誰のため 俺のため
取引と閉鎖空間と
強引につなげたそれはひどく歪で
「ねぇ話聞いてよ。暇でしょ」
呼び出し音を何度も鳴らした挙句のいいように卜部は思い切り拒否したかったがその後に続いた朝比奈の言葉に折れた。
「藤堂さんが、ゼロに呼ばれたんだよ…また、さ」
卜部は朝比奈を迎え入れるとどこへでも座れと促しておいてから部屋を施錠した。朝比奈はどこへも座らず結局床の上で膝を抱えて丸まっている。眼鏡の奥の不用意な潤みを卜部は見ないふりをした。朝比奈の藤堂に対する感情のありようは他者のそれより顕著で判りやすい。眉の上から走る傷跡が妙に照る。朝比奈の気が昂っている証だ。朝比奈は年若いだけに思慮の足りない面と感情任せのきらいがある。冷静な戦術師としての結果と感情的なそれとを分けることができない。感情的なものが戦術の結果を凌駕して窮地を招いたことも何度かある。
「ゼロとさ、藤堂さん、何しているのかな。オレもついていきたかったけどさぁ、藤堂さんがだめって言うから。藤堂さんに言われたら、逆らえないじゃない」
ゼロと藤堂が何をしているかなど想像に難くない。だがそれは同時に卜部たちに忌むべき記憶を呼び起させた。かつて藤堂に負をすべて任せる結果となってしまった忌むべき記憶。日本再建という高邁な思想のもとに藤堂の自己は徹底的に破壊された。卜部や朝比奈ら四聖剣は事後になって気づいた。当の藤堂からは何もなかった。弁明も謝罪も、まして言い訳するわけもなかった。朝比奈の執着が度を超すようになったのはその後だ。
「…知るか。中佐に訊けよ」
「訊けるの? あんた、訊けるの、藤堂さんに? 何してんですかって」
嘲るようなそれから卜部は顔を背けた。歯噛みしたくなるようなそれがざわざわと深部を揺るがす。泥をかくように深みへ嵌まってゆく。もがくほどに捕らわれて逃げ道が消える。泥をかけば沈む、だが何もしなければ自重で沈む。四面楚歌だ。打つ手はなく打たなくとも負ける。
響いた電子音に卜部は肩を跳ね上げた。朝比奈がはっと扉の方を見る。卜部が施錠を解いて扉を開けば派手な黄緑色の髪をした女がいた。ゼロが唯一ひきつれていたらしい少女だ。ゼロの私室で寝泊まりする彼女の位置は微妙だが当人はそれを知ってか知らずか淡々と振る舞う。
「あぁ、お前だ、卜部。卜部とか言ったな」
「俺?」
卜部は怪訝そうに眉をひそめたがC.C.は一向に意に介さずふふんと笑った。後ろで朝比奈が警戒心剥きだしで睨みつける。C.C.はひょこりと体を折って卜部の後ろの朝比奈に言った。
「藤堂なら少し前に自室へ引き取らせた。安心しろ、怪我はしていないぞ。自分の足で歩いて帰ったからな」
朝比奈は卜部の脇から飛び出して行った。その後ろ姿をC.C.は面白そうに眺めている。朝比奈の心情を承知の上でほざくのだから性質が悪い。
「そんだけ?」
「待て閉めるな、まだ用事は済んでいない。卜部、卜部を呼べと言われたのさ」
「…だから、何の用だって」
C.C.ははんと鼻で笑ってその長い髪を払った。けばけばしいような黄緑だが妙に馴染んでいる。
「野暮を言うな。密やかに呼びつけるなんて用事は一つしかないだろう、私が直々だぞ?」
卜部が嫌そうに顔を歪めるのをC.C.は鈴を転がすような笑い声で嘲った。
「まぁ行ってみろ。詳しいことは聞かされていないから明言はしかねる。ただまぁ、しばらく部屋を空けろと言われれば何をするかは見当がつくがな。ふふ、せいぜいあの坊やを可愛がってやってくれ」
C.C.は服の裾を翻して卜部の部屋を後にする。向かっているのはゼロの私室の方角ではない。これでは本格的にゼロと相対する羽目になりそうだ。藤堂の元には朝比奈が駆けつけているし卜部の想像した通りのことが行われていたならば人と会いたくないだろう。卜部は腹をくくるとゼロの私室へ向かった。
呼びだしの手続きを踏むと扉は難なく開いた。閉じる後ろでカチリと施錠の音が妙に大きく響いた。寝台も備え付けてあるそこへ素早く目を走らせる。寝乱れたままの寝台はそこでいましがたまで行われていた事実を裏付けた。
「…中佐か」
「ふん、私が誰と何をしようとお前には関係ないだろう」
「用件は」
卜部は手短に問うた。藤堂の領域を侵す存在である以上敬う気は失せた。
「証もないのに短慮に走る…そういう一本気なところは好ましい」
鷹揚な仕草で椅子から立ち上がったゼロの声色には嘲りが強く見えた。
「奇跡の藤堂。戦績も素晴らしいが性遍歴もかなりのものだ、何人誑し込んだのだか」
「言いたいことがそれだけなら戻るぜ。中佐のことはがたがた言わせねぇ。奪還を頼んだなァ俺らだが戦力にしたのはテメェらだ」
「日本国首相と通じ、投獄中は獄卒と通じ…ふふ、忙しい男だな?」
ぎりっと卜部の握りしめた手が鳴った。相手に与える痛手のみを考えればどんなことが有効かはすぐに判る。藤堂は投獄中もその暴挙を享受したに違いなかった。藤堂の自己評価が極端に低いのはその所為もあるだろう。
「日本人は潔癖だ。特に色事には過敏に反応する。そういうところを刺激したくはないだろう?」
「…それで、要求はなンだ」
ゼロは鷹揚にその細い手を差し伸べた。硬直して動けない卜部の頬をさらりと撫でる。
「私の情人になる気はないか?」
「…相当、イカレてるぜ」
吐き捨てる卜部にゼロは変わらぬ表情のまま指先を滑らせる。流れるようなその動作は洗練されている。
「色恋沙汰など気の迷いでしかないだろう。ならば初めから幻想と知っていた方がよくはないか? まぁ、お前が嫌だとはねつけるなら他の人間にするまでだ…そう、藤堂、とかな」
ゼロの口が笑んでいるのを卜部は見たような気がした。卜部は唇を引き結んだ。茶水晶の瞳が煌めく。踏みつけにされながらなお抗わんとする気概が見えた。意識の先行するそれは典型的な日本人だ。
「…強請り、かよ」
「頼んでいるんだがな」
「それが強請りだってんだよ…選択肢がねぇじゃねぇかよ。だいたい、なんで俺なんだよ」
卜部と同じ立場だというならば女性である千葉や、もっと庇護欲をそそる朝比奈がいる。
「波風が立たない、と言ったらお前は怒るかな? 後腐れもない。お前は引きずる性質ではなさそうだ」
卜部は口の端をつり上げた。同時に目を眇める。ゼロの見立ては正しい。千葉も朝比奈も藤堂のありように意識を引きずられる面が否めないし、年若い故にそれは顕著だろう。感情的なそれが理性を上回ることがあるのを卜部は知っている。その点でいえば卜部は藤堂と深い関係ではないし、まして女性のように孕む心配もない。
「…きったねぇ」
逃げ道をすべてふさいでから獲物を追い詰める手法はかける側には爽快だろうが、かけられる側から見れば絶望だ。退路すらないそれにせり上がる絶望。
「どうする、卜部、巧雪。雪の名は美しいな。雪のごとくかき消えて見せるか?」
卜部は返事の代わりに寝台に歩み寄りながら服の釦を外した。同時にベルトを解いてゼロへ投げつける。
「好きにしろ。で? 俺は男役か女役か。まぁ、想像はつくけどな」
「もの判りのいい奴は好きだが? そういう顔はたまらないな。加虐心をあおるぞ。藤堂にもそう言っておけ」
ゼロはその顔を覆うように手の平をかぶせると微かな摩擦音をさせて後頭部までを覆う仮面を取った。現れた少年の面差しに卜部は息を呑んだ。
見たところ十代半ば、まだ少年の域を出きらない年頃だ。大きな瞳や細い眉はある種女性的ですらある。そんななりが己のようなありふれた野郎を抱こうとする意志が判じかねた。
「これを保障にお前には抱かれてもらおう。ゼロの素顔を知っているんだ、優位に働こうと思えば手はある」
「…待て、中佐はこれ知ってんのか。お前の正体を」
「知るわけがないだろう。あれを抱くときは目隠しして抱いているし声をも立てぬように苦心しているんだぞ」
「…下衆野郎」
「そう言うことごとくがお前の体へ還るぞ、卜部。下衆野郎ならそれで結構、そう言う振る舞いをするだけだ。ほら脚を開けよ」
開き直ったルルーシュは傲然と言い放つ。卜部はどさりと体を投げ出すように寝台に腰をおろした。ルルーシュはそこへ乗りかかるように脚の間へ膝を滑らせる。
「野郎抱いて何が楽しいんだかな」
「そのままお前に返そう卜部。藤堂を抱いて何が楽しい」
「中佐ァ色気があるからな。お前も、そうだろう」
ルルーシュはその朱唇を歪めて笑った。
「お前や藤堂を抱くのは通じるところがある。乱れない。どんなに手酷く抱いても夜が明ければ何でもないような顔で現れる。そう言う防御を打ち崩すのは、たまらない快感だ」
「下衆だな」
「言葉が汚いな、卜部。好きな子をいじめる幼子の心理だとでもいえ」
卜部はふんと鼻先で笑うとブーツを脱ぎ捨て衣服を脱いだ。見た目どおりの痩躯は乱暴に扱えば手折れてしまいそうで、雛鳥を思い出させる。ひどく痩せていながら意外な強さを見せる。
ルルーシュも襟を緩め、ベルトを解く。バサバサと落ちる衣服を卜部は無為に目で追った。
「自分より優位にいるものをつき落としたり犯したりするのは気分がいい」
「俺はおまえより優位にいるたァ思えねぇけどな。…中佐には」
「手だし無用、か? ふん、律儀なことだ。嫌だと言ったらどうする。お前を抱いてさらに藤堂も抱きたいという欲望はどうするんだ?」
「殺してでも止めるぜ。犯したらいけない領域ってなァあるんだよ」
ルルーシュは喉を震わせて笑った。その細い肩が揺れるのを卜部は他人事のように眺めた。
「ブリタニアに弓引く希望であるゼロを殺す? 忠義の域を脱しているな、狂気だ。狂おしい慕情だ」
「人間はそんな崇高に生きてないぜ。腹が減ったとか金がねぇとかせいぜいそんなもんだ。それなら忠義に狂った方、が」
「甘えるなよ卜部巧雪」
音がしそうなほどにルルーシュの視線が卜部に突き刺さる。その甘いような痛みはどこか藤堂のそれに似ていた。
「すべからく言い訳だ。それはこじつけにすぎない。負担を和らげるための言い訳だ、誤魔化しに他ならない、そうだろう?」
黙る卜部にルルーシュは藤堂のように包容力のある笑みを見せた。少女じみたそれは宗教画のような美しさで卜部の口を重くさせた。
「責任くらい持て。己の行動原理は己にあり。お前はすべてを藤堂にかぶせるような奴には見えないが」
卜部は口元を歪めるように笑んだ。投げやりのようでいてすべてを知ったようなそれは蠱惑的だ。
「そうだな、俺たちはゼロを使った。ならゼロが俺たちを使ってもおかしくはねェな。持ちつ持たれつってやつか」
卜部の指先がルルーシュの白い頬を這った。噛みついた唇が皮膚を裂いて出血させる。走る痛みにルルーシュは美貌を歪めた。卜部はそれににやりと笑んだ。
「野郎を抱くんだ、それなりの考えがあるンだろう。訊かねぇけど問わせやしねェ。お前が俺達を使うなら俺達もお前を利用する。ゼロってのは、ちょうどいいぜ」
ルルーシュは噛みつくような口付けに優しく応えた。そのまま喉仏の浮き上がった喉へ唇を滑らせ歯を立てる。
「ならば抱かれろ。お前がオレを籠絡して見せろ」
卜部は肩を震わせて笑った。泣きだす前の震えに似たそれにルルーシュは声をかけられなかった。
大事な人がいる
護りたい物がある
そのためならば、何を喪おうとも
《了》