心の底から


   あったかい

 まさしく浅ましいとしか言いようのない状況で卜部は覚醒した。がしがしと頭をかいて寝がえりを打つが睡魔はすっかり遠のいて目が妙に冴えた。一つため息をつくと卜部は体を起こして上着をはおると部屋を出た。卜部は良くも悪くも執着がないと言われるしその通りだと自覚してもいる。それが思い切りの良さの秘訣か、と卜部を真正面から見据えた上官の顔が浮かぶ。彼を相手にいかがわしい夢を見たことは墓場まで持っていくことにして卜部は入り組んだ通路を歩いた。静かにしていることが苦痛な夜は体を動かすしか手がない。卜部は気分転換だと言い訳しながら散策を楽しんだ。卜部達は黒の騎士団という新興組織に合流してまだ日が浅く、拠点の配置は必要事項しか知らされていない。信用されていないと僻むこともできるが、卜部はおいおい知らされるだろうと少なからず楽観的に見ている。卜部達が付き従う藤堂鏡志朗の能力と影響力は無視できないだろうし、必要でもある。藤堂が単身所属を決める可能性は低く、その腹心である卜部たち四聖剣を伴うのは当たり前の流れとしてそこにあった。
 足音を殺して歩く卜部が顔を覗かせたところで紺藍が闇に融けていた。鮮やかに冴えわたる藍の単衣を着こなすのは藤堂だ。夜着として使っているそれのなりを卜部は見たことがあるし、藤堂と交流のあるものなら知っている。
「中佐?」
気配に敏い藤堂にしては珍しく反応がない。卜部はひょいひょいとそちらへ近づくと長身をかがめて顔を覗きこんだ。藤堂も長身だが上背は卜部の方がある。滅多に拝めない藤堂の上目づかいを日常的に見れる利点には感謝している。
「中佐ぁー…?」
行儀悪く語尾を伸ばしても藤堂は眉一つ動かさない。藤堂は部下を拘束しないが礼儀作法には口やかましい面がある。本人も厳しく己を律しているので藤堂の前に出れば自然と背筋が伸びた。
 潤んだような灰蒼の瞳が半ば閉じている。うつむき加減の首の傾げ方が不自然で明らかに意識してやっていることではない。卜部は肩を掴んで揺すった。ぐらぐらと揺れる頭部にあわせて短い鳶色の髪が夜半の落ちた明かりを反射する。その揺れで均衡が崩れたのか藤堂の体がずるりと卜部に寄りかかる。卜部は慌てて引き剥がすとその頬を軽くたたいた。
「こんなとこで寝ないでくださいよ! 中佐」
しぱしぱと瞬きして藤堂は頷いた。返事をする気がないのか藤堂は黙ったまま何とか立ち上がる。その腕を優しく引いて藤堂のあてがわれた個室へ誘導する。普段ならこういうことには目敏い朝比奈が気付くのだが今日に限ってそれもない。幸運なのか不運なのかを判じかねながらも部屋の前につくと、藤堂に部屋を指し示した。
「中佐の寝床は此処ですから! 通路で呆けてたらまずいでしょう、ちゃんと寝てください」
藤堂はこくんと頷く。幼子のように素直だが手加減の効いていない面倒さも現れ始めている。藤堂を対象にした大声では言えないような夢を見た後だけに、卜部はつけ込むのを躊躇した。人が好いと藤堂は言ってくれるが恋敵である朝比奈などは臆病だと切って捨てる。
 卜部はバツの悪さに根負けして後ろを見ずに部屋へ戻った。思春期の少年ではあるまいしある程度自制してはいるが始末の悪いことは変わらない。肩を落として嘆息すると扉を開く。自動的に閉まる扉だと高をくくって部屋へ入る。その扉が不意に不具合のような音を立てた。振り向けば藤堂が敏捷さを生かして卜部の部屋へ入りこんだところだった。
「はッ?!」
扉は今度こそ任務を果たしたと言わんばかりに満足げに閉じたが、部屋の主である卜部の方が恐慌をきたした。藤堂に至っては眠たげに目をこすって部屋を茫然と見まわしている。そのまま寝台を見つけるとふらふらと近寄り、当然のような顔でもぐりこんでしまう。
「ちょッ、なん…?! 中佐、あんた部屋違うでしょうが!」
混乱をきたした思考回路が敬語を吹き飛ばしたが言われた藤堂の方は不思議そうに卜部を見た。眠たげな灰蒼の瞳は過剰に潤んで蠱惑的だ。
「ねむくて」
「自分とこで寝てください! なんで俺の部屋に来るんすか?!」
部屋の前まで送り届けたのがのこのこと連れ帰ってしまったらしい。奇妙な拾いものはまさしく不運なのか幸運なのか微妙なところだ。
 藤堂が少し黙る。そのままとさりと頭が落ちた。卜部は恐る恐る近づいてひらひら手を振ってみる。
「…寝た」
枕辺で脱力する卜部をよそに藤堂はすっかり眠りの甘い波にのまれて寝息を立てている。限界までこらえてしまう性質の藤堂はその変化が唐突だ。予兆を我慢してしまう所為で結果が唐突に表れることになる。
「中佐ー…心許してるんですか、それとも見くびってるんですか」
呟きながらその頬をつついてやれば子供のようにむぅとうなって敷布へ頬をこすりつける。猫のような仕草に苦笑する。毛布にくるまるように膝を抱えて眠りについている。腰をおろして卜部は本格的な夜明かしと仮眠をそこで取ることに決めた。藤堂の寝顔など滅多に拝めるものではないし、枕元についていてやりたい雰囲気だった。藤堂の高潔さは拒絶を呼ぶが深い親愛も呼んだ。付き合いが少し深くなれば藤堂の冷徹さは相手への思いやりからだとすぐに判る。冷静で思いやりがあり、不器用さという愛嬌もある。
 卜部が何とはなしに藤堂の寝顔を見ているとその目蓋がぴくぴく震えた。濡れた艶を持つ灰蒼が覗く。焦点の定まらないそれは藤堂の意識がまだ眠りの域にあるのを教える。それでも卜部は真っ正直に相手をする。枕元で床に膝をつき、眠たげに瞬くその顔を覗きこむ。
「目、覚めました?」
「…さむい」
卜部は虚空に視線を泳がせた。夜半であり明るさを落とした間接照明をつけている。空調は効いているはずで現に卜部は寒さなど感じないがそれは上着を着たままだからかもしれないと気づいた。眠りにつく際までは四肢が熱っぽく火照るが、眠りについてしまうと逆に体は冷える。そんな些事を教えてくれたのも藤堂だ。
「毛布、もう一枚持って」
立ち上がりかけた卜部をぐんと強い力が引き戻した。耳朶のあたりにふぅと吐息を感じる。熱を発散している腕は熱い。薄い単衣などすぐに融けて皮膚と同化し境界の意味をなさなくなる。卜部が凍りついて動けなくなっているのを笑うように吐息が耳朶をくすぐった。婀娜っぽく笑う気配がしたが卜部は指先一つ動かせない。
 「…あたたかいからこのままで、いい」
そのまま卜部の襟足に何か柔らかいものが触れる。そうと意識する前に藤堂の自制から溢れた重みが預けられる。触れた場所から温かく火照るような気がして卜部は仕方なくその場へ座り込んだ。少しずるりと動いたが藤堂がその位置を直す気配はない。息をひそめればかすかな寝息が聞き取れた。藤堂の長い指が卜部の首や鎖骨の辺りへ絡んだまま動かない。呼吸することすら慎重になる卜部を嘲笑うように藤堂の指先は大胆に絡んでいた。
「…俺、試されてんの…?」
藤堂が体を預けてくる理由など睡魔に負けたからに他ならない。他人への迷惑を何より嫌う性質である藤堂が人任せにするなど相当だ。単衣の袖をつまんでひらひら揺らしながら卜部はそっと藤堂を窺った。
 閉じられた目蓋。触れてくる唇と熱く湿った吐息をうなじに感じる。小首を傾げるようにしてやっと背後を見れば藤堂は熟睡していた。卜部の指先が藤堂の髪を梳いて額を撫でる。普段は気難しげに寄せられている眉間も今は穏やかだ。寝顔が穏やかであることに卜部が苦笑する。四六時中他人のことで頭を悩ませている藤堂の日常を知っていればこそ、そこに救いを見る。
「俺も役者だな…」
眠りに落ちかけている藤堂の拘束を解くのは簡単だろうが、卜部はあえてそれをしなかった。翻弄されるふりで藤堂の希望を通してしまった以上、退けるのは筋が通らない。藤堂はそれを言葉に出して責めることはないだろうが卜部の感情がそれを許さない。幸いにして卜部は軍属であり多少の不自然な姿勢でどうにかなるような体でも年齢でもない。この際、藤堂の寝顔が拝めるからだと納得させて卜部は不自然さを我慢した。
 藤堂の指先をそっと解いて唇に寄せる。触れても藤堂は目を覚まさない。手の甲に口付けて卜部が笑った。
「まぁ、いいか。これでも」
藤堂のこういった発露を見せられることを許容している己がいるのを卜部は知らぬふりをした。藤堂は卜部に害意があるとは微塵も思っておらず、卜部もその印象を崩すような言動はとらなかった。朝比奈のように肉欲を満たしたい想いは藤堂を想うものとして人並みにある。けれど藤堂が試すような言動を取るのは己に対してだけなのだと卜部は虚栄心を納得させた。忍耐を強いられても藤堂にその意識がない以上、卜部はそれを表に出したことはない。
 卜部は楽な姿勢を取ると目蓋を閉じた。おおう暗闇は藤堂の重みとぬくもりを明確にして卜部は少したじろいだ。乱れそうになる感情を気合で鎮めると息をつく。後ろで藤堂がかすかに笑ったような気がした。ぬくもりの性質の悪さを少なからず感じながら、卜部はその温かさに身を任せた。


《了》

どんな話なのって言うか、いい加減藤堂さんが夜中にふらふらするシチュエーションを改めろ(自覚がある)
すいません、私の中で藤堂さんはスリープウォーカー☆(待て)
なんてとんでもないマイ設定なんだ(まったくだ)
でも卜藤は書いてて本当楽しいの…! ノリノリで書いてた☆(ばか…)
ノリで書いているので誤字脱字がありそう☆(直せよ)    01/03/2009UP

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