お前がいないという
ただそれは真実であり事実であった
涙があふれるくらいでは解消できない
逃亡を図った統率者への追手を仕向ける指示をする藤堂を千葉が何か言いたげに見ていた。黒の騎士団の古株であり同時に幹部である扇と協議しながら追手を向かわせた。ディートハルトは不機嫌そうに表示画面を睨んでいる。手元にあるカメラは彼が報道機関に属し、その分野の技術者であることも示していた。
扇が示した事実と敵方であったはずのシュナイゼルの言葉との間に相違はなく、藤堂はその信憑性に重きを見た。何故だか撒かれていく実働部隊に藤堂自身の出動も考えた時、千葉が図面の上の藤堂の手を覆った。ゼロの姦計に憤っていたはずの彼女の表情は思いのほか沈んでいて、藤堂は目を瞬いた。千葉は女性でこそ在るが女傑であるにふさわしく感情をあらわにしない。いつでも冷静に藤堂の指示に従ってきた。結果も残しているし、ゼロの正体が発覚する直前の戦闘で殉死した朝比奈と小競り合いも繰り返した。朝比奈との際に荒げる声は彼女にしては珍しいことで、朝比奈がいかに深く四聖剣として関係していたかが判る。
「千葉?」
「中佐」
懐かしいような呼び名に藤堂は目を眇めた。
「中佐、来てください」
「千葉?」
千葉は思いのほか強い力で藤堂を部屋から引きずり出した。扇やディートハルトが慌ててその後を追う。藤堂の指示は的確で戦闘時に欠くことはできない存在だ。千葉の鬼気迫るような雰囲気に押されて藤堂は引きずられるまま、各人の私室が集まる階へ連れてこられた。
「千葉、まだゼロを捕らえられていない、遊んでいる暇は」
千葉の潤んだような目が鋭く藤堂を射抜いた。栗色の髪をバッサリ落とした彼女はまるで少年のようだ。纏う衣服から彼女が女性であることが窺える。膨らんだ胸や柔らかなラインを描く体など男性では持ちえないものだ。千葉は怒ったように藤堂に噛みついた。
「中佐、お逃げにならないでください!」
「逃げる?」
得心のいかない藤堂は眉根を寄せてそれを表した。藤堂の行動に逃げなど見られない。ゼロの正体が敵対するブリタニア国の皇子であったと知ってからの行動に逃げなど見られなかった。彼を追い詰め、今は逃走する彼を追う刺客に指示を出している。
「逃げないで、向き合ってください。それが…それが、せめてもの手向けです。朝比奈への」
千葉は藤堂を部屋へ押し込めると強引に施錠した。藤堂が扉を開けようとパスを打ち込む気配がする。それらすべてを拒絶するパスを打ち込んでから千葉は追ってきた扇やディートハルトの方を向いた。
「千葉さん、どういうことですか? この状況下で藤堂将軍を戦線から外すなど、正気の沙汰とは思えませんね」
「なんでなんだ、彼には何か、欠陥でもあるというのか?」
ディートハルトの言葉にはありありと棘が感じられる。扇も譲歩しているが藤堂を監禁するような千葉の行為を責めている。ぎゅっと拳を握って千葉はうつむいたがすぐに膝をついた。同時に両手をついて頭を下げた。
「少しだけ、少しだけでいいから、時間をくれ! 藤堂鏡志朗に、時間をやってほしい、頼む!」
「時間って」
説得しようとする扇を制してディートハルトは言いつのった。
「それは、どういう意味で? まさか藤堂将軍までゼロに通じていると?」
「…朝比奈が、死んだ。だから、時間が欲しい…頼む。あの人は、失いすぎた…大事なものを失いすぎたのだ――」
「死んだのは朝比奈隊長だけではない。大事なものを失ったのも。藤堂将軍もそれは御承知のはずだ」
きっと千葉がディートハルトを睨んだ。その大きな瞳は泣きだす直前のように涙をためていた。
「私たちでは、出来んのだ! 朝比奈の喪失を埋めてやることが! だから、だから藤堂鏡志朗には朝比奈省悟の喪失に向き合い、立ち直ってもらうしかない――…頼む。お願い、です。お願いします!」
土下座する床へ千葉の涙がパタパタと滴った。
「お願いします! お願いします! おねがい、します…!」
扇が悼むように千葉と扉を見た。ディートハルトは困ったとでも言いたげに嘆息する。
「あの人に、泣く時間を…涙する時間をください――お願いします、おねがい…」
ディートハルトも肩を落とす。扇は切ないような顔をして千葉を見た。
「…あの人に、涙することを――許してあげて」
血反吐を吐くように、千葉は土下座し続けた。
思いつく限りのパスを打ち込んだが施錠は解けなかった。藤堂は嘆息して部屋を振り返ってから戦慄した。そこは朝比奈省悟の私室だった。
「ぅ…――…ぁ、あ…」
どくどくと心臓が脈打つ。呼吸が浅くなり肺が機能を失う。体中の汗腺が開いて汗が噴き出す。生まれて初めて女性である千葉を罵倒してやりたい衝動が起きた。何度も何度もパスを打ち込む。朝比奈があっさりと教えてくれたはずのパスはすべてエラー音を響かせ拒絶された。
「千葉…千葉!」
防音効果に優れた扉も壁も藤堂の叫びすら吸収してしまう。
「ぅあ、あぁ――…!」
初めて訪う部屋ではない。何度も訪った。朝比奈が、生きているうちは。
適当に整えられた部屋。掃除も欠かさなかったのか小奇麗で埃もたまっていない。それでいて枕元や椅子の背へ上着や雑誌が無造作に放られている。少ないが選りすぐったのだろう蔵書や帳面。ペン立てには幾種類かのペンや鉛筆まであった。寝台も整えられていつでも就寝できるようになっている。少ない私物を補うようにこの部屋には朝比奈の性質が端々にあらわれていた。適当に整い、見えない場所では崩れる。藤堂はふらふらと部屋中を歩き回った。蔵書には藤堂が譲ったものもある。雑誌など疾うに捨てていると思ったのに、同じ銘柄をそろえている。藤堂が熱心に読んでいるのを見て朝比奈も購入を決めたと言ったそれは嘘ではなかった。さすがに私物の少ない職業柄か、古い号はないが藤堂が譲った号だけは特別ででもあるかのように取り分けてあった。端が擦り切れているし色も褪せている。藤堂にとっては玩具を譲った程度の意識しかなかった所為かすぐに忘れた。けれど朝比奈はこうして選り分けておき、最新号を取りそろえるまでになっていた。
椅子の背を軋ませて藤堂は机へついた。最低限の私物。それでもいつの間にそろえたのか辞書や何冊もの帳面があった。朝比奈は軽薄に振る舞いこそしたがその実、律儀で執拗性があるのを藤堂は知っている。日記でもつけていただろうかと思いをはせてから自戒する。人の日記を盗み読むようなしつけは受けていない。けれど、軍属し戦闘へ出るものとして遺書は遺してある。藤堂は意識せずに朝比奈の遺書を探した。辞書のページを繰り、帳面を開き抽斗を開ける。こまごました配給品や私物をかき回して探す。
「ない、か」
その方がいいような気がした。そうあってほしいような気がした。
知らない方が幸せなことなど世の中には小石のように当たり前に転がっているのだ
それはルルーシュをゼロとして信じていた時のように。彼の嘘は甘くて甘くて藤堂たちを酔わせ惑わせた。
最後に開いた抽斗の紙束の下、覗いていた紙片を引っ張り出す。それは何度も丸めて捨てたかのようにくしゃくしゃとしわが寄っていた。折り目を丁寧に伸ばす。指先が震えた。
「あ…ぁあ…」
藤堂さんへ、と始まる文面を藤堂は無心に読んだ。指先が震えて涙が滲んだ。喉はヒューヒューと笛のように音を立てる。ごくりと生唾を嚥下すれば喉が鳴る。紙片を持ったまま、藤堂はふらふら寝台の方へ行った。
「しょうご」
そのまま膝を曲げもせず寝台へ倒れこむ。スプリングが懸命に軋んで藤堂の体を受け止めた。
ゼロは信用できません。でもオレはあなたについていくと決めました。だから後悔しません。オレはゼロではなくあなたに従います。あなたに責任を押し付けているみたいだ、ごめんなさい。でもこれがオレの事実なんです。オレはゼロに何か疑いがかかれば真っ先にそれを調べます。藤堂さんが従う価値なんてないって判ったらそう言います。だってあなたはすべて抱え込んでしまうから。最初にあなたが捕まった時のこと、覚えてますか。その時黒の騎士団に接触したんだ。あの時のような無力感はもう嫌だからオレは。
その先は涙があふれて読めなかった。こぼれる涙の雫を避けようと紙片をずらす。机には落涙の跡が残った。
寝台に頬をこすりつけるようにして藤堂は潤んだ灰蒼の瞳を開いた。掛け布や敷布は整えられていて、いつでも寝れる――行為に及べる。
「しょうご、おまえは」
思い出す。朝比奈はいつだって綺麗な寝台で藤堂を抱いてくれたこと。けして寝乱れていたり朝の起きぬけのままの寝台ではなかった。
「お前の、この次を奪ったのは、私か」
行為の後に部屋を辞する藤堂に朝比奈は手を振り笑顔で言った。
また、今度。
「しょう、ご」
敷布へ犬のように鼻先をこすりつける。残り香にでもすがろうとしているのかと自嘲した。そんな資格などありはしないと判っている、自分にそれが許されるとも思っていない、それでも。
「あ、さひ、な――」
食いしばる歯がギシリと鳴った。
――あぁこれは私への罰なのか。幾人もの人を屠り幾体もの機体を葬ってきた血塗られた自身への、罰?
死ぬより辛い罰だ、それはきっと大切な大切な人を失うこと。
「…は、は…巻き添えだな、省悟。すまない、私が…わたし、が罪深いだけなのに――」
その罪深さは周りをも巻き込み渦をなすのか。藤堂の贖いのために朝比奈の命は簡単に奪われてしまったのか。朝比奈に何の非があろうか。何の罪があろうか。ただ私が大切に思う人であった、そのために。
はらりと落ちた紙片の隅が目に入った。藤堂の灰蒼の目が見開かれ瞳が収束する。その、紙片の隅に書かれた言葉は藤堂が欲して欲してやまないものだった。それでいて朝比奈は日常的に藤堂にそれを与えた。
――愛して、います
ただ、それだけだった。
書きなぐられたそれは静謐に並んだ遺書とは別離していた。感情のままに書きなぐられたのだろう、文字が乱れていた。滲んだ文字の隅。それはきっと落涙の跡。朝比奈は冷静に遺書を書きながら藤堂への愛情を抑えきれずそこへ言葉を書きなぐり落涙したのだ。それが見て取れるようだった。机へ向かい遺書を書く朝比奈の姿が。何度も屑籠へ捨てては拾い、書きつづる。その隅へ、端っこへ感情の発露のような乱暴な書きなぐりの文字が朝比奈の心情を吐露していた。君の真意はそこにありや。
「あ、あ、あぁ、あさひ、な…――…!」
なぜ先に逝った。私のような死にたがりを置いてなぜ先に逝った。お前には未来が、この先が――この次が、あったのに。
「しょう、ご…――!」
こらえきれずに藤堂は落涙した。パタパタ落ちる涙が敷布へ染みを作る。胎児が丸まるように藤堂はその長身を丸めた。母体の子宮に守られていたころの体勢を取る。それは無意識の自己防衛だった。朝比奈の死は決定的な打撃であった。朝比奈の死を告げてなおナナリーの生死を問うゼロに藤堂は憤った。その根源は、ここに在り。ルルーシュがゼロに扮してまで守りたかったナナリーのように藤堂は護りたかった。朝比奈省悟という年若く聡明な青年を。輝く未来を秘めながら藤堂に額づいてくれた彼を。
藤堂の頬を幾筋もの涙が溢れて跡をなした。尖った顎からぽとぽとと温い涙が滴る。生まれて初めて、藤堂は慟哭し、声を殺した。ほとばしる激情のままに叫びたい衝動と、叫んでも解消されないだろうという冷静さとがせめぎあった。あぁ、朝比奈。お前がいない、いないという、それだけでこんなにも私は。
「――っく、うう…ゥッ、ふ、ぅう…!」
声を殺して泣くことなどこれまでにも何度もあった。枢木ゲンブやそれに属する者たちに抱かれた夜、藤堂は声を殺して泣いた。だがそんな事たちは些事にすら思えるほどの後悔と切なさと哀しみと苦しみが藤堂を襲った。
――私がゼロを信じるという犯した過ちの贖いは、朝比奈の喪失という形で補われている
「すま、ない…朝比奈、あさひ、な――すまな、い本当に…ごめん、ごめんなさ…」
どれだけ謝ればいいだろうか。どんなに謝罪しても償いきれない。
「ごめん、なさ…ごめんなさい…!」
藤堂は幼子のように膝を抱いて泣いた。懺悔した。
「ごめん、しょうご――す、まない…」
それだけがすべてだった。
表示画面に示された朝比奈の搭乗する機体のロスト。信じられなかった。朝比奈は技術的にも長けていたし信頼もおけた。明確な外的な破壊要因など、なかった――あの一撃以外には。千葉の報告と合わせ見て気付いた。朝比奈はゼロへの疑念を晴らすために爆発範囲外から退かなかった。千葉の制止を振り切って彼は破壊範囲内へと向かっていた。それはすべて藤堂のためだった。ゼロの虐殺。その真意を探ると、それを私は何故止めなかった?
「私の判断ミスだ…お前が死ぬ理由なんて、なかった…」
朝比奈を引き留めるべきだった。そんなことは放っておけと命令すれば良かった。戦果をあげるための殺戮が時に虐殺と称されると藤堂は承知していた。『奇跡の藤堂』は何人ものブリタニア兵を虐殺した。
あぁこの血塗られた手を取ってくれた同胞を我は死に追いやった
ぎちっと音がして唇の端が切れた。あふれる鮮血が敷布へ滴る。落涙の跡へ散るそれは紅い華のようで。藤堂は慌ててそれを拭った。今となってはそれらすべては朝比奈の遺品なのだ。それを感じた刹那、藤堂はどうしようもない衝動に身を灼かれた。
――なにも、ないんだ
遺骨も遺髪も――遺体も。
朝比奈がいたという証明はこの私室にあふれる遺品だけなのだ。あぁ人の命とはこんなにも軽く、私たちはそれを意識に上らせることもなく生きてきた。何人殺した、何体の機体を行動不能にした?
「あ、あぁッ、あさ、あああ朝比奈ぁぁあッ!」
藤堂は衝動のままに慟哭した。
軍人の遺品は少ない。遺体が遺族のもとへ帰ることは稀だ。ただ遺された遺書や腕時計や手帳などと言った身につけている品々を回収するのが精一杯で、ナイトメアフレームでの戦闘が当たり前になった頃、遺品の回収はほぼ不可能になった。機体の爆発に遺体はおろか遺品が耐えられるわけもなかった。
「あ、さひな…省悟、しょう、ご…!」
お前が生きていた証を。謝りながら藤堂は慟哭した。
穢れた体を厭わず抱いて嬉しいとさえ言ってくれた青年だった。遺書のあて名も藤堂宛てだった。だから藤堂は死ねない。生きる、それは罰であり枷であり、朝比奈の希みであった。遺書である紙片の最後は藤堂に向けてつづられていた。
藤堂さんが死んでなければいいんですけど。オレより先に死んだら許さないよ、藤堂さん。この文面、藤堂さんに読んでほしいな。オレ自身が藤堂さんを喪ってから読むんじゃなくて、オレを亡くした藤堂さんに読んでほしいな。ごめんなさい。でもこれがオレの意志であり遺志であるんです。あなたよりオレが先に死にます。あなたが生きていてくれれば、それでいいです。わがままでごめんなさい。世界のすべてに謝ります。でもそれがオレのすべてです。ねぇ藤堂さん、オレのために、生きてはくれませんか――? オレがいたことを、あなたに証明してほしいんです――あなたが、いいんです。
「く、ゥう――ふ、…うぅ…ッ」
藤堂は整えられた敷布を乱した。涙するそのままに藤堂は朝比奈の残り香を探すようにすがりついた。生殖のシステムに反したつながりを持つ体はそれゆえに強固なつながりを持った。種の生存といった宿命からこぼれ落ち逃れ出た関わりは藤堂を癒した。それはただ純粋に想いだけがそこにあるのだと信じさせてくれた。朝比奈はそれだけの優しさで藤堂を抱いた。
「しょう、ご、…しょう、ご…!」
敷布を握りしめる指先がぶるぶると震えた。見て判るほどの震えを帯びながら藤堂が笑んだ。お前と私はきっと共依存の関係にあると。それは陰陽のマークのように。勾玉の形をとったそのマークはどちらが欠けても存在できない。お前は明であるなら私は陰でいい。お前があるなら、それでいい。
「うぁ、あぁ、あ――…!」
藤堂にできるのは慟哭することだけだった。君は逝って、しまった。君は私を置いて逝ってしまった。君の血を浴びて我は生きながらえる。呪われたようなそれに準じて我は生きんとする。それはきっと死ぬより辛い、罰。お前のいない生など意味がない。けれどお前はお前のいない生を我に命じるのだ。
「しょうご――!」
向き合えと言った千葉の言葉が身にしみた。自身がいかに朝比奈の喪失を排除していたかが感じられる。見ないふりをして、気づかないふりをして。千葉はそれを正確に見抜いていた。だからこそ彼女は言った、逃げるなと。逃避は一時しのぎでしかない。そのつけは必ず支払う羽目になる。千葉はそれを予見していた。朝比奈が死んだと告げた彼女の声には藤堂の動揺すら覚悟した響きがあった。あぁなんて、なんて強いのだろうか。彼女のように振る舞えたなら。千葉のように、なんでもない顔をしていられたなら?
「しょう、ご――」
藤堂は無為に言葉を紡いだ。朝比奈の名を紡いだ。それが供養であるかのように手向けであるかのように呼びもどせるかのように。みしりと爪が鳴る。寝台に立てた爪が不穏な音を立てていた。血がにじむ。それでも藤堂は力を緩めない。お前が感じた痛みに比べたらこんなもの。それでいて朝比奈がこの場にいたら藤堂を制するだろうことが判っていた。朝比奈はきっと言うのだ。爪が痛みますよ、と。笑って。わら、って…
「あ、あぁ、あ――!」
お前がいない、それがこんなにも辛いと。知らなかった。知ろうともしなかった。破滅的な藤堂を支えていたのは確かに部下たちだった。彼らが散っていくさまを藤堂は見ているしかなかった。
「あ、あぁ、あ――すま、ない…頼む、赦して…赦してくれ」
その懺悔の対象は卜部であったり仙波であったり――朝比奈であったりした。
「ゆるし、て」
藤堂は唇をかみしめて泣いた。損得も政治的感情もなく涙するのは十数年ぶりだった。藤堂はゲンブに乞われればいくらでも泣いた。それが役目だと思い、負い目も感じなかった。だがこの身を引き裂く痛みに灼かれながら涙するのは久しぶりだった。朝比奈はその痛みでもって藤堂がまだ生きていると立証してみせた。
「朝比奈…しょ、う、ご…」
何度も情を交わした寝台にすがりついて藤堂は慟哭した。政治的野心も歪んだ快楽もなく、ただ無垢に私を抱いたのはお前だけだった。お前は私に生きろと、言った。
「お前には、かなわないな…」
泣き顔で藤堂は笑んだ。
罰だ、これは罰だ。
お前のいない世界で生を全うせよという、罰なのだ
「あぁ――辛いな…つらい、よ」
藤堂の灰蒼の瞳は潤んで雫をこぼした。
お前のいない、世界で私は生きなければ、ならないのだ
《了》