインが」
んむーと考えるふりをしながら新宿が焦らす。不意ににゃあと笑うと指を突きつけた。
「俺のこと名前で呼んで」
「しん」
「下の、名前」
深意を測りかねている都庁に新宿が止めを刺す。
「前が呼んでくれないなら俺は返さない。前はよく平等にっていうもんな、俺だけ下の名を呼んだら不平等だから前にも呼んでもらおう」
「ずっずるい…」
地団太でも踏みそうに焦れた都庁が紅い。新宿はふふんと笑んだ。身長は負けていても交渉術に劣っているとは思わない。さーて俺はかえろっかなー。くるんと踵を返してしまう新宿を都庁があわてて呼び止める。
「わっ判ったッ…り、凛、太郎ッ」
 新宿は下から窺い見るようにずいと都庁に近づく。都庁が呻いて後ずさる。
「よくできました」
新宿の細い指がすちゃ、と都庁に眼鏡を戻す。それだけで離れていく。肩すかしをくらった都庁はなすすべなく新宿を見つめている。
「期待した?」
新宿はひょいひょいと足取り軽やかに先を歩く。都庁は予想していた事態の浅ましさに顔を赤らめた。
 「前、大丈夫だ」
沸騰していた考えのまま都庁は何がだ、と少し乱暴に返事をした。新宿は意味ありげに笑う。

「前には俺がいる。俺が受け止めてやるから、何でも安心してぶちまけろよ」

「馬鹿」
罵る都庁の口元が弛むのを新宿は優越に満ちたまま見つめた。
「前の事なら俺は何でも受け入れられる。前が俺以外を好きになるなんて、あり得ないけどな」
都庁はそっぽを向いたまま返事もしない。
 その頬や唇がひどく紅いのを新宿はすぐに見て取る。
「………私も、だ」
口の端が弛んだ。

私は君が好きで
君は私が好き


《了》

なにこのぐだぐだ! 実はリクエスト候補作でした。エロがないので表。
表の話をくださいと言われたらこれのつもりでしたwww いらねぇwww
誤字脱字ありませんように!           2010年9月2日UP

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