少し苦い、味
遅れたキスの味
通る経路や作業の終わる時間帯は調査済みだ。ルルーシュはゼロという仮面をつけたまま男を待った。何かと雑用を引き受けてしまう性質の彼は要領がよくない。飄然とした容貌の癖に正反対の性質をしている。だからこそ藤堂は卜部に惹かれているのかもしれないとルルーシュは物思いにふけった。関係を殊更に主張しない態度が彼らの結びつきの深さや強さを示しているようでもある。明確な形などなくとも関係性を維持できるというのは確かに財産ではある。通路の奥から飄々とした卜部が歩いてくる。痩躯だが長身で手脚も長い。疲れているのか眠たそうに欠伸をしている。その様だけ見れば要領がよく見えるのだからつくづく損な男だ。
「卜部」
ヴォイスチェンジャーを通した機械音声に卜部が物珍しげにルルーシュを見た。茶水晶の小さな瞳が珍しそうに統率者を見下ろす。感情を意外と表に出さない瞳は食わせ者だ。卜部はもともと印象に残りにくい位置におり、その所作が注目されることは少ない。それだけに彼の態度から具合の調子を知るのは難しく隠し事も滅多に発覚しなかった。
「ゼロ? 珍しいっすねぇ、あんたが来るなんて」
卜部は物珍しさを隠そうともせずルルーシュをじろじろ見た。それでも嫌悪感が生まれないのは彼の持つ独特の雰囲気のおかげだろう。ルルーシュは手早く用件を告げた。
「藤堂を譲ってはもらえないか?」
「中佐はもう手に入っているでしょうに」
単刀直入な問いも微妙に焦点をずらされる。切り返しは的確で頭がいい。伊達に藤堂鏡志朗の腹心はやっていないらしい。ルルーシュは大仰な身振りでマントを翻す。芝居がかった動作にも卜部は黙って付き合う。口を挟まない反応は彼が聞き手の側に属していることを示していた。
「戦力や戦略的にはオレの駒だが。プライベートな意味で藤堂を譲ってほしいと思ったのさ」
「…それって俺が決めていいことなんすか」
もっともな問い返しだがうまく逃げられた。けれどルルーシュは得たりと微笑するだけの間をおいてから指先をひらめかせた。靴先までを覆う細身の衣服は体つきをあらわにする。まだ爆発的な成長を終えていない未熟さがにじみ出る。卜部はあれで勘のいい性質だからゼロの正体も感づいているかもしれない。
ギアスという特殊能力で卜部から色よい返事を受けることは可能だ。けれどそれは真の問題解決には至らない。卜部が応と言っても藤堂に否と言われてしまえばそれまでだ。ルルーシュは補強のために卜部を待ち伏せたにすぎない。何よりこうして藤堂との関係性に気づいていることをほのめかされても動揺すらしないのだから意外と胆が座っている。その上肯定も否定もしないのだから対応能力がある。
「なるほど、伊達に四聖剣を名乗ってはいないらしい」
「さぁ、なんのことだか。俺はわりとこれがいっぱいいっぱいですけどね」
茶でも飲んでいくかと部屋を指し示す卜部の誘いをルルーシュは断った。
「藤堂とは付き合っているのか?」
「俺が言っていいか判らないんで保留ってことで」
向けた切っ先はするりと滑って見当違いの方向へ行く。これなら普段から藤堂に好意をもっていることを標榜している朝比奈や千葉の方がまだ扱いやすいだろう。卜部は強味を見せないが弱味も見せない。警戒すべき特筆事項がないだけに注意を怠る。ある意味で最も性質の悪い人物だ。
「藤堂がイエスと言ったらオレがもらっていいのか?」
途端に卜部は口の端をつり上げる意味深な笑みを浮かべた。目をわずかに眇めて口の端をつり上げながら眉は動かない。その瞳は笑んでいるのか憤っているのか判別しづらい。ルルーシュは表情を覆い隠すゼロの仮面に感謝しながら生唾を呑んだ。
「そうっすね。中佐が、イエスと言ったら」
去り際に複雑な笑みを見せてから卜部は自室へ引き取った。殊更にルルーシュの問いを繰り返して見せたのは自信の表れだろう。卜部がどんな確証を得ているかは判らないが藤堂の返事は想像がつくらしい。それでいて表だった何かを打ちださないのは、関係性の強固さを感じているからで逆にルルーシュの心に火をつけた。与えられた座に胡坐をかいている輩を突き落とすのは昔から得手でもある。
ルルーシュはその格好のまま藤堂の部屋を訪った。就寝してはいなかったらしくすぐに応答があって扉の施錠が解かれた。ルルーシュは滑り込むように部屋に入ると扉が閉まるのを背中に感じた。
「…君が私の部屋に来るとは珍しいが…何か、あったのか」
「藤堂、私の情人にならないか?」
まだ幼さの残る手をひらめかせて問えば藤堂は冗談だと思ったらしく肩をすくめた。
「そういうことは大きな声で言わない方がいいと思うが」
「本気さ、藤堂。お前をこの腕に抱き眠りたいと思うことは罪か?」
藤堂にルルーシュの表情の変化が知れることはないのだがルルーシュは顔が紅潮するのを抑えられなかった。本気だと見て取った藤堂は豹変したように表情を変えた。息を呑み唇が一文字に引き結ばれる。引き締まった口元はそれだけで清廉だ。かっちり詰まった襟で隠れた首筋や耳まで真っ赤になって藤堂は言葉を探している。その反応は卜部の自信を裏付けた。
「お前には想い人でもいるのか」
「私、にはこ…否、卜部、が」
「なるほど、卜部の下の名は巧雪、だったな」
下の名を呼び掛けて言い直す律儀さが愛おしいがそれなりに深い関係にあることを示していて、必ずしも良いしるしとは言えなかった。
「…卜部の所へは、もう行ったのか」
話を切り替えようと藤堂が必死なのが判る。主題をずらして何とか逃れようと画策している。ルルーシュは平然とそれを修正した。
「お前の返答にどんな影響を与えるんだ、それは。私がどうしたかなど、大した問題ではないだろう」
藤堂がぐぅと言葉に詰まる。隠しごとの苦手な藤堂の態度はそれだけで返答の片鱗を見せている。藤堂は嘘をついてもすぐにばれる性質だろう。藤堂の所作は目を惹くが故に覚えも新しく、相違があればすぐに気づく。そもそも嘘が苦手な性質らしく、返答に窮したかどうかがすぐに判る。そこから偽りか否かが推測できた。
「冗談だ。真に受けるなよ」
ルルーシュはおどけたように肩をすくめて見せる。藤堂が一瞬安堵したような笑みを見せた。
「好きか、卜部が」
たたみかけるそれに押されたように藤堂がうぅと唸った。明朗な藤堂にしては珍しく言い淀んでいる。鏡志朗の名に冠すとおり藤堂の態度はいつだって明朗快活だ。嫌なことならば拒否するし受け入れられるならそう応える。また相手に与える痛手もきちんと計算していて深手は負わせない。
「…好き、だと思う」
ルルーシュの表情を計りかねた藤堂は観念したようにそう呟いた。その頬や耳は真っ赤に染まって指先が所在無げに移ろう。何か作業に没頭しようとしていながら見つからないようだ。ルルーシュは大きくため息をつくと憤りや焦燥を一緒に吐き出した。人の感情ばかりは嘘偽りで繕ってもいつかはボロが出る。卜部の奇妙な自信のありかが見えたような気がした。
「ひとつ訊くが。卜部とはもう寝たのか」
その意味を正確に解した藤堂はそれこそ薬缶の沸騰のように首から上を紅潮させた。それでいて引き結ばれた唇は言葉を紡ぐこともなくわななく。
「う、卜部はなんて?」
「訊いていない。言わんだろうと思ってな。なるほど、その反応を見る限りでは」
卜部は藤堂と違って詰問や質問をかわすのが巧く、ルルーシュは卜部とのやりとりでさほど実入りがあるとは思っていなかった。
「いや、わ、私、は」
しどろもどろの藤堂を愛しく見つめながらルルーシュは出遅れを痛切に感じた。卜部との付き合いの方が長いと言っても、藤堂はその長さだけで良し悪しを判断するほど浅慮でもない。
「なるほどよく判ったよ」
ルルーシュは大げさに肩をすくめて手の平をひらめかせた。ゼロとしての所作を承知している振る舞いだ。
藤堂は他人の機微には敏感なくせに自身のそれには驚くほど疎くうぶだ。ずばりと言い当てれば焦り、ほのめかせれば誤魔化そうと必死になる。その発するところは相手に迷惑を及ぼしたくないという親切心からだが、効果としては逆である。日常との差異が明確に現れてすぐに覚られる。
「お前と卜部は相思相愛か」
ずばりと言われて藤堂は紅い顔をさらに火照らせた。もはや言葉も出ない有様に羞恥を感じながら打破するすべもありはしない。
「藤堂、目を閉じろ」
感情とは隔絶した明確な指示に藤堂は従順に従った。言われた通りに目蓋を閉じるのを愛しげにルルーシュは見つめる。ルルーシュはゼロの仮面を外すと藤堂に口付けた。ふわりと触れる感触に藤堂の目蓋が開きたそうにぴくぴく震えた。必死にそれを自制しているのが判る。真っ正直な藤堂はこういった不利益を被る。仮面の統率者の素顔を知るチャンスだと知りながらあえて目を背ける損な性分だ。ルルーシュは何とか触れるだけで自身を納得させると唇を離して仮面をかぶった。
「目を開けていいぞ、藤堂」
機械音声のルルーシュの声に藤堂がそっと目蓋を開く。灰蒼の瞳が潤んだように揺らめいた。蠱惑的なそれにルルーシュは決心がぐらつくのを感じた。潤みきった灰蒼の瞳は稀有な色合いでそれだけに情欲に染まったり悲しみにくれたりするのを見たくなる。
「まったく、なるほどだ。卜部の自信はこういうことか」
捨て台詞のようなそれにも藤堂は何か一言言いたげだ。ルルーシュはそれを制して部屋を出た。閉まる扉に背を預けながら仮面の奥で自身を嘲笑った。
あぁ、時はすでに遅く
我は致命的に出遅れたり
キスの味は少し苦いような気がした。
《了》