宝物の秘密
私だけが知っている
仕事の一区切りで庭園を散策するのがギルフォードの日課になっている。何度も足を運ぶそこの造りすら覚えている。どの小道がどこへ通じているかや彩る灌木などの所以も知っている。皇子や皇女の誕生を言祝ぐために植えられたものや皇子たち自身が催事として植えたものもある。催事の際に何か残るものを残すのはイレヴンもそうなのだと誰かから聞いた。庭木から芝まで手入れは怠りなく瑞々しく萌える緑を瞬かせる。様々な緑色が目を楽しませ息吹すら感じ取れそうだ。茂みや枝葉が風に揺れる。木々を揺らす風はギルフォードの長い髪を翻した。一つにまとめて結ってあるが風に吹かれればそれなりに頬を撫でる。ギルフォードは髪を手で払いながら小道をあてどなく歩いた。澄んだ碧空は絵の具を流したような空色だ。高さで色合いが変わり花紺青やスカイブルーが見て取れる。白い綿雲がゆったりと流れる。
「散歩かな」
穏やかに響いた声に後ろを向けば珍しくとももつれていないシュナイゼルが立っていた。淡い練色の髪を短かめに切っている。秀でた額を覆う前髪は少し長くて片目を半分ほど覆う。色素の薄い勿忘草色の瞳が物腰優しくギルフォードを映している。
「殿下」
慌てて膝をついて礼をするギルフォードにシュナイゼルは苦笑した。大きな手がギルフォードの腕を取って立ち上がらせる。
「立ってくれ。君と話がしたくて声をかけたのにこれでは話もできない」
「…失礼します」
目を伏せて目礼してからギルフォードは立ち上がった。シュナイゼルの方が少し背丈がある。
ギルフォードはカチリとした鋭角的なラインの眼鏡越しにシュナイゼルを見た。皇族には紫の色素をもつものをよく見かける。遺伝なのかもしれない。
「キスしていいかい」
「はッ?!」
ギルフォードが目を瞬かせる間にシュナイゼルは余裕で唇を奪う。淡い紅色が重なりあう。ギルフォードもシュナイゼルも白皙の美貌であり見た目も悪くない。たおやかに伸ばされたシュナイゼルの指先がギルフォードの髪結い紐を解いた。ふわりと広がる髪は完全な黒色ではなく日に透ける黒褐色だ。肩の下まである長さの髪を指先でもてあそぶ。ギルフォードは唇が離れるや否やシュナイゼルの手から逃れ出た。
「お戯れが、過ぎます」
「お茶でも如何だい。君は優秀だから自由時間を延長するだけの余裕はあるだろう」
諫める言葉をきっぱり無視したシュナイゼルがギルフォードを誘う。指先に絡めたままの結い紐もそのままだ。ギルフォードが後をついてくるのを見てシュナイゼルは満足そうにその口の端をつり上げた。
導かれたのは明らかに皇族用に設えられた椅子と円卓で、ギルフォードは躊躇した。シュナイゼルは意外そうに目を瞬かせてギルフォードを呼んだ。
「早くおいで。お茶の支度ができないだろう」
少し猫のように唸ってからギルフォードは恐る恐る席につく。シュナイゼルはギルフォードの警戒や躊躇など知らぬげに肘をついて笑いかける。
「紅茶かな、コーヒーかな。それとも日本茶がいいかい」
「…何でも構いませんが」
ふむ、とシュナイゼルが子どものように息をつくと給仕を呼んだ。給仕はそれぞれの茶葉の名と産地を答える。薬草茶もございますという言葉に彼がゆったりと微笑んだ。
「それがいい。彼も疲れているだろうからね、いい休憩になりそうだ」
給仕の並べ立てた薬草名はギルフォードの知るものから知らぬものまで様々だったが、シュナイゼルは知っているらしく鷹揚に頷くと少しの指示をして給仕を返した。入れ替わりに現れた給仕が二人の前にちょっとした茶菓子を並べる。こんがり焼けた香りが香ばしい。
給仕はシュナイゼルとギルフォードに一礼してから差し入れであることを告げ、名前を告げる。シュナイゼルは頷いているが聞いているか不明だ。そもそも取り入ろうと数多の人間が群がる皇族にとって一度聞くだけの名前など覚える意味も労力も不必要ということだろう。菓子にシュナイゼルが口をつけてからギルフォードも口へ運んだ。そうした間にも薬草茶が用意されてそれなりの茶席が出来上がる。給仕を下がらせてからシュナイゼルがポットを取った。ギルフォードが反射的に茶を受ける。後から気づくがまさしく後の祭りだ。ひたすら恐縮する様子にシュナイゼルは愉しそうだ。
「美味しいかい」
「…お先に、いただきます…」
ふゥふゥとさましてしまう癖が抜けない。ゆっくりと口をつける。口の中に清涼感が広がり独特の喉越しを感じる。自分で注ごうとするシュナイゼルを制してギルフォードがポットを持った。
「お酒ならば、お酌というのだろうね。見目麗しいご婦人がすると気分がいいと聞いたが」
「無粋な男で申し訳ありません」
「いやいや、どうして。君は十分に綺麗だよ」
返す言葉がなく、ギルフォードは白い頬を染めてうつむいた。しばらく二人が茶を呑む空気が流れた。時折、茶菓子を食むかすかな音がする。小鳥がどこかで甲高く鳴いた。
ギルフォードはおとなしく席についていたがうつむいたまま顔をあげなかった。シュナイゼルのことが思惑外になるほど彼は眠かった。茶を呑む間延びした空気に目蓋が落ちる。皇族の前で眠りこけるわけにいかず、さりとて眠いのでこれでと席を立つ勇気もない。シュナイゼルが飽いたり気を変えたりしてギルフォードを解放してくれるのを待つのみだった。視界の端にさらりと流れる黒褐色にギルフォードはそう言えば結い紐も返してもらっていないのだと意識の端で思った。些事ではある。シュナイゼルの優しげな声が懐中時計のようにリズムを刻む。心地よいそれは眠気を増長させるだけだった。
「眠いのかな?」
ハッとギルフォードが顔をあげる。だが慌てて頭をふるのが精一杯で、直前まで話されていた会話の内容すら記憶にない。無礼だと手打ちにされてもおかしくない失態だ。シュナイゼルは席を立つとギルフォードの手を引いた。
「あ、の? 殿下、何を。…失礼ですが、そろそろ暇を」
「ほらごらん。ここは日当たりがいい。ここで眠るといい。膝枕でもしようか」
「結構です! 殿下の前で眠るなど」
「そう言えば君は閨でも眠らないね。少しくらい気を抜き給えよ」
青く萌える芝の上に座るとギルフォードも座らせる。ぱたぱたと叩いて横になれと促す。
「あのお茶にはリラックス効果があってね。君は疲れているのだろう? リラックスで眠くなるとは相当だ。ちょうどいいよ、頃合いも悪くないし、眠ればいい。ちゃんと起こしてあげるから安心しておくれ」
ギルフォードの長い髪にキスをしてからシュナイゼルはギルフォードの体を強引に横たえた。眼鏡を奪って逃げるのを封じる。ギルフォードの方は逆らうこともできずに横になった。日の光を吸いこんだ芝はほんのり温んでいて心地いい。ギルフォードの意識を見る間に眠気がとらえた。うつらうつらする頭を撫でてやってからシュナイゼルの指先が目蓋を閉じさせた。ギルフォードの呼吸がすぐに間遠くなりゆったりとしたリズムになる。
そっとシュナイゼルが手を退けると仄白い目蓋が薄氷色の瞳を覆っていた。肌の白さと髪の黒さの対比が目を惹く。シュナイゼルのようにぼやけたような間延びはなく引き締まって見える。朱唇を歪めて笑うとシュナイゼルは体をかがませた。薄く開いたギルフォードの唇は妙に紅く鮮やかだ。弾ける果実の瑞々しさ。唇を重ねようとしたところでシュナイゼルはこらえきれずに笑んだ。
「ん、ぅむ」
ギルフォードがむにゃむにゃ唸って眉を寄せ唇を尖らせる。睫毛が以外と長い。視線を感じるかのようにかすかな震えを帯びる。
「止めておこうかな」
シュナイゼルはくすりと口元をゆるめた。ギルフォードは見た目を裏切らない慎重な性質だ。シュナイゼルと床を共にしても寝過ごすことはなくきちんと一礼して部屋を辞する。それでいてナイトメアフレーム開発に携わるロイドをも交渉相手にしているのだから意外でもある。潔癖なのかだらしがないのか一筋縄ではいかない。ロイドのことを問えば苦々しげに断ってはいるんですと前置く。それでいてシュナイゼルの誘いもまずは断りを入れてくる。なし崩し的に抱いているがギルフォードはそれを自分の内に秘めてしまう。本来の主たるコーネリアに不遇を訴えた様子もない。鈍感なのか大物なのか微妙なところだ。
「甘えてしまうよ」
シュナイゼルの言葉が風にたゆたう。かき消えるそれは微風となって草木を揺らして消えていく。カチリと引き締められた襟を緩めてやる。留め具を外せば細い首が見えた。染み一つなく白い。くつろげさせた襟から覗く鎖骨辺りへ吸い付く。ピクンと身震いしたが目覚めない。
「ふふ、私だけの秘密だよ」
シュナイゼルは元通りに襟を直してやってから上着を脱ぐと腹を冷やさぬようにかけてやる。指先が結い紐を戯れのように絡めとった。
《了》