※微エロ


 君が私を殺す
 私が君を殺す


   私だけのものでいて

 交渉を知らない時はまだ交渉に期待を抱いていた。何もかも忘れて行為に没頭して心地よい疲労と微睡みと睦言。好きな人と、するのだと思っていた。身じろぐと粗い布地が頬をこする。心なしかしんなりとしているが肌へ馴染む感覚はない。はらはらと額へ落ちてくる髪の房を放っておく。藤堂の硬い鳶色の髪には癖がある。同じような髪型しかしないから手を加えずとも形になる。それで余計に手入れが億劫だ。文句を言われることもないからそのまま過ぎている。四肢を動かす。手を握っては広げるのを繰り返す。認識の齟齬は範囲内。体を貫かれる交渉の後は必ず確認する。投げ出された四肢は凝ったように強張る。肩や背中も同様だ。膝を抱えて丸まろうと身動きすれば疼痛が疾走った。目蓋をゆっくりと瞬かせる。目縁で潤んでいた涙がこぼれた。感情的に泣いているわけではなく体の機能として目を潤ませ落涙しただけだった。男に抱かれることは藤堂の中で涙する問題ではない。
 背中を向けているところへ目線を投げる。青い髪。痩躯。藤堂も長身だがそれより丈がある。
「うらべ」
しっかりとした肩甲骨や湾曲する背骨。痩せているから体の端々へくぼみが生まれている。卜部が振り向いた。口元に煙草があるのを見て藤堂は露骨に顔をしかめた。私は煙草は嫌いだ。卜部は一瞬だけ笑みを見せた。揶揄するような見下すような愛しむような切ないような笑いは卑屈と矛盾をはらんで刹那に消える。あんた、ザルなのに煙草駄目なンだよな。言いながら卜部は煙草を消す気配もない。…嫌いだ。だろうな。あんたは喫めないわけじゃねぇしな。藤堂が目線を逸らした一瞬で卜部はもう向き直りもしない。寝台の上で力を抜きながら茫洋と思う。初めて交渉を持ったとき卜部はひどく気遣ってくれて。顔が思い出せない。藤堂の体を拓くのは卜部が初めてではない。優秀な指導者の喰らう餌として藤堂は扱われ、半ば公然と抱かれていた。藤堂が被る羞恥や自尊の損壊などかえりみない男だった。むしろ公衆の場において踏みにじり手折ることばかりされてきた。藤堂は彼の玩具でありそれ以上でも以下でもない。私は、汚いか。使い込めば摩耗しますよ。あっさり突き返された言葉に藤堂が嗤った。お古でも構わんか。俺自身が新品じゃねぇですよ。ふぅわりと紫煙が立ち上った。苦いような匂いがする。あの男が吹かしていたのはもう少し香草のような香りがした。普段は紙巻きなど喫まないのに藤堂を抱いた後の男は必ず紙巻きを吸った。苦い煙草の匂いがその記憶を彷彿とさせる。幻想だ。好きであれば好かったと悔やんでも悔やめない。藤堂は自身が見目麗しいとは思っていない。顔立ちは厳しいし精悍だとさえ言われる。可愛らしくもない自分を抱いて何が楽しいと思うのに、藤堂は築き直しては打ち崩されるのを繰り返す。根気よく積み直したものを蹴散らすように崩される。しかもその相手は片手間にそれを繰り返す。惨めだった。
 「…うらべ」
藤堂の瞳が揺れた。灰蒼の双眸が眇められて満ちる。潤んだように煌めくのは交渉の後だからかもしれない。体と意識の不一致などすでに当たり前だ。藤堂の体は藤堂の意思を重んじたりしない。体にさえも裏切られて藤堂の意識は孤立する。卜部の背中を眺める。広いが痩せた背だ。私はお前を好きなのかな。卜部からの応えはなかった。煙草の火も消さない。ゆらゆらとした煙から目をそらすように藤堂は敷布へ顔を押し付けた。


 聞き覚えのある声に足が止まった。大振りな仕草であろうと思う抑韻と藤堂とは違う間のとり方。引き返して顔をのぞかせればくすんだ長い金髪の男がいる。一つにくくった長い金髪と日本人ではない目鼻立ち。青い瞳のそれの名を思い出す。ディートハルト。藤堂たちが敵対する国を祖国に持ちながら立場を反転させた珍しい経歴だ。真意は藤堂の位置からはわからない。ディートハルトの話しかけている相手は卜部だ。卜部は気怠そうに片足へ重心を偏らせている。斜に構える卜部の常態で何度かもめてもいるのに直らない。ディートハルトはそこに言及していないようで卜部の姿勢は変わらない。ディートハルトは熱心に話しかけ卜部は腕を垂らして話を聞いている。
 内容まではうかがい知れない。卜部は歓迎もしないが拒否もしない。それは卜部の普段の態度に通じると思うのに藤堂はその場を離れられない。ディートハルトも卜部も藤堂に気づいていない。藤堂は呼びかけることもできずに立ち尽くす。卜部が不意に笑んだ。同属に向けるような敵意と共感のあいまった口元の弛み。その唇へディートハルトが唇を重ねた。双方が長身でありわずかに屈むような動きが見えた。手持ちの書類をばらまかずにいるのが精一杯で、同時に思考が冷えていく。ディートハルトの大きな手が卜部の頬を包む。卜部の目が眇められる。呆然とする藤堂の前で卜部が体を傾がせた。ちゅうっと深く絡む水音がした。それがなんであるか藤堂が辿り着く前に二人は平然と別れてしまう。衝撃に狭まっていた視野で、卜部の濡れた紅い舌が覗くのを見てしまった。足元から駆け上る熱に頬が火照った。唇を引き結んで燃えるような思いに耐える。当人同士が平然としていると思っても魅せつけられた光景に怯んでしまう。
 俯けたうなじが張り詰めて痛い。ふらりと寄りかかる壁が温い。ずるずるとへたり込むと書類がバサリと落ちた。綴じてあるため散らばることはないが折り目くらいはつくだろう。…キスか。ディートハルトの中でキスというものはなんの躊躇もないらしい。過反応した藤堂にディートハルトは皮肉っぽく笑んで言った。挨拶ですよ。手続きとして行っているだけの行為です。少なくとも藤堂の中で挨拶とキスは同等ではない。ふ、と思考が淀む。では、卜部は?折りたたんだ膝の上に載せた腕へ顔を伏せた。薄暗い視界にため息が出る。あれは拒んでいなかった。思考の螺旋の終わりが見えない。卜部にとっては些事なのか。交渉の時のキスと挨拶のキスと、あれの中ではきちんと分かたれているのか。意識する私が過反応なのか。年の頃は大差なくとも過去や生活環境で価値観は激変する。
――私がおかしいのだろうか
 目を伏せる。考えていても詮ない。愚かを承知で卜部に問うたほうがまだ建設的だ。顔をあげようとした刹那にビシャビシャと水をかぶった。顔を上げれば飲料のボトルを傾ける卜部が居た。何か言おうと拓く口にまで水が流れこむ。咳き込むのを卜部は気にもしない。鳶色の髪は濡れて重たくはりついた。からのボトルが転がる。濡れ髪を掴まれて引っ張られた。表情は変わらずとも皮膚や筋肉が攣れた。
「う、ら」
「いい度胸じゃねぇかよ、出歯亀野郎」
「気づい、て」
「あんた無防備だから判るんだよ。空気が弛むっていうかな。具合が変わる」
しかもお誂え向きなところへ転がりこんでくれるしな。呑み込めない藤堂の体を卜部がさらに通路の奥へ引きずった。髪を引っ張られている。短いせいか激痛が走る。ほら、袋小路だろう。知らねぇふりしてた?
「卜部、判らない」
「知らねぇの? こういうどん詰まりはさ、逢引き場所なんだよ。先客がいればよすし空いてりゃ使う。それだけだ」
自分から転がり込む間抜けがいるたぁ思わなかったぜ。卜部の喉が震えて嗤う。猫が喉を鳴らすようだと茫洋と思った。髪を引きずられる痛みはすでに麻痺した。卜部の茶水晶は揺らいだがその蠢きを藤堂は捉えきれない。読み取れない。
「あんたの直感はすげぇな。隠語でやりとりされる場所を探し当てちまうんだからさ」
このままノコノコ帰ってもな。
 卜部の手が藤堂の襟を掴む。固く芯の入った軍服の襟元を一瞬だけ引き寄せる。瞬間的に引き離す勢いで留め具が破壊される。釦が飛び散る。割れたような微音もした。何か言おうとする藤堂を卜部が封じた。被害者ぶるなよ。あんたみたいなのが一番性質が悪いぜ。責められていることだけ感じ取って思わず口をつぐんだ。お前が悪いと言われればそうかもしれないと思ってしまう。藤堂はそうやって生きてきた。それがますます卜部の逆鱗に触れる。
「自分が悪いと思ってことを済ませる奴が嫌いだ」
灰蒼が怯んで潤む。自我をくじかれ続けた藤堂の在りようさえもが責められる。負けぬと思って積み直しては砕かれ、従順な姿勢を責められる。藤堂の体から力が抜けた。嫌いだという言葉は想像以上にこたえた。じゃあどうすればいいと開き直ることさえできない。髪を掴まれてうつむくことさえもできなかった。情けないと思うのに涙の一つも溢れてこない。藤堂は多分否定されることに慣れていた。
「泣く可愛げもねぇな。向かってくるでもねぇ。やり過ごせばいいってのは無責任だぜ」
卜部の言葉は常より辛辣だ。もともと、直属部下として別称を冠する四聖剣の中でも舌戦を繰り広げる卜部はつけつけとものを言う。年若い朝比奈と言い合いが殴り合いに発展するのも少なくない。卜部は印象や影響の悪さを判っていてそういう物言いをする。
 卜部の手がインナーを掴む。卜部? 邪魔だな。引き裂かれた。顕になった胸部へ卜部が吸い付く。飄々として見える卜部の根深い執着は閨でこそ発露する。散々に扱っておいて次の日にはけろりとして顔を合わせる。そういう性質なのだと藤堂はひとり決めした。作戦の遂行に私情が混じっては困る。切り替えは上手かった。
「う、うらべ」
「寝台でなきゃあ勃たないなんてことはないだろ」
あんた経験値はあるみたいだしな。返す言葉もない。藤堂の積み上げたものを破壊した男は藤堂の体さえも蝕んだ。女だ女だ、淫売めと罵られて藤堂はそれが己なのだと思った。納得しなければ立ち行かなかった。
「やめ……ッやめて、くれ……わたし、は」
卜部の手はすでにベルトのバックルを揺すっている。乱暴に解かれて下肢を剥かれた。脚の間を握りこまれて体がすくんだ。こんなところで?
「今更。あんた後ろがヒクついてるぜ」
ぐぼ、と卜部の指が菊座を犯した。びくびく震えて嘔吐く藤堂に卜部が見上げて嗤った。なれない真似はやめろよ。あんたの体は結構慣れてるぜ。押し入る指先はコリコリと感触の違う内壁をこすり上げる。ほら、勃ってきた。震える抜き身から蜜を吹いているのを見て藤堂は愕然とした。調教されきった体は主人が変わっても忘れない。
「あんた、未通女みたいなこと言う淫売だな」
そういうのが好きな奴もいるンだろ。受けそうだな。うそぶく卜部の言葉には悪意しかない。唇を食まれる。紅い舌がねじ込まれて吸い上げられる。その間にも菊座は抜き差しでほぐされていく。
「男に脚開くくらいでどうにかなるなよ。そんなのありふれてる」
胸を撫でさすられる。紅い舌先は喉から胸、腹へと降りていく。やわい舌の感触と湿りで境界は溶かされていく。触れられてもいないのに藤堂の抜き身が震えて濡れる。
 卜部の指の腹は内壁をこする。固いぜ。こりゅこりゅと音のしそうな刺激に藤堂は腰を震わせた。
「うら……ッな、か……な、か、が…!」
「いいところ擦ってやってンだよ。駄々漏れじゃねぇかよ」
震える抜き身の先端を弾かれる。
「そ、こ……そこは、や……ゃ、め、て…」
「やめてほしいたぁ言ってねぇンだよ、体が。もっともっとってほしがってる」
あんたはいい女だよ。潰すように強く圧された瞬間、藤堂は果てた。
「ぁ……――…ぁ、う…」
余韻に痙攣する体を卜部が抱いた。ねばつく唾液が口元を濡らす。開いた口腔の唇に糸を引く。開く口元に銀糸は切れない。唾液は唇越しに口腔を上下に走り、頤さえも汚していく。震える唇へ何本も銀糸が伝い濡れそぼったように潤んだ。
 ぐうっと押し上げるものがある。藤堂はそれがなんであるか知りながら考えられない。むやみに空を切る手が卜部の肩を掴む。
「あ、う、ぁう……な、か…ほし、い…」
眇めた灰蒼はいっぱいに広がって獣めいた眼を見せた。溢れる涙が頬を濡らし、唾液で頤は汚れた。
「淫売野郎。男にぶち込まれたいのか?」
卜部の刀身の先端があてがわれる。それだけで菊座はヒクついた。
「う、ら……卜部、卜部、うら……べ…」
腰を押し付けるように振る。涙や洟や唾液で汚れた顔を卜部はすする。
「ダメな女」
胎内へ突きいる衝撃と重みに藤堂の意識が暗転する。四肢だけが余韻のようにビクリビクリと震える。


 目を覚ましたのは寝台の上だ。首を巡らせれば椅子へだらしなく腰掛けた卜部が居た。
「うらべ…?」
「書類は回しましたよ。あんたの机から判子を取り出したのは悪いと思いましたけど必要だって言うから」
複写があるんで確認して下さい。それで? …それで。あんたァ俺に言いたいことがあるんでしょう。それとも何もないですって口拭いますか。藤堂は枕へ頬を寄せたまま言った。
「ディートハルトとキスしているのを見た」
「へぇ、あのブリキ野郎がキスは挨拶ですって触れ回ってンのにか。とんだ妬心だぜ」
あれに好きなやつァいませんよ。中佐みたいに動揺する奴がいるのが楽しくてたまらないんだよ。やり過ごせば無視できる。平然と言う卜部に慣れが感じられて藤堂が押し黙る。数瞬の躊躇の後に藤堂の方が口を開いた。
「お前はキスを嫌がってなかった」
「ずいぶん出歯亀しやがったな」
揶揄するように言うのを藤堂が拝聴する。気にするこたァないですよ。あれは本当に体温を確かめたり挨拶する意味しかねぇから。それよりあのブリキは中佐ァ狙ってますから気をつけてくださいよ。朝比奈をそばに置いといて欲しいくらいですよ。朝比奈? 背に腹は代えられねぇんですよ。
 「…お前は嫌がらないから。私以外にも情を交わす相手がいるのだと。だとしたら私が口を出すのは差し出がましい」
「あんたずいぶん卑屈だな。もっと自信持ってくれないと四聖剣が回りませんや」
首を傾げる藤堂に卜部がため息混じりに言いつける。
「あんたの手腕はもっと評価されるべきだし結果も出すだろ。その頭のあんたが多少のことで揺らいでもらっちゃ困るんですよ」
特にあんたは女なんだからこういうことは起きると思いますよ。
「卜部は、私が嫌いか?」
卜部がひどく苛立たしげに舌打ちした。俺がどう思うかじゃなくて、あんたがどう思われているかを気にしてください。卜部! 私の体は。私の体は、もう。
「許さない。あんたは生きて苦しんでのたうち回ってくれないと。死に逃げるのは赦さない」
頤を掴まれて上向けられた。卜部の茶水晶が見える。あんた、自分が無理強いされただけだったって被害者ぶるなよ。あんたが堪えたぶん、泣いた奴も笑った奴もいる。たとえば? 言って欲しいのか? そいつとどんな顔して会うつもりなんだよ。
「うらべ。私の体は、もう私のものじゃない。泣くことも出来ない。笑うのも難しい。そんな私でもお前は私を抱きたいのか? 私にそんな価値はあるだろうか?」
藤堂は卜部の手を振り払って顔を伏せた。泣き出しそうだと歪むのに涙は溢れない。涙して情けなく泣けば多少何かが起きるかもしれないのに。藤堂の眼球はひんやりと乾いたままだ。
「中佐。人間てのは自分のことしかわかりません。笑って言われた返事が辛酸を嘗めた末の苦渋であっても判らねぇんですよ。判ってもらおうなんて都合が良すぎる」
「お前は大人なのだな…」
ねじ伏せられて無理だできぬと泣いては殴られて。藤堂はもう。
「…なんで、そんなこと言うんだ」
「卜部?」
「あんたの言葉には全部意味がある。理由がある。そんなあんたに言われたら。俺はどう答えたらいいっていうンですか」
卜部の顔が首筋へ伏せる。泣いているように熱くそれでいて濡れもしない。卜部もまた泣けぬのかと思う。
「あんたを無理やり縛っていた野郎が消えたと思ったのに。それでもあんたの心がどこを向いているのかも判らない」
もっと我儘で。無理を平気で言って。そんな奴だったらはねつけられるのに。あんたはいい人すぎる。私はいい人などではない。皆そういうンだよ。
「卜部…私はお前を好きでいていいのだろうか?」
「それはあんたが決めることなンだよ」
縁があれば見合いだろうが出会い頭だろうが結ばれるだろ。私には縁がない? そうは言ってねぇよ。
 「あんたの場合は朝比奈や千葉のガードが堅すぎるんだよ。普通に過ごせば多少知り合いもできるぜ」
「お前ではないのか?」
「俺をいれないでくださいよ。俺は自分があんたをどうこうできるたぁ思ってませんから」
俺を枢木の糞爺と一緒にするな。吐き捨てる卜部に藤堂が苦笑する。
「あの人は肝が健康であっただけだ」
「かばうな。あんたを無理やり引っ張っていった時点で俺の中では問題案件ですよ」
「ありがとう」
だからあんたはズレてンだよ。ため息混じりの言葉に藤堂だけがわからない。あんたは声を上げて人を呼んで俺を殴りつけて立ち去るべきなんですよ。私に落ち度があるのに? どこが落ち度だと思ってンだよ。ならば。卜部が聞き返す。なんだよ。
「――私の価値を私は見つけられない…!」
砕かれては積み直し、それを無残に砕かれる。藤堂が倦むことに時間はかからなかった。砕かれるために築くなど凄惨な事態でしかない。藤堂と女性の話題はまずい。少なくとも良きにつけ働くことはない。非合法団体である。民衆の支持をなくせば自滅するだけだ。藤堂は自らの責任を痛感した上での処置だった。
 藤堂の手が顔を覆う。私はもう誰も亡くしたくない。

「甘ったれんな」

あんたが駆り出されるのは戦争だ。殺さなきゃあ殺されるだけなンだよ。それでもいい。私を殺して収まるならそれでいい。瞬間的に疾走った卜部の右手が藤堂を打擲した。
「もう一度言ったら手加減はしません」
目縁から涙があふれた。白露のようにほろほろと頬を伝うそれを藤堂は拭いもしない。
 爪を立てて掴んでも卜部は怒りもしない。
「わたし、は、もう」
言葉にならない。汚れている、とか。価値がないとか。全て違う気がした。爪が軋んだ。

「わたしはおまえにすがっていきている」

卜部の口元が弛んだのを藤堂は知らない。
それが全てだった。
それが全てだと思ってた。


《了》

もうちょっとハッピーな予定だった(ワァ)            2015年4月5日UP

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