私だけに、私だけが
君の声が聞こえる
団体の統率者という位置は設備にも不備はないらしく熱い水流が不意に冷水に変わって飛びあがることもないようだ。頭からシャワーを浴びながら卜部は茫洋とそんなことを思った。洗髪に使用する溶剤のボトルが並んでいるが卜部には見当もつかぬ文字が躍っている。女か、と思うが卜部がシャワーを浴びる原因を作ったこの部屋の主は立派な男性だ。嫌というほど文字通り体にその証を叩きこまれている。判るものだけ使用する。浴場を貸す以上、この程度の消費は承知の上だと極めつける。一風呂浴びる程度で難癖つけるような器の小ささでは団体の先が知れる。髪を洗ってから体を洗う。なんとなく上から下への流れ作業だ。特に他意はない。泡がぶくぶくと気泡を吐いて皮膚の上をねっとり滑る。内股を伝うその動きに跳ねあがりかけて思いっきり水圧をあげた。視界が水煙にけむる。噎せるような湿気が皮膚からしみ込んでくるかのようだ。
「いい格好だ」
響く声はまだ若輩の甲高さが残る。卜部はわざとのろのろ視線を向けた。
「…ルルーシュ」
沈黙に負けた卜部の接ぎ穂は名を呼ぶことだった。平然とそれを受け流したルルーシュはふんと鼻を鳴らした。煙る湯気を払うようにひらひらとその白い手を閃かせた。
「色が変わるんだな。蒼色だと思ったのに」
そのことは卜部も承知している。自身の縹色の髪は濡れると群青へと様を変える。殊更に話題にすることでもないし大した変化ではないと思っていたので言わなかっただけだ。
ルルーシュの目線は臆することも隠すこともなく卜部の首筋から腹、腰へと降りていく。脚を開く関係である以上恥じるのも気後れがして卜部はそれを放置した。入浴を覗かれて恥じ入るくらいなら脚を開いたりはしない。
「なんだよ、もっと反応しろ。面白くないな。藤堂はびっくりしていたのに」
卜部の眉がきゅっと寄る。藤堂は卜部の直属の上官であり、導でもある。藤堂がこの非合法団体へ所属を決めたのに倣って卜部は所属を決めた。藤堂一人に責任を押し付けるつもりはないが、ここのところの卜部を襲う環境変化には音をあげたかった。
「まぁでも、お前は藤堂より可愛く啼く。オレ好みだ」
麗しい美貌が汚い言葉を吐く。藤堂ならばこんな無作法は赦さない。だが卜部は藤堂ほど堅実ではないし、他者に興味もない。相手の在り様を否定しないと言えば聞こえはいいが、たんに興味がないのだとも言える。接触に反発や反動はつきもので、卜部はそうした摩擦が面倒くさかった。滔々と藤堂と卜部の痴態を語るルルーシュを無視して卜部は石鹸の泡を洗い流した。
「なんだよ、面白くないな。少しくらいうろたえろよ」
「三十路すぎがうろたえて何が愉しいんだよ。お前がどうなろうと俺には関係ねェ」
「藤堂と寝たと言ってもか?」
卜部は動揺を隠した。流れる動きで水流を止めると浴槽から出た。ルルーシュが投げ渡すタオルを受け取って体を拭う。上から下へと流れていくのは湯を浴びるときと変わらない。
「藤堂はうぶだな。お前の方がよほど衆目に慣れている。まァそういう、不慣れがいいんだろうな」
卜部は黙って浴場を出ると剥ぎ落されて散っている衣服をいちいち拾って身につけた。か細く長い脚を組んで不遜にルルーシュが笑った。卜部はその視線を感じていないかのように皮膚を衣服で被っていく。卜部は身支度を整えた後に改めてルルーシュを見た。ベルトのバックルは解かれてへそが覗いている。皮膚は仄白く、発光しているかと思わせる。
「オレが藤堂を抱くのがそんなに許せないか、巧雪」
卜部は煙草を取り出すと口に咥えた。そのまましばらく固まる。ライターを取り出してのろのろ火をつける。ふゥッと紫煙を吐くと備え付けの窓を開けた。喫煙者のためのスペースでもあるそこは隔離されているゆえに窓の開閉も少ない。新鮮な空気が流れ込み、カーテンが空気をはらんではためいた。煙草をくゆらせながら卜部はぼゥッと景色を眺めた。茶水晶は無為に景色を映しだす。ゼロがルルーシュであるということを明かされると同時に肉体関係は開始された。ルルーシュの美貌は卜部の脳裏に焼き付いている。皇位継承権こそ低位なものの皇族であり刺激的な経緯を経ていることは風の噂に聞き及んでいる。
「中佐、なァ」
藤堂との関係は聞き及ぶまでもなく察しがついている。あれで藤堂は何故だか団体の高位に属する者の支配欲を刺激するらしく無理矢理に体を拓かれている。朝比奈などは殊更に言及するが卜部は問うたことはない。藤堂はそういう事情をつつかれるのを好ましく思っていないし、そんなことで卜部の藤堂に対する忠誠は揺らがない。その相手がルルーシュなのだとは考えも及ばなかった。ルルーシュの年若さとゼロの老獪さとが結びつかなかったと言えば嘘になる。
「ルルーシュ…なんだっけ。ヴィ? ブリタニア…」
フルネームすら覚えにない。そもそも敵と想定した相手の姻戚関係や皇位継承順位、名前など覚えようもない。ただでさえ反抗的と位置付けられる卜部たちに詳細な情報は伝わっては来ず、おのずと収集することが当たり前になっていた。卜部は紫煙を吐いた。ジジッと煙草の先端が燃える。藤堂は煙草を嫌って喫煙室には近寄らないし、ちょうどいい弛緩の場となっていた。気の緩みが体までも緩ませる。ズルズルと椅子にへたり込む。生娘ではあるまいし、年少の、しかも同性であるルルーシュの前で裸になるくらいなんでもない。服の脱ぐのが嫌なら交渉自体を断っている。交渉を受け入れている以上、ある程度は覚悟している。
卜部の視線の先にゼロが現れた。のっぺりとした仮面が光を反射する。目鼻すらないこれをよく民衆は受け入れたと思う。だがその演説やその他の技術は群を抜いており、群衆を酔わせた。彼の言うことは常に正しくまた実行されてきた。燃えるような紅色の髪をした少女と何やら話している。彼女は近親者がこの団体に所属していたらしく、特例的な若さで活動に参加している。二人は何事か会話を交わして別れた。ゼロが身動きしないことに卜部は遅ればせながら気付いた。目鼻のない仮面は彼の視線の先を悟らせず、判りにくい。細い指先の手があてがわれたと思う間もなく仮面が外された。呆気にとられる卜部を見つめるようにルルーシュになったゼロは口元を覆う布を引き下げる。その紅い唇が蠢いた。卜部ははじかれたように窓辺から離れた。煙草を灰皿でつぶして部屋を飛び出す。卜部がたどりつく頃にはゼロがいた名残もなく通路は新鮮な空気を吹き抜けた。
「…な、ん」
卜部がずるずるとへたり込む。膝を折って背を丸める耳朶を緩やかな風が撫でた。
「なんなんだよ、ちくしょう」
す き だ
ルルーシュの紅い唇は確かにそう紡いだ。確かに卜部を見た。音などなくてもその唇や煌めく紫苑の瞳や白い頬を見れば判る。嘲るような、それでいて求めるような儚い笑みを浮かべてルルーシュはそう呟いていた。
「…ちくしょう」
罵る言葉に嫌悪はない。ただ拍子抜けした虚ろが漂う。ルルーシュの紅い唇は目を惹く。肌も白く、髪の黒さとの対比が鮮やかだ。瞳は深みのある紫苑色。体を拓かれる非日常にありながらそう言った美点は脳裏に残った。目を惹く美貌でありながら、ルルーシュ自身はさほど意識はしていない。そういったぞんざいさは藤堂に通じるものがあった。彼もまた己の美しさなど気にもせず、また気付きはしなかった。
「ちくしょう、なんで、ブリキ野郎に…」
卜部にとってブリタニアに属するものはそれだけで敵対対象だった。倒すことに躊躇も迷いもなかった。それでも卜部の体を今現在拓くのはブリタニア皇族であるルルーシュだ。げほげほと卜部は激しく噎せた。吸った煙草のつけが急に回ってくる。ゼェゼェと喉を鳴らしながら卜部は窓硝子を開け放った。ザァッと流れ込む空気の新鮮さが汗をかいた皮膚を冷やす。ルルーシュに抱く感情は明らかに余分だった。
ルルーシュからの呼び出しは常に個人所有の通信機器に入る。ルルーシュの位置を考えれば卜部の宛先を調べるなど造作もないことであり、卜部も特に言及しなかった。ただ藤堂を呼びつけるときにもその地位を使っているのかと思えば気持ちが荒れた。卜部は送信されてきた指示に従う。下手を打てばルルーシュの正体をさらすだけでなく、卜部のつてをさかのぼって藤堂にまで影響を及ぼす。藤堂を守るためだと言いながらその実、卜部はルルーシュに迷惑をかけたくないのだと知っている。ルルーシュの通信は常々そういった劣等感をあおった。
「なんなんだ」
卜部はそれでも通信の指示に従う。真意のありようがすでに疑問視されている。誰かのためだというお題目がその誰かの所為なのだという責任転嫁を秘めている。卜部は藤堂に責任を負わせたくはなかったし、己の欲望の在りかにも気づいている。卜部はゼロの自室として施錠されている部屋の前に立つと呼び鈴を鳴らした。誰何する電子音声に名を名乗る。しばらくの間をおいて施錠が解かれる。開く扉の中へ飛び込みながら卜部は背後で閉まる扉の気配を感じた。
躊躇する卜部の様子を見てとったのか、ゼロの仮面を取ったルルーシュは大仰な身振りをして見せた。
「お前はもう、オレのものだ」
それは真実であると、判った。卜部の認識から藤堂の影が消えてゆく。藤堂のように命を懸けてもいいとは思わぬ、だが自分はきっとこのゼロのために死ぬ。それは明確に示された未来のように卜部の脳裏をめぐる。
「オレのために生きてオレのために死ね」
「あァ、そうだな」
卜部はただ了解した。自分はきっと、このゼロの仮面をかぶったルルーシュのために死ぬ。それでいいのだと知っている。ただ藤堂に謝りたいような気が起きた。
「お前はオレのもの、だ」
繰り返すルルーシュの言葉を卜部は黙って受けた。泣きだしそうに潤んだ紫苑の煌めきや揺らぎは藤堂のそれによく似ていた。藤堂もよく、灰蒼の双眸を揺らがせ潤ませた。
「泣くな。男なんだろ」
卜部は噛みつくように口づけた。唇を重ねた刹那に噛みつく。柔いような優しさはいらぬとその雰囲気が言っていた。ルルーシュも卜部の口腔を好きにむさぼる。
「お前が好きだ。お前に会えて、よかったよ」
卜部は喉をひきつらせて笑うと脚を開いた。ルルーシュも卜部の脚の間へ体をねじ込む。身にまとう衣服が邪魔なのだとその時初めて知った。
「あーァ、煙草が吸いてェ」
「あれは周りに悪影響を及ぼすんだ、止めろ。肺がやられる」
「長生きできるたァ思ってねェからいいんだよ」
「お前の寿命などどうでもいいんだよ、周りに影響があるから止めろと言っている。たいだい臭いだろう」
「さんざんだな」
美麗な顔をゆがませるルルーシュに卜部はけらけら笑った。ルルーシュはその笑いを止めるためにキスをした。びりりと舌先に煙草の刺激を感じる。卜部は寝台の上に倒れ込む。
「背中ァ、いてェだろう」
直接的な卜部の言いざまにルルーシュは声を立てて笑った。
《了》