誰も気付かない
そう、本人ですら
03:物語
「ち・く・しょ・うぅ〜!!」
イザークが甲高い雄叫びと共に投了も言わず部屋を飛び出していく。
「おい、イザーク!」
今度こそ片付けを手伝わせてやろうと思っていたアスランの焦った声にディアッカが首を振る。
「ムリムリ。聞こえてないよ」
ディアッカの言葉には妙な説得力があり、アスランはため息をつくと浮きかけていた腰を下ろした。目の前の盤面は投了なしのアスランがチェックメイトをかけたところで止まっている。
「片付けは毎度オレだな…ディアッカも手伝ってくれたっていいんじゃないか」
クィーンの駒を指先でもてあそんでいたディアッカにアスランが不満げに言う。
「だからセコいコト言うなって言ってんじゃない。今頃イザークが部屋、破壊してんだからさぁ」
その片付けは俺一人だよ、とディアッカがため息をついた。
ディアッカが駒をもてあそぶ指先に目が行く。
存外に長い指先がチェスの駒とくるくると上下左右に回している。
ミルクのような白い肌が多い中で褐色の皮膚というのは酷く目立つ。芥子色の髪と垂れ気味の目尻が皮膚の色とあいまってエキゾチックな美しさをかもし出している。
伏せられた目蓋に睫毛が意外と長いと知る。
ディアッカとアスランに共通するのはコーディネイター独特の通った鼻梁くらいのものだ。
「ディアッカはチェス、やらないのか」
盤面を片付ける気にならず、ディアッカの真似をしてキングの駒を指先でもてあそぶ。
カツン、とディアッカの指がクィーンの駒を元に戻した。
「イザークほど強くはないけど?」
つき合わされたから多少は出来るよ、とディアッカが言う。頃合いを見たのか、ディアッカの腰が浮く。それをみたアスランは思わず声を上げた。
「じゃあ、一勝負、していかないか」
浮きかけたディアッカの腰がぴたりと止まった。
「俺と? イザークほど強くないって言わなかったっけ」
次には部屋へ帰るといいそうなディアッカにアスランは慌てて言葉を続ける。
「べ、別にそんなものすごい勝負がしたいわけじゃない。勝敗とかは関係なく…駄目かな」
わざとらしく目を伏せてみるアスランの様子にディアッカはふぅんと息をついた。
「後でつまらない勝負だった、とか言うなよ」
先刻までイザークが座っていた位置にディアッカが腰を下ろす。
「あ、ありがとう!」
何故だか嬉しそうに駒を直し出すアスランにディアッカが首を傾げる。
二人で駒の位置を直す音が部屋に響いた。
カツ、コツ、と硬質な音が静まり返った部屋に響く。
その間隔が次第に開き始め、終いにはコツ…と駒を置く音で止まってしまった。
考え込むディアッカの様子をアスランがじっと堪能している。
眉間のしわは彼の情勢をあらわしているようだし、大好きな幼馴染みと同じ色の紫苑の目は彼と全く違った輝きを見せる。考え込んでいる所為で前に傾いでいる姿勢からは彼のうなじから肩へのなだらかな曲線が見え、半ば伏せられた目蓋にどきりとする。
「うー…駄目だ、降参。投了〜」
前屈みになって見えていたうなじが見えなくなると同時に、ディアッカが両手を挙げて降参した。
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたァ」
二人で頭を下げて盤面を見る。
やはりアスランのチェックメイトで止まっているが、駒の展開がイザークとは違うことにアスランの顔が何故だか緩んだ。
「…片付けるか」
伸びたディアッカの指が駒を直そうとするのをアスランの手がとっさに止めた。
「何?」
思わずぎくりとしたアスランの口を言葉がついて出る。
「もう戻ったほうがいいんじゃないか? 時間もだいぶたっているしイザークが、その」
言われてディアッカがバッと時計を振り返る。
確かにチェス一勝負分の時間はたっぷりと経っていてイザークの破壊もとうに終わっていると思われた。
「ヤベ、じゃ、悪いけど」
片手をあげて謝る仕草すら何故だか網膜に灼きついた。
フワリと無重力に乗っかって、慌てて部屋を出るディアッカの背中を追う。
その後、きっとイザークとずっと一緒にいるのだと思うだけで、なんだかアスランは体の内部がざわつくのを感じた。
ふと目を下ろすと投了された盤面。
隙はきちんとついて攻め立てた盤面は満足の行く結果で、それだけ見ればどうということもないのだけれど。イザークと違う駒の展開の仕方に思わず笑みがこぼれる。
相手を窺うように動く駒はディアッカの性格のよう。バタバタと無理矢理に開いていくイザークとは天地の差だ。
相手を窺うわりに隙が出来ているところに笑みが浮かぶ。
「なんだかカワイイな」
アスランの指先が駒をカツンと弾いた。
誰も知らない誰も知らない
それは秘密の恋物語
《了》