にゃあにゃあ鳴いているね、可愛いね
ちょっと、待て!
夜の街は明かりが落ちて多少のいかがわしさを帯びる。多少の出来事は見逃されやすく、それは時に暴力沙汰へ発展することも多かった。繁華街から一本裏道へ入った薄闇の中を朝比奈と藤堂は連れ立って歩いていた。黒の騎士団を率いるゼロが団員に暇を出した。非常事態体制は解かれ、近距離の範囲内なら外出も認められた。いつでも呼び出しに応じられるよう通信機器は携帯しているが基本的に久しぶりの自由時間と言っていい。その自由時間を歓迎しながらもてあましていた藤堂を朝比奈が誘って外出している。
「いや、ホントに嬉しいな」
うきうきと浮かれている朝比奈を藤堂は困惑気味に見た。
藤堂は久しぶりに与えられた自由時間は自室で過ごすつもりだった。その理由は簡潔で、藤堂の体が変異をきたしているからである。多少破綻した傾向のあるインド美人な技術者であるラクシャータは藤堂の食事や摂取するものに一服盛ったらしく、その効果として現在の藤堂は頭に猫耳を生やす事態になっている。不本意ながら実験薬の被験者となった藤堂を朝比奈は大歓迎した。膨らんだ胸やくびれたウエスト、張りのある腰など魅惑的な美人に猫耳を生やして喜ぶ輩は多いが、藤堂は自身に猫耳が生えて朝比奈が歓喜するとは思わなかった。藤堂だって年寄りとは言わないがそれなりに年長であり、可愛らしさなど欠片もないと認識している。軍属する者らしくその体躯は引き締まり、筋肉もついて朝比奈の方が華奢なくらいだ。そんな自身が猫化するなどという薬の被験者に選ばれてしまった理由もその結果喜んでいる朝比奈の心情も、藤堂には判りかねた。鏡を見たが何がいいのかさっぱり判らない。
猫化という変化をきたしているのは耳だけではない。当然、猫耳が生えれば尻尾も生えた。団服はおろか通常の私服では尻尾が治まり切らず、かといってずり下ろして歩くわけにもいかず悩んでいた藤堂に千葉は着物の着用を進言した。着物は体を包み込む日本古来の衣服で洋服のように下肢を締め付けることもない。藤堂は進んでそれを受け入れ、彼女が用意した白地に藍の模様があしらわれた男物を着ている。濃紺の男帯を締めて着終えてみれば、尻尾はその部分が多少ふくらみはするがすっぽりと隠れて人目をやり過ごすこともできそうだ。何より神経の通っている尻尾の感じる圧迫感がないことは藤堂にとってありがたかった。
そんな藤堂を多少残念そうな眼差しで見ていた朝比奈が散歩に誘った。そこで藤堂は辞退したものの朝比奈は食い下がり、ついには藤堂は条件を出して承知した。頭に鎮座している猫耳が目立たない場所ならいい、という条件に朝比奈が一瞬瞳を煌めかせたがすぐに応じた。その結果、繁華街の一歩裏道を二人で歩いている。
「猫になっちゃった藤堂さんと、デート」
年頃の娘のように朝比奈は頬を紅潮させて全開の笑顔を見せる。朝比奈は普段から親しいものには砕けた態度をとるが、警戒すべき人物には冷淡に応じる。その境界は割とはっきりしていて、朝比奈はうまく黒の騎士団にとけ込んでいた。
「今ならゼロに感謝してもいいな。普段は胡散くさくてオレは嫌いですけど」
「だが彼の力は必要だ。彼が私たちを利用していてもな。私たちもまた、彼の威を利用している」
「藤堂さん、戦術的にはそうですけど、オレのこれは感情的なものですから直りませんよ」
ぷぅと拗ねたように頬を膨らませる朝比奈に藤堂は苦笑した。朝比奈は聡明でいて年相応の仕草は気を許したものにしか見せない。そういう意味では用心深く頭もいい。
「ならば彼のことは忘れて私のことでも考えていればいい。こんな格好なのだしな」
さらりと言った藤堂の言葉に朝比奈はあっけにとられたような顔をしたがすぐにへらりと笑った。丸い眼鏡が繁華街から漏れてくる明かりに煌めく。繁華街のネオンは野放図で裏道を時折鮮烈に照らし出す。
「オレはいッつも、藤堂さんのこと考えてますから」
浮かれたように手を後ろで組んで数歩先へ駆けてターンする。ちょうど交差路であったそこで朝比奈が体を反転させる。同時に不意の人影が朝比奈と衝突した。
「朝比奈!」
「う、わっと! すいませ…」
「いやぁ、こちらこそ…あぁ猫だぁ!」
謝る人影が藤堂を見た瞬間に指差して叫んだ。その連れらしい人影が慌てて制する。
「ちょッ、指をさすのは失礼ですよ!」
ピンッと藤堂の猫耳が立ち上がり、尻尾まで立ち上がりそうになるのを必死に殺す。体全体をむずむずした刺激が駆け抜け、体中の毛が逆立つ感覚がした。それは相手方も同様だったらしく黒いベロアの毛並みをした尻尾が逆立っている。同時に耳がぴんと立つ。
「そ、そっちこそ猫!」
動揺した朝比奈の叫びにそれぞれが固まった。猫化した変異の効果なのか、藤堂は夜目が利いた。カチリとネオンを反射するのは穏やかそうな人柄を感じさせるフレームの眼鏡。下がり気味の目尻や引き結んで自然と端が上を向く紅い唇。その肌は驚くほど白く血管が透けて見えそうだ。髪色も薄い紫に色付いていて瞳は天色。着ている服は材質の高価さが窺えて、彼のおかれている状況が上等な部類なのだと示していた。けれど藤堂が驚いたのはその連れの方だった。
「ギルフォード卿?!」
ブリタニア皇女であるコーネリアの騎士として、その戦績とともに軍属内部では名をはせている。冷静でいながら大胆な機体さばきや判断力、敏捷性など侮ることのできない相手でもある。
「藤堂!」
悲鳴のようなギルフォードの声に辺りは動きを取り戻す。藤堂とギルフォードは互いをあっけにとられた眼差しで見つめた。お互い猫化の変異をきたしている。二人の耳がぴくぴく揺れる。お互い華々しい戦績の持ち主であり、名も売れている。戦場で相対するならまだしも夜半の路地裏で、その上猫化などという冗談でしかないような変異をきたした状況での対面だ。互いに言葉がない。ただ猫化した神経回路だけが警戒するように耳や尻尾を揺らし毛を逆立てる。
「ラクシャータだねぇ?」
くふんと笑ってロイドは目を眇めた。朝比奈は警戒するようにロイドを検分している。
「さぁね、原因の特定はしてないんだよ。そっちこそ、なんだよ。猫って連れて散歩する動物だっけ」
「連れて歩くのは僕のじ・ま・ん。自分の作品を見せびらかそうかと思ったんだよぅ。外の空気も吸いたかったし。閉じ込めておくのも悪くないけど、外でスリル満点の交渉を持ちたかったしねぇ」
「っそ、そんなこと考えていたんですかッ?!」
固まっていたギルフォードが復活して抗議した。どうやら納得させて連れ出してきたわけではないらしい。つまりはギルフォードもロイドに不覚を取って猫化の状況下にあると言うことだ。成人男性に猫耳つけて喜ぶ輩の多さに藤堂は目眩がした。それはギルフォードの方も同様だったらしく頭を抱えている。ロイドに反省の意識はなく平然としゃがみこんで頭を抱えるギルフォードを見ている。
「――でも! 藤堂さんの方がかわいいもんね! 雉虎柄だし!」
朝比奈は千葉から仕入れたばかりの知識を披露する。千葉の所見によれば雉虎と言われる模様らしい。茶鼠の地に黒に近い焦げ茶色が縞を描いているのだ。
「えーうっそー」
ロイドは疑わしげに声をあげた。ロイドの意識が朝比奈の方へ向いたのを見て取って藤堂はうずくまってしまったギルフォードのもとへ屈んだ。互いの警戒は解けたらしく近づいてもなんの不快感も感じない。むしろ同質の感覚が芽生えて藤堂はギルフォードの髪へ頬ずりするようにキスをした。ギルフォードの耳は黒一色で耳の内側も黒い。ベロアの毛並みをした尻尾は長く、それでいて彼は普通の私服を着用している。
「尻尾、どうしたんだ? 良くズボンがはけたな」
藤堂自身、尻尾の窮屈感に負けて着物を着ているのだ。ぽわんと浮かんだ疑問を口にするとギルフォードは顔をあげた。黒褐色の長い髪がさらりと揺れる。さりげない装飾の施された結い紐で一つに髪を結っている。冷徹さを装うかのように鋭角的なフレームの眼鏡の奥の薄氷色の瞳が藤堂を映す。ふっと吐息とともに自嘲してギルフォードは目を背けた。
「セシルさんが尻尾穴をあつらえたものを嬉々として用意してくれていましたよ」
しかもその衣服の裾や腰回りは計ったようにぴったりで、ギルフォードはそれを受け入れざるをえなかった。不具合を理由に断ることもできずきらきらした目で「着てみてください」などと言われてはそれに従うしかない。
「そ、そうか…」
セシルという女性名に藤堂は心当たりはなかったが、女性と言うのはずいぶん用意がいいのだなと妙な感心をしていた。千葉もいつの間にかこの男物の着物を帯とともに持ち込んでいた。
朝比奈とロイドの論争は激しさを増したらしく朝比奈が荒い声で藤堂を呼んだ。呼ばれるままに立ち上がる体へ朝比奈が絡みついた。
「証拠ならあるって! ほら、この尻尾! 雉虎でしょ?!」
朝比奈は手を突っ込んで藤堂の長い尻尾を引っ張り出した。
「えーうーん」
ロイドは平然としているが藤堂の方は穏やかでいられない。朝比奈が手を突っ込んだのは着物の合わせ目である。帯で固定されているから一定の場所で広がりは留まるが、それはまるでチャイナドレスのスリットのごとく藤堂の長い脚をきわどいラインでさらした。尻尾の所為で下着の着用を怠った藤堂は後悔したが時すでに遅く、朝比奈は遠慮なく着付けを崩していく。腰骨が覗くほどくつろげられてさらされる場所もきわどさを増している。長い脚がどうしたらいいか判らず戸惑っている。
気づいてしまったギルフォードは唇を引き結んで紅い顔をうつむけてしまうし、ロイドはもっとよく見ようと尻尾や脚へ視線を注ぐ。
「は、放せ、朝比奈!」
「へ? なんでですか」
この状況でなんでもないものだと思いながら藤堂も必死だ。指先で必死に裾を掴んで引っ張り下げて隠しているが下肢のかなりきわどい位置まで朝比奈の所為でさらされているのだ。
「あーこれが雉虎。へぇー面白いねぇー」
自慢げに胸を張る朝比奈をよそに藤堂は必死で、さらにそれを意識の外に置いているロイドはギルフォードを指差した。
「僕のはね、黒猫。真っ黒なの。でも目が蒼いんだぁ、それに」
うふっと笑ってロイドは地面にギルフォードを突き飛ばした。反射的に腕を伸ばして体を支えるギルフォードの骨盤の後部をロイドが強く打った。条件反射のように背がしなって腰が上がる。
「にゃあッ!」
びくびくっとその細身が震えて艶っぽい声が出た。その声に藤堂とギルフォード自身が同時に硬直した。
「発情モードなんだよねぇ! うふふ、そこまで操れるんだよぅ」
「…いいなぁ」
「ど、どういう意味だそれは!」
ぼそっと呟いた朝比奈の言葉に藤堂が悲鳴を上げた。藤堂は状況が許せば卒倒したかったが、こんなところで卒倒したら何をされるか知れたものではない。
「な、なんでこんな?! 私が何をしたって言うんですか、何の因果ですか?!」
ギルフォードに至っては恐慌をきたしている。無理もないそれに藤堂は若干同情した。
「おや、そこまで手はずを整えて呼んでもくれないのかな」
響いた声に全員がそちらを向いた。ありふれた私服の長身の男。藤堂にとって予想外だったのはその傍らにいた男だ。くすんだ金髪は長くひとつに結われている。
「ディートハルト?!」
「殿下?!」
藤堂とギルフォードは完全に恐慌をきたした。二匹の猫になり下がった二人をよそにサングラスを取るとその見目麗しい顔が煌びやかなネオンに照らされる。ディートハルトとシュナイゼルは通じ合ったように視線を合わせてからそれぞれ主張した。
「君とは猫を共有する約束だろう、抜け駆けは、ずるいな。しかも発情モードのネコを隠すなんて」
ギルフォードが素早く地を蹴った。だがそれより速くロイドの手が意外な強さでギルフォードの襟首を掴んだ。襟で気管が圧迫されてギルフォードがうめいた。
「ぐぇッ」
激しく咳きこむのを心配しながら、藤堂はディートハルトの登場に口元を引き攣らせていた。
「私も混ぜてくださいよ、藤堂中佐が猫化したと聞いて散々、探しましたよ。猫の味をぜひ知りたい」
ディートハルトの視線は舐めるように藤堂の長い脚を見た。気づいた藤堂は慌ててもがいた。だが朝比奈の拘束は意外と固く解けずに難渋する。
「お前にやるネコなんて一匹だっていないよ。ブリタニア人が、皇子を連れてご登場かよ」
「彼とは目的が一致したので二人がかりで二匹の猫を探しただけですよ…藤堂中佐、実に美しい脚線美だ」
「――ッ! み、見るな…!」
情けないやらどうしたらいいか判らないやら、とにかく絶望的なことだけは確かで藤堂は途方にくれた。
「じゃあ、私はこれで失礼するよ。色事に政治色を持ち込む趣味はないのでね。そちらはそちらでやってくれ。…あぁ、泣いてもらうよ。私は猫の鳴き声は嫌いではないよ」
「…しょーがないですかね。殿下ってホントに鼻が利きますねぇ」
シュナイゼルはひょいとギルフォードを抱えあげた。ギルフォードは軍人としては華奢で目方もない。
「ふにぃッ?! ちょ、なん、待って、お待ちください…!」
慌てふためくギルフォードをよそにシュナイゼルはロイドを連れににっこりと微笑した。その微笑は暮らしに憂いのない恵まれた環境ならではの鷹揚な笑みだ。血統政治を行っているブリタニアでシュナイゼルは高位に位置し、生活環境にも不自由はない。
「それでは、また」
「じゃあねぇ、キセキのネコちゃーん」
ロイドはけらけら笑いながら手を振り、ギルフォードを抱えあげたシュナイゼルについていく。ギルフォードの悲鳴がこだましたが、路地裏において悲鳴など何の役にも立たない。
茫然としてしまった藤堂の隙をついて、朝比奈は引きはがされて藤堂の体躯は壁際へ追い詰められた。ディートハルトは騎士団内でも藤堂と同等程度の長身だ。力もそれなりにあり、拘束力も侮れなかった。だが立て続けに起こった出来事に呆然としていた藤堂は警戒を怠った。唇が重なる。
「ん、む…に、ゃあ…」
朝比奈の抗議が聞こえたがそれこそ言葉など役に立たない。藤堂の体は脚の間へ体をねじ込まれ、口腔へ舌の侵入を許していた。
「キモノというのは実にいい服だ。こうしてこのまま、事に及べる…」
「お前、この変態! 藤堂さんを返せ! つうか何してんだどこ触ってんだテメェ!」
「おや、裾を乱していたのはあなたでしょう? 私は空いた隙間を利用しているだけですよ」
「い、いい加減にしろッ! 二人とも大して変わらん! 私は、帰る…!」
藤堂の叫びに朝比奈とディートハルトが一瞬、視線を交わした。一瞬のうちに盟約が結ばれる。
「ちぇッ…仕方ないか…たまには二人でもいいや」
「柔軟で賢い対応だ。中佐、お相手願えますね?」
「?! な、お、お前らは…な、に考えて」
藤堂の背中を嫌な汗が伝った。敏感になった耳は二人の興奮を感じ取って焦燥感を生んだ。まくりあげられた裾から覗く雉虎の尻尾が不安げにパタパタ揺れる。
「藤堂さん、オレも加わりますからこいつも入れていいですか」
「拒否権はないのか?!」
さらされた尻尾が極度の警戒に毛を逆立てた。
「ありませんね」
ディートハルトはあっさりとそう言って藤堂の尻尾や耳を撫でた。ゾクゾクとするその撫で方に藤堂が慌てふためく。朝比奈は嘆息してから藤堂の帯を解いた。
「大丈夫です、オレも抱きますから」
藤堂の反論はキスで消された。
猫化した際に爪が切れ味を増しているとラクシャータは後日、藤堂にあっさり指摘した。
藤堂はしばらく誰とも交渉を持たなかった。
《了》