どうして? どうして??


   どうしてこうなった!

 敷布が湿っているような気がする。毛布をかぶって丸まりたいところで玲瓏とした声が尊を阻んだ。眠るんじゃない、始末をしないと大変だろう。手際よく用意された濡れタオルがヒタヒタと肌を拭う。膝を掴まれて開かれるのをされるままになる。どうせ脚の間やその奥まで晒している。恥じらう年齢でもないし重ねた回数を考えればとうに慣れている。くぷ、と空気をはらむような潰れる音がして体がヒクリと震えた。わずかに反ってしまうのを宗像が笑った。お前はいつまでも敏感だな。蹴りをくれてやりたいのを堪えた。火照りと湿りを帯びた皮膚はしっとりと宗像の指先へ馴染んでしまう。真朱の短髪が白い敷布へ散らばる。上げている前髪が一房二房と額へ垂れている。いつまでも体を拭う宗像を乱暴に退けると体を起こす。ついでに前髪をざっとかきあげる。普段から額を露わにしているから前髪が鬱陶しいのだ。
 首筋や耳裏へ跡を残さない宗像の分別は場所によっては暴発している。脚の間や脇腹にはごまかしようのない鬱血が散っている。確認できる場所でその有り様であれば背中など見たくもない。枕辺を探って煙草を探す。お互いにねぐらには保ちたい体面と立場があり、自然と外の設備を使う。尊としてはこだわりがないから屋外であるのもしばしばだ。見かねた宗像がどうするのか様々な設備の一室へ理由を取り付け都合する。土の上でもいいけどな。尊の言い草に宗像はため息をついて、お前に金をかけるのは賭け事より勝率が低いとぼやいた。全裸であってもあまり恥じらわないのを宗像が説教する。長々とした高説を垂れる宗像の方がさり気なくちゃんと隠すべきを隠すからたまにどちらがどちらか立場が曖昧だ。
 煙草が見つからずに不貞腐れながら大きめの枕へ顔を伏せる。ぼふぼふと子供のように戯れる。毛布がかろうじて腰を隠すがもともと気を回さないので宗像が目をそらす。今日の枕はふんわりとして寝心地が良さそうだ。尊はわりあい寝付きがよく具合が良ければどこでも眠る。昔馴染みの営むバーの二階の長椅子は最高だ。思い出しながらもぞもぞ丸まる頭をぺしっと叩かれる。
「寝穢いですね」
「寝かせろ」
同性同士の交渉は体の部位に背くようなことばかりするから熱量の消費が多い。しかも宗像は涼し気な容貌に反して執拗だから面倒だ。言葉や指が容赦なく追い立てては焦らす。下拵えも念入りで納得がいくまで妥協しない。もういいと言ったところで聞かない。
 見た目が怜悧に整い、立場に見合った責任と能力をまっとうする男だ。地位のわりに足りないと思われるのは年齢だけだ。
「しつけェンだよ、寝かせろ」
濡れタオルの折を逆にして新しい面を出そうとしている宗像を蹴り飛ばす。堪えようと思っただけで終わってしまった。だから何というわけでもないのだが、気心が知れているぶん、口も手もすぐ乱暴になる。
「乱暴ですね、まったく……」
珍しく宗像がなにか言いたげだ。尊は無視して枕や毛布を引き寄せようとする。
「伏見くんのほうが聞き分けがいいですよ」
がぢ、と歯列が舌を噛むところだった。目線だけをぎろりと向けても、宗像の背中が向いているだけだ。しかもやれやれと肩を落とすさまが小憎らしい。
 伏見くんというのは伏見猿比古という二人より年少の少年だ。そろそろ少年という呼称から抜けそうな年齢だったような気もする。猿比古は裏方も戦闘も器用にこなす性質で、分類するなら宗像と同類だ。頭の回転も早い。馬鹿で悪かったな。刺のある台詞を吐いても宗像はこたえない。全く、周防は。尊の表情が険しくなっていくのを宗像は気づかず見ようともしない。もうちょっと可愛げがあってもいいじゃないですか。呆れと咎めの含んだ言葉が荒々しくなり、諍いに発展した。そんなによけりゃそっちへ鞍替えするンだな。あなたを口説くのにどのくらいかかったと思ってるんですか。だいたいにして伏見くんはあれで繊細な性質だから代替になどしたら可哀想でしょう。尊の口元は引き結ばれてからだんだんと不機嫌に歪んでいく。閨の直後に他の男の名前が出るなど願い下げだ。宗像は勉強ができるのに機微やら暗黙やらに疎いところがある。
 枕や毛布を引きずりながら乱暴に払い落として歩く。足あとのように散らばるそれらに宗像が新たなため息をつき、聞きつけた尊が首から銀鎖を外して投げつける。恥じらいもなく全裸になるとそのままシャワー室へ直行する。
「周防?」
「八田はもっと優しいぜ」
けたたましい音をさせて仕切り戸を閉めて水流の栓をひねった。宗像の表情がすぅっと抜けたことには気づかなかった。


 時が経つにつれてバカバカしさと同時に腹立たしささえ加わる。何故堪えきれなかったのかという自省と同時に宗像の無神経に腹が立つ。猿比古はもともと尊のもとにいたが出奔して今は宗像の部下へ収まっている。関係を邪推するつもりはないが名前を口にする時の馴染みが気を逆撫でする。口や舌へ馴染むほどその名前を呼ぶ仲であるならそちらへおさまればいいと悪態をつく。長椅子へ座っていても気が腐るだけだった。そのままふらりと街中へ出る。裏界隈と表通りの境界を歩きまわる。入り組み混じった街並みは思わぬ顔を見せてはその都度決まりも変わる。建物と建物の間には廃棄された残飯や空き缶が散乱する。雨垂れや漏水にふやけた冊子は土へ還るばかりに崩壊して何が書いてあったのかもわからない。
 誰か引っ掛けて憂さを晴らそうと思う。行きずりであれば互いの事情など顧みない。煙草を探り当てて指先へ一瞬だけ発火させる。咥えた先端に火がついたのを眺めてから両腕がぶらりと垂れた。肩の力が抜けて壁へずるずるともたれる。一定の間隔で増減を繰り返す人熱れを無為に眺める。同時に釣り糸を垂らす心持ちで目の前を行き交う人影を物色する。もっとおおっぴらに声をかけられる場所へ行く。秘された関係であることが多いからきちんとした手続きを踏まえる必要があった。そうでないととんでもないもの知らずへ引っかかる。暗黙の了解は仕草や装飾から読み取る。船乗りが紐の結び方で身内を見分けたのと同じような要領でやり取りをする。突っ込みたい同士でも受け身同士でも咬み合わない。その辺りの選別は正確で冷淡だ。咬み合わせは肝要だ。
 「うっげ」
蛙が潰れた悲鳴に気だるく目線を向ける。嫌そうな顔をした猿比古が逃げ出さんばかりにそこに居た。宗像のようにつやつやとはしていないがそれでもたっぷりとした黒髪は優美だ。黒縁の眼鏡が印象に残るが彼は無個性ではない。ある意味では無個性より厄介だ。
「伏見か」
「声かけないでくださいよ…」
退路を断たれたと言わんばかりの嘆きを無視する。彼の所属団体で揃いの制服に洋刀を提げている。抜刀するには条件がいるようで、明確な戦闘時以外に彼らはむやみに抜刀しない。公僕であれば当然なのかもしれない。権限があるぶん、行使には制限がある。
 不意に宗像の言葉を思い出す。伏見くんのほうが聞き分けがいい。聞き分けというからには何かしらのやりとりがあったのだろう。こんなガキの聞き分けって。猿比古はまだ飲酒も喫煙も解禁ではないのだ。そんな年齢と真っ当に、しかも閨の相手。半眼で睨み据えてくる尊に猿比古が後ずさる。スイマセン見なかったことにしてくださいっていうかそうしませんか。お前。精一杯丁寧に呼びかけたつもりだが基盤が粗暴であるから発露しない。指摘したそうな猿比古を無視して言葉を紡ぐ。
「宗像と寝たことあるか」
ごん、と洋刀が尊の頭部を直撃した。鞘からは抜かれていない。猫背に前かがみになっていたせいで衝撃が緩和もされない。猿比古は笑顔だがまとう気配が怖い。ハリセンの如く振るわれた洋刀を引きつつ、その口元が攣っている。白昼に訊くことですかそれ。言葉と衝撃とが様々に痛い。殴られたところをさすってしまう。脳天をかち割られた気がする。
 「……宗像の野郎とセッ」
「悪い方へ発展しないでもらえます?」
洋刀の先端がぐりぐりと尊の額の真ん中を押す。顔が笑っているのに目が笑っていない。うぐ、と言葉をつまらせると洋刀を引いてくれた。
「…あんたさぁ、室長とケンカでもしたんすか」
室長というのは宗像だ。部下たちは宗像を階級や肩書で呼ぶ。痛いところを突かれて答えに詰まる。喧嘩になるのだろうかと思い出す。たしかにあれから宗像へ一切連絡を取っていない。閨で他の野郎の名前を出す輩に差し出すケツはない。
「………ケンカ、したんすね」
はっきりと呆れられている。年少のものの呆れは憐憫に近く据わりが悪い。気まずい上にバツが悪い。目線を思いっきり逸らしてしまう。そこから読み取ったらしい猿比古がサラリと爆弾を落とした。
「室長かなり溜まってましたよ。しかも意識的にためてるからあれ絶対爆発させるつもりでいると思いますけど」
聞きたくない情報である。足腰立たないじゃ済まないかもっす。いらない補足である。
 「おい、伏見」
お前確か八田の相手してたな。八田美咲は猿比古と同じ頃合いに知り合った少年だ。年頃は猿比古と同じなのに体躯が小柄で力押しに負ける。敏捷性はあるがパワーが無い。負けん気が強く反発も激しい性質なのに体躯だけがそれに見合わないのだ。
「……美咲のこと出すなよ…」
尊の記憶では美咲と猿比古の諍いは頻繁で、仲裁が入り用なほどこじれたことも何度かある。それでもまだ付き合いは切れていないらしく、美咲の話題の端々に猿比古が登場する。
「お前、どっちだ」
猿比古の表情が物言いたげに歪んだ。


どうしてこうなった


 そうだ、問題はそこだ、と宗像は反芻を繰り返す。机の上の書類を睨みつけたまま固まっている。睨みつけるばかりで処理しないから書類を持ってくるものがだんだん退き気味になっていることに宗像は気づいていない。八田美咲の名前を出してシャワーへ逃げた尊を出るなり捕まえて説教をかました。売り言葉に買い言葉で互いに悪しざまに罵ってケンカ別れしてしまった。口数の少ない尊の悪口は時が経つほどその重大さに嘆息するしかない。そんなに腹に据えかねたというのか。他のものの名前を出すというなら宗像にも反論がある。吠舞羅の面子をあっさり懐へ入れてしまうお前の態度を何とかしろ。艶色の自覚を持ってくれ。ふわりとしたファーの付いたジャケットの下が薄着すぎる。理由は判るし、世間一般でもそういう傾向なのは承知のうえだ。それでも。無造作に首筋や鎖骨をさらすな。裾に気を配れ。女性のパンチラの如き腹チラには毎度毎度宗像ばかりが気を使う。尊は大雑把すぎる。それでいて慕うものをあまり拒まない。自覚しろそして自衛しろ。ブツブツ呟く宗像の部屋の扉が叩かれてはっと気がつく。
 名前と所属の名乗りに答えると騒がしく飛び込むものがいる。
「オレはかんけーねーっつってんだろ!」
「その場に居ただろうが!」
小脇に抱えているスケートボードを相手の顔面に叩きつけんばかりに怒り狂っているのは先日名前の出た八田美咲だ。イラッとした毛羽立ちを感じて、宗像は美咲を連れてきた隊員を退出させた。私が処理をしましょう。室長直々の言葉に一礼して退くのに美咲がケッと唾を吐く。
「お伺いしましょう」
「言うことなんかねーよ。近くで揉めてただけだぜ。オレはなんもしてねーし」
鼻を鳴らすようにうそぶかれる。尊との一件で吠舞羅の面子に優しくする気が起きない。だが公私の区別くらいはつく。それでも腹が立つ。悶々とした渦に笑顔を張り付かせたまま宗像は規定の書類を書きつける。
 八田はもっと優しい。思い出した瞬間ペン先が潰れた。音を立てて弾け飛ぶペン先に美咲がびくっと跳ねた。お訊きしたいことがあるのですが。笑顔が引きつる。血反吐を吐いている気になった。宗像の迫力に圧されたのか美咲が萎縮しながらなんだよと問い返した。
「周防尊は誰と誰と性交渉を」
「――み、みみみみ、みことさんはそんな人じゃねーー!」
美咲の悲鳴が聞こえた気がした。宗像の言葉を遮って真っ赤になった美咲が叫ぶ。てめーみことさんのこと、そんな、そんな。もごもご言葉を濁す。周防はビッチですか。違うし言うんじゃねー!
 沸騰して蒸気でも吹きそうだ。尻軽とか淫乱とか。いうなー! 言いたいことを伝えようとして単語を羅列する宗像の机に美咲はスケートボードを放り出して両手を叩きつけた。耳まで真っ赤だ。
「みことさんは優しいんだぞ! そんな、だれにでも許すよーな人じゃねー…」
「君に周防の何が判るんです」
美咲が尊の名を呼ぶたびに理由のない苛立ちが募った。言葉が次第にきつくなっていく。案の定美咲は殴られたように驚いた表情をしてから宗像を睨みつける。
「だいたいあなたは伏見くんのお相手なのでしょう。何故周防をかばうんです。それとも周防の相手でもあるとでも?」
「猿がなんで出てくんだコラ! ていうかてめーはうぜーんだよ! みことさんはずっと吠舞羅にいるもんな! てめーなんかおよびじゃねー」
柳眉が痙攣的に跳ねる。確かに尊は宗像からの働きかけをことごとく無視している。そのせいでタイミングさえも合わず、寝床はおろか顔さえも合わせていない。逆手に取る形で、会えたらぶちまけてやるとためているが限界も近い。終わりのない意地の張り合いはあとになるほどしんどいものだ。
 ふ、ふふ、ふふふふ。宗像は肩を震わせる。いいでしょう。
「周防尊のありとあらゆる情報、手段、吐き出していただきましょう」
机にたたきつけた書類がピリピリ震えた。

後悔させてあげましょう


 「あんたがケンカ後悔するなんて珍しいすね」
砕けた敬語が余計に突き刺さる。うぐぅと黙り込んだまま紙コップのコーヒーを啜る。隣へ座る猿比古はストローで飲料を吸い上げている。ズゴーと間抜けな音がする。むしろ間抜けなのは尊の方なのだが。
「まぁ普通寝床で他の野郎の名前出しませんけど」
そう思う。
「美咲の名前出すあんたもどっこいどっこいですけど」
本当にオレより年食ってんですか? 真摯に確かめられてトドメを刺される。猿比古の言うことがいちいちもっともすぎて反論の余地がない。座り込んだ膝の上に肘をついて頭を抱える尊を眺めつつ猿比古はしきりに飲料を吸う。がらがらと氷の擦れる音がする。
 「お互いに謝って一発ヤッたら? 室長は理屈っぽいですから理屈で攻めたら時間がいくらあっても足りないと思いますけど」
腰砕ける覚悟で挑めば許してもらえるでしょ。なんだかそれだと尊に落ち度があるようだ。そう言うと思い切り呆れられた。何度目だかわからない呆れにもう諦めがついている。一度だろうが二度だろうが恥は恥だ。どうせかくなら得られるものがあるところへ辿り着くまで繰り返す。
「あんたが言ったでしょう、オレと美咲に。ケンカなんてどっちが悪いとかないとか。突っ返しますよ」
申し開きも出来ない。負うた子に教わるどころの話ではない。明確に説教だ。
「なにか言うのが嫌ならゴム買って室長に箱ごと突き出したらどうすか。一日たったら元の鞘におさまってるんじゃないですか」
解決法がそれしかないのか。がっくり項垂れるところへ泣き声がかぶさった。
 「うわーー、みことさぁーーん!」
わーんと泣きだしている美咲が幼子よろしく尊の方へ飛びかかってきた。八田? 抱きとめる尊の仕草に猿比古の頬が攣った。
「みことさん、こいつが、こいつがーーー! うわーーー!」
後ろから悪鬼の形相でジリジリ近づいてくるのは宗像だ。わぁ…と隣の猿比古までもが退いた。
「八田、どうした」
よしよしと撫でてやると頬を擦りつけてくる。青服の二人が一瞬めらっと燃える。
 「室長」
猿比古の声に我に返った。瞬間、逃げ出そうとするベルトを捕まえられた。そのまま宗像の方へ押し出そうとする。室長、この猫要りますか? 伏見くんはほんとうに気が付きますね。蒼い制服二人の笑顔がニコニコとうそ寒い。
「伏見!」
真っ青になる尊を無視して猿比古は無情に美咲を引っぺがす。みことさーんと引き離される子供のような悲鳴に応えるものがいない。
「美咲、ちょっとこっち来いな」
「なんだよ、猿!」
美咲は感情の起伏が激しいぶん、切り替えも早い。二人きりにしてやらないと積もる話が出来ないだろ。特に尊さんのほうが。そうなの? 素直すぎる美咲に尊の血の気が引いていく。ここで放り出されたくない。今日はお前にいーっぱい尽くしてやろうか? 猿比古の滅多に見せない部類の笑顔に美咲が照れる。お、おう。
 すっかり懐柔されている。言葉も手もない。ぎりっと耳を引っ張られて泣きそうだ。
「あなたにはたっぷりと言い訳していただきましょうね。人の働きかけをことごとく無視した代償、支払っていただきます」
ゴムを箱で購入するはめになりそうだった。
「………おい。俺が悪いのか…」
「じゃあ私が謝罪を込めてあなたが嫌だと言うまで性的に」
結果が同じだった。しゃがみ込みたい目眩に襲われている尊を宗像が引きずって行った。



《了》

いろいろヒドイがいろいろ楽しかった!          2014年7月6日UP

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