先生、オレのお嫁さんになって?
優しさ故にオレから逃げたあなたを捕まえる
虜囚
藤堂鏡志朗が師範代のような真似をしていた道場はその厳しさで門下生が減りつつあった。門下生の入り具合のために妥協する気はなかったから緩やかに年長のものばかりが残るようになる。その中で珍しく枢木スザクは文句ひとつ言わず何度も何度も叩きつけられて伏しながらも辞めたいとは言わなかった。この道場の普請ややりくりの資金源である枢木の家の長男だ。尊大にわがままをごねるかと思ったが案外素直に懐いてくる。藤堂が本来の軍属という職ゆえに不在になるのはつまらない、寂しいとそれが唯一のわがままのような子だった。呑みこみ良く才のある子であったから剣道だけではなく体のさばき方も教えた。指導時間外にも見つければ駆け寄ってくる。
この日もある程度の鍛錬をこなし、体力自慢のスザクもへとへとになった頃合いに休憩を兼ねて二人で雑談に興じていた。スザクは頬を薔薇色にして、疲れているのに機嫌よくしゃべった。
「藤堂先生、オレのお嫁さんになってくれませんか」
それは私に枢木の家に入れということなのかな。じわじわと昏い何かが沁みだしてくるのを感じながら藤堂はそれを隠しきった。スザクは子供っぽく足をぶらぶらさせながら続ける。お手伝いさんたちが好きな人と一緒になるのが幸せになる秘訣だって教えてくれたから。オレ、藤堂先生が好きです! 性別という垣根があるのを教えた方が良いのか藤堂は変わらない表情の下で煩悶した。一瞬で、スザクはまだ幼いから一般的な組み合わせに拘泥していないのだと決着をつける。幼い子が両親に向かって結婚するというのはよくあることだ。
「オレ、本当に藤堂先生が好きなんです! 強くて厳しいなって思うところもあるけど…でも優しい時はすごく優しいし! オレのものにしたいくらいです!」
なかなか不穏な言葉が混じっているなと思いながら藤堂はふむ、などと唸った。
「だが、私はスザク君のお嫁さんになるのは難しいだろうな」
「えぇー、なんでですかッ?!」
スザクが衿を掴んでくる。互いに道着のままだった。
「スザク君の相手にふさわしい清廉さがないからな」
「せいれん? えーっと……綺麗じゃない、ってことですか?」
「端的に言えばそうだ。大人はずるいものだよ」
だから私にはスザク君のその綺麗な好意を受けるに値しない。藤堂先生は綺麗だと思うけど…。不満げに唇を尖らせるのを藤堂は何も言わなかった。
「藤堂鏡志朗、あれはオレの父である枢木ゲンブと寝ていたことを言っていたんだな」
スザクが父親のことを名前で呼ぶのはけじめか、それとも差別か。拘束着を着たまま座している藤堂は応えない。取り調べと称して独房から別室へ移し人払いもした。そしてあの昔日と違うのは二人の立場と環境だ。藤堂は虜囚でありスザクは皇帝直属の騎士、ナイトオブラウンズという階級にいる。皇帝直属の枕詞の威力は絶大でスザクが藤堂と鉄格子も挟まずに対峙できる部屋を用意できるのもその一つだ。
スザクが藤堂を連れてくるよう命令し、乱暴に引き立てられてきた藤堂はスザクを見て刹那、その灰蒼の双眸を見開いたがすぐに皮肉に微笑み、ついに私を処刑する気になったかと言った。ラウンズ様相手に頭が高いと兵士に長身の体を抑えつけられた結果として膝を屈し座している。スザクはその様子を醒めたように見ていたが兵士がいなくなると口を開いた。抵抗、しないんですね。藤堂は身じろいで姿勢を調節しながら苦痛と屈辱には慣れていると言った。藤堂がそういうことを言う度にスザクの碧の目が揺らぐのを藤堂はあえて無視した。
「今度はオレがあなたを抱くって言ったらどうする」
「好きにしたまえ。私などで使い物になるのなら」
スザクが不満と憤りに唇を噛む。藤堂はそれを黙して眺める。教え子が強さの極致ともいうべきところまで上り詰めたのを喜ぶべきかと藤堂は茫洋と思った。敵対していても実物と対面すれば根底は鳴動した。
ばさりとスザクが特権階級の羽織を脱ぐ。その下の服もその階級のものに赦された服なのだが。ゆら、とスザクが不安定に揺らぐ。それは酩酊にも不安定さの発露のようでもあった。
「オレには戻る道なんかないんだ…帰る家もない。でも全部それはオレの行動の結果で、だからオレが悪いんだって、藤堂、さん」
あなたを抱きたい。でもあなたを強引に犯したらオレは父と同じモノになってしまう。でも、でもでもでも。
「藤堂鏡志朗が、オレは欲しい」
応えはない。それは藤堂の厳しさなのかもしれなかったし答えがないという表れかもしれなかった。藤堂自身にも揺らぎが生まれた。それはもう一つの昔日。スザクがゲンブを殺めたあの日。先生、と助けを求めたスザクに答えられなかった自責。爛れた関係の終焉はさらに物事を複雑にした。のどに刺さった小骨のようにスザクの存在はじくじくと肉を裂いた。求めに応えが出来なかった以上、藤堂はスザクからの全てを受け入れるつもりだった。叱責や打擲や罵倒や、それこそ屈辱的な扱いも覚悟した。人間が人間を貶める方法や手段に限りがないのをゲンブとの関係で藤堂は学んだ。
まっすぐ見据える灰蒼の双眸。碧が不意に弛んで潤んだ。
「あなたは、ずるい……」
膝を抱えて丸まる体勢を取るスザクはまるで。藤堂の瑕疵を広げる。裂かれた箇所から血があふれそうだった。
「――藤堂先生、オレに抱かれてよ」
反射的に反応しそうになるのを堪える。スザクが藤堂にぶつかってくる。もつれて倒れこんで肩や節々を打ち付けて痛んだ。布地の裂ける音は衣擦れ。人影が重なって蠢いた。
《了》