だって君がそんなふうに
熱にゆるんで
藤堂の私邸に広さがあると判ってからは折々に訪う。盆暮れの休みになれば四聖剣の面子が入れ替わり立ち代り藤堂の私邸を訪ねる。時期が重ならないようにしているのは藤堂のあずかり知らぬところで調整されているからだ。特に朝比奈は二人きりになりたがる。女性である千葉はそもそも訪うこと自体に二の足を踏むらしくその踏ん切りの悪さに誰も付き合わない。卜部は仙波に伴われて赴いた。ひっきりなしの来客は気を使わせるだろうと思ったし改めて二人きりになるのも気まずい。藤堂は執拗ではないが箍が外れれば激しい。年かさの仙波の抑止力を期待した。毎年のことであればとろくろく確かめもせず卜部は藤堂の私邸の最寄り駅に降り立った。気怠く手土産を提げた卜部を待っていたのは恰幅の良い仙波ではなく藤堂本人だった。仰天して立ち尽くす卜部を藤堂が見つける。
「仙波は今年は都合がつかぬと連絡があった。……お前にも連絡したと、言っていたが」
言われて通信機器に思い至る。職業上使用するものの怠りはないが私的なものに関して卜部はかなり放任だ。手荷物を探ったところで見当たらない。自宅の何処かで眠っているに違いなかった。
……後で連絡します。いささか血の気の引いた卜部に藤堂が笑った。鉄砲玉だな。私の家から連絡すればいい。藤堂は優美な仕草で卜部の手荷物を持ち上げる。中佐。休暇中くらい階級を忘れろ。藤堂でいい。さっさと歩き出してしまう藤堂を慌てて追った。からからと藤堂の下駄が鳴る。
「…あんた、和装なんだな」
階級と呼び捨ての妥協としての呼びつけに藤堂は嫌な顔もしない。
「この辺りはまだ呉服屋が幅を利かせているからな。年配の方には和装が良いという方も居るようだ。もしくは」
くすり、と藤堂が妖しく笑った。吝嗇なのかもしれんぞ。へ? 洋装では部分の取替えがきかぬだろう。着物は解体してしまえば傷んだ部分だけ取り替えて縫い直せる。和装の方が高く付くと思いますけど。藤堂は肩を揺らして笑った。
藤堂の私邸は構えからして強い。閂の門構えは門前払いが文字通りに見える。わきの潜り戸を藤堂は慣れた動きでくぐる。卜部は頭上と足元を気にしながら体をかがめた。慣れないうちは頻繁にぶつけた。卜部は並より丈があるから具合が合わないのだ。藤堂が玄関の鍵を開けている間に庭を見る。灌木の茂みが目隠しを兼ね、その種類は雑多に入り混じる。手入れが億劫なだけだ。藤堂はあっさりそう言い捨てる。だが小鳥のおとしものさえ退けない庭はそれで調和を保つように見えた。藤堂の性質と通じる。排除できる力があっても藤堂は逆らわない。されるままに近いそれを卜部たちがもどかしく思っても当人はしれっとしている。
「今日は疲れたろう。風呂をたててあるから」
「あの、これ」
手荷物の回収時期を見計らって卜部が手土産をつきだした。きょとんとする藤堂に土産を押し付ける。それから手荷物をこっそり奪い返す。豆煎餅ですよ。豆板っていうのか? 近所に新しい煎餅屋ができたんで。近所なのに顔も見せねぇわけにはいかんでしょう。藤堂が吹き出した。お前は案外昔気質だ。藤堂はさり気なく卜部から手荷物をかっさらう。荷解きはしないからゆっくり入れ。諦めて浴室へ向かう卜部の背中に藤堂の穏やかな声がかぶさる。着替えは用意しておいた。
日が落ち切らないうちの入浴はあまり経験していない。自宅であれば諸々の些事をこなしてから風呂へ入るからどうしても遅くなる。清潔だがしっとりとした湿気は肌へしみる。鏡は磨いてあるし石鹸も新しい。いちいち隙がねぇ人だよ。潔く全裸になって湯をかぶった。体や髪を洗浄してから湯船へ浸かる。一人住まいはシャワーで流してしまうことも多い。湯へ入れば体が緩んだ。ずるずると尻がすべる。鏡や天井を濡らして煙る湯気に包まれる。鎧うものまでふやけていく。藤堂の私邸へ訪うたびに友好的に抵抗の術が奪われる。熱が染み渡ったところで湯から上がった。主である藤堂が控えている。汗ばむ天候が続いているから汗を洗い流したいだろう。
用意してあった和装を着つける。最近覚えた着付けで紐を結び帯を締める。測ったように丈や袖が合うのは藤堂の手縫いだからだ。どういった暇を見つけているのか藤堂は既製品に不自由する卜部の着替えを時折新調した。真っ直ぐな縫い目が生真面目な藤堂の性質だ。濡れ髪をかき上げて声をかける。居間に藤堂は居なかった。台所の方でガタガタ物音がする。横着して声だけかけると応えがあった。風呂もらいましたよ。腹は空いていないか。待ってるからあんたァ先に入ってこいよ。苦笑する気配がしてから物音が静まる。そうさせてもらおう。浴室の扉の開け閉ての音を聞きながら卜部は座布団を枕に寝そべった。この家は鄙にある。炎天下での旅路は思いの外消耗する。いくらもたたないうちに卜部は微睡んだ。
夏麻の肌触りと扇風機の振動音。ゆるやかに撫でていく風。胸部を掻こうとして身じろぐ。素肌へ触れて目が覚めた。のそのそと起き上がるが藤堂はいない。腹へ上掛けがかけてある。風呂からは上がっているらしかった。寝覚めに惚ける卜部の前に椀が置かれる。献立を訊かなかったがこれで済ませてくれ。冷や汁だ。くずした豆腐や胡瓜、鼻をくすぐるのは茗荷だ。漬物まで用意がある。忙しくする藤堂が盆を抱えて立ち上がる。
「何か飲むか? 酒はまだ冷えて…」
藤堂がぎくりと止まったことに卜部は気づかなかった。ぬか漬けの皿へ手を出している。ぼりぼりと胡瓜の漬物を咀嚼する卜部がようやく気づいて目線だけを上げた。ん? 藤堂の顔が紅い。
「なンすか…?」
「卜部、その、き、着付けが」
「あぁなんかうろ覚えなンすけどこんな着付け教わったような気がすんなって…変?」
直したほうが良いかと帯を解こうとする卜部を藤堂が真っ赤になって止めた。
「やめっ、そ、それ……以上は…私もどうしたら良いか…」
話が見えない。眉をひそめて首を傾げると藤堂が灰蒼の双眸を伏せてアワアワと言い訳した。
「衿を抜きすぎだ! それではその、……いわゆる客商売の女性の着方で、だから」
風呂あがりの上に無防備に眠っているから。………匂い立つみたいで。
「…我慢が……」
たっぷり二回藤堂の言葉を反芻してから卜部の顔が見る間に紅潮した。ばしんと衿を乱暴に引っ張れば胸が開く。俯いた首筋に痛いほどの視線を感じる。
「………っに」
匂い立つとか言うなよ…。傲慢に着つけた浅はかと羞恥に焼かれた。素直に着方がわからぬと声をかけたほうが良かったのかもしれない。
お互いに顔を火照らせて俯いたまま動けない。卜部は潤んだ目を瞬かせた。羞恥のあまり眦に涙が滲んだ。体が緩んでいたから衝撃が余計に大きい。
「……駄目だ。こうせつ…」
濡れた声に呼ばれて跳ね上がったところで唇を奪われた。いざってきた藤堂が卜部にのしかかる。裾を割り衿を開く。膝のとがりを撫でられ胸の先端を摘まれる。
「待て………ッめ、し! とか……ぁあう…」
もがいても言い訳しても藤堂は止まらない。唇が首筋から胸元へ降りていく。はだけられて双肩さえもがあらわになる。湯上がりでしっとりした指先は卜部の肌に吸い付く。藤堂の体はすでに卜部の脚の間にある。腋窩を探られ腰骨の尖りをなぞられる。しなう背中のくぼみを数えるように辿られた。藤堂の肌は熱い。湯を使って鎧うものがふやけて護りの意味が無い。卜部の体は藤堂の熱を受け入れつつある。
「ちくしょう…」
自分に向かっての悪態はみっともないと判っていても言わずにおれない。卜部は胸部へ吸い付いている藤堂の衿を掴んで引っ張りあげると唇を重ねた。
「俺から誘ったってか」
「湯上がりのうなじがたまらなかった…」
「具体例は勘弁して下さい」
卜部はもぞもぞと身動ぎすると脚を藤堂の腰へ絡めた。藤堂の帯を引っ張り揺する。
「いいのか」
「その気になっちまってるんだからいいも糞もねぇよ」
卜部が藤堂の首筋へ噛み付く。触れ合う互いの耳朶が、熱い。
「…喉渇いた」
ぽろりとこぼれたつぶやきを聞きつけた藤堂が起き上がる。二人の体の下で夏麻の着物がしっとり濡れた。麦茶ならすぐに出せる。作りおきがある。ください。立ち上がった藤堂の姿が良い。骨に歪みもなく立ち居振る舞いが美しい。衿を整えて弛んだ帯を締め直す。袖や裾からのぞく手首や足首が程よく引き締まっている。
「あんた姿勢綺麗だな」
だらしなく寝そべったままつぶやく卜部に藤堂が笑った。ありがとう。私はお前の体も好きだ。いいと思う。良かァないでしょう。猫背になるし歪んでますよ。
「だから。そういうお前らしさがいいと思う。かわいい」
「か、わ、いい!」
跳ね起きる卜部を尻目に藤堂はその大きな手で首筋の汗を拭うと台所へ行った。立ち去り際に顔だけ覗かせて微笑む。
「かわいいぞ?」
慌ただしく羽織ると衿に気をつけて帯を留める。適当に結び目を作る。どうせ食事の後にも脱がされる。袖で汗を拭いひらひらと払うように振ってから卜部は漬物をつまんだ。塩っぽさが妙に美味かった。
《了》