散りゆくその間は刹那に。
 鮮烈に灼きつく。


   夜に開く華

 逢魔が時の闇は深く暗い。夏場の昼日中は間延びしたように長く、その分夜は早く過ぎていく。ザァザァと空気を湿らせるような雨滴にも似た音が、庭木の枝葉からする。内外を問わぬ目隠しを兼ねた灌木の茂りは密で、空間を断絶した。藤堂の窮状を通行人に知ってもらうのは無理があり、まして第三者が割り込むには憚りがありすぎる内容だ。朝比奈の手が藤堂の膝を緩やかに開かせていく。朝比奈も藤堂も湯を浴びた後であるから寝巻を兼ねた浴衣になっている。単衣で軽い浴衣の軽装は藤堂の状況を限りなく追い込んでいく。
 「鏡志朗さん」
ズルズルと後ずさる藤堂の背が襖に当たる。唐紙を破って逃げる間に朝比奈は藤堂の手脚を拘束するに違いなかった。朝比奈の手が仄白く真珠や雲母のように照る。軍属という肉体的な所属のわりに朝比奈は華奢だ。細く白い首や華奢ななりの骨格など性別さえ誤認させる。子供っぽく紅い唇で朝比奈が笑む。縁無しの眼鏡の硝子がちかりと反射する。藤堂の混乱した意識は壁に掛けられた時計の示す時刻と暗がりとの差に戸惑った。
「あさ、ひなッ…食事、が」
「冷汁なんだから冷めても平気。それより藤堂さんともっといいことしたいな」
朝比奈の口の端が吊りあがってにィと笑う。
「あ、鏡志朗さんですよね。藤堂さんなんて他人行儀だなぁオレ」
桜色の爪先は手入れを怠っておらず無粋な傷さえつけない。揶揄するように藤堂の唇を撫で、頤を滑る。藤堂の手がぎゅうと畳に爪を立てた。堪えきれない震えは朝比奈にも知れていて、朝比奈は愉しむように藤堂の肌を撫でた。羞恥に瞑りかけるにじんだ視界で取り入れ損ねた洗濯物がはためいた。夜の帳を反射したように蒼白い布地が翻る。夜なのか夕方なのか曖昧な時間帯は開放的な気分さえ誘った。
「鏡志朗さん…」
「……しょう、」
藤堂の震えた声が負けを認めようとする。刹那。

「アホ――! 雨降ってるつうの!」

近所迷惑をかえりみず響いた声に藤堂の肩がびっくんと跳ね上がる。どさっと縁側に下ろされる荷物の音に急かされるようにして藤堂は朝比奈のもとから逃げるとはためく敷布を取り入れた。雨はしばらく前から降っていたのか卜部の髪が濡れて垂れている。洗濯ものも洗い直した方が無難だ。溜息をつく藤堂を卜部のもの言いたげな眼差しが貫く。
 「なに、あんたなにしに来たのさご飯ないよ」
つけつけと言い放つ朝比奈に遠慮はない。だが卜部も咎められたからと言って退くような素直さを持っていない。そもそも藤堂を標的とした相関図で相対する位置に配置される以上、卜部に退く理由もない。ふんと卜部も鼻を鳴らして生乾きの洗濯物を朝比奈に投げつける。慌ただしく洗濯物を取り入れたが夏の雨は短い。すでに雨滴は途絶えて湿気を帯びた熱風が吹いた。立っているだけで汗のにじみそうな蒸し暑さはお湿り程度ならすぐに乾かしてしまうだろう。土の湿った匂いさえ一時のものでしかない。
「卜部、濡れている…! 今、風呂を」
藤堂が慌ただしく洗濯物を抱えて浴場へ向かう。卜部が朝比奈に投げつけた分も回収すると洗濯かごへ放り、湯殿の温度を確かめる。藤堂が風呂を用意する間、卜部と朝比奈の応酬がじとりと湿る空気を揺らした。卜部の分の食事がない、だから帰れと突きつける朝比奈に卜部は飄々と食い扶持くらい用意しているとうそぶく。あの二人はよく諍いを起こすが修復不能にまでこじれぬから藤堂は少しうらやましく思う。軍属という命をかける場所を商売にしている以上、簡単に関係がこじれては支障をきたす。それを抜きにしても衝突を繰り返し、それだけの余裕がある二人はやはりうらやましかった。


 卜部が湯を浴びて出るのを待って三人、座卓を囲んで箸を取った。メープルシロップと醤油は藤堂が取り上げた。ただでさえ食の細る夏場の蒸し暑さの中、食欲の減退は出来るだけ避けたかった。
「ねぇあんた何あの荷物。なに持ってきたのさ」
「アイスと西瓜。いらねェなら食うなよ」
ぱっと朝比奈の顔が華やいだ。一端ぶっても朝比奈の年若さはこうした折にあらわになった。もっとも藤堂をはじめとした面々はそれを厭うてはいないから殊更に注意もしない。
「わぁーじゃあ冷やしておこうよ。アイスも溶けるから冷凍庫」
卜部の手土産を奪って嬉々とした足取りで台所へ向かう朝比奈の背を藤堂が少し心配そうに見送った。浮かれて台所へ行った朝比奈は幼いころ、仕切り戸の段差で何度も転んでそのたび泣いた。うきうきした朝比奈はその例にもれず注意力が散漫になる傾向がある。
 箸の止まる藤堂に卜部がクックッと笑いだす。
「な、なんだ」
「あんたァあいつのお袋みてェだなァ。心配でしょうがねぇってツラしてる」
ぱちぱちと卜部の箸先が打ちあわされてそれが揶揄であることに気付いた。藤堂の口元が引き結ばれ頬は燃えるように熱い。藤堂は卜部の無作法を咎めることも忘れて咀嚼と嚥下をむやみに繰り返した。目線があげられない。卜部の口の端が吊りあがっていて笑っているのが窺えた。嘲笑か微笑かも判らず藤堂は首が痛くなるまで俯き、戻ってきた朝比奈がなんだと問うた。

 「あッ花火じゃない?」
朝比奈が不意に言い出す。藤堂の家は平屋であるから空は案外見えない。朝比奈の一言で卜部と藤堂も耳をすませた。どぉんと間延びした響きは腹にまで伝わる。同時に庭木の陰影が断続的に強く瞬いた。
「近ェな」
藤堂はここいら近辺の自治体の催す花火大会を思い出した。日時がそう言えば今日であった気がする。どうせ家を空けるのだろう、戸締りは確りしておかねばとそれだけで受け流していた。
「見えないかな、見たいな」
縁側から乗り出そうとする朝比奈に卜部が付け足した。
「屋根の上なら見えるンじゃねぇか」
卜部まで縁側へ出ていく。藤堂がアイス片手にそれを追った。
 きょろきょろと辺りを見ていた卜部が足取り軽く歩いていく。訳の判っていない朝比奈と藤堂は黙ってそれを見ているだけだ。
「ここらあたり、ちょうどいいな。壊れたら弁償しますから」
食べさしのアイスを咥えると、卜部がひょいひょいと雨樋を伝って登っていく。雨戸を収納している場所に取り出しやすいよう設けられたくぼみなどに足先を引っ掛けて器用によじ登る。卜部は痩躯で目方もない。
「うわぁサル」
「よしテメェ上ってこい突き落とす」
卜部は浴衣の裾や袖も破かず器用に屋根に到達したらしく、カシャンと瓦を踏む音がした。ぺっと放られた滴に朝比奈がキャンキャンわめいた。溶けたアイスであったらしい。
 「ばっ馬鹿者! 危ないだろう今、はしご、を」
「馬鹿じゃないの」
「ふん、テメェ案外っていうか見た目通りに貧弱だな。温室育ち」
物理的にも目線的にも上にいる卜部の揶揄に朝比奈がむっと唇を尖らせた。
「待ってろ今行ってやるんだからね!」
気付いた藤堂が止める間さえなく朝比奈がよじ登る。手慣れていた卜部と違って危なっかしい。藤堂は慌てて梯子を用意すると朝比奈の横へあてがった。
「掴まりなさい!」
「大丈夫です藤堂さん! オレもできる、たぶん!」
不安だ。卜部が簡単に見つけていた足場を見つけるのに朝比奈は苦労している。藤堂はおろおろとしながら無為に梯子を支えた。朝比奈がいつ飛びついてもいいように身構える。自然と上を向く視界に卜部が映る。たきつけておいて朝比奈が落ちたら腕でも伸ばすつもりなのだろう、膝をついた体勢がそれを語る。藤堂はふふっと笑って息を吐く。
 「のぼ…れた…」
朝比奈の白い踵が屋根の上へ消えるのを見てから藤堂は梯子で登った。きしきしとした軋みを聞きながら登れば屋根の上は案外涼しい。降った雨の冷却効果が、瓦であるから損なわれずに済んでいるようだ。朝比奈は伸びてぜいぜい言っている。慣れぬ動作は体力を消耗する。食べかけのアイスもどこへ行ったか、落としでもしたらしく空手だ。卜部はしれっとした顔でアイスを咥え、うぐうぐと棒を揺らしている。藤堂もいつのまにか失くしていた。二人のもとへ藤堂がつくと、ドンと新たに音がして夜空にぱっと華が散る。ちょうどよく遮るような高層の建物もなく、広い空に広がる花火は壮観だ。藤堂は消耗に拗ねている朝比奈を促して座らせる。
 様々に散る華は幾重にも重なるかと思えばあっけないほど短い刹那に瞬いた。一重であったり幾層にも重なったり、色もひところに留まらず紅に碧に瞬くたびに違う顔を見せる。鮮烈なその光が夜闇の中で眺める者たちの横顔を浮かび上がらせる。朝比奈と卜部は諍いを起こすので二人の間に藤堂が腰を下ろしている。朝比奈の幼い顔がほぅと花火に見とれる。
「鏡志朗」
心地よい低音で呼ばれ、顔を向けた刹那に唇が重なった。卜部の黒蒼の髪が透けて紺青に変化する。間近に見える茶水晶の煌めきは研磨される前の、ありのままでしかない鉱石のように稀有に美しい。卜部の唇は藤堂のそれと融けるように同化し、それでいてさっぱりと離れていく。未練や名残を感じさせず何事もなかったかのように卜部は笑んだ。
「綺麗だな」
発せられた卜部の声に藤堂はとろけていた意識から我に返った。朝比奈が気づかぬほどの短い間でありながら卜部は藤堂にしっかりと感覚を覚えこませていた。藤堂の指先が唇を撫でる。まだ口付けられているような気がする。
 「藤堂さん?」
「なんでもない…」
伏せがちな藤堂の目線が卜部の首や鎖骨のくぼみを移ろう。朝比奈は幼い淡白さで上がる花火にきゃあきゃあ騒ぐ。目の前の事象にこだわらない思い切りや潔さは朝比奈は抜きんでている。次第に前へ進んでいる朝比奈の裾を抑える藤堂の耳朶へと息とともに低い声がささやく。
「またキス、しましょうか」
ぼっと沸騰するように顔を赤らめる藤堂に卜部はにやにや笑んでから空を見上げる。卜部も拘泥するでもなく淡白で、藤堂ばかりがかき乱される。
「馬鹿者たちが…」
藤堂はしばらくの間をおいてから目線を上げた。

紅い華が夜空に散った。



《了》

おパソ様がラリって変な変換ばっかする! 誤字脱字ありそう!
屋根に登って向かいにあった病院の看護婦さんが駆け込んできたことがあります。
「屋根に子供がのぼってます、危ないですよ!」ってwww       2010年8月5日UP

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