月の欲
濡れ縁
庭木は目隠しを兼ねるかのように繁殖している。藤堂の屋敷の庭木は季節ごとに移り変わりのある落葉樹が多く常緑樹はあまりない。手入れや片付けが大変だろうと思うのだが藤堂は季節に変わり目が見えるからこれでいいのだと笑っていった。密に茂る勢いに卜部はいつも気圧される。緑陰も湿った土の匂いも嫌いではないのに藤堂の家を訪うといつも庭へ出る。藤堂は何でも受け入れる性質だから小鳥たちの落とし物も排除したりしない。その所為で庭はいつも不均衡で完成された形などない。その年ごとに新たな花を咲かせている。履き物をつっかけて庭へ出た卜部は隅にひっそりたたずむ百日紅のそばへ寄った。小ぶりな繁栄ぶりのそれは他者に気圧されているかのように上へと枝葉を伸ばす。あまり花をつけない性質のこれは管理が難しいと聞く。そう言えばあまり花をつけた百日紅は見ないようだ。その足元にほんのり紅色の花が咲く。明確な種類も名前も卜部には判らない。
「卜部」
通る声に呼び寄せられるように卜部は顔をあげた。紅切子の杯と酒器がそろえて盆に乗っている。藤堂は積極的には飲まないが付き合いでたしなむ程度はこなす。呑むかと訊かれた卜部がいただきますと答えた結果だ。
「お前は庭が好きだな。よく、出ているから」
藤堂が躊躇をにじませながら苦笑する。卜部も口の端をつり上げて笑い返す。藤堂は二藍に白藍の模様の入った絞りに濃紺の帯を合わせていた。藤堂には藍が似合うと思う。灼けた皮膚や鳶色の髪とすんなり馴染む。灰蒼の薄い双眸が引きたった。
「庭、手入れしてます?」
卜部が体をひねった振り向き加減で問うと藤堂は素直に首を振った。
「出来ると思っているのか? 無理に矯めていないと言えば聞こえはいいが、たんに手入れを怠っているだけともいう」
肩をすくめる藤堂に卜部が喉を震わせて笑った。藤堂の目線がちろりと卜部を見る。藤堂も卜部もすでに入浴を済ませている。卜部は藤堂が用意した海松色の飛白を着ている。仄かに走る荒い亜麻色が海松色を際立たせ、縹色の髪色が鮮やかに映える。瞳は茶水晶なのでうまく溶け合った。
藤堂が盃に酒を満たすのを頃合いに卜部が濡れ縁に戻ってきた。すっかり月の上る頃合いだ。藤堂の紅く燃える舌先がちろちろと酒を舐める。冷酒だが酒精の度合いが強くくらりとする。藤堂が盃を干す。卜部は庭に差す木陰を見ながらゆっくり空けた。緑陰は昼日中の強い日差しとは違う顔を見せる。蒸し暑いような昼間には絡みつくだけだった熱気は湿った泥の匂いをさせる。それが夜半になるだけで清々しく感じられるのだから人の感覚などあてにはならない。透明な酒はとろとろと雫を滴らせた。
藤堂の目線が卜部の皮膚を移ろう。差しこむ月明かりが卜部のうなじを照らす。痩身である卜部は所々に骨の突起が覗く。うなじに浮かぶ頸骨はコツコツとたどれそうなほどだ。その衿の奥が知りたい。手首や足首も驚くほど細い。踝などの駆動部の関節の突起が顕著だ。濡れ縁に置かれた卜部の手に藤堂は自身の手を重ねた。
「巧雪」
うなじへ唇を寄せれば卜部が身震いする。逃れるように卜部が立ち上がる。すんなりとした身なりの卜部は動作にかかる負荷を感じさせない。それに対する苦労や手間を感じさせないだけの技量を持っている。朝比奈などの方がよほど苦労を訴えてくる。卜部は手助けの目安となる苦労を感じさせない代わりに裡へ立ち入らせもしなかった。藤堂は自身より卜部の方がよほど我慢強いことを知っている。卜部は藤堂のようにまとわりつく朝比奈のような存在を容認しない。日頃の手間といざという時の助けが同等であることを承知したうえでのことだ。藤堂はいざという時は朝比奈が見つけてくれるであろうことを期待している。卜部はそうした甘えとは無縁だった。
「どこへ」
「そこの百日紅。花咲かないんすか?」
流れる動作で卜部は百日紅を示す。藤堂が流れのまま目をやる。卜部に言われるまでその存在すら気にしていなかった。そもそも藤堂に専門的な植物の知識などない。
「差したい花があるなら差せばいい。庭には特に手を入れていないから」
藤堂は知識はないが作法として華道をかじっている。時折切り花を購入しては床の間や玄関に活けた。それを卜部に指導したことが何度かある。知ってるなら教えてくれと乞われてのことだ。専門性に欠くと明言したうえでのことを卜部も承知のはずだ。
「玄関先に唐菖蒲がありましたよね。買ったんですか?」
卜部の目線が玄関先を撫でてから床の間へ移ろう。夜闇に煌めく茶水晶が蠱惑的だ。仄白い月明かりに照らされた庭先へ卜部が静かに躍り出る。海松色がほのかに白地を帯びた。痩せて細い手脚が作り物めいている。
「目を惹いたから買い求めた。紅が多いのに山吹色であったから、つい」
「風流っすね」
揶揄するような口調と裏腹に卜部の眼差しは優しい。ざわざわと庭木が揺れた。卜部の体を引き締める濃紺の帯が黒に見える。海松色が不意に黒ずんだ。はためく裾を気にもせずに卜部はゆっくりと体の向きを変える。袖がはたはた揺れた。
「向日葵を活けるような男に風流は似合わないだろう。決まり事を知らないだけだ」
確かに藤堂の家の床の間に向日葵が派手に活けてあった。あまりの堂々さに返って口を出すのが躊躇された。正当性だとかそういうものを作るのは正しさではなく勢いと自信の在りようだ。
「…向日葵はいいんじゃねぇっすか。夏の花だし」
「そう言うのはお前くらいだ」
藤堂がクックッと笑いだす。家を空けることが多い藤堂が活ける花は通年のものが多く、季節ものは避ける。手が回らないこともあるが、藤堂自身がそう詳しい手ほどきを受けたわけではないからという。その藤堂から卜部は花を教わった。自宅には不釣り合いな花が玄関先に活けてある。何度か女を連れ込んだこともあるが、最近の女はそういった細部を気にすることもなく言及されなかった。最近の女の注意点はほかに親密な付き合いをしている女性がいるか否かに終始した。視野が狭まっているんじゃないかと思うがそれをつきつけるほど卜部も世間知らずではない。
「巧雪、ここへ」
藤堂が示すそこへ行くのを卜部はためらった。そんな躊躇すら知っているかのように藤堂は微笑する。何よりこの屋敷の主である藤堂に逆らえようはずもない。藤堂に反目する気概があるなら四聖剣などという敬称を受け入れはしない。卜部は素直にそこへ戻った。途端に藤堂に抱きつかれる。しなやかに躍動する腕が卜部の首や肩にまとわりついた。
「巧雪。美しい、名前だ。こう、せつ」
藤堂はそのままうなじに唇を寄せてくる。コツコツと触れる頸骨の突起を舌先で舐る。
「鏡志朗、もそうだと思いますけどね」
卜部はそのまま体を傾がせた。倒れてくるのを藤堂は受け入れて頸を舐める。藤堂の紬から梔子が香る。焚き染められた香のそれに卜部は力を抜いた。卜部の飛白からも同じ香りがする。
紅切子がきらりと月明かりを反射する。香る酒精が肌から染みいるようだった。
「抱かれてくれるのか?」
「そうっすね、あんたならいいかもな」
揶揄するような卜部の口調に藤堂は痩せた喉首に舌先を這わせた。
「くすぐってェな」
卜部が濡れ縁の上で体を震わせた。裾が割れて長い脛骨の在りようがあらわになる。そこへ指先を這わせながら藤堂は皮膚に吸いつく。鎖骨やうなじを舐ってから藤堂の舌先はくぼみを埋める。卜部は愉しげに声を震わせた。藤堂の指先はあくまでも欲望など感じさせない動きで衿を乱す。あらわになる肩の丸みを指先が軽やかにたどった。
「あんたァ、女口説くときはいつもこう?」
「女性には真摯に対応しているつもりだが」
「俺みてェな野郎はどうでもいいって? はは、とんだ食わせもんっすねェ」
藤堂がむぅと膨れる。不機嫌なそれに卜部がカタカタ笑う。藤堂はその唇をふさごうと合わせた。触れ合うそこから融けてゆく。喉仏の尖りや耳の裏を舐る舌先に不意打ちを食らって体を震わせる。卜部からその熟れた唇に吸いついた。藤堂が驚くのを嘲るように笑う。
「したくなってきた。あんたァ相手なら俺ァどっちでもいい」
藤堂の指先が乱暴に衿を肌蹴させて帯を緩める。
「性急っすね」
笑う卜部の体を座敷に引きずり込んだ。畳の擦れる香りと音がする。卜部の長い手脚が揶揄するようにもがいた。藺草の色や海松色の中で卜部の皮膚の色が映えた。細く長い脛は女性的ですらある。締まった足首が踝のありかを教える。
「くすぐったい、って」
卜部が痩躯をよじる。
「お前はすぐにそう言う」
卜部が喉を震わせて笑う。骨ばった脚を割り開いて藤堂は体を卜部の脚の間へねじ込んだ。卜部が愉しげにクックッ笑う。藤堂も笑んだままで唇を寄せた。乱された衿や裾を感じさせずに卜部はあくまでも欲望のありかを明言しない。藤堂は卜部の脚を開かせた。
「私を受け入れてくれないか」
「俺はあんたァ好きっすけどねェ」
こともなげにいいながら卜部は四肢から力を抜く。藤堂の指先が内股を張った。つぅと伝うその動きに卜部が身震いする。
風通しのために開け放たれた障子や唐紙はなんの意味もない。畳の藺草が香る。鼻につんとくるそれが妙に新しく肌に馴染む。帰るたびに手入れを怠らない藤堂の賜物だろう。
「お前はちょうどいい、位置にいる。軽薄でも重厚でもなく。私の負荷にならない位置に、いる」
藤堂の言葉に卜部は喉を震わせて笑った。
「買いかぶりすぎです。俺ァそんな気遣いできる性質じゃあねェんでね」
卜部は噛みつくように藤堂の唇を奪った。藤堂もそれに応える。濡れた舌先が互いの口腔を行き交った。
「名前を、呼んでくれ」
「俺がッすか」
「お前に呼ばれたい」
藤堂の言いように卜部が唸る。引き結んだ口元が愛おしい。薄い唇に吸いつく藤堂を卜部は受け入れた。されるままになって畳に仰臥する。藤堂の指先は衿を乱して裾を割る。長い脚を這いずる指先にも卜部は言及しなかった。
「鏡志朗」
「…こ、うせつ。巧雪」
温い舌先が胸骨をたどるように這う。卜部が身震いした。藤堂は卜部の脚の間へ手を滑らせた。
《了》