だってようやく気づいて
これからだって、言うのに
愛していると、言うこと
その知らせは素早く伝達された。ギルフォード卿、寝返る。コーネリア皇女の騎士という地位と役割に誇りを持っていた彼らしくないそれにロイドはふぅんと生返事をした。コーネリアの所在や生死についての報告は受けていなかったし興味もなかった。ロイドはぼんやり立ったまま、目の前の表示画面を見ていた。そこでは愛し子達が戦闘を繰り広げている。際限なくあげたスペックによる脅威的な戦闘力。スザクはフレイヤを搭載したランスロットで出撃した。その表示画面に一瞬、映った機体にロイドは凍りついた。白を基調として灰白や灰紫の部分を持つ、その機体はヴィンセントだった。破壊力ではなく敏捷性に重きを置いた指揮官機体だ。
「ギルフォード!」
思わず身を乗り出す。
穏やかさを表すために選んだ四角いフレームの眼鏡の奥の目がヴィンセントを捕らえた。ゼロの鹵獲に向かって寝返り、ゼロを救出してそのまま行方知れずのはずだった。ゼロが戦闘の場面に現れた以上ギルフォードを同行させていても不思議はないのだが、ロイドの脳は自己防衛的にそれを排除していた。蜃気楼を攻撃から守ろうと動くヴィンセントの動きが時折映像に映る。趣味を兼ねて全力を注いだ改変後紅蓮は驚異的な破壊力を見せてスザクが搭乗しているランスロットを圧倒した。スザクの生死すら危ぶまれた刹那、スザクは搭載していた破壊兵器であるフレイヤを、使った。
その効果は想像以上だった。まるで絵画を消しゴムで消したかのようにその有効範囲内に残るものなど何もなかった。その境界線はくっきり分かれ、建物の内部構造が見えるほどだった。それはそう、対象を輪切りにしたかのように明確に生死が、割れた。誰一人としてその衝撃から逃れられることはできなかった。黒の騎士団はおろか、ブリタニア軍も沈黙した。ロイドは凍りついた皮膚を無理矢理動かして笑んだ。
「あはぁ、すごい、ね」
開発者であるニーナまでもが動かない。彼女はこれから二択を迫られるのだ、ロイドにはそれが判っていた。倫理と科学は常に相反している。非人道的な仕打ちが医学を飛躍的に発展させた事実は歴史をひも解けば幾例もある。倫理を捨てて発展を取るか、発展を捨てて自身を守るか。
動きを取り戻した彼らのもとへ次々と矢継ぎ早に報告が入る。フレイヤにより破壊された機体や搭乗者のデータ。その一覧を眺めていたロイドは息を呑んだ。そこには恐怖が待っていた。天藍の瞳が急激に収束して目が見開かれていく。息を呑むその仕草に気づいたセシルが怪訝そうに一覧を見た。ロイドはばさりと一覧の紙束を放り出すとふらふらと指令室を出た。
「ろ、ロイドさん?!」
後ろから聞こえるセシルににゃあと笑ってロイドは手を振った。
「僕は興味無いから。君が見ておいて。疲れちゃったから休むね」
「ロイドさん…」
ロイドはふらふらと通路を歩いた。ただ何かに没頭したかった。長距離の移動はそれにうってつけでロイドはくだらないと気に留めもしない些事を思い返していた。
ロイドはそれなりに高位にあってすれ違う人々が一々、一礼する。それが疎ましくて早く目的地へ着けばいいとさえ思いながら吐き気すら感じるほど遠ざかりたかった。ロイドはどのルートを通ったのかすら思い出せないことに部屋の前についてから気づいた。人気はない。何より敵方へ寝返った者の部屋へ訪う者がいるわけもなかった。部屋の主が誰であるかを示すプレートは金文字で彼の名を記していた。ギルフォードの名を。
無造作に扉を開ければ部屋ままるで主を待つかのように綺麗だった。掃除係は質がいいらしく窓硝子も桟も綺麗で埃や曇りもない。広い机と並んでいる辞書や法律など分厚い書物。狭い本棚にはぎっしり蔵書があって、彼の趣味なのか娯楽小説まで並んでいた。ペン立ても手入れを欠かしてはおらずペン先も綺麗で鉛筆はとがっている。パタンと扉を閉じて外界と遮断されたと思うとロイドはもう衝動をこらえきれなくなった。
本棚を乱暴に開くとその硝子を叩き割る。蔵書を次々と引っ張り出してはページを裂いた。机の上のインク壜も払い倒す。隅に積まれていた帳面の背やページがインクを吸って黒ずんでいく。ペン立てをひっくり返し、尖ったペンを取るとそれで座り心地の好さそうな椅子に突き刺した。そのまま腕を引けば布地が引き裂かれてクッションや綿があらわになる。椅子を蹴り倒して机へペンをつきたてた。ぱきぃんと折れる音がして飛んだペン先がロイドの白い頬に紅い線を引いた。その折れたペン先をつき立ててカーテンを引き裂き、机の抽斗という抽斗はすべて開けて中身をぶちまけた。細々とした私物が絨毯の上を音もなく転がった。しまいには抽斗を机にたたきつけて破壊する。壁紙を引き剥がすように爪を立て、溝があればそこから被害は広がった。
「…ぅあ、あぁ――!!」
ロイドは喉の悲鳴も無視して咆哮をあげた。肉体労働などしない体は限度を無視した運動に悲鳴を上げていた。腕も脚も首も体も――心、も
ロイドはギルフォードの私室でもあった執務室を破壊しつくした。壁紙は剥げ、まともに整っているところなど欠片も残さなかった。机や棚の抽斗はすべて引き出されて中身を床へぶちまけられ、帳面や辞書や蔵書はまともに読める状態になかった。インクの染みや無造作な引き裂きでささくれたそれらをロイドは肩で息をしながら確かめるように見つめた。コンピュータも破壊されて復元など不可能だろう。キィボードに整然と並んでいたキィは飛び散り、表示画面は割れ、解体されて基盤すら打ち崩されていた。
もしギルフォードが帰還したなら温厚な彼でも激怒するだろう破壊具合だった。ロイドはその場へぺたりと座り込んだ。酷使した四肢が悲鳴を上げていた。蹴りつけ壁へ穴を開けた足先や脚も、蔵書や壁紙を引き裂きペンを突き立てた指先や腕や手も。肩を上下させるほど荒い呼吸は久しく感じたことのない感覚だった。
「あ、は…赦さないよ。赦さない…」
ロイドはまだ破壊が足りないかのように嘲るように笑んだ。白い皮膚が紅潮して唇や目元が紅く染まっている。淡く紫に色付いた癖っ毛が額へ張り付く。それをかき上げて初めて自身の発汗に気づいた。デスクワークが主であり実働はスタッフ任せのロイドには部屋一つ破壊するのも重労働だった。それでもロイドはギルフォードの部屋を破壊した。
「ギルフォード卿…ギル、バート…」
閨房でその名をささやくとギルフォードは顔を真っ赤にしていた。ギルフォードの爵位に興味はなく、彼がロイドの伯爵位より上位であろうが下位であろうが関係なかった。
その時、破壊の手が及んでいない箇所に気づいた。嵌めこみ式のクローゼットだった。破壊衝動に手をむずむず言わせながら開いたそこは綺麗に整頓されていた。彼が最後に着ていたであろう私服と、わずかな装飾品。引き裂こうとしたロイドの手が止まった。そこには幾本もの結い紐が並びそろえられていた。
ギルフォードは黒褐色の髪を長くのばしていて、戦闘時のみならず平常時でさえうなじのあたりで一つに結っていた。その際に使ったのだろう結い紐が何本かあった。
「こ、れ」
ロイドは冗談じみた仕草でギルフォードに結い紐を贈った。様々な鉱石を前にロイドは言った、好きな石を選んで、と。躊躇して難く辞したギルフォードに焦れたロイドは宝飾店で勝手に注文をつけた。
「彼に贈るの。だから彼に似合う石にしてちょうだい。金額は無制限、センスに期待してるよぅ」
「ロイド伯爵!」
慌てるギルフォードをよそに宝飾店の店主はギルフォーを見て、失礼と断ってから頤を捕らえて彼の瞳を見た。ギルフォードは髪は黒褐色などと濃い色合いなのに瞳は薄氷色という薄さだ。その差異がロイドは好きだった。
「こちらでいかがでしょう」
店主はいくつかの鉱石を並べ、ロイドはそこから気に入った一つを選んだ。それを結い紐に装飾してもらって、ギルフォードに贈った。
「とっておいて、くれたの」
ロイドの指先が震えた。
「――ッ!」
指先が結い紐を乱暴に引き抜き、ギルフォードの私服をハンガーから奪う。ふわりとギルフォードが忍ばせている香が香った。しつけの行き届いている家庭であるらしくギルフォードは身なりにも気を使っていた。コーネリア皇女が恥をかかないようにと、公の場へ列席する際には高価な衣服を身につけ、それをさりげなく着こなす。それでいてさりげなく控え、嫌味にならない程度の仕草をする。その計算の緻密さには技術者であるロイドですら驚嘆した。
ロイドは私服を何組もと贈った結い紐を携えてふらりと部屋を出た。どうやって帰宅したのかは覚えていなかった。気づけばロイドはそれらを抱えて自分の寝台の上で丸まっていた。頬をうずめればギルフォードの香りがした。肌を合わせる際に薫るそれと相違いないそれ。家の者は風変わりの風評を持つロイドがどんなに奇矯な振る舞いをしても動じない。それだけに故人の遺品を無断で持ち帰るのも目こぼしされた。風変わりな人間という認識は彼の行動を制限しなかった。
「ギルフォード卿」
ギルフォードのことは揶揄も含めてそう呼んだ。たまに寝床を共有するときにファースト・ネームを呼ぶと、くすぐったいような恥じらうような顔をしてロイドをたしなめた。冗談が過ぎます、私などを、そう言うギルフォードにキスをするのが好きだった。
「ギル、バート…」
ギルフォードの唇はふわりと柔くて、愛しかった。軍人という職種の割に体は細く、痩身であるロイドより少し体格がいい程度だ。一般人と大差ない。それでいながら皇女の騎士という高位につけたのは何より彼自身の資質のおかげだろう。ナイトメアフレームのスペックの高さに対応できるものは案外少なく、ギルフォードはその競争に勝ち残った。指揮官機体を与えられるまでになった彼の技術は確かで、戦績も派手だ。煮え湯を飲ませた奇跡の藤堂とも対等に渡り合ったと聞いている。
「あはぁ、君の部屋、壊しちゃいましたよぅ…怒るかな? 怒るよね?」
眼鏡が外れるのも厭わずにロイドはギルフォードの私服へ犬のように頬ずりした。こみあげる何かが喉を塞ぐ。息が、出来ない。あふれそうになる何かは行き場を失いロイドの中で燃えて渦を巻いた。
「ねぇ、怒るよねぇ? 怒ってよ…僕のこと、怒って…還ってきて、怒ってよぅ…!」
あふれ出るそれが涙なのだと気づいた刹那、こらえていた堰が決壊した。
「生きて帰ってきてよぅ…!」
フレイヤの爆発による破壊範囲内にヴィンセント確認。その知らせにロイドはうろたえた。それを必死に押し隠した。ロイドの奇矯な振る舞いは周りに知れ渡っていて、それが隠れ蓑となって衝撃の深さは誰にも悟られていない。フレイヤの破壊力は何より自身がよく知っている。絶望的であると、そうであるほどにロイドはギルフォードの帰還を望んだ。
「嫌だよ、嫌です…こんな、こんなの…君が寝返っただけでもつらいのに、何で? なんで死んじゃう、の?」
けほっとロイドは咳きこんだ。嗚咽に呼吸が追い付かなかった。息をしようとする喉としゃくりあげようとする動きとに差異が生じてロイドを軽い酸欠にした。あふれる涙と痙攣する横隔膜が追い打ちをかける。
「死んじゃうなんて、ひどいよぅ…僕を、置いてかないでよぅ…」
風変わりだと言われるロイドに付き合ってくれる人は案外少なかった。人々は微妙な差異ですら嫌い敬遠した。その中でギルフォードはロイドが肌を許した数少ない人種だった。求めるロイドにギルフォードはためらいながら応えた。その気遣いや、愛情が、愛おしくて切なくて嬉しくてロイドは全開の笑みを見せた。
伯爵位をもつロイドに取り入ろうとする輩は多かったがその大多数がロイドの変人ぶりに諦めた。その中でギルフォードは異質な存在だった。ロイド自身が求めた初めての人だった。奇矯な振る舞いが常と認識されていると知りながらロイドは常人を装ってギルフォードに近づいた。ギルフォードには一目でそれを見抜かれた。
「いつも通りにしてくださって構いませんよ、ロイド博士」
微苦笑を浮かべて、困ったように笑むギルフォードはこの世の何より美しいと思い、同時に愛しかった。
「ヴィンセントの使い心地は良好です、素晴らしい機体だ。破壊力より敏捷性に重きを置くそれが私に合っている」
何の先入観もなく、ロイドが整備した機体を彼は評価した。伯爵位など、ギルフォードの前では無意味だった。それが嬉しかった。ただの技術者として、ロイドをロイドとして見てくれた人だった。
「ギルバート…ギルフォード…ぉお…!」
滴る涙がギルフォードの私服を濡らした。あぁ、君はいてくれるだけで、よかったのだ。君の本心がコーネリア皇女にあっても、僕を見てくれたのは君だけだったんだ。肌を合わせる際にはにかむように照れて頬を染める、その仕草すら愛しかった。どんな生娘より潔癖で、どんな男より高潔で。コーネリア皇女の騎士という地位を誇った君は何故逝った。なぜ反旗を翻しゼロについた? 何故何故何故? ギルフォードを説得するというのはかなりの説明を要するだろう。それを一瞬にしてやってのけたゼロを尊敬すると同時に殺意を抱いた。ゼロ、お前は僕の玩具を奪った。
ロイドはよく子供みたいだと評される。子供のように無垢にナイトメアフレームという殺戮兵器を開発し、そのスペックの高さには誰もついていけない。デヴァイサー不在という事態を招きながらロイドは現場にい続けられる、それはシュナイゼルの命によるところが大きいだろう、それでも。ロイドは高度な技術者であり、戦争状態にある自国において必要なのだ。
「君だって必要だよ…なんで、逝っちゃうの? 僕を置いて逝かないでよう…!」
ギルフォードの能力はスザクには及ばないかもしれないが確かに並み以上であり、必要であった。彼が手脚のごとく操ったヴィンセントだってそれなりの適応能力を要する機体だ。
「あは、あはあはあははは! こんな、こんなのって!」
ロイドは声高らかに哂った。フレイヤの開発には間接的とはいえきっと自身も加担していた。それがギルフォードの体躯を灼いたと思えば内臓を引っ掻きまわされているような感覚を覚えた。手の届かない箇所に及ぶ痛みには耐えるしかないのだ。
「ギルフォード卿! 帰ってきてよぅ! そんで、そんでまた寝ましょうよ! 君の体が欲しいよ…抱きたいよ、ねぇ…!」
切望感と哀しみと切なさと怒りとそれらすべてを総括した、愛情。身を灼くようなそれにロイドは生まれて初めて身悶えた。
「こんな紐なんかじゃなくて、君がいい…君がいいよ! どうして、どうしていなく、なっちゃうんだよぅ…!」
高価な鉱石で装飾された結い紐を握る指先が爪を立てて握りしめられる。スター・サファイヤと呼ばれるそれは光を当てれば星型をかたちどるのだと説明を受けた。薄い蒼色がギルフォードの瞳より若干濃い蒼でいい対比になりますよと、太鼓判を押された。光を当てて星型をかたちどる鉱石は希少価値があり珍しいのだと、後から書物を読んで知った。ロイドの爪先が皮膚を裂いて出血した。握りしめた拳の隙間を縫うように鮮血があふれて伝った。血液と涙がギルフォードの私服に染みた。
結い紐を贈った後、ギルフォ−ドはロイドの元を訪う際には律儀にその結い紐で髪を結ってきた。そんな気遣いをする性質の彼はたまらなく愛しかった。誰かのものでもいい、自分の相手をしてくれるだけ儲けものだと言い聞かせてギルフォードを抱いた。ギルフォードはロイドの手ほどきに素直に応え、抱かれた。
「な、んで…なんでだよぉ!」
かき乱す私服や結い紐に血液が付く。ギルフォードがロイドの所業を知ったら怒るだろう。それすらロイドは望んだ。フレイヤの爆発破壊圏内にヴィンセント機確認の知らせはロイドを自暴自棄にさせた。ヴィンセントにはきっとギルフォードが乗っていただろう。彼以外に操れる者がいるとも思えない。
細胞のすべてが鳴動した。泣き、笑い、怒り、悲しみ、喜怒哀楽のすべてが一度に押し寄せた。ロイドは癇に障る声で甲高く笑った。ギルフォードが今にも扉を開けて、自室の惨状の抗議に来るのを待っていた。感情のすべてが押し寄せるそれにロイドは酔った。
あぁこれがきっと――愛なんだ
悲しみ、怒り、喜び…それらすべてを総括して人々は愛を経験するのだ。
「忘れてないよ…忘れて、なんかない…愛してる…愛してるんだ…!」
ロイドは初めて慟哭した。叫ぶことなど何度もあったのに、涙することもあったのに、こんなにも恋い焦がれて慟哭するのは生まれて初めてだった。
「いなくなっちゃうなんて、ずるいよ…!」
自身の功績が君を死線に立たせたと知っている。だからこそロイドは涙する。
「ゼロなんて放っておけば、よかったんだよ…!」
泣きじゃくるロイドを慰めるのは主を失った私服たちと、贈られた鉱石を飾る結い紐だけだった。
愛を自覚すのが遅すぎた。君は、あぁ、逝ってしまった。
ロイドはそれに涙する。君のために愛をささやきたかった。
願わくは僕が、君を少しでも安らぎのもとへ誘わんことを。
君が少しでも、一匙ほどの量でも、安らぎのもとへあらんことを。
我はそれを願う。
「うあ、あぁあぁああああああ――!」
ロイドは獣のように慟哭し、泣き、吼えた。
《了》