ちょっと、ひねた、想い
記念日
コンピュータの電源を落とす頃にはセシルがつけてくれた明かりがないと作業できないほどの暗さの夜に落ちていた。セシルの差し入れを丁重にお断りした所為か空腹で倒れそうだ。だが彼女の差し入れの破壊力は並みの兵器より上だとロイドは思っている。なにも知らない新人がその餌食になるのを何度も見てきている立場としては危険は回避するに限る。ロイドは眼鏡のふちにかかった前髪を気障に払ってから荷物をまとめた。ロイドの服は、丸く頸部を包む立襟の中華服にも似た白衣だ。見た目で職業がそうとは知れないのをいいことに私服代わりに着て街へ繰り出しては時々始末書を食らっている。
荷物を持って部屋の明かりを落とすと扉を施錠する。そこで目を上げるとたたずんでいる人影に気づいた。途端にロイドの頬が緩む。へらっと笑いながらその細い手脚をひらひらさせる。
「ギルフォード卿じゃないですかぁ、どーしました、何かご用事で? 大変ですねぇ、騎士っていうのも」
ギルフォードは一瞬拗ねたように唇を尖らせたが、言いづらそうに眼を伏せた。眼鏡のフレームの所為で冷徹だとか冷酷だとかいう評判が先行する彼だが、実はただのお人好しだ。知能は正常で作戦もうまく立てるしこなす。ナイトメアフレームも指揮官機体に乗るほどの腕前だし不安要素も見当たらない。神聖ブリタニア帝国の直系皇女のコーネリアに忠誠を誓う騎士の職も勤め上げるエリートだ。
「ゆ、夕食でもいかがかと、思いまし、て」
言葉が変なところで切れるのは人を誘うことに慣れていない所為だろう。ギルフォードほどの家柄なら引く手数多だとロイドは想像した。ロイドだって伯爵位をもちながら技術畑で働く上流階級だがその変人ぶりが知れ渡っていて意外と敬遠されている。だがロイドの頭の中からそれらの諸知識が吹っ飛んだ。
「夕食の後も、よろしければお相手、しますが」
うぅ、と言い淀むギルフォードの頬が紅い。下ろされた両手がそれぞれ居心地悪げに手首を撫でさすった。その時になって初めてロイドはギルフォードが軍服ではないことに気づいた。忠誠心の篤い彼は公私混合は絶対にしない性質で、どんなに時間外であろうと公務となれば軍服を律儀に着用していた。その彼が私服ということは私用の誘いだ。ロイドがいつも駄々をこねるようにギルフォードと逢瀬の約束を取り付けていただけにその新鮮さと驚きにロイドはしばらく固まった。どさどさと抱えていた帳面や設計図の束が落ちる。ギルフォードの方が慌ててそれらを拾った。
「ほ、ほんと? それぇ、本当ですか? 後から嘘だとかドッキリだとかはなしですよ?」
「どっきり? いえ、そのような意図はないですが」
帳面や紙束を拾っていたギルフォードが上目使いにロイドを見て小首を傾げた。元より生真面目な彼に冗談や騙しの技はない。拾ったのを差し出すギルフォードにロイドが飛びついた。
「え、う、わ」
その勢いに押されてバッタリと通路へ倒れこむ。幸いにも通路は絨毯張りでせいぜい傷を負っても擦過傷で済むし深刻な打撃も受けない。だが男が二人でもつれあって倒れているのは最悪に悪目立ちする。ギルフォードは慌ててロイドを押しのけようともがいた。
「ちょ、ちょっと…! 起きてください、ロイド伯爵!」
ロイドは猫のようにごろごろ言いながらギルフォードの胸に頬ずりした。嘆息して諦めたギルフォードは説得に作戦を変えた。紙束や帳面が辺り一面を白い海と成していた。
「食事が冷めます。あなたを招待すると、家の方へ連絡をしてしまったので使用人たちが」
「うふふ、嬉しいなぁ。実は、すっごいおなか減ってるんですよぅ。差し入れ断って良かったぁ」
「でしたら早くまいりませんか。彼らも到着を心待ちにしています」
ロイドはあっさりとバネ仕掛けのように跳ね起きた。帳面や紙束を拾い集めるのをギルフォードも手伝った。二人がかりで集めた紙束や帳面を確認してロイドはギルフォードを送迎する車に乗り込んだ。ウキウキしながら会話を弾ませるロイドにギルフォードが気がかりそうに訊いた。
「ご自宅へ連絡されなくていいんですか」
「へーきへーき。今日は遅くなるって言ってあるし、帰らないかもって予定だったからぁ。向こうもそのつもり」
ロイドはひらひらと手を振った。
主と深い関わりのある客が来るというだけあって出迎えはロイドを喜ばせた。女中たちが一様にロイド伯爵に一礼して出迎えた。
「すぐ、食事にしますか?」
「うん、そうしてくれると助かるなぁ。おなかぺこぺこなんだよねぇ」
ギルフォードが一人に何事か囁けば彼女らは失礼のない態度で一礼して引き下がった。ギルフォードの案内についていきながらきょろきょろとお上りよろしくあたりを見回した。ロイドの交友関係は意外と限られていて、他人の家に呼ばれるというのもあまり体験していない。世間的に変人でおまけに伯爵位とくればややこしい対応をせざるを得なくなり、その面倒を嫌った人々はロイドを敬遠する。その結果、ロイドは晩餐会などの催しには招かれるものの、私的に邸宅へお呼ばれすることはあまりなかった。
「あの、どこか手落ちでも?」
あまりに物珍しげなロイドの様子にギルフォードの方が恐縮してそう訊ねた。
「何か失礼があったなら言ってください。それが彼女らの、そして私のためになりますから」
「ううん、違うよ。ごめんねぇ、僕こうして他人ンちお呼ばれすることあんまなくって。人の家って言うのが珍しくって」
へらっと笑って言われたことにギルフォードが痛いような顔をした。
「ギルフォード卿?」
「なんでもありません。食事はこちらに」
ギルフォードの誘いでロイドはようやく食卓につけた。
「うわぁお」
目の前に並んだのは手の込んだ豪華な洋食だ。時折イレヴンの文化である和が織り込んであるのが心憎い。
「僕のとこの彼女らにも覚えてほしいなぁ」
うまうま、と呟きながらロイドは品よく食べ物を口へ運んでいく。ギルフォードも礼儀をわきまえた作法で食事をしている。食事の最後の仕上げのデザートの和洋中を訊かれたロイドはうーんと唸った。
「どーしますぅ?」
「お好きにどうぞ。できうる限り応えるように言い含んでありますから」
ロイドの無茶な注文にも給仕に徹する彼女らは嫌な顔一つしない。はいはいと、相槌を打ってから引き下がり、しばらくの間をおいてからロイドの注文通りの品が並んだ。
「それでは、ごゆっくり」
給仕を終えた彼女らが引き下がるのを待ってからロイドは手をつけた。想像以上の手際に彼女らの優秀さが窺える。味も見た目も悪くない。デザートを平らげて食後の一杯をたしなむときになってロイドは本題を切り出した。
「それで、どうして僕なんか呼んだんですかぁ? 今日は僕の誕生日じゃないし。君だって違うし。なんで?」
「…別に」
それは明らかに嘘だ。ロイドの好みの下調べまで済ませる入念さはある程度の日数が必要であり、これが計画的であることを示している。まして一年に一度の宗教的な祭りでも個人的なイベントである誕生日でもないとすればいったい何のためなのか。ギルフォードは賄賂や裏取引には長けていないし受け付けない性質だろう。ロイドに何か個人的な用件があったとみなすのが妥当か。
「どーしてですかぁ?」
子供のように無垢に問いながらロイドは観察を止めない。ギルフォードの頬が少し紅い。酒の所為だけではないようだ。
「お、お忘れならかまいません」
その一言でロイドは唐突に理解した。誕生日でも祭典でもない日付。そうだ、今日この日は。
初対面の印象は最悪だった。
シュナイゼルに連れられたロイドのふざけた様子にギルフォードは嫌悪の情を隠さなかったし、ロイドの方でも気真面目一辺倒のギルフォードを軽んじていた。
「ほんとーにだいじょーぶなんですかぁ? 僕の機体、応用力が勝負なんですけど。こんな気真面目で頭固そうな人、乗れるんですかぁ?」
シュナイゼルとコーネリアが同時に苦笑しダールトンも笑いをこらえなかった。ギルフォードが一人苦い顔でロイドを睨みつけた。
「私もこんなふざけた人の機体など御免です。どこで不具合が生じるか知れたものではない」
「君、言いますねぇ」
食い下がるロイドをギルフォードはツンと跳ねっ返した。
「大丈夫だよ、彼の能力はコーネリアの騎士を務めているという実績からも明らかだ」
シュナイゼルの説得にロイドはぶぅと頬を膨らませた。ギルフォードもフンとそっぽを向く。
「ずいぶんツンケンしてますねぇ」
「へらへらしているよりよっぽどマシかと思われますが」
ずばりと切り返されてロイドはうなるとあたりに苦笑が満ちた。ロイドとギルフォードの性質は明らかに正反対で反発が予想されていた。
「お貴族様」
「ご同様でしょう。人のことが言える立場ですか」
軽口まで封じられてロイドは不満げに唸った。コーネリアやダールトンはやれやれと言った風に肩を落とす。シュナイゼルが辛抱強くロイドを説得した。
「べっつにいいですけどぉ。適応できなきゃ死ぬだけですから。僕には関係ないもん」
「操縦者不在など、無駄遣いの極みですね」
それぞれの応酬に、両者が牙をむいた。双方の上司であるシュナイゼルとコーネリアは視線を絡ませてから嘆息し、見かねたダールトンがギルフォードをなだめた。シュナイゼルもロイドの肩を叩いてなだめすかす。そんなやり取りを経て試しにギルフォードを乗せた機体性能と適応能力は想像値を超える好成績で、双方が溜飲を下げた。
「うっふ、うふふっふ」
そうだ、その期日が今日だ。最悪だった初対面。その日付がいつあろう、今日なのだ。二人の出会いともいえる一大イベントは最悪な展開を見せていたのだった。その日付を覚えていたらしいギルフォードの几帳面さが逆に愛らしい。決して好印象ではなかった。皇女の騎士という地位を得た若造としてしかとらえていなかった。それを見抜かれ指摘され、挙句にこれが噂の変人技術者かと揶揄されれば嫌味のひとつも言いたくなるというものだ。そんな、出会い。
「なんですか、気色悪い」
「君って時々言葉きついですね…でも可愛いから赦す。赦しちゃうよーぅ」
ロイドがにぃッと口が裂けるように笑んだ。テーブルを挟んでなお、ギルフォードが後ずさってガタリと椅子を揺らした。
「君って可愛いなぁ。ほんっとーに、かわいい。うふふふふ、うふ」
「なんですか気色悪いですね…」
またお決まりの気まぐれでも始まったと思ったのか、ギルフォードは嘆息してグラスを干した。その間にもロイドは席を立ってギルフォードの方へ近づいていく。
「ねぇ、キスしていい」
「なん」
言葉が返る前にロイドと唇が重なった。体にしみ込んだ酒が温い体温で境界線を融かす。心地よい侵食にギルフォード自身が戸惑いながらも受け入れていた。
「…問うなら返答を待ってくださいよ」
「判ってるからいいの。うふふ、応えはもう出てる、そうでしょ?」
「なんのことだか」
あくまでもしらを切るギルフォードのロイドはふふんとものを知った笑みを見せた。にぃっと笑う笑顔は全開だ。ロイドのような病的な陶器のような白さはギルフォードにはない。ロイドは血管でも透けて見えそうな白さだが、ギルフォードのそれは官能的ですらある。二人とも唇の紅さが目立つ。ましてギルフォードが頬を染めればそれは一目瞭然といえた。肌が白いと感情に伴う血色変化が著しい。
「君は本当に可愛いなぁ。初恋の女性より可愛いかも」
「女性と同列にしないで頂けますか」
ツンとしたそれにロイドはへらりと笑んだ。今ならギルフォードのつんけんした様子も鼻につかない。むしろ愛おしいくらいだ。ギルフォードはそうして自己防衛しているのだと今のロイドは知っている。だからこそ、気にならない。
「素直じゃないよね」
「はぁ?」
ロイドは瓶から直接含んだ酒を口移しでギルフォードに飲ませた。ガタリと椅子が鳴る。そのまま高級絨毯張りの上へ押し倒す。ふっくらした毛足の長さが彼らの無作法な物音を殺した。ギルフォードがもがくが何の助けにもなっていない。元より言い含んであったのか女中たちは姿を見せない。ロイドはくふんと笑った。
「手回しがよすぎるのも考えものかもねぇ。でも、君は可愛いですよぅ。絶対に離したりはしませんからねぇ」
滑らかに滑る紅い唇を眼で追いながらギルフォードは気付いた。ロイドも気づいたことを。嘆息して微笑する。気づかれた以上取り繕う必要性はない。
「そこまで回ればいいんですけどね」
人を食った物言いにロイドは一瞬、キョトンとしたがすぐにけたたましく笑った。
さぁ祝福を
我らが初めて見えた、刹那だ
《了》