手がつけられない!
おんなのこぱにっく!
「見事なモンねぇー」
煙管を粋に玩びながら戦闘機の技術担当が笑う。
「戦闘における数値を知りたい。模擬戦闘の準備を」
ゼロの機械音声は動揺や苛立ちは見せない。ラクシャータはふんふんと鼻を鳴らして並んでいる三人の体を確かめる。藤堂は見られることさえ恥じ入るようにうつむいたまま顔を上げない。それでも見える耳朶が真っ赤であるからどういう状態かはすぐ判る。逆に朝比奈などなんとも思わぬのか、ラクシャータの手がその胸を揉んでも平然としている。
「下も見たいって言ったらどうするのォ?」
「金とるよ」
ラクシャータはあっははは、と楽しげに笑った。突然の呼び出しやその不自然さは一切問わず、彼女はただにやにやと性質悪く笑いながら準備はしておくからと告げた。卜部は不安にその背を見送ったが朝比奈はこたえたふうでもない。頭の上で組んだ手を引っ張り上げて伸びなどしている。卜部の隣に並んでいる藤堂の方が余程恐縮して縮こまっていた。
朝比奈、卜部、藤堂の三人は女性化を起こしている。三者ともに男性であり、その自認に齟齬はなかった。卜部は心中で原因はあれだと舌打ちした。藤堂のもとへ朝比奈や卜部がくっついていくのは当たり前の風景だった。藤堂は知己を邪険にはしないから、貰い物などを分ける。たまたまその恩恵にあずかったのが卜部と朝比奈であった。千葉と仙波は席を外していて、物が食べ物であったから三人で消費した。直後に眠るように意識を失い、気づいたらこのざまである。油断していたとしか言いようがない。溜息をつく卜部に藤堂がますます申し訳なさそうに肩をすぼめた。
計測を受けろ、しばらく後に様子を見に行く、とゼロに尻を叩かれ三人は指定の控室へ向かう。戦闘機の感知は緻密であるから専用のスーツを着用する。その更衣室が簡易的な控室の内容も帯びた。
「それにしても藤堂さん胸おっきー。触っていいですか?」
悪びれた様子もない朝比奈が気軽く訊ね、長身の利を生かした卜部が一撃した。
「いったいなぁ!」
「背中ァ蹴り飛ばされたくなかったら口閉じろ」
「野蛮だね。痩せてるくせに」
「よし歯ァ食いしばれ」
卜部は案外手が早い。痩身であることと自己主張に熱心でないだけであって、戦闘力は常人よりある。見くびられる傾向にあることも影響してか、卜部はこと戦闘に関しては手を抜かない。
朝比奈はきゃあ野蛮! とあざとい悲鳴を上げて部屋へ駆け込んでいく。朝比奈の仕草を諫めたりする藤堂は黙りがちで顔さえ上げない。朝比奈は自分の場所を見つけて早々に着替えている。卜部と藤堂もそれに倣う。互いに背を向けたまま、黙々と着替えた。卜部は着替えながら舌打ちする。男性体と女性体の体格差は案外明確で、特に密着の度合いが強いパイロットスーツはその不便を如実に示した。四苦八苦して下半身を覆ったかと思えば胸の膨らみは明らかに余分であるから何とか引っ張ってきては留めていく。なんとか留め具を留め終えれば不自然に寄った生地がしわを作り見ているだけで息苦しい。尻もそれなりに布地が張り詰め、穴があくという事態が他人事ではない。
「なんだ、案外着れるじゃない」
平然としているのは朝比奈だ。もともと朝比奈は軍属にしては華奢な体躯であることが幸いしたらしい。
「テメェ半分女なンじゃねぇの」
悪態をついた卜部が給水機の動きを開始する。器に透明な水がとろとろたまって行くのを茫洋と眼で追う。朝比奈の文句を聞き流しながら水を口に含んで湿す。喉が渇いていた。
「あんたホント、結構失礼だよね?! ねぇ藤堂さんそう思いません?」
朝比奈の問いかけに藤堂がうんともすんとも言わぬ。不自然に思った卜部が顔を上げる。朝比奈も目を瞬かせて藤堂の華奢になった背を見つめている。
藤堂の細い肩がすとんと落ちた。振り向く顔が何とも言えない表情をしている。その眦に煌めくのは涙であるらしい。唇が震えて泣くのを堪えているかのようだ。
「中佐ァ、どうし」
「…閉まらない」
振り向いた藤堂の様子に、ぶふぅっと卜部は含んでいた水を口から鼻から噴出した。半泣きの藤堂の胸元は半分ほどが窮屈そうにはみ出ている。瑞々しく汗の滴を弾く乳房がたわわに揺れる。大きすぎるらしく留め具が首まで上がらないらしい。
「――っげ、ほげほッぐ、ぅお゛ぇッ」
鼻腔を唐突に走り抜けた水流に卜部の呼吸器官が一斉に反逆した。激しく噎せかえって背中を丸める卜部に藤堂がさらに泣きそうだ。
「うッ、卜部! 私はそんなに見苦しい」
「藤堂さん鼻から牛乳吹くようなの気にしないで! 大丈夫可愛いから! えろかわいい!」
ぐっと親指を立てて笑顔を向ける朝比奈の鼻からたらたらと血が出ている。卜部はゼェゼェ言って使い物にならぬ呼吸器に喘ぎながら、何が牛乳だ、テメェは鼻血かと罵った。
「…こんな、じょ、女性化などとそれだけも私は…! その上こんなはしたない…」
藤堂の指先が何度も何度も留め具を上げ下げするが、どうしても膨らんだ胸部は布地に覆われるのを良しとしない。
「…しまらない…ッ!」
「うわッ藤堂さんって…! 下半身になんもないのになんかずきんと来たよ今」
シモ方向へ走る朝比奈を止めるものがいない。藤堂は度重なる衝撃に限界寸前で目を白黒させているし、卜部はもはや突っ込む気さえ起きない。はぁーと息を調えている。
「遅いぞ、何をしている」
メリハリの利いた機械音声と同時に扉が開かれる。三者三様に向けられる眼差しにゼロが硬直した。
「…パイロットスーツか…女性用を調達して」
「い、嫌だ!」
「別に不自由ないし」
「…テメェが見てェだけだったりしねェよな?」
一斉の拒否にゼロまでもがうーんと固まった。卜部は何とか持ち直した呼吸器官にふんと鼻を鳴らす。衣服にこだわりはなくとも感覚的にはスカートをはかされるのと似ている。体は女性であっても自認と感覚は男性であるから進んで女性の恰好をする気は起きぬ。
「…ならば早く来い」
ゼロについていく。卜部は襟元だけ留め具を外した。気付いた藤堂がふにゃりと微笑みかけ、卜部は口の端だけつり上げて返事をした。
数値測定のために必要な最低限の人員であっても複数存在する。三人の顔見知りもいるから、姿の変貌にどよりとざわめいた。藤堂は恥じ入るように腕を体を引きつけて身を縮めているがそれが逆に乳房を歪めさせて大きさを誇示している。平然としている朝比奈などちょっと胸の小ぶりな女性で通りそうである。
「中佐、そうしてると胸がデケェって丸わかりですよ」
「なっわッ、では、どうすればいいんだッ」
普段の冷静さが微塵もない。恐慌をきたしている。落ち付きすぎるほどに冷静な藤堂であるからその動揺ぶりが珍しい。意地悪く助言もなく凝視する。卜部から視線を外した藤堂がびくんと跳ねあがり、縮んだ体を生かして卜部の後ろへ回る。卜部の長身という要素は女性化しても変わらぬらしく丈はある。女性という基準で見るなら今の卜部は長身に分類される高さだ。
ゼロが卜部を見ている。ゼロの仮面に目鼻はないからどこを向いているか判りづらいのだが、どうも卜部と藤堂の方向をみているらしい。卜部は後ろを見るが扉があるだけだ。後は藤堂が隠れている。小首を傾げると、ゼロの後ろで朝比奈がジェスチャーした。しきりに首や胸を示す。朝比奈が何を言いたいのか察する前に卜部の目がじとりと眇められた。ゼロのスカーフに紅い線が走っているのだ。柄ものだっけ? と思いながら朝比奈を見れば、襟を開く仕草をする。卜部がバリッと襟を開く。卜部の胸部は藤堂ほど膨張もせず椀を伏せたような大きさにとどまっている。ゼロがごふっと仮面の奥で噎せ、紅い線が太くなる。
卜部の背中を嫌な汗が伝う。口元がヒクヒクとひきつった。まさかいやもしかひょっとすると。朝比奈がひっひっひと嫌らしく笑ってゼロをしきりに指さす。ラクシャータに呼ばれて朝比奈が足取りも軽く駆けていく。女性化という変化でさえ朝比奈の常態は揺るがないらしい。
「うらべ?」
藤堂の極端に蠱惑的な肢体に慣れた周囲の視線が徐々に解かれていき、藤堂も落ち着きを取り戻しだしている。反対に卜部の頭の中では嫌な予感が渦を巻いている。背中ににじむのは冷や汗ばかりではない。ゼロがばさりとマントをかぶり直す。つかつかと空いている椅子を横取りして腰をかけ、肘をつく。黒っぽい服や薄暗い室内で確証はない。それでも。
「………反応してやがる…」
卜部の口元が引き攣りっぱなしだ。あぁもうなんで俺はどうしたらいいんだっつうかどうしろと!
「なにがだ?」
知らぬ藤堂の問いに耳が痛い。
「中佐、バックれませんか」
「ふけるということか? だが数値の計測は必要だ、いざという時に」
今が結構いざって時なんですけど! という不満は心の中でだけ叫ぶ。藤堂は馬鹿正直すぎる。わりと墓穴も掘る。いやあの危機を感じませんか危機を!
「中佐、あの」
ぽんと肩に置かれた手に卜部は不覚にも跳ね上がった。振り向けばにやにやと笑う朝比奈がいた。
「藤堂さん、計測です。それとあんたは、あっちの仮面がご指名だよ」
卜部の血の気がざーと音を立てて引いていく。藤堂は何も知らない無垢さでそうかと返事をして足早に朝比奈と連れ立って行く。
「ちょッ待てッ」
「卜部?」
機械音声が冷徹だ。しゃがみこんで頭を抱えても逃避にさえならぬ。ぐいと襟足を掴まれて引きずられる。
「計測は後でいいと言われたからな。ちょっとした運動をしようか」
卜部は己の目方の無さにやり場のない憤りと後悔をぶつけた。ゼロの目的は明白だ。
「え、いや、ちょッ…」
ぼたっと紅い滴が垂れた。スカーフを紅く斑に染める深紅が鮮やかだ。
「許可は得ているぞ」
向かう先は控室だ。施錠可能なタイプであることを思い出して同時に呪いたくなった。
「さぁ楽しもうか」
ゼロの鼻息さえ感じ取れそうだ。仕草の端々に楽しいという感情が読み取れる。ゼロの指先が卜部の前を開いた。
「ぎゃあぁあぁあぁ」
どったんばたんと騒がしい音に藤堂は気づかず、朝比奈は口笛を鳴らして無視した。
《了》