強い強い強い、それは
独占欲という
誰にも渡したくない
静かさに耳を澄ませれば息遣いすら聞こえてきそうだ。藤堂の視界は夜闇の黒さではない暗さに満ちていた。滑らかな布地が仕上げにように藤堂の体を撫でて離れていく。かすかな摩擦音をさせて何かを嵌める気配。その後に藤堂の眼隠しは解かれる。目の前には矮躯が立っていた。
「ゼロ」
「後始末は済んだぞ、藤堂」
藤堂は無言で脱ぎ散らかされた衣服を集めて裸身にまとった。ゼロはそれを面白いものでも見るかのように眺めている。ゼロの交渉は情など入る余地のないものだった。それでいて藤堂がこれまで交渉を持った誰よりも藤堂を丁重に扱った。ゼロの呼び出しに応じると言うのは伽を命じられることを意味していた。彼も男だ、欲望の発散が必要な場合もあるということだろう。一団体を率いるものとしてゼロは特定の交渉相手を女性には求めなかった。ゼロが特別扱いしているのは彼が黒の騎士団を統べた時から連れているC.C.くらいだが、彼女と交渉を持っている様子も素振りもなかった。
部屋を訪う藤堂をゼロはベッドへ誘い眼隠しをして交渉を済ませる。藤堂の視界を塞ぐのはその特徴的な仮面をはずすからだろう。ゼロは素顔を交渉相手にすらさらす気はないらしい。交渉中にそれを問いただした藤堂にゼロは年若い声で応えた。その高低はまだ少年の域へ名残を残す高さをもっていた。
「知らなかった方がいいことなど、いくらもあるだろう。お前にそれが判らないとは思えないが、藤堂? 万が一の保険だとでも思え、交渉はもっても素顔を知らなければ自白剤を打たれても答えようがないだろう?」
藤堂はその返答に喉を鳴らして笑った。大胆でありながら緻密な計略を施す彼の秘された臆病さが見えたような気がした。
交渉の後始末をすべて終えたあとでゼロは仮面を嵌め、藤堂の視界は自由を得る。決まり切ったそれに対応していることに藤堂自身が驚いていた。まさか顔も見せない相手とこうも長く交渉を保てる性質だとは思っていなかった。そしてそれを受け入れているこの異常な状況下において藤堂は恐慌をきたすでもない。
「愛していると睦言をささやいてほしいか、藤堂」
「いらん世話だ。感情と体のシステムはそれぞれ独立していることを知らなくはないからな」
藤堂の体は、団体を率いる高位のものに常に求められてきた。その相手は顔も知らないものであったりまた、従属を決めたこともある枢木ゲンブであったりした。相手をする年齢も幅広く、老体から子供まで藤堂はあらゆるものを拒まず、また拒むことなど許されず相手をしてきた。歪んだ悦楽を満たす道具にされた藤堂の体はあっという間に限度を迎えて倫理を捨てた。
「まさかお前が私を相手にするなど思いもしなかった…顔も見せぬ私をな」
「私も驚いている。人体に絶対はないということだろう。感情と体はリンクしているがその接続は絶対ではない」
「なるほど、頭のいい答えだ。それほどの男を相手にしてきたということか? くく…ッ、倫理など保てぬほどの数をこなしたか、色仕掛けもできそうだなお前は…まさしく傾城というわけだ」
「君に悪意は抱いていない。嫌なら拒絶くらいするが」
「実に光栄だ。愛しているよ、藤堂鏡志朗」
「君とは以前に会ったことがある気がする…安っぽい同調感だと哂うか」
「デジャヴというやつか? 真実会ったことがあったらどうする」
藤堂はくすりと笑んだ。色の跡を消したというのに藤堂の笑みはどこまでも妖艶だった。健康的で男性的、それでいて魅了するこの色香はどこから匂いたつのだろうか。
藤堂は笑みの余韻を残して部屋を出た。衣服に乱れはなく、団員がすれ違っても統率者と将軍の作戦会議があったのかぐらいにしか思わないだろう。しばらく通路を歩いてから藤堂は足を止めた。静かな足音が止まる。藤堂は上着の裾を翻して振り返った。ナイフを持った少年がそこにいた。剥きだしのナイフの鋭利さと少年のあどけなさとが奇妙に折り合いをなした。退紅の色をした短髪と紫水晶のような瞳。最近、ゼロの肝いりで黒の騎士団に加わった少年だ。
「…ロロ、くんと言ったか」
剥きだしのごついナイフは彼のような年頃が持つには大きさが合わない。それでいてどこか馴染んだ持ち方をしているのを見れば、初めてではないということなのか。
「僕はあなたを殺したい」
藤堂は黙って続きを待った。ロロのような年頃の子は聡明であればあるほど、体と頭の成長速度が合わず混乱をきたしたり極端な場合破滅行動に走る場合がある。彼の体はまだ幼く、手脚ばかりが妙に長い。筋肉の発達も不十分で胴まわりも細い。年若さの敏捷性があるが経験がなくその真価を発揮できない子が多い。力押しなど論外でさらに軍属経験のある藤堂相手ならば赤子の首をひねるに等しいだろうくらいに藤堂が圧勝できる。親から心理的に自立して友達を大事にしたがる傾向がある年頃だ。その頃合いの子が抱く連帯感や一体感は恋愛感情のそれによく似ている。相手を一途に信じ、まだ狭い視界の中で精一杯生きている。
「私を、か。何故」
この年頃は精神的にも未熟で不安定だ。極端な子は自傷行為に走ったりわざと法を犯すような真似をする。それはその個体が聡明であればあるほど、体の成長が追い付いていない子であればあるほど、強い。ロロはまだ少年と言っていい体つきだし、ちょっとスイッチを入れ変えれば女性的な発達をするのではと思わせるほど華奢で可愛らしい。明確な性差がまだつかない体だ。おまけにゼロの肝煎りと言うだけあってゼロを崇拝に近い形で従っている。彼らの間に何があったか藤堂は知らないし、知る必要性も感じず言及もしなかった。
「どうして、あなたが。…あなた、ばっかり」
ぎりり、とナイフの柄を握る手が音を立てる。ロロは慣れた風にナイフを構えると攻撃の姿勢を見せた。
「ゼロに愛されるのは、少数でいい。…僕だけで、いい。僕だけでいいんだ、ほかはいらない!」
「…誰に何を吹きこまれたかは知らないが、私と彼の間に恋愛感情などない。お門違いだ。私を非難するなら同等にゼロをも非難することになる」
「規則なんか知らない! ゼロに、ゼロに愛されるのは僕だけでいいんだ!」
地を蹴ったロロの動きは予想外に熟練していた。藤堂の体が感覚でそれを避ける。潜り抜けてきた数多の実戦経験が藤堂の体を勘で動かした。そしてその勘の鋭さが藤堂の命を救った。ロロの繰り出すナイフは熟練している。だがそれでいて隙を見せるのは彼の相手が動かない、静止体でばかりあったからだろうと藤堂は推測した。動きを止めたものばかり相手にしてきた甘さが見えた。逆に藤堂は逃げを打ち逆襲を狙う動きを見せるものばかり相手にしてきた。熟練の質と度合いが生死を分けた。
「なにしてんだ!」
通路に聞き慣れた声が響き、ガシャンと銃を構える気配がした。藤堂が灰蒼の目をちろりと向ければ怒りに燃えた朝比奈がそこにいた。一見すると黒色に見える暗緑色の髪を資産家の子息のように切り揃え道化た丸い眼鏡をかけている。それでいて世間知らずに見えないのは彼の眉の上から走る傷跡の所為だろう。皮膚組織上にとどまった裂傷は視神経など視力関係の器官に影響を及ぼすこともなくただ皮膚組織に跡を残した。それが彼にすごみを与え、彼もそれを承知したように振る舞った。
「朝比奈」
ロロの片眼が紅く光った。その刹那にヴォイスチェンジャーを通したような機械音声が貫いた。
「やめろ!」
「…ゼロ!」
藤堂が一瞬、構えを解いた隙にロロは突進した。藤堂の感覚がそれを察知して避ける。
「お前なんか、お前なんか…死ねばいいッ!」
ザクッと音を立てて壁にナイフが突き刺さり、藤堂の耳と頬に紅い線を引いた。伝い落ちる血液の感触だけが感じられる。遅れて灼けつくように傷跡が痛んだ。朝比奈は油断なくロロへ照準を合わせたままだ。ゼロは事態を静観する構えを見せた。
「どうせ色仕掛けなんだろう、日本人だもんな…! ゼロに媚を売って、のし上がったんだろ、その続きだろ!」
突き立ったナイフからロロの手が離れ細い指が藤堂の襟を乱した。日に焼けず仄白いようなそれは目を惹いた。
「その色仕掛けでゼロに抱かれるんでしょう?! 寵愛を受けるなんて、あり得な、い…赦せない!」
細い指先が藤堂の喉を絞めた。喉仏が器官に食い込み呼吸がしづらい。胸骨を押し広げて喘ぐ藤堂をロロは恍惚の笑みで見た。
「ほら言ってよ。お前は色仕掛けでゼロに取り入って将軍になったんでしょ?」
そのロロがはっとした表情をするのをかすむ視界で藤堂は見た。直後にロロの体が吹っ飛ぶ。
「藤堂さん! 大丈夫ですか」
激しい咳と急激な酸素濃度の変化に喘ぎながら、藤堂は朝比奈を見た。藤堂に大事ないと判ると朝比奈は倒れ伏したままのロロへ近寄った。その胸倉を掴んで引きずり起こすと拳をロロの頬へ命中させた。ゴヅッと頬骨を直撃したらしい生々しい音がした。ロロがその痛みにうめく。カシャンと音を立てて壁に突き立ったナイフが落ちた。
「まて、あさひ…な、まて!」
さらに殴打を加えようとするように見えて藤堂は慌てて制止した。ロロの行いは確かに褒められたものではないがゼロへの慕情を鑑みた藤堂はそれを罰するに及ばずと判断した。朝比奈は射殺しそうな眼で藤堂を睨んだ。
「オレはね、藤堂さん。あんたも殴ってやりたいよ。なに、黙ってされるままになってるんだよ! あんたならこんなガキ、一撃じゃないか! あんたのその優しさは時に残酷で赦しがたいよ。人にはね、優しくされることが何より辛いときだってあるんだ」
「朝比奈、私は! その子はまだ幼い…! 多少のことは」
「殺されそうになったことが、多少? 本気で殴るよ藤堂さん」
朝比奈の暗緑色のが冷たく藤堂を見た。その手がロロを引きずっている。鬼気迫るそれに藤堂は生唾を嚥下した。ごくりと響く振動すら恨めしい。
「色仕掛けでのし上がったなんて言わせておいて、相手が未熟だから赦そうって? 冗談もほどほどにしておいてよね、藤堂さん」
怒りに燃える朝比奈の瞳は藤堂を映す。振りあげられた腕がしなって藤堂に平手を命中させた。藤堂はそれに気づきながらあえて避けなかった。それに気づけないほど朝比奈は愚鈍ではない。さらなる怒りが朝比奈の身を灼いた。藤堂のそんな優しさは魅力ですらあるのにそれが他者に向くのが許せないのだ。
「部屋に戻って頭冷やしてください。オレはこいつをゼロに届けますから。ゼロに言いたいことはいっぱいあるんだ。あなたが止めてもオレは行く。あなたが黒の騎士団を大切に思うくらいにはオレは自分を大事にしてる。自分をないがしろにするのはね、究極の裏切りですよ」
藤堂はずるりと四肢を引きずって自室へ引き取った。
藤堂が判る限り、朝比奈は藤堂を慕ってくれている。その期間も長い。その彼が腹にすえかねるような何をしたのか判らなかった。ロロの暴挙を許したことか。それとも。
「…ゼロとの、交渉か」
素顔を誰にも見せない輩に何も言わず抱かれるのを許すのを朝比奈は許せなかったのか。だがそれは昨日今日のことではない。ロロが誘引剤になったとしか思えなかった。そしてきっと、ロロもまた藤堂とゼロの交渉への不満を鬱積させていたのだろう。藤堂の嘆息は熱い吐息へと変わった。泣きだしたいような状況に置かれても藤堂の涙腺は涙の片鱗も見せない。素直に泣けなくなってどれほど経つか。泣くことの無意味さを藤堂は時が経つごとに知った。
「…あ、あぁ」
藤堂は部屋に着くなりがっくりと膝を折った。自身を守るように肩を抱く。最善を尽くしたつもりだった。藤堂さえ交渉の要求に応えれば四聖剣への影響はなくそうと露骨に持ちかけた者すらいた。
「…其は汝が罪なり」
聖書か何かの言葉を不意に思い出した。受け入れるだけですべてが解決するなど甘かった。
「あさひな」
藤堂は茫然とその名を紡いだ。自身が求めてやまない、その名を。彼は聡明で頭も良く要領もいい。屈託ない笑みを常に藤堂へ向け、表情豊かに怒り、泣き、笑う。その柔軟さを自身はどこへ置いてきた。
「しょうご」
灰蒼の目が潤み、眇められた眦からひと雫が伝い落ちた。
「君は優しすぎる――」
その優しさはきっといつか、君を。
朝比奈は気絶したロロを乱暴に部屋へ放りこんだ。ゼロは黙って朝比奈の行動を容認している。ロロがうゥんとうめいた。てらてらとした仮面を朝比奈は視線で殺せそうなほど強く睨みつけた。
「これ以上、おいたをするならオレにだって考えがあるよ。いいか、人は一人じゃないんだ。オレの考えは四聖剣の考えだ。将軍殺害の事態になった時の面倒さくらい判るだろう」
「まったくだな。いや、予想外だった。虫の知らせを信じてよかったよ。何か起こりそうな気がした」
ゼロは大仰な身振りでおどけてみせる。
「まさかロロが…藤堂将軍に刃を向けるとはね。できれば伏せてほしい事実だ。結束に乱れが出る恐れがある」
「オレはお前をぶち殺してやりたいよ。お前が何度藤堂さんを呼び出したか、判ってんの?! 作戦会議はそう頻繁にないことくらい凡夫でも判るよ。お前、藤堂さんを抱いてるね」
ゼロは答えない。ロロがはっと目を開けた。朝比奈を睨み片目を紅く光らせる。ゼロはそれを片手で制した。ロロはそれに従うように瞳を戻す。
「お前らがどんな力を持っていようと関係ない。そんなことに興味はないんだ。ただ、それが藤堂さんを害するなら手加減はしない。四聖剣が従うのはお前じゃない。藤堂鏡志朗にのみ額ずき従うんだよ!」
ゼロは大仰に了承の意を示した。威嚇する猫や犬のようにロロは床にしゃがんだまま朝比奈を睨んでいる。それに睨み返してから朝比奈はゼロを見た。仮面に鏡像が映る。
「いいかよく覚えとけ! オレが、オレたち四聖剣が従うのは藤堂鏡志朗にのみだ! お前みたいな胡散くさいゼロなんてやつじゃない! そこんところ勘違いするなよ! お前の戦力じゃない、藤堂鏡志朗の戦力だ!」
「注意はしよう。だが色気を無防備に振りまくなと藤堂に言っておけ」
朝比奈は足音も荒く部屋を出た。
ロロはしばらくそちらを睨んでいたが不意にゼロの方を見た。
「いいの、兄さん」
ゼロは仮面を外してルルーシュになる。その肩が哂いに震えた。クックッと喉の震えから始まった笑いが伝染して肩を震わせ身をよじらせた。声を上げて嗤うルルーシュをロロは怪訝そうに見た。
「殺す?」
なんでもないことのようにロロは問う。それが彼の経歴を示してもいた。ロロにとって藤堂を打ち損じたことは汚点にしかならないのだろう。ただ失敗した、それだけだ。
「殺すな、ロロ。藤堂鏡志朗はまだ必要だ。あの戦力と影響力は場所によってゼロの名を上回る。殺すとしても俺達が勝利を得るのを確信した時だ」
ロロは不満げに唇を尖らせたがその紅い唇を開いた。
「兄さん、嘘だよね? あの藤堂を愛しているなんて、うそでしょ? 愛しあうのは僕たちだけでいいよね? あんな男は要らないよね?」
「そうだな、ロロ」
ルルーシュは甘い笑みをロロへ与えた。それは体の深部にまで沁みとおる甘い甘い、毒。それだけでロロは安堵したように肩を下ろす。華奢なその肩が上下するのをルルーシュは興味深げに見ていた。
「藤堂、鏡志朗か」
蠱惑的に哂い、それでいて普段は禁欲的。手を出すのを躊躇させる仕草と容貌だが、一度手を下せばどこまでも従順に泣き体を拓く。魔性のものだとルルーシュは心中で思った。そうでないものまで惑わせてきただろう。無関係であったものまで巻き込むその色香と快楽と。それは呪われた宝石にも似た希少性と崇高さで。魅了する。
「日本刀だな」
「なにが」
「藤堂鏡志朗がだよ」
その美しさに不用意に手を伸ばせば切り裂かれるだけだ。その鋭さは相手を選ばない。時に自身を傷つけながらも気高く孤高に美しく。
「兄さん、もう少し僕、ここにいてもいい」
「いいさ。お前と俺は運命共同体だろう」
にっこりと微笑するルルーシュにロロは心底安堵の笑みを見せた。その笑みの裏でルルーシュは想う。
切れ味の良すぎる刃物は嫌われる。それを持つ者すら傷つけるためだ。その様相はいつしか呪いだという噂を呼ぶ。そしてそれにより希少価値を高めるのだ。
お前ははどうだ、藤堂鏡志朗?
持ち主すら傷つける孤高さを取るか、鈍さを得るか。
お前の鋭さは時に上位にいるものを傷つけ犯す。
血潮を浴びてお前は孤独に泣くのだ。それが、運命。
「お前のそばにいられるのは俺だけだ、藤堂。それを認めよ。貴様の鋭さを制御できるのは俺だけだ」
貴様にまとわりつく呪いすら制して見せよう、この呪われたギアスでもって。
ルルーシュは甲高く笑い声をあげた。
《了》