逃れられない
 君の手の平はなんて広いのだろう


   いい加減にしてくれ

 シュンとかすかな摩擦音をさせて扉が開いた。ギルフォードは息をついてパイロットスーツの襟を緩めながら部屋へ入った。ともにそれぞれの愛機の調整をしていた者たちは疾うに着替えを終えたらしく部屋には誰もいない。ギルフォードの愛機だけが妙に時間を食って微調整を重ねる羽目になった。それでも非常時や戦闘時の備えと思えばこそ、ギルフォードも慎重に調整を重ねた。意外と神経を使うその作業に目の奥がちかちかした。普段から眼鏡を使用しているギルフォードにとって目の疲労は厄介な疲れだ。早く着替えを済ませて自室へ戻りたかった。
 ロッカーの施錠を解きながら留め具をはずし、指先までを縫い目もなく包む袖から腕を抜く。パイロットスーツを脱ぐ様は蛹が蝶へ羽化するさまに似ている。放っておけば腰骨のあたりでとどまる。ギルフォードはインナーも同じように脱いだ。少し火照った皮膚が外気にさらされてひやりとした。汗をかいていたのかもしれない。密着性と密閉性のあるパイロットスーツを着ていると発汗作用が効きづらく、体温調節に難儀することもある。
 清潔なタオルを取り出して軽く上半身をぬぐうとロッカーの奥まった方へ身を乗り出す。誇り高き母国の軍服へ手を伸ばそうと上半身を傾けた途端、けたたましい音が部屋にこだました。
「なん…」
「いったーい…」
部屋の隅に積まれていた未整理の箱が崩れたようだ。だが問題はそこにいるはずのない人物がいることだった。
「ろ、ロイド伯爵?!」
「え、あっはー、ばれちゃいましたねぇ」
「な、なんでここに? カギはかかって…」
「うふふ、コネは作っておくものだよねぇ?」
ひらひらとひらめかせるのはマスターキーだ。苦々しい顔をしたギルフォードにロイドはへらへらと笑った。
 「い・ま。君が身を乗り出したでしょう、その時に下腹部がちょっと見えそうになって身を乗り出したら、これ。堂々と目の前で着替えって言った方が成功率高かったかなぁ」
「出て行ってください」
怒りを押し殺した声色にもロイドはひるまない。
 元来生真面目なギルフォードを陥落するのは容易でないことなど承知済みだし、それも含めてちょっかいを出しているのだから、ちょっとした諍いや恫喝ごときでひるむ性質ではなかった。ロイドは平然とそこへとどまった。乱雑に散らかった箱の中身を口笛を拭きながら片付ける。丸く頸部を包むかのような立襟の中華服を思い起こさせる白衣のままだ。仕事場から直行したらしいことが窺える。
「お仕事は」
「君といっしょ。機体の面倒はもう十分見たし僕ができることはないからねぇ」
「お部屋へお帰りになったらどうですか」
ギルフォードの敬語は最後の砦だ。今ならまだ平手も拳もないだろう。けれどロイドはくふんと挑むように目をすがめて笑んだ。
 「君、個人主義信奉者? 人前では着替えもできないっていう胆の小ささ?」
ギルフォードの顔に朱が上る。つかつかと歩み寄ったギルフォードがロイドの胸倉を掴み引っ張り立たせた。ロイドが構える前に右腕がしなり平手が命中する。容赦のない一撃に陶器のようなロイドの白い皮膚は紅く腫れていく。
「あはぁ、図星でした? うふふ、そんな君も好きですけどねぇ。ほらほら、ストリップを続けてくださいよぅ」
ロイドは一向に堪えた様子もなくケタケタと癇に障る声で笑った。ギルフォードは口元を歪めてロイドを振り捨てると、ロッカーから着替えを引っ掴んで扉を開けた。
「あれあれぇ? そんな恰好で出て行っちゃうんですかぁ? 皇女の騎士ともあろう人が」
「私は猥褻物ではありませんから」
冷たく突き放してギルフォードは扉を開けて通路を歩きだした。どこか人目につかない場所で着替えるつもりだった。ロイドを部屋から放り出してもマスターキーがある以上侵入してくるだろう。そんな状況で下肢をさらすわけにはいかない。パイロットスーツは全身を包んでいて、脱衣は下肢にまで及ぶ。足先まで縫い目のない密着性のある生地だ、上着を羽織ってもきわどい姿をさらす羽目になる。そんな姿をロイドの目の前で行う気にはなれない。
 ギルフォードは軍人としては華奢な方だが体格は小柄ではないし適度に引き締まっている。多少肌を露出させても見苦しくないことを承知でギルフォードは物影を探した。すれ違う人の視線が痛い。留め具は留めずに上半身部分のパイロットスーツを羽織った。できるだけ知り合いと合わない場所を選ぶ。ギルフォードの知人なら、立場も知っているだろうし更衣室があることも承知しているはずだ。まさか男の覗きがいて使用できないなどと言えるはずもない。
「…頭が痛いな」
鍵を取り換える必要性とその難しさに頭痛がした。ギルフォードがどんなに難儀してキーを換えてもロイドはいとも簡単にそれを突破するだろう。それだけのコネと血統が彼にはある。とりあえずの処置としては着替え時に一人にならないことか。まさかほかの人物の目があるところでは堂々と覗きなどできないだろう。
 ロイドの執拗さは交渉を持った時点で感じていたがまさかここまでとは思わなかった。予想外だと言い逃れることはできるが警戒を怠った責めは負うことになるだろう。シュナイゼルもそうだが、わがままが通るだけの地位と血統だっただけにロイド達に手加減という概念は存在しない。姑息な手段に長けていない無垢さと言えば聞こえはいいが、要するにただ手加減を知らないだけだ。無自覚なそれは時に意識的なそれより厄介だ。当人が意識していないのだから改善される可能性は非常に低い。指摘しても素直に聞く人柄ではないし、受け流されたりするのが関の山だ。まさか男に生まれて貞操の心配をする羽目になるとは思いもしなかった。女性のように孕むという後を引く厄介さがないのがせめてもの救いだ。男性はどんなに切望しようが妊娠などしえない。
 ギルフォードの仕事場は広く、機体を置いておく場所や周辺以外にもスペースは山のようにあった。これ以上厄介を起こさないためにも落ち着いて着替える必要がある。パイロットスーツ姿でうろつくだけで事務をこなす人々の目には奇異に映る。いっそ事務をこなすためにあてがわれた自室へ帰ろうかと思ったがそこにロイドが潜む可能性は否定できない。それでは肉食獣の中へ生肉を投下するのと変わらない。ロイドの思考を読み、裏をかく必要性が生じていた。ギルフォードは必死に思惑を巡らせた。
 考え事をするときの癖で中指で眼鏡を押し上げる。とりあえずは見知らぬ場所へ逃げ込むのが得策か。できればロイドも知らないような片隅が望ましい。抱えていた携帯から情報を得て建物の構造を見る。透明性の名目のもとに公務の行われる建物はある程度の情報が公開されている。
「ロイド伯爵の気付かない場所、こないところ…」
携帯を操作しながら場所を探す。壁へ背を預けて携帯に意識を集中する。今時の携帯は便利なもので通話のみならず情報を得る機器としても使用できる。すべてを秘密裏にしては内乱を招くばかりか人々は屈しない。なのである程度の情報は公開されているのだ。
 壁の冷たさはパイロットスーツのおかげで感じない。密閉性のあるそれは熱や感触まで遮断する。普段身につけている軍服を小脇に抱えてパイロットスーツでウロウロするのは悪目立ちする。自然と人目を避けるような物陰へ場所を移した。携帯で場所を確かめるとギルフォードはまっすぐそこへ向かった。更衣室へ戻ればギルフォードを追ったロイドの不在も期待できるかもしれないが、同じ程度にロイドがそういった思考を読んで留まっている可能性もある。危険性がある以上向かう気にはなれなかった。
「まったく、面倒事ばかり起こすんだからな…」
ロイドの人格はある面では破綻しているがそれが技術者としての優秀さを示してもいた。無意識のハードルを越えた才能は野放図に展開する。
 ロイドの機体を見る目は確かだし腕もいい。そこは否定しないがそれに人格が付随しているかのような風評の蔓延にはギルフォードは疑念を抱く。ギルフォードの前ではロイドはただの性格破綻者であり体の交渉相手でしかなかった。それでいて機体の面倒を見るときは技術者として振る舞う。その差異に初めのころは振り回されていたがいつしか慣らされている自身に気づいた。
「厄介ものとはまさにこれだな」
笑いながらギルフォードは身軽く階段を駆け下りその身をひるがえした。ギルフォードの体躯は力押しよりも敏捷性や機転で勝負する性質だ。階段の手すりを支えにステップを蹴り、階下へ降りる。そして通路を走っては螺旋階段を上った。建物を縦だけではなく横にも移動する。幾棟もの建物を駆け渡り、ギルフォードはようやく落ち着いた。暗がりはちょうど良く死角で人通りも少ない。
 そこでギルフォードは羽化するように上着を脱いだ。運動の直後の所為か、肌が少し汗ばんでいる。不快に思いながらタオルを持ってこなかった手抜かりを思う。仕方がないとあきらめて軍服のシャツをはおる。それから下肢をまとう衣服を脱ごうとしたところで唐突に衝撃があった。
「うふふ、僕から逃げようなんて無駄無駄」
「な…!」
驚いて振り返ればロイドがしたり顔でそこにいた。今度は白衣ではなく私服だ。一度自室へ戻ったのだろう。
「君ってさぁ、典型的なステレオタイプだよね。だから判るよ、君の考えくらい。ナイトメアフレームを相手にするときみたいですよぅ」
ギルフォードが元にしたのは公開されている情報だ。ギルフォードが入手できるようにロイドもまた入手できるのだ。そのあたりを怠ったことに今となっては後悔が募る。
 そしておあつらえ向きにここは人通りの少ない物影だ。覗きこむ人はおろか通りかかる人物さえ稀だ。外部からの救助は当然望めない。あらわになったギルフォードの上半身をロイドの冷たい指先が這った。はおったシャツはみるみる剥かれていく。ロイドの指先は明らかな目的をもって動いていた。
「ストリップを続ける気はない? 脱がせるのは嫌いじゃないけど僕、ストリップも嫌いじゃないよ」
「冗談、でしょう…」
ギルフォードの体の主導権はあっという間にロイドに掌握された。パイロットスーツの上からロイドの指先が這う動きが判る。密着性に優れたその素材はロイドの指先の在りようすら鮮明に再現した。ギルフォードの体はみるみる抜き差しならない状況へ追い込まれていく。
 「君から脱いで。そうすれば合意の上でしょ? うふふ、むりやりするより合意の上の方がねぇ体の拓きがいいんですよぅ?」
ギルフォードの体はすでに自意識を離れてロイドの指先を待ち望んでいる。これを鎮めるには時間も手間もかかるであろうことが想像できた。
「君は可愛いねぇ、素直でさ。嫌いじゃないよう、そういう単純さは」
ギルフォードは下肢を包むパイロットスーツを一気に脱ぎ捨て、足先を抜いた。


 「あぁ、どこへ行っていらしたのですか?」
グラストンナイツと呼ばれる少年が声をかけてきた。ギルフォードのまとう軍服に乱れはない。ギルフォードは曖昧に微笑してその問いを退けた。事務仕事をこなす机へつく傍らに彼が控えた。ダールトンを養父とする彼らは、ダールトン亡き後までギルフォードにつき従ってくれている。
「なんだか、お疲れみたいですね」
素直で無垢な感想にギルフォードは倒れ伏したかったがなんでもないように振る舞った。まさかロイド伯爵に好き放題抱かれていたとは言えない。少年と青年の過渡期にある彼は黙ってギルフォードのもとへ控えた。何事かと思い目線を上げれば気遣うような視線とぶつかる。
「あの、シュナイゼル皇子からのご伝言ですが」
嫌な予感に柳眉が寄った。彼はそれをどう思ったのか口早に告げた。
「面白いものが手に入ったから部屋へ来るようにと…お疲れならばお断りしますか?」
年若なだけにシュナイゼルの性質を見抜けていない言葉にギルフォードは嘆息した。シュナイゼルの誘いを断ればその次の逢瀬でツケは支払う羽目にはる。ロイドより地位も実力もあるだけに始末に負えない相手であることに間違いはなかった。
 「いや大丈夫だ…わざわざすまなかった。了承したと先方に伝えてくれて構わない…今宵にでもお伺いしますとお伝えしてくれ」
「はい」
彼はピッと一礼して駆け去っていった。ギルフォードは小脇に抱えていたパイロットスーツを背もたれへ引っかけ、その上へ背を乗せた。椅子がギシリと軋む。状況が許せばギルフォードは卒倒したかった。意識をなくしてしまえればどんなにか楽だろう。
 「ギルフォード卿」
そこへ顔を出したのはそれこそグラストンナイツより年若い少年だった。それでいて皇帝直属部隊であるラウンズの制服をまとっている。
「あなたを抱きたくて来ました」
「まったく、君といいロイド伯爵といい…私の体を玩具と勘違いしていないか」
「シュナイゼル殿下にも抱かれるんですね」
「乞われればな…拒否権があるとでも思っているのか?」
「思いませんよ…そして俺の頼みにも拒否権などない」
マントを翻す彼の体躯はギルフォードよりも幼い。少年期の丸みを残しつつも消失している中途の体躯。手足ばかりがむやみに伸びる過渡期にある体躯は危うくそれ故に美しい。
「俺は藤堂中佐も、あなたも抱く。区別なんてない。抱きたいやつを抱くだけです」
「欲望を抑えるすべを学ぶべきだな。私だって何時君の前から消えるか知れないのだよ?」
スザクはクッと口元を歪めて哂った。それは人生の無限なる時を生きた老夫にも似た倦んだ笑みだった。
「判ってますよ、あなたが黒の騎士団を処刑しようとしていることくらいね。どうせ死刑にするつもりなんでしょう、それを引き合いにゼロをおびき出すつもり…判りやすい、あなたは。それが愛しくもありますがね」
「冗談はよせ。君に愛しいなどと言ってほしくはないね」
毛先のくるくる跳ねた赤褐色の短髪を揺らしてスザクが嘲笑した。碧色の瞳は今まで泣いていたかのように濡れて息づいている。
 「俺は当座だけでいい。長くは望まないことにしたんです…たとえ永遠に近い効果を期待できても手に入れるのに手間がかかってはどうしようもない…永くなくていい。今だけでいいんだ…!」
ギルフォードの薄氷色の目が憂うようにスザクを見た。潤んだようなそれはいつしか紫苑色を呼び起こす。黒褐色の髪と整った美貌が共通点だとスザクは無為に思った。けれどスザクの思い描いた彼は綺麗な黒髪だった。結い紐をほどくと黒褐色の髪がはらりと広がった。うなじや肩を隠す幕のようなそれをスザクは疎ましげに払った。ギルフォードはされるがままだ。何より地位が違いすぎる。ギルフォードは一部隊を率いるにすぎないがスザクは政治を司る皇帝直属部隊の一員なのだ。権力も効果も違いすぎる。
 「シュナイゼル殿下に呼ばれている…できれば手加減してほしい」
「初めて望みを言いましたね」
スザクが泣き出しそうに笑んだ。
「望みをはねつける瞬間の甘美さを俺はロイドさんから教わりました」
その刹那にギルフォードは悟った。皇帝直属部隊であるスザクの来訪とその意味。ロイドがそそのかしたに違いない。彼は自身の手から一時でも逃れ出たギルフォードを責めている。その責めがこれなのだ。若いスザクの体躯はギルフォードを抱けばダメージを与えずにはいられないだろう。それすら計算のうちだ。そしてその後にギルフォードがシュナイゼルに抱かれに行くことすらも。ギルフォードは観念したかのように目蓋を閉じた。すべてが彼の手の内なのだ。中華に元を発する孫悟空と変わらない。結局は手のひらで踊っていたというだけの話だ。
 「まったく、嫌になる」
ギルフォードは呟くとスザクと唇を重ね、体を任せた。


もうちょっと、どうにか
なりませんか?

《了》

題名は私が言いたい(ちょっと待て)
ギル受けは楽しかったです。かなり。やっぱり好きなんだなぁと思い知らされ。
BGMはあれです、ウー○ーワー○ド(表記は英語ですが)。ブリのOP歌ってたときとかくらいの曲でした。
ギャグで終わるはずだったのになんでこんな終わり方…!(私のほうがビックリだ)
スザクが出る予定なかったのになんでだ(行き当たりばったり)
とりあえず楽しかったからいいか…ギル受け…
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