君も私も


   お互い様

 かたわらで身じろぐ気配に目が覚めた。ぼやけた視界と見慣れた天井。何気なく視線をやって隣で眠る卜部に気づいた。藤堂と向かい合うように横たわり、腕を枕に眠っている。長身の男が二人も寝れば寝床は狭い。卜部の痩躯が敷布からはみ出ているのを見て藤堂はどうするべきか悩んだ。開け放たれた窓から降り注ぐ月光が部屋を薄闇に照らす。夜の帳が下りてだいぶ経った時刻では細部は見えないが人造の闇と違い気配くらいは判る。布団の周りには二人分の衣服が脱ぎ散らかされている。藤堂は火照る頬をもてあまして卜部へ視線を転じた。
 縹色をした髪は薄闇で藍鼠に色を変えている。飄然としたなりで背も高く痩せている。所属している場所の関係上貧弱ではないがやはり細い。肘や鎖骨に骨格のありようが見て取れる。長い手脚を器用に折りたたんだ体勢で見ているこちらの方が息苦しくなりそうだ。藤堂はそっと指先を這わせる。感触は雛鳥のそれと似ている。乱暴に扱ったら壊れてしまいそうでいて案外頑丈で柔軟だ。この痩躯が先ほどまで藤堂の体を好きに喘がせ抱いていたのが嘘のようだ。ぺたぺた触れても卜部は目を覚まさない。交渉で疲れているのだろうかと思いながらそうっと頬や目蓋を探り髪を梳く。卜部の体は平素からエネルギーの蓄えなどなさそうだ。
「卜部、巧雪」
耳朶で息を吹きかけるように囁いて耳の裏へ吸い付く。皮膚の柔らかいそこには簡単に跡がつく。耳や首筋は目につくわりに傷つきやすい場所でもある。ちょっとした引っ掻き傷や蚯蚓腫れが後を引いて紅くなる。卜部は藤堂の生活環境を考慮して滅多に跡を残さないよう心を砕いてくれた。代わりに腰骨のあたりや内股には明確な目的をもっていると判る跡を残す。自分の要望を主張しない卜部の滅多にないそれを藤堂は容認した。
 卜部の背をなぞれば少し腫れがあるのが判る。それは交渉の際に爪を立てた名残だと気づいて藤堂が一人で赤面した。爪先というのは意外と鋭利で摩擦と速度の条件をクリアすれば十分な武器になる。
「…言えば、いいのに」
時折同僚である朝比奈に背をはたかれてしかめていた顔は演技ではなかったということか。
「馬鹿者が」
目を眇めて寝顔を見つめる。薄く開いた唇をなぞる。くっきりと浮かび上がった喉仏をたどり鎖骨へたどり着く。目を覚まさないほどに卜部は鈍感だったかという懸念と滅多にない悪戯の機会とに藤堂は逡巡した。
「…お前は、本当に」
そっと体をかがめて唇を寄せる。押したら潰れそうなやわい眼球の感触が判る目蓋から下へおりて唇を重ねる。触れるだけだったのが次第に度を越してくる。相手が目を覚まさないとなると藤堂も調子に乗った。交渉の興奮の名残かと諫めながらも藤堂は悪戯っぽく笑った。喉を押せば呼吸を楽にしようとして口が開く。そこへ舌先を潜り込ませた。睡眠で唾液の分泌が減った口腔は乾いていて濡れた舌先が張り付いた。そこを湿らせるように丹念に舌を這わせる。
 藤堂が満足して離れようとした刹那、頬を固定されて一気に舌を吸われた。その勢いのまま布団の上に押し倒される。歯をぶつけるような勢いと激しさの同居した口付けに呆気にとられている間に卜部は満足げに離れた。口の端をつり上げて笑うのは卜部の癖だ。周りを窺う小心さの表れですよと言った卜部の声が殷々と耳にこだました。愉しげなのをこらえきれない様子は卜部が疾うに覚醒していたことを示した。
「お前、起きていたなら!」
「タイミングを逃したンすよ。気づいてくださいよ、ずっとこらえてたんですから」
藤堂がみるみる頬や目元を赤らめた。熱をもって火照る頬へ卜部は優しく唇を寄せた。クックッと震える喉の動きを藤堂は指先で追った。不満げに口元を引き結ぶ藤堂にも卜部はひるみもしない。平然と藤堂を組み敷いて唇を寄せた。揶揄するように触れるだけの唇が耳の裏や首筋を這う。
「…卑猥なことばかりする」
「させてるんじゃないンすかね。ずいぶん誘われたような気がしますけど」
「わ、私は誘ってなど!」
あっさりした卜部の言葉に藤堂の方が泡を食った。慌てる藤堂の様子に卜部はつり上げた口の端を震わせた。揶揄されたのだと判って藤堂はそっぽを向いた。
 卜部はなだめるように唇を寄せる。平素ならば指を触れもしない卜部の過剰な接触は藤堂にとって心地よい負荷となった。卜部と触れあうことによって生じる負荷は藤堂に他者との接触を実感させた。薄皮一枚で隔てられながら互いの熱がたぎると思えば感覚が同調する。領域を超えて同化し互いの深部に触れた。
「こうせつ」
「不意打ちが得意ですね、あんた」
込み上げるままに卜部の下の名を紡げば困ったように眉を寄せて卜部が呟いた。
「嫌か」
「嫌じゃあないから困るんですけどね、鏡志朗さん」
藤堂はしばらく瞬きを繰り返したがぼっと首まで真っ赤になった。目に見える変化に卜部の方が呆気にとられた。
「どうしたンすか、鏡志朗」
「よ、呼ぶな!」
「嫌っすか」
「…お前と同じ、だと思う。嫌ではないから難渋している」
藤堂はぶしつけな同調感を軽々しく口にするような輩ではない。相手と己の領分をきちんと把握できる人であり、領域に踏み込むときには断りを入れる性質だ。卜部は笑うと藤堂の首へ吸いついた。強く吸うと明らかな紅い跡が残る。藤堂が指先を這わせて濡れた感触をたどり、慌てたふうに声をあげた。
「あ、跡をつけたのかッ」
「下半身にはたんまりついているでしょうに。気にすることですか」
「目につくところにつけられたら私はどう言い訳すればいいと…!」
慌てる藤堂を横目に卜部はそうですねェなどとのたまう。
「朝比奈あたり、気づくかもしんないっすね。あれで目敏いから」
「判っているなら!」
卜部の肩を掴んで抗議する藤堂の顎をくんと持ち上げる。
 「いいじゃないっすか、所有物宣言、みたいな」
「私にとっていい要素はないだろう」
「こだわりますねぇ、そういうのも嫌いじゃないですけどね」
卜部は悪戯っぽく口の端をつり上げて笑った。意味ありげに眉を動かしてみせる。茶水晶は無垢なきらめきで藤堂を映した。藤堂がぐぅと黙ると卜部は得意げに言った。
「さっき散々、吸い付いていたでしょうに」
「やッぱりお前起きていたかッ! 起きていたならそう言えッ」
藤堂の中に疑念はあった。敏い卜部が気付かずに寝こけているというのも不自然な状況であることに変わりはない。卜部は自身の状況をこらえて隠すのがうまい。酒を飲んでもくだをまいたり怒ったり泣いたりせずにいきなり潰れる。どうも卜部にはそう言った傾向がある。藤堂も同類であるからそう言ったことにはすぐに気づく。
 「そういえば爪痕を朝比奈に気づかれましたよ」
「なッ?! …ど、どうした」
藤堂は不意打ちにもろに反応した。判っていてもびくんと肩が跳ねる。朝比奈は執拗な面があるから追及されると厄介な相手である。
「どんなのって訊かれたから、健気で我慢強いって言っときましたよ。あとはそう、人を寄せ付けない性質でって」
「私のことかッ?!」
「あんたのことにきまってるでしょうに。まァ俺は女だなんて一言も言ってないっすからね。あいつが勝手に納得しただけで」
藤堂は手で顔を覆って天を仰いだ。
「朝比奈の追及をどうしろと」
「それっくらい大したことじゃないでしょう。最近の女ァ積極的ですから。吸いつかれたって言っておけばいいんじゃないですか」
卜部はあっさり言ってのけるが藤堂に切り抜ける自信はない。図星を言い当てられると藤堂は動揺のあまり表情が抜ける。朝比奈もその癖に気づいていて、だからこそ反応で気づかれる可能性が高い。
「…私はお前のように機転が利かない」
「俺は事実しか言ってませんて。あんたは健気だし我慢強くて人を寄せ付けない性質でしょう」
「事実であればいいとでも言うのか」
険のある言いようだと思ったが口をついた言葉は戻らない。卜部は片眉だけを跳ね上げたがそれだけでこらえた。こう言う我慢強さが自分にはないのだと藤堂の気持ちが沈む。朝比奈たちに慕われる煩わしさをもてあましながらそれが好意であるからと容認する。我慢するのは勝手だがそれを他者に悟られては我慢の意味がない。藤堂は大きく息をついた。
「…すまない、感情的になりすぎた。ただ私はお前ほどに上手い言い回しを知らないから、どこかでぼろが出てお前に迷惑を」
「そうやって人に責任押し付けんで下さいって」
ずばりと切り返されて藤堂は言葉を失った。黙りこむ藤堂の表情が抜けるのを見て卜部は肩をすくめた。
「あんたはそうやって額面通りに受け取っちゃうんすから。言いがかりっすよ、これ。跳ね返してくださいって。俺は愚にもつかない屁理屈こねてるだけなンすから」
卜部の言葉に藤堂がふゥと笑った。灰蒼の目を眇めて唇を弓なりに反らせる。
 「お前は本当に」
「あぁ、その続きなんなんですか? さっき言いかけてたでしょう、俺は本当は、なんですか?」
藤堂の灰蒼の瞳が煌めいた。水面のように揺らめきながら雫をこぼす一歩手前でこらえる。

「お前は本当に、愛おしい」

卜部の茶水晶の目がしきりに瞬いた。口がぽかんと虚ろを空けている。卜部の間の抜けた醜態に藤堂の方が小首を傾げた。
「卜部?」
「…いや。…ハァあ」
藤堂の呼びかけに動きを取り戻した卜部の頬が紅い。
「なんだ、照れているのか? 顔が紅いようだが」
「いや、ずいぶんストレートで来るなぁと。直撃ですね」
ポリポリと手持無沙汰に指先で頬をかく。乱そうと思っても乱れない卜部の動揺に藤堂はこらえきれずに噴き出した。飄然とした卜部の雰囲気は如何も染みついているらしく抜けきらない。
 「動揺しているのか? そうはみえないが」
「結構大混乱ですけどね。まさかあんたからそんな言葉聞くとは思ってなかったんで」
「まったく、あんたあんたとご挨拶だな」
「じゃあ、鏡志朗さん」
「…意地が悪いな、お前は」
卜部はしれっと言い放つ。躊躇や揶揄など微塵もない。卜部の言葉が不快にならないのは彼が気配りを怠らないからだろう。言葉遣いこそ粗雑に表現するが内容の方は思慮の結果だ。
「巧雪」
「…あんたも十分、意地悪いと思いますけど。名前で呼ぶか普通」
「ダメなのか? こうせ」
卜部は藤堂の言葉を遮るために唇を重ねた。


《了》

だから似たような話を書くのはいい加減にしなさいというツッコミ。
もう何番煎じだかわからないしね!(最悪だ)
なんていうかこれはいつの話なのか。どこだよ。(訊くな)
あえて特定しないために卜部さんが藤堂さんのことを容赦なく「あんた」呼ばわりしているという裏話があります。(要らんそんな話)
最後にツッコんでいるあたり限界だったらしい(苦笑)
すいません笑って見逃して下さい。誤字脱字も見逃して下さい(最低だ)
卜部さんと藤堂さんが好きすぎてどうしよう      02/16/2009UP

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