ほんのひと時の
 短い夏の、夜の夢

   夜涼み

 夏の頃合いは日が落ちても名残のように空気が暑い。湿気を帯びる独特の気候は蒸し暑く、過ごしやすいかどうかは気温よりも湿度に左右された。藤堂は庭木に水をやり、打ち水をした。打ち水をしたばかりの玄関先や庭は過ごしやすく物思いにふけるように藤堂はそこで少しぼんやりした。ちらちらと玄関先へ目線が泳いだり開き戸を開けてみたりしてしまうのは予感があるからだ。盆暮れの行事のように朝比奈は藤堂を訪った。最初は気にならなかったものの間隔や時期を考え含めると実家への帰省より藤堂の家へ訪っている方が多いようだ。実家へ顔を出すように口を出したが朝比奈はのらりくらりとかわし、藤堂の方も殊更に言わなくなった。朝比奈は指図が必要な年齢ではないし差し出がましかったと反省した。藤堂の沈黙をどう取ったのか朝比奈はますます藤堂の家を訪う様になった。
 薄暗くなって視界が利かなくなる。見上げれば藤色の空が群青へ落ちていく。茂みの垣根が鬱蒼として庭木が妙な迫力を帯びる。昼間は涼しげな木陰を作る空間が虚ろのように暗い口を開く。藤堂は名前も知らぬ花を撫でてから家へ戻った。夕食を作らなければならない。藤堂は自然と朝比奈を含めた二人分の量で作業を始めた。エプロンを取って朝比奈に教わった手順でつける。いらないと思ったのだが炊事をすればどうしても衣服が濡れる。中には厄介な手間が必要となる染みもあり、朝比奈の言葉を聞きいれて今では習慣のようにつける。藤堂は和服を着ることも多く割烹着だと思っていたのだが朝比奈は何故だか強くエプロンがいいのだと言い張った。下に何も着ていないとなおいいと言うがその真意は藤堂には不明だ。
 簡単な惣菜を作ってしまうと暇ができた。エプロンを解いて所定の場所へ引っかけてしまうとすることがなくなる。もともと藤堂は食欲が強くない。気付かなければ何食かは抜いてしまう。その所為で低血糖を起こして倒れかかったこともあるのだが意識的に摂らなければ忘れてしまうのだ。朝比奈がよく藤堂の家に顔を出すのもそのあたりに原因があるのかもしれないと茫洋と思った。朝比奈はあれで構いたがる性質なので藤堂は格好の標的である。開け放ったままの障子や唐紙を閉めるのも億劫で目線を投げるだけにとどめる。風通しのためだと言って放置している。欄間のあたりが暗い。月が出てしまえば逆にその影が美しいのだが中途半端な暗さでは薄暗いだけだ。
 たったっと軽い足音が門の前で止まる。頃合いの迷惑を思ってか呼び鈴は鳴らさない。ゆっくりと潜り戸をあけて入ってくる。藤堂はそっと濡れ縁に立った。飛び石伝いに朝比奈が駆けよってくる。カランカランと履物が鳴る。家にいるときは和服を着る藤堂を真似て朝比奈は藤堂の家を訪う時は着物を着た。初めのころはぎこちなかった着付けも今では十分さまになっている。ユーモラスな丸い眼鏡が差し始めた月明かりに煌めく。
「よかった、起きてて。眠くないですか? ちょっとしたもの持ってきたんです」
朝比奈が藤堂に誇らしげに差し出す包みは花火だ。藤堂はそれを見てから微笑すると玄関へ回る。朝比奈も心得たように軽い足取りで扉の引き戸の前に立った。施錠を解いて朝比奈を招き入れる。朝比奈が挨拶してから上がる。朝比奈は綺麗なままの座卓に渋い顔をした。
「ご飯食べてないんですか?」
「お前が来るような気がしたから。作ってある。食べるか?」
「いただきますけど…ちゃんと食べてくださいよ」
小言を言いだしそうな朝比奈の様子に藤堂は足早に台所へ引っ込んだ。準備をしているところへ朝比奈も顔を出す。何も言わないので二人で手伝って惣菜や椀を運んだ。
 いただきますと声をそろえて二人で箸を取る。時間としては遅いが夜更かしをするつもりならちょうどいいだろうと藤堂は何も言わなかった。朝比奈は惣菜を小皿へ取り分けては醤油をかける。あまり濃すぎるのはよくないと諭せば藤堂さんの料理は薄味ですからと返事をする。料理は足せるが引けぬ。味付けの微調整は薄味のときのみ可能でもある。藤堂は朝比奈の事情を鑑みて薄味に作る。結局のところは本人の体なのだから差し出がましい口は利けないと藤堂が折れる。
「美味しいですけどね。たぶんオレは濃い口が好きなんでしょうね。藤堂さんの惣菜は歯ごたえとかの具合はいいんだけど」
「…濃い味付けは食べられないが薄い味付けは食べられるのだと聞いたことがあるが」
「そりゃ、薄味には醤油とか足せばいいんですから。濃い味付けから塩気抜くのは無理でしょ」
藤堂ははくんと煮付けを口に含んだ。むぐむぐ言いながら黙る藤堂を横目に朝比奈が味噌汁をすする。箸を咥えたまま固まってしまう藤堂を朝比奈はちろりと見やる。それでも思い出したように惣菜を口へ運ぶ藤堂の動きが鈍い。考え事をすると藤堂の作法はとたんに疎かになる。見苦しくはないのだがちょっとした無作法をやらかす。ちろりと紅く燃える舌先がペロンと箸の先端を舐めた。考え事でもしているらしく藤堂は気づかない。口へ運ぶまではいいのに惣菜が離れた後の箸を咥えていたり舐めたりする。今ではそういった作法が消えかけている所為か見苦しいとは思わないが、藤堂のそういう乱れは愉しい。朝比奈がクックッと笑いだすのを藤堂はきょとんとした顔で見た。
 「藤堂さん、さっきから箸、咥えたり舐めたりしてます。かーわいいー」
藤堂はバッとはじかれた様に箸先を見るがもちろんそんなところには何もない。耳や首筋まで真っ赤になって恥じ入る藤堂はひたすらに愛らしいだけだ。衿からすんなり伸びた首が火照っている。赦されるなら唇を寄せたいくらいだ。
「何考えていたんですか?」
覗き込んでくる朝比奈は逆に残酷だ。口ごもる藤堂を容赦なく笑顔で攻め立てる。藤堂は忙しく惣菜を食んだ。朝比奈は片目を眇めたがそれ以上の言及はしなかった。藤堂の目線が泳ぐように朝比奈の持ちこんだ花火を見た。
 二人分の惣菜を平らげたところで藤堂が茶を淹れた。後片付けを藤堂が終え、朝比奈が呑み終える頃にはすっかり日も落ちて辺りには夜の帳が下りる。藤堂がそっと席を立ち、朝比奈も花火の方へにじり寄る。ライターと蚊遣りを持って藤堂が戻ってくる。最近の市販されている花火には蝋燭がついてくる。朝比奈が庭先へ出て準備をする。手近な飛び石の上に藤堂から受け取ったライターで火をつけた蝋燭を立てる。火をつけて溶かした蝋を滴らせ、そこへ固定する。藤堂はバケツに水を張ったものを用意する。朝比奈は用意されたバケツをそばに置きながら花火を物色した。藤堂が濡れ縁に腰をおろして微笑ましくそれを見る。
「藤堂さん、ほら。あまりものだったんですけど結構」
藤堂は朝比奈からライターを受け取り蚊遣りに火をつける。親から継いだ仏壇を持つ身としてはライターや燐寸を持っている。留守がちな所為か滅多に線香は焚かぬがそれなりに火の気は必要だ。
 朝比奈の手に持つ花火が軽快な音を立てて火を噴く。碧色や紅、蒼から白へと色を変える火花は気分を高揚させた。はしゃぐ朝比奈に藤堂はゆったりと微笑した。
「藤堂さん、こっち。ほらこれ。オレが一人でやったってつまらないでしょ。藤堂さんも」
「判ったから、火に注意しなさい」
苦笑した藤堂が履き物をつっかけて庭へ出る。朝比奈に手渡された位置を持って蝋燭に近づける。遊びの部分を燃やした火がすぐに火薬に到達して蒼い火を噴く。軽快な音を立てて放物線を描く火花が気分を浮き立たせる。
 藤堂の皮膚が蒼に紅にと火花の色を照り返す。藤堂が身にまとう高価そうな紺藍は白藍の絞りだ。漆黒の帯が闇に融ける。履き物の黒い鼻緒と白木との対比が鮮やかだ。藤堂の足首はきゅっと締まっていて意外と細い。裾を押さえて品よく膝を折る藤堂は子供のように熱心に花火を見つめていた。灰蒼の瞳が紅に白銀に煌めいて夜闇に浮かぶ。
「綺麗だな」
紅い唇が不意に動いて言葉を紡ぐ。藤堂の鳶色の髪と健康的に灼けた皮膚に浴衣の紺藍が映る。紺藍の絞りの中で要所に押さえられている一斤染が目を惹いた。薄い紅とも桃色とも言えない一斤染はけばけばしい紅より控えめで藤堂らしかった。
「藤堂さんもね」
途端に藤堂はきょんと朝比奈を見た。灰蒼がぱちぱちと瞬いて朝比奈を凝視した。
「浴衣も綺麗だけど藤堂さんも綺麗です。絞りでよくそんな色見つかりましたね」
藤堂は恥じるように目を伏せていたが燃焼を終えた花火をバケツに落とす。じゅうッと火の消える音がした。
「お前が」
「オレ?」
「お前が、紅い系統の控えめな色ならば紺に合う、見たいと、言っただろう。呉服屋を探したらこれがあった、から」
藤堂の双眸は灰蒼だ。薄い色合いはぼやけて消える。目の醒めるような藍や紺は藤堂によく似合った。紺藍の中に一点一点染まる一斤染の色合いは控えめだがよく映えた。藤堂の鳶色の髪や灰蒼の双眸を殺すこともない。
 「…抱きしめていいですか」
「花火、終わっているが」
じじっと燃え尽きる朝比奈の手元を藤堂が指した。朝比奈は全く反射的にバケツに燃え殻を突っ込むと藤堂に抱きついた。
「あさ、ひな? う、わッ」
藤堂の指先が湿った土をかいた。打ち水をした庭先の土は湿って掘り返された溝から湿り気が香る。
「離しなさいッ服が汚れ、る」
屈んでいた藤堂は朝比奈の体当たりをもろに食らった。朝比奈は自身の浴衣の汚れも気にしない。鮮やかな花紺青は朝比奈によく似合う。瑠璃紺の帯が朝比奈の着姿を引き締める。湿って鈍色をした泥が朝比奈の白い膝小僧を汚した。
「藤堂さんを抱きたいです」
「花火が、湿気る」
名残惜しげな藤堂の視線に朝比奈は一瞬ぽかんとしたがすぐに噴き出して肩を揺らして笑った。
「と、藤堂さん、て…案外」
クックッと楽しげに笑う朝比奈の目元を切りそろえられた暗緑色の髪が隠す。藤堂は灰蒼を瞬かせて唇を引き結んだ。すねているような藤堂の所作に朝比奈はますます笑う。
 「笑っているなら退きなさい。せっかくの花火なのだから無駄にするのは惜しい」
本当に惜しがっているのだから始末が悪い。割れた裾からのぞく長い脚の色香も形無しだ。もっとも藤堂自身はそうした己の色香など毛ほども感じていない。何で判らないんだと言った朝比奈に藤堂は堂々と、鏡で見たが判らなかったととんでもない返事をした。藤堂が鏡の前で裾を乱し衿を肌蹴させていたのかと思うだけで朝比奈などは下肢がうずく。
「西瓜も冷やしてあるから食べていけばいい。いただきものだが…嫌いか?」
覗き込むように小首をかしげるのは日本犬の仔犬の愛らしさだ。くりくりとしたあの黒目がちな瞳の瞬きに似ている。一心に相手を見つめて反応を待っている点ではそれらは同じくらいに厄介だ。
「藤堂さんにそんな顔されてオレが断れると思ってるんですか? いただきます。西瓜」
藤堂は立ち上がると濡れ縁がら座敷へ上がった。ついた泥を払うのもぞんざいだ。だがそうした仕草が似合うだけの手脚の長さを持っている。朝比奈は手持無沙汰に花火に火をつけた。包装を完全には解いていなかったのが幸いしてか湿気ってはいない。噴き出す火炎の色の変化が空々しい。
 そろえた膝の上の顎を乗せた格好で花火を見ていた朝比奈に藤堂が声をかけた。皿に綺麗に分けられた西瓜が乗っていた。食塩の小瓶もある。藤堂の乱れた衿も裾も直されて欠片も名残はない。朝比奈は燃え殻をバケツに突っ込むと濡れ縁へ腰を下ろした。
「ここが真ん中あたりだったから、ここら辺りがいいだろう。塩は足りなかったら新たに振ればいい」
お前は塩気を好む性質だから、と藤堂が笑う。朝比奈はがつがつと西瓜を食んだ。たっぷりとした汁気が滴って指を濡らす。藤堂が濡れ布巾を差し出した。こまごましたところまで気が回るのは藤堂の繊細な性質を示す。
「藤堂さんは食べないんですか」
口元を袖で拭いながら朝比奈が問うのを、藤堂は眉を寄せた。汚れた袖を除けさせて濡れ布巾で朝比奈の口を拭う。
「染みになるだろう、これで拭きなさい。…私もいただく、から」
「すいません、ありがとうございます。でもこの色だし多少汚れたって判りませんて」
「はたから見る分には色合いの区別はつくんだ。思いがけない汚れに気付くのはいつだって遠目から見る人なのだから」
がぶっと大きく西瓜を朝比奈が食んだ。そのまま藤堂に口づける。反射的に反論しようと開いた口腔に朝比奈の舌先は西瓜の果肉を押しこんだ。もろもろ崩れながら水気を帯びた果肉が融ける。藤堂は喉を鳴らしてそれを嚥下する。尻餅をついて手をつく藤堂の体を朝比奈はなし崩し的に押し倒そうとする。紺藍の裾が割れて尖った藤堂の膝があらわになる。
「――ッ、は…ぁ…」
荒い息使いに朝比奈がにやりと笑む。
「感じた?」
「何を…――…ん、むぅ」
むぐ、と藤堂が唇を尖らせた。何やら口の中で起こっているらしい。心配そうな朝比奈に藤堂は苦笑するとペロッと舌先をのぞかせた。ちろちろ燃える篝火の紅さを保つ舌先に黒い種が鎮座していた。
「た、ね?」
「…そうだな、お前が種まで食んだらしい」
藤堂は上品に手の内に種を吐くと皿に落とした。かつんと硬質な音がする。ちろちろ燃える舌先が唇を舐める。口の端から溢れた紅い果汁や果肉を拭う。舌先や指先が拭うその動きは妙に艶めかしい。
「省悟?」
「…それ、反則です。絶対ずるいですよそれ」
藤堂はきょとんとして胡坐をかく。割れる裾から覗く内股や長い脛骨など目を惹く部位を藤堂は多く有している。
「しょう、ご?」
「花火しましょう。少し間をおかないと、オレ、藤堂さんをめちゃくちゃにしちゃうから」
藤堂は不思議そうに小首をかしげていたが花火をするという点で利害の一致を見たらしくぺたぺた濡れ縁を這った。朝比奈はうゥッとうめきながら蝋燭の方へ屈む。
「朝比奈? なにかあったのかッ?」
藤堂の声は心配そうだが恰好が余計だ。四つん這いになって裾や衿を乱した格好は藤堂に劣情を抱く朝比奈にとって目に毒でしかない。手が出せないのにそそるのだ。
「ちょッ…嬉しいけど、嬉しいけど悲しいッ」
「…??? なにが、だ?」
覗く内股の引きしまった具合や平らな胸の線など無駄に色気が振りまかれている。そのうちに藤堂はちょこんと濡れ縁に座る。
 「藤堂さんも、しましょ?」
花火を差し出せば整ったなりに華やぐ表情を見せる。うきうきしたような仕草に笑みもこぼれる。普段変化の乏しい藤堂だけにそれは稀有で嬉しいものだ。
「ありがとう」
ほゃッと笑って礼を言う藤堂の色香に朝比奈はひそかに頭を抱えた。


《了》

藤堂さんの色気は垂れ流し(待て)
こういう話もいいなーvv とか思いつつ書いていました。何気ない日常というか。
今暑いから(待て待て待て)
藤堂さんの和服姿って絶対似合うと思うんだ個人的に(なんという身勝手)
笑って嘘をつける小説家になりたいです(ちょっと待て)
後はもうアレだ、誤字脱字がなければ。それでいい。恥かしいから。        08/16/2009UP

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