きっとありふれた


   或る暑い日

 卜部は微睡みと覚醒を何度か繰り返すうちに薄暮に気付いた。視線を巡らせれば通信機器が着信をライトの瞬きでしきりに報せた。無意識的に手を伸ばそうとして気怠く重い四肢に気付いた。夏も近いこの時期は天候に関係なく蒸し暑い。降雨も曇天も日差しがないだけでその暑さを実感しにくい。日差しという明確な基準がないだけに警戒を怠りがちだ。卜部は寝付く前の体調不良を思い出した。戦闘訓練を積んでも元来痩せ気味の卜部は季節の変わり目に体調を崩しやすい。備蓄のない体躯はちょっとした不注意ですぐさまエネルギー切れを起こす。それでも毎回のように繰り返すだけのそれに焦りや不安はなかった。問題はこうした常として食が細ってしまい栄養の補給がままならなくなることだ。夏の始まりからこれでは本格的に夏を迎えた際の状況には目を覆いたくなる。卜部は一人身で同居人の助けは望めない。無理をしてでも何か摂らなくては本格的に倒れそうだ。
「…なんか、くわねェと」
寝付く前の食事を中止した所為か長時間栄養補給をしていない。空腹を感じる程度からみればそう重篤な症状ではないだろうが食わずにいるわけにもいかない。調理の手間を思って卜部はますます気がそがれた。負担の少ない食事はそれなりに手間がかかる。冷蔵庫の中身を思い出しながら卜部は必死に献立を考えた。身体を起こそうという気がない。
 進まない食事の献立に倦んだ時、遠慮がちに呼び鈴が鳴らされた。しばらくの間をおいて扉を直接叩かれる。面倒だと思いながらも体が動かない。身体を起こしたところで動きが止まってしまった。申し訳ないと思いながら相手の諦めを期待する。がちゃ、と音がして施錠が解かれた。男の一人身ではそうそう広い家屋など必要なく、玄関の様子が寝床からでも見える。滞りなく解かれるのは相手が真っ当な手順を踏んでいることを示した。扉が開けられて遠慮がちに顔をのぞかせた相手に卜部が仰天した。
「よかった、いたか」
藤堂がはた目にも判るほど安堵して肩を落とす。扉を閉じて穏やかな仕草で家へあがる。派手さはないが心地よい動きだ。道場で武道を教える身の上を示すように背筋がしゃんとしている。少々の手荷物を持って藤堂は卜部の枕辺へ膝をついた。
「何度か連絡を入れたのだが、眠っていたのか?」
「…すんません、今、起きたとこで」
藤堂がふいにこつんと額を寄せた。幼子が相手のようなそれに卜部は反論する気力もなくされるままになる。藤堂の方はふむ、とうなって考えている。そう言えば藤堂とは合い鍵を交換し合う仲であるのを茫洋と思い出した。
「微熱があるか。顔色が悪い。食事は?」
「…摂ってねぇっす。ずっと、寝て、たんで」
「何か作ろう。少し腹に入れた方がいい。そうでないと薬も飲めない」
藤堂は迷いのない仕草で台所へ向かう。冷蔵庫の前で開けていいかと目線で問われて卜部は頷いた。いちいち許可を求めるあたりが藤堂らしい。
 「あんた、なんで…俺ンとこに」
「昨日道場へ顔を出したときにも体調が悪そうに見えた。ものを食べていないという顔色をしていた。身体は常に熱量を消費する。補給がなければ倒れるだろうと思って」
隠し通したつもりで隠せていなかったようだ。卜部は頭を抱えた。藤堂は手荷物と冷蔵庫をあさりながら手際よく料理を作っていく。卜部はばたりと寝床に伏した。最後の気力で敷いた布団に体が沈む。藤堂は黙って調理を続けている。藤堂も身のまわりの世話は他者に頼らない性質だ。多少の療養食などなら作れる。
「卵はいるか? 冷蔵庫にあったが」
「…いらないっす」
卜部はずるずる這いずって窓を開けた。そのまま窓辺に突っ伏す。よどんだ空気が流れ出ていくような気がした。藤堂の来訪は喜ばしいが、理由が理由なだけに手放しでは喜べない。迷惑をかけている申し訳なさと不甲斐なさが募った。
「寝床で寝ていなさい」
指導者の口調で言いつける様子に藤堂が気づいてカァッと赤面した。卜部は口元に笑みを浮かべて目を眇める。
「暑いンすよ。身体も熱い。それにずっと寝てたんで新鮮な空気吸いたくて」
「窓を開ければいい。寝床へ戻って眠れ。食事はもう少しかかるから」
くつくつと煮詰まるような微音がした。
 「…来てよかった。お前があのまま倒れていたらと思うと」
「はァ」
卜部は襟を緩めた。首筋がひやりと冷える。にじんだ汗が必要以上に体を冷やす。気付いた藤堂が周りを見る。
「汗をかいたなら着替えなければ風邪をひく。着替えは?」
藤堂は何度か卜部の家を訪っているし着替えをする羽目にもなっている。勝手知ったる扱いで藤堂は抽斗からタオルと着替えを用意した。卜部は窓辺に伏せったまま動かなかった。動くのが億劫でもあったし、少し困らせてやりたい悪戯心が働いた。
「卜部、着替えを」
藤堂は言葉でせかしながら寝床の周りを片づけていく。放りだされていた本や帳面をまとめ、紙屑を屑籠へ放りこみ、こまめに調理台の様子を見る。
「敷布を取り換えようか」
「…いいっす。あんたホント面倒見いいな」
ぐたりとしたまま億劫そうな返答にも嫌な顔一つしない。藤堂は救急箱を探し出すと何種類かの薬を選った。
「解熱剤と風邪薬があるがどちらにする。ともかくも明日は医者へかかりなさい。油断していると大事になる」
「…毎度のことっすから。ほっときゃあ治ります」
「そういう油断はよくない」
卜部の言い草に藤堂が渋い顔をする。凛とした灰蒼が卜部を映す。卜部の茶水晶は無機的に煌めいた。
「風邪や体調不良を侮ると長引いて痛手をこうむる。ちゃんと診察してもらいなさい。医者嫌いという年でもないだろう」
完全に子供に言い聞かせる体裁になっている。卜部はつんとすねたようにそっぽを向いた。
「医者嫌いでいいっす。そのうちぽっくり逝くんで」
「ぶたれたくなかったら着替えろ」
地を這う低音に卜部がびくりと震えた。藤堂がじろりと卜部を睨みあげる。卜部はおずおずと着替えを始めた。汗でべとつくシャツを脱ぐと心得たように藤堂が体を拭う。
「冗談でも逝くなどというな。私は、言われたくない」
不満げな子供のように紅い唇を尖らせる。卜部は気怠い身体のまま肩を震わせて笑った。
「何がおかしい!」
「すんません、あんた結構短気なとこあるなァと」
卜部の体が笑いに躍動する。薄い皮膚の下に潜む骨格や筋肉のつき方やありようが判る。卜部の体は痩躯でそのありようは目に見えた。微妙なゆがみや不具合を露呈させる。
 藤堂の指先が緩やかにそれをたどった。卜部はくすぐったそうに身をよじる。熱を帯びた体躯は熱く火照りジワリと汗ばむ。タオルで拭いながら藤堂はその湿った皮膚に唇を落とした。強く吸いつけば鬱血する。卜部の動きがだんだんと鈍くなる。四肢を重たそうに繰る。長身の卜部は手脚も長い。藤堂はその体を寝床に横たえた。
「…ヤラ、せて」
「無理をいうものじゃない」
卜部がクックッと笑う。藤堂は煮詰まった音をさせる調理台に向かって手順をこなした。折りよく出来上がった食事を卜部の枕辺へ運ぶ。白子とともに煮立てた粥だ。消化を思って十分に火を通した。
「食べなさい。空腹に薬は胃が荒れる」
卜部は新たに用意された着替えを身につけてから匙をとった。真新しい着替えの不慣れさと弱った食欲とで卜部はことのほか頼りなく見えた。藤堂はそっと支えるように卜部の背に触れる。背骨のありようの判る薄い背に藤堂は目を眇めた。
 「…卜部、ひとつ訊くが、調子が悪くなったのは昨日今日か?」
「…さぁ? 季節ごとに慣れるまでは体調崩すんで。そういやぁ最近、食が細ったかな」
卜部は飄然と言い切る。
「ちゃんと食事は面倒がらずに摂りなさい。…作るのが面倒なのか?」
つい説教臭くなる物言いに自覚があるのか藤堂が目線を逸らす。
「…確かに面倒っすね。食わずにいれたらいいンすけど」
「規則正しい食事をとりなさい。あまり抜かない方がいい」
藤堂の灰蒼がじっと卜部を見つめる。藤堂は卜部の内股に指を滑らせながら、痩せているのにと呟く。卜部はすでに匙をおいて脇へ粥を避けている。
「お前はただでさえ痩せているのだからきちんと食べなさい」
「はァ、そりゃあどうも」
「――私はお前が、心配で!」
押し倒されながら卜部が喉を震わせて笑った。
「あんたに心配されるなァ身に余る光栄っすね」
「ふざけるな! 私は本当に、心配し…て――」
藤堂の灰蒼がぶわりと潤む。凛と鋭いそれの不用意な潤みは蠱惑的だ。
「ありがとうございます」
卜部は口の端をつり上げたままこつんと額を合わせた。藤堂はその唇を奪う。
 蒸し暑い空気が淀む。四肢にまとわりつくようなそれが錘のように重みを増す。卜部は這いずる藤堂の手の動きに体を震わせた。卜部の指先が藤堂の肩を掴む。藤堂はびくりと震えた。卜部は噛みつくように藤堂の喉仏に歯を立てた。互いの震えが振動となって伝わった。
「あんたの体ぁ気持ちがいい」
藤堂のこもったような笑い声が返った。


《了》

ウワァもうどうしたらいいか判らない(待て)
藤堂さんと卜部さんを書きたかっただけだったりする。
この二人は二人でラブラブしているといいんだ! 藤卜でも卜藤でもいい(待て待て)
私の認識としては受けが二人でにゃがにゃがです
誤字脱字がなければいいな、みたいな…!     06/07/2009UP

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