遠慮なんてしてないよ、ただ
 先を越されたって、だけ


   逃がした魚は…

 かつっとフォークが苛立たしげに皿を打ち、目の前の藤堂は不思議そうに小首を傾げた。藤堂にへらりと誤魔化し笑いをしたその裏で朝比奈は八つ当たり先を探した。なんでもない光景であるのにそこに不可侵を感じてしまうのは僻みかもしれない。藤堂は元より寄ってくるのを邪険にしない性質だ。
「藤堂さん、さっき」
言いかけた朝比奈がぐぅと黙る。藤堂は不思議そうに先を促すが朝比奈の方で言葉を嚥下してしまった。
「あれ、中佐、まだいたんすか」
そろいの食事を抱えてテーブルに着いたのは朝比奈の同僚の卜部だ。藤堂も卜部を殊更に邪険にすることもなく受け入れる。藤堂が軽く笑って食事を示す。
「ゆっくりしたいと思ってな。お前こそ、遅いな」
「能力不足を滔々と諭されたンすよ。調整に時間を食うのは能力不足らしいっす」
親しげに二人が話す。もっとも上官と部下の間柄であり殊更不自然さは感じない。藤堂も卜部もそれぞれにわきまえを知っている。朝比奈の苛立ちはひどく局地的で個人的なものだ。
 唸る小動物のような眼差しで朝比奈は卜部を睨む。藤堂を食事に誘おうと笑顔で飛び出した朝比奈の前に、卜部と藤堂は立ち話をしていた。それだけならばさして咎めだてすることもない。ディートハルトのように衆目の前で破廉恥な真似をするわけでもない。二人は単に話していただけのようで、朝比奈に気づいた藤堂とそれに気づいた卜部は話を打ち切った。けれど自身の出現によって打ち切られた話の内容を勘繰ってしまうのはどうしようもない感情だ。朝比奈は少なからず藤堂へ思いを寄せているのを公言してはばからないし、態度にも出しているつもりだ。そんな自分が現れて打ち切られた会話はどんなものだったのだろうか、など下世話だと知っていても問いたくなった。事実朝比奈は問うた。だが藤堂はそれに微苦笑を浮かべただけで明確な返答を避けた。
 「朝比奈?」
「藤堂さん、オレ」
朝比奈の言葉はいつもそこで磨滅する。朝比奈の心情に気づいていても卜部は口を出す性質ではないし、藤堂に至っては恋愛の機微など皆無だ。いつも朝比奈は一人で舞台へ残される。誰の手も差し伸べられずそれが当然のように振る舞われて朝比奈はそれに従うしかないのだ。次の台詞を忘れてしまったかのように立ち尽くしてその場のお茶を濁す。
「…たまごがきらいです」
藤堂はパチクリと目を瞬き卜部に至っては咳きこんでいる。
「お前は好き嫌いがそんなにないと思っていたが…卵?」
「中佐、引っ掛かるのはそこなんすか。お前も入ってもいないもんを嫌いとか言いだすな」
卜部が双方に突っ込みを入れた。藤堂はよくよく献立を見返しているし、朝比奈に至っては自分の発言がまずいことくらい承知の上だ。何より不機嫌の原因である卜部にそれを指摘されて朝比奈は拗ねた子供のようにそっぽを向いた。
 藤堂は朝比奈と自分、あまり減っていない卜部の献立を見比べている。黒の騎士団は非合法であるうえに新興組織で資金面も潤沢とは言い難い。しめるところはしめていかないとあっという間に憂き目を見る。故に献立も嗜好性より栄養面と資金面で折り合いをつけた形となっている。
「好き嫌いはよくないと思うが」
卜部が天を仰いだが赦せるなら朝比奈だってそうしたい。顔を覆う卜部の手は朝比奈より大きい。身長が違うのだから当然かもしれないが、藤堂と対はるその大きさは朝比奈の嫉妬を煽る。朝比奈はいつだって藤堂と対等でありたいと思っている。守られるだけの存在に収まっているつもりなど断じてない。
「…そうですね」
 だが現実はありふれたように厳しい。戦闘や戦術面において朝比奈は藤堂に遠く及ばないし、体格や雰囲気だって負けている。藤堂と朝比奈では睥睨した時の迫力が違う。朝比奈程度では笑い飛ばされるのがオチだ。朝比奈だって一人の男性として好きになった相手は護ってやりたいと思う。けれどおそらくは藤堂と交際が始まったとしても朝比奈が守ってやるなどという真似はできないだろう。純粋な腕力の問題から始まって藤堂は自分より背丈も目方もない年少者の庇護に落ち着くとは思えない。
「好き嫌いをしていては成長に支障が」
「中佐、こいつはもう育たないと思いますけど」
真顔で諭す藤堂に耐えかねたように卜部が指摘した。確かに朝比奈は成長期はとっくに過ぎている。
 朝比奈は鋭く卜部を睨んでから藤堂の首筋や引き締まった手首を見た。朝比奈が知りうる限りでは性交渉の痕跡は見られない。卜部の指摘に藤堂は素直にその意見を受け入れた。
「藤堂さん、首」
朝比奈が喉仏の近くをツンとつつく。刹那、藤堂の顔が紅潮して一瞬だけ卜部を睨む。朝比奈が落胆するのをよそに卜部が頭をふって何もないと訴えた。藤堂は他者を寄せ付けないくせに受け入れた人間にはすべてをさらす。駆け引きや情報の真偽の疑わしい戦場での判断力は抜群なのに、日常生活においてそれらは生かされず、朝比奈の簡単なかまかけにも引っかかる。もとより団服の襟をきっちり留めている藤堂の喉仏あたりなど見えるわけがない。朝比奈は嘆息してポケットの手鏡を藤堂に渡すとしれっと謝る。
「すいません、見間違いだったみたいです」
 藤堂はそれでも気にかかるらしく、鏡と悪戦苦闘の末に席を立った。見送る卜部に朝比奈が舌を出す。身を乗り出して手鏡を回収する朝比奈の耳元で卜部が笑った。
「知りたいか?」
微妙に焦点をぼかした物言いにも朝比奈は引っ掛からない。朝比奈は藤堂ほど人がよくないと自負している。何より実力主義の軍属で年若の幹部ともなれば好印象など求めない。羨望も嫉妬も承知の上だ。ふんと鼻を鳴らして朝比奈は食事にがっついた。
「自分で知るからいいよ。だいたい何してんのさ」
「さァな」
卜部は見かけを裏切らない飄然とした態度で食事を始める。朝比奈が嫌いな食材をよけるのに対して卜部は着々と片づけていく。藤堂の物言いではないが偏食しなければもうちょっとましな体格に育てたかもしれないと朝比奈は過去を悔いた。卜部は珍しく、長身の藤堂の上をゆく背丈をしている。
 「お前さ、中佐じゃないけど、偏食してるからじゃないの」
「…藤堂さんは許せてもあんたに言われるとムカつくな…遺伝情報の所為だ、絶対」
唸りながらむやみに食べ物を詰め込む朝比奈に卜部は嘆息した。藤堂が慣れないと言いたげに首を撫でさすりながら戻ってくるのを二人が乾いた笑顔で迎える。朝比奈は食べ物を頬張っている所為でむぐむぐ言っている。中座を詫びる藤堂の肩へ卜部が手を置いた。
「中佐、ちょっとだけ」
耳朶で甘く囁いてから、卜部は素早く藤堂の耳の裏のくぼみへ吸いついた。びくんと体をすくませる藤堂と卜部を透明な糸がつなぐ。朝比奈がごくりと口の中のものを嚥下した。
「う、卜部! 何を、こんな…ところ、で!」
思わず指先で覆ってからその濡れた感触に藤堂がますます顔を赤らめる。
「いやぁすんません。男は栄養補給すると性欲が増すって本当っすね」
卜部の紅く燃える舌先がちろりと耳を舐る。
「せいよ…! なにを、言う!」
藤堂が目を白黒させているが目の当たりにした朝比奈の衝撃はその比ではない。いくらかまをかけて引っ掛かってもどこかで自己防衛的に否定していたのをあっさりひっくり返された。固まってしまった朝比奈をどう思ったのか、藤堂は盆を抱えて退散した。中途の食事を放り出してあたふたと自室へ向かう。
「…ありゃあ、トイレだな」
確信犯的な卜部の言葉に朝比奈は盆をひっくり返す勢いで突っ伏した。突っ伏して動かない朝比奈の頭を卜部がフォークの尻でつつく。
「…ちくしょう」
ぎろっと音がしそうな眼差しが卜部を射抜く。
「なんであんたみたいな朴念仁に引っ掛かるんだよ」
「お前結構失礼だよな」
毒づいた朝比奈の言いように卜部が眉を寄せた。ドンと朝比奈が拳でテーブルをたたいた。肩を丸めていたがふっきるように伸びをして大きく息をついた。
「あーぁ、逃がした魚は大きいや」
卜部がこらえきれないと言った風に吹きだし笑いをした。口元を覆うわきまえが残っている。そんな仕草を見て朝比奈は藤堂を想った。藤堂は最低限の礼儀作法は厳しく己にも他者にも妥協を許さない面がある。藤堂は行儀が悪いとみれば相手を構わずに注意するし、周りに集まることの多い朝比奈達は自然とそう言う作法を身につけた。藤堂が諭すのは母親が諭すような些事で、けしてありようを否定したりはしない。
 「どうやって藤堂さんの中に入ったのさ。オレだってこれでも頑張ったのに」
「コツがあるんだよ。手順は難解であるほどシンプル」
ひらひらと指揮棒のようにフォークを操って卜部がにやりと笑う。フォークの先に惣菜を刺して口へ運ぶ。卜部は長身に見合った長い手脚をもっていて動作の所要時間がいちいち違う。タイミングのずれるその動きはおおらかにも大雑把にも見える。多少の差異が明確な差異ではなく曖昧なずれを生む。意識せずに違いだけを感じ取り所作を惹きたてた。朝比奈は自身にはない鷹揚さに歯噛みした。
「藤堂さんも大概だけど、背が高い奴ってみんなそうなの。背丈がある奴っていいよな、動作が映えるから」
「既製服が着れないから不便だけどな」
朝比奈のつぶやきに卜部が意味ありげに笑って見せた。朝比奈は不機嫌そうに唇を尖らせてから卜部を見た。卜部はけして目立たない。朝比奈や千葉のように我が強いわけでもないし、藤堂ほど突出した才覚を有しているわけではない。四聖剣であるからには並み以上だろうが、藤堂ほど鮮やかな強さはない。
「…油断が、ならないよね」
まさか、こんな奴が。同窓会などで意外な人物の結婚の速さに驚いたりするのと似ている。表層に出ない分、予兆がなくその結果は唐突だ。
 「奪ってやりたい気分。藤堂さんの体も心も全部」
「そりゃあ豪気なことで」
卜部は飄々といなす。殊更に止めない態度が二人の深さを示しているようで朝比奈はかえって落ち込んだ。自分が同じ立場ならこうも余裕で宣戦布告を受け入れられるとは思えず、そこが幼稚であるように見えた。
「…なんだよ、鼻もひっかけないくせに」
卜部は肩をすくめるとからになった盆を抱えて席を立った。朝比奈は大きく息をついて脱力した。
「…オレだって、護ってやりたかったのに」
藤堂は守ることに慣れすぎている。部下を、故国を、すべてを。
「――強さも、懐の広さも、か」
卜部も藤堂も積極的には関わらない。二人はきっと黙って寄り添うだけで心が通じ合うのだろう。朝比奈が明確な言動として示すそれを二人は語らず感じあうのだ。言葉にするだけが能ではない。
 それにあれでいて藤堂は願いや誘いには真摯に応える。同情で体を赦すようなことをする性質ではないし、嫌なものは嫌だという意思を通す頑固さもある。藤堂が体を許したなら、彼なりの思惑があってのことだろう。藤堂は価値というものをよく知っていて、自分を切り売りするような真似は絶対にしない。藤堂の行動には何かしらの信念がある。
「だから、好きなんだけど」
朝比奈はくすりと笑って惣菜にフォークを突き立てた。
「藤堂さんが決めたのかな、だったらしょうがないかなぁ」
パクリと冷めた惣菜を口に含んで咀嚼する。目の前に明確に見えていただけに手順を怠った面があったかもしれない、と朝比奈は惣菜と一緒に想いや言葉も嚥下した。ごくりと喉を落ちてゆく感触がリアルにあった。


《了》

ももももももう誤字脱字がないのを祈るばかりです(行き着くとこまで行った)
いつも朝比奈がいい目を見るのでたまには卜部さんに譲ってみた(玉砕)
朝藤が『動』なら卜藤は『静』みたいなイメージがあるのですが(超個人的)
わりとこう、寄り添ってるだけでも満たされている的な。
それにしてもこの題名はなんなんだ(滝汗)
でも卜藤は書いててけっこう楽しいんですが(笑)      12/27/2008UP

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